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「人生のときどきで色がまったく違う」元教員のユニークすぎる農園、熊本にあり【うさぎ農園】

オリジナルの看板商品を持っていたり、発信力があったり…。個性的な農家は全国に増えつつあるが、彼女は、そのなかでも一等星のように輝く存在。夫の陽(よう)さんと一緒に『うさぎ農園』を営む月野亜衣さんは、わくわくを詰め込んだおもちゃ箱のような人だ。

無農薬の西洋野菜をセット販売する定期便を中心に、オンラインの料理レッスン、移動カフェ、ドレッシングや焼き菓子などの加工品販売、フォロワー1万8千人(!)のInstagramをたびたび沸かせる“あゆにとどけ”シリーズまで。一挙手一投足が見逃せない、同園の魅力の源とは?

教師から農園主へ。経験が今につながる

結婚当初は県外に暮らし、共に農業と関わりのない仕事をしていたという亜衣さんと陽さん。就農のきっかけは何だったのだろう。

「私は高校の教員で、主人は航空自衛官でした。住んでいたのは石川県です。今の農園の敷地は主人のおじいちゃんが経営していた牧場の跡地で、結婚して初めて帰省したときに荒れ果てた様子を見たんです。私は初めて訪れた場所でしたが、主人にとっては思い出の場所だったので……。ここは昔、すごく楽しい場所だったのに、とショックを受けていました」

ここを昔のように活気あふれる場所にしたい。そのために何ができるか? さまざまな選択肢の中から選んだのが、野菜農家だったという。

「いつか飲食店を開きたいと思っていたので、料理に使える野菜を作ろうと考えました」と亜衣さん。心が決まれば即・行動。Uターン移住すると、陽さんは農業大学でゼロから野菜づくりを学び、亜衣さんは開業資金を貯めるために熊本でも教職に就いた。大学卒業後は不動産会社に就職して経理を。結婚後は夢だった教員の道へ。そしてUターンと就農。「そのときどきで人生の色が全然違う」と笑う亜衣さんは続けて、「これまでの経験は何ひとつ無駄になっていない」と話す。

「農園の仕事にも、経理や情報発信は不可欠です。経理は新卒の不動産会社で経験したスキルですし、情報の選び方や発信の仕方は情報課の教員時代に教えていた内容を実践している感じ。全部がつながっているんです」

目標は「続けていくこと」。リスク分散が「らしさ」に

結婚後、夢だったという教職に就いた亜衣さん。最初の配属先は特別支援学校だった。

「最初に受け持った生徒は、脳性麻痺でした。生活のすべてに介助が必要でしたが、嗅覚と聴覚はしっかりしていて、視覚もぼんやりとあったんですね。その子は、赤とか紫とかはっきりした色のものは自分で手を出して選べたし、匂いを感じるからおいしいものもわかる。当時、既に就農を決めていたので、この子にも楽しんでもらえる野菜を作りたいと思いました」

どんな人の目にも入るように。料理が、食卓が、明るくなるように。カラフルな西洋野菜を作るようになったきっかけは、食を楽しんでほしいという願いに端を発していた。「これは何だろうって探求したくなる気持ち、好奇心をくすぐられる感覚が、大人も子どもも大事なんじゃないかな」と、やわらかく微笑む亜衣さん。とはいえ、同園で栽培している約200品種の西洋野菜の多くがヨーロッパ原産で、日本の気候風土で作るのは難しいものばかり。さらに農薬や化学肥料を使わない自然栽培となれば、難易度はとてつもなく高い。

「気候の違いで作れない野菜も稀にありますが、だいたいの野菜は一年を通じて、どこかで“できるタイミング”が来るんです。だから、同じ品種でもちょっとずつ作り方を変えたり、植える時期をずらしたり。細かく効果測定とフィードバックを繰り返しながらやっています。私たちの農業は、収穫して発送まで辿り着かないと利益が生まれないシステム。なるべくリスクを分散できるような栽培方法が必須なんです」

西洋にんじん、スイスチャード、紅芯大根にビーツ。うさぎ農園では、数種類の野菜がセットになった「定期便」を主軸に、野菜の販売を行っている。いつも同じものが入っているわけじゃないけれど、いつでも新鮮な驚きと喜びがある同園のスタイルは多くのファンに愛され、現在、定期便はキャンセル待ちがでるほどの人気ぶりだ。

「いつも同じものが作れないから、何が入っているかお楽しみのセット販売なんですけど(笑)、そこを喜んでいただけるのは本当にありがたいです。その分、定期便にはレシピをつけたり、保存方法をメモして送ったり、おいしく食べていただくための努力は惜しまないようにしています」

天候も作り方も毎年違って、正解はない。だからこそ「上手くできたらラッキー!」と笑う亜衣さん。多才でチャレンジを厭わない彼女の最終目標を聞くと「農園を続けること」という、思いのほか堅実な答えが返ってきた。

「続けるって本当に難しい。だから、野菜も分散して作るし、野菜が何かあったときのために加工品も作るし、オンラインレッスンもする。すべては農園を存続させるためのリスクヘッジなんです。何か始めるには、ちょっとの勇気があれば良いですよね? でも、それを続けることは難しくて、だからこそ大事だと思っています」

コロナ禍で生まれたオンラインの楽しみ

うさぎ農園といえば、2020年にスタートしたオンライン料理レッスンの話は外せない。

180名からスタートしたオンラインレッスン生「うさぎメイト」の仲間は2023年1月現在までで延べ680人を数え、巨大オンラインサークルに! 数字だけ見ると圧倒されてしまうが、亜衣さんは至って自然体。「レッスン中は楽しくがモットー。私も結構ふざけているし、うさぎメイトは身内みたいなものです」といたずらな笑みがチラリ。

「以前から定期便のお客様に向けて、届いた野菜を使って料理する配信をオンラインで行っていたんです。InstagramのDMで質問のやり取りもしていました。そういう経緯があったので、コロナ禍に料理を作って配信するオンラインライブを不定期で始めて……」

すると、瞬く間に評判となり「もっと詳しく知りたいから、有料レッスンにしてほしい」という声が殺到した。

「有料配信は一切やってこなかったので、第一歩はすごく勇気がいりました。でも、求められているなら挑戦しようと。10人ぐらいからスタートするつもりが、プレレッスンを経て応募を開始したら、いきなり180人も集まってしまって! これはもう、気合を入れんといかん、と思わされましたね」

亜衣さんが教員時代のスキルを生かしてレッスンの構成を考え、陽さんはカメラマンを担当。「なぜその工程が必要なのか」「どうしてその調味料を加えるのか」。料理ビギナーなら誰もが知りたい情報を的確に提供し、その場でコメントや質問に応えるリアルタイムの配信は、たちまち大好評を博した。

「コロナ禍の、世の中の流れがあって出来上がったコンテンツですが、ありがたいことに2年経っても熱量が落ちません。先日はレシピブックの第2弾を出すことができたし、氷川町の木工房『ひのかわ』さんに作ってもらったオリジナルの木べらも好評。いろいろつながって今があるなと、うれしく思います。レッスンは約2時間ですが、アーカイブもすべて見られるようにしているので、寝転がって見たり、料理をしながら見てもらったりと、視聴の時間も場所も自由にできるのが良いところ。これは、今のテクノロジーあってこそのスタイルですよね」

リラックスした亜衣さんの表情からは、フォロワーとの心温まる交流の様子が目に浮かぶよう。思いっきり笑って元気になれる2時間、亜衣さんの笑顔に会いに行くような気持ちで、モニターを覗いている人も少なくなさそうだ。

「1年目はコロナ禍で自宅にいることが急に増えたから、普通の料理を楽しく作ろうねっていう主旨で。2年目以降は自粛が長引いてきたので、テーマを“心の健康”に決めました。コメントや私の回答を見て笑ってもらえるように、少しでも心が豊かになる瞬間を共有できるように、と思っています。Instagramの鍵アカウントで運営しているので、私もやりたい放題(笑) 楽しんで続けられています」

変わらない信念は「近くの人を大切に」

熊本地震や令和2年集中豪雨の際は、自社も数百万円の損失を出しながら、ボランティアやチャリティに奔走した月野さん夫妻。何が彼女たちを突き動かすのだろう。

「農園を始める前から、いつでも近くの人を幸せにしようと考えてきました。家族のため。友達のため。スタッフのため。近所のおじいちゃんのため。近くにいる大切な人に何かあったら、すぐに駆けつけたり、手伝ったりできる自分でいたい。災害支援も結局、それに尽きます。大事なお客様が、フォロワーさんが困っているならば、できるだけのことをしたい」

野菜の定期便やSNSの交流を通じて、会ったことはないけれど、大切に思う人々。彼らを助けることは“近くの人”を守ることだと、亜衣さんは迷いのない瞳で言い切る。ずいぶんと“近く”の輪が大きい人なのだ。

「実際、災害の被害を受けている当人からもコメントをもらうし、その様子を見た別のフォロワーさんが、うさぎ農園を通して何か支援をしたいと言ってくれて。災害の支援は初めての経験だったので何もわからず、でも何かしたいと思って緊急インスタライブを開きました。それで、フォロワーさんと一緒にどんな支援ができるか決めていって……」

実はその頃、クラウドファンディングに挑戦する予定だった亜衣さん。返礼品用に準備していたエコバッグの利益を、全額寄付することに決めた。自由に寄付額を選べる500円の「お気持ちカード」を準備したのも、フォロワーのアイデア。支援の輪は大きく広がり、合計で250万円以上の支援金を届けることができた。

「自分ひとりでは企画できなかったと思います。フォロワーさんのおかげで動かせてもらった」と何度も頷く亜衣さん。「私たち夫婦が決めているのは、ひとつだけ。何かをやることで誰かが助かるとか、楽しめるならば、やってみよう。もし、誰かに迷惑がかかるようなことであれば、やめよう。それだけです」

シンプルに、もっと良くなるために行動する。その思いから生まれるアクションが、たくさんの人の心を動かし、巻き込んで、農園の周りに幾重もの幸せの輪が広がっていく。

ぴょんと大きく飛躍する、兎年のうさぎ農園

2022年に10周年を迎えた、うさぎ農園。ふたりで始めた事業は、10人の大所帯になった。

「昨年から正社員を2名、迎えられました」と嬉しそうな亜衣さん。次の10年に向けて、新しい挑戦も始まっている。「春頃に、野菜の直売所兼テイクアウトスイーツのお店をオープンしたいと思っていて、着々と準備を進めています」。

その名も『うさぎファクトリー』。場所は、意外にも熊本市の中心市街地からほど近く、城下町の風情が残る中央区細工町だという。農園から離れているため、なぜ? と聞かれることも少なくないという。

「ご縁をいただいて周辺を歩いてみたら、古い町並みが素敵で、よいなと思ったんです。熊本に観光に来られた方が、熊本駅から街中までぶらぶら歩いて、景観や食や、いろいろなものを楽しんでくれたらなって、そんな未来が浮かんできました。うちのお店だけが目的になるのではなく、町全体を味わえるような、地域全体が元になるような店舗運営ができたらと思います」

亜衣さんは自宅近くの畑を案内してくれながら「ゆくゆくはここに、加工場を建てたいんです。自宅にはキッチンスタジオを併設して……」と夢を聞かせてくれた。採れたての野菜のようにみずみずしい感性と揺るぎない心を抱いた“一等星”は、これからもますます強い光を放ち、たくさんの人の心を明るく照らしていくのだろう。


うさぎ農園

photo:大塚淑子

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