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「萩はなにかを模索している人に合う街」旅人と地域が繋がる拠点づくり【ゲストハウスruco】

萩ゲストハウスrucoは「人と街とを繋ぐ宿」がコンセプト。山口県萩市で音楽学校として使われていた4階建てのビルをリノベーションし、街に溶け込むゲストハウスに。萩のことをもっと知りたい旅人にとって、絶好の拠点として親しまれている。rucoのオーナーは萩市出身の塩満直弘さん。海外に飛び出した経験や地元への深い愛情を基に、旅人と地域が触れ合うきっかけを作ってきた。塩満さんにrucoオープンまでの人生、これからの展望などを伺った。

萩の楽しみ方が見つかるゲストハウス

2013年10月にオープンした萩ゲストハウスruco。和室、洋室、ドミトリーの部屋はどれも心が落ち着く雰囲気で、肩の力を抜いてリラックスしたい旅人にぴったりだ。

外に出れば、歩ける距離に菊ヶ浜や街並みが広がり、城下町を散策すれば萩の歴史を肌で感じられる。車に乗って笠山、少し遠出をして元乃隅神社、角島大橋を周るのも楽しい。rucoを訪れる人は、オーナーの塩満さんから街のおすすめスポットを教えてもらえることも。

「萩は、派手さはあまりないけれど、咀嚼しがいのある街。何かを模索している人に合うと思いますよ」

「このお客さんはあそこに行ったら面白いだろうなとか、地域のあの人と話したら面白いだろうなとか、お客さんと街との接点を提示しています。僕はそういうセンサーがわりと働く方だと思っています(笑)。何かしらの縁がプラスになってもらえたら嬉しいんです」

街を堪能したら、カフェ&ラウンジでひと休みするのもおすすめ。コーヒーや、地元企業が作ったドリンクを飲みながらゆったり過ごせる。

宿泊客はキッチンスペースも利用可能。街の散策で発見した食材を宿に持ち帰り、思い思いの料理を楽しむスタイルもおすすめだ。

海外生活で得た新しい世界と心の葛藤

「萩の街が大好きだ」と語る塩満さんだが、若い頃はストレートに街への愛を語れていたわけではなかったという。山口県内の大学に進学し、勉学とスポーツに打ち込む学生だったが、三年次に休学して海外に飛び出した。

「カナダで一年過ごして英語を学びました。当時は日本から出て、違う文化圏に触れることが自分のミッションのような、漠然とした想いしかありませんでした。山口にも友達がいて楽しかったですし、体育の教育免許を取れたらいいなとは考えていたんですけど、自分自身が確立されておらず、 全く自信を持てなくて模索していました」

英語は中学生レベルだったそうだが、カナダではたくさんの刺激的な体験を得ていった。

「それまでは同じ日本人だからとか、山口県人だからとか、土壌があるからこそ関係性が作れていると思っていました。ですがカナダに行ったら必然的にバックボーンがバラバラの人たちが集まっていました。 そこでできるコミュニケーションの質がすごく多様で面白かったです」

知り合いの輪が広まるにつれて、こんな嬉しい出来事もあったのだとか。

「働きだしたとき、一ヶ月目位に初めて会ったブラジル人の女性から『あなたがシオね。みんなあなたのことが好きみたい』というようなことを言ってもらえたんです。自分の中では衝撃でした。異国でこんな風に言ってもらえるのは自分の特性かもしれないし、何か面白いことができるんじゃないかなと考えるようになりました」

カナダから日本に帰ることを考えた頃、北米をバスで回る旅に出た。

「友人がたまたまニューヨークにいて、10日ぐらい滞在しました。すると街中に溢れる、生きるエネルギーみたいなものを感じたんですよ。ダンスをやってる人や音楽をしている人など、いろいろなエネルギーをもっと体感してみたいと思って、ニューヨークで過ごすことを決めました」

萩に帰って何かをしたいとは思いつつ、その何かを掴むためにはまだアクションが必要だった。

「お金を稼ぎながらビザを準備して、語学学校の学生ビザでアメリカに行きました。半日は学校に行って、残りの半日はバイトです」

エネルギッシュな人々から受ける刺激は、心地よさだけではなかったという。

「苦しかったですね。ダンサーやアーティストなど、一点集中で生きている人たちが醸す特有のエネルギーみたいなものがあると思っていて、その強さを知ったが故に自分と比較してしまい嫌気が差すこともありましたが、とにかくモチベーションだけあって、さまざまなところに顔を出していました。そのおかげで今も繋がっている人もいるんですけど、ニューヨークで暮らしていた時は苦しさがずっとありました。ニューヨーク観光は楽しいですよ。ですが楽しさだけじゃないものを感じていた時期でした」

旅人目線で観るローカル旅への期待

ニューヨークから帰国し関東で働いたのち、塩満さんは萩にUターン。萩ゲストハウスrucoをオープンした。ゲストハウスの仕事は「場所を作っている感覚が近い」という。

「rucoは萩に以前よりあったタイプの宿とは違います。萩の歴史だけを推しているわけではなく、暮らしの質感を感じてもらえるような提案をさせてもらっています。そういう意味では全く異なるアプローチをしている宿だと思いますし、受け皿は多様であるほうが間口を広いと感じています」

rucoに泊まると、街の魅力は観光スポットだけではないことに気付かされる。何気ない風景や街の人々との交流が、かけがえのない思い出や出会いに繋がるからだ。街に溶け込む旅の良さは、塩満さん自身が体験してきたところ。

2022年には、バックパッカーズジャパンCCOに就任。東京入谷のゲストハウスtoco.から始まり、数々のホステルやカフェ・ロースタリーの運営を手掛ける同社は、塩満さんにとって憧れであり、沢山の刺激を与えてくれる人々が集う企業だったという。

「バックパッカーズジャパンは宿泊施設の運営だけではなく、コーヒーやビールなどを内製していて、僕の仕事はそれらを外部に販路を設けたり、新規出店候補先の土地でさまざまな関係性を作ったり、それらに伴う情報集めを行っています」

「rucoをオープンできたのも、バックパッカーズジャパンの皆がやってきたことが大きな後押しになっています。会社のメンバーを尊敬してますし、だからこそ一緒に仕事させてもらっていることにとても感謝しています。僕自身にとって大きな糧になっているし、学びが多い時間を過ごさせてもらっていますが、まだまだ大した結果を残せているわけではないので、少なからずプレッシャーを感じています(笑)」

余白のある街・萩で広がる希望と可能性

海外、関東の生活から萩にUターンして約12年。「rucoが地域と人とを繋ぐ架け橋になれたら」という想いには、街が抱える課題解決への希望も込められている。

「以前の萩は、何かを始めやすい、表現しやすいような場所ではなかったと思うんです。自分の意思ではなく、さまざまな要因で帰らざるを得ない方々が帰ってきたり、チャレンジしようとした人たちが去っていってしまったり。僕がUターンしてきてすぐに言われて印象に残っているのが、『君みたいに想いを持っている人は、3年で半分以上がいなくなるんだよ』という言葉でした」

「萩はロケーション的に陸の孤島とも呼ばれています。それでもありがたいことにrucoを目掛けて来てくれる人たちがいて、ここに来た外の人と内の人のコミュニケーションが生まれることで、住んでいる人たちは外部からの視点で気付かされることが沢山ありますし、そこから自分達のプライドが醸成される機会に繋がることもあると思うんです」

「以前は僕も変な責任感を強く抱いていて、(萩の人たちには)外から来る人たちの価値観に触れてほしいし、視野を広げてほしいと思ってアプローチしていたんです。意図的にそういう機会を作ったりしていましたが、そこをケアしすぎても上手くいかないんだと気づきました」

考え方を変えられるようになったのは、覚悟ができたからだという。

「僕は誰かに頼まれて萩に帰ってきたわけでもなければ、ゲストハウスを開いたわけでもない。自分で選択しているんですよね。そこにしっかりフォーカスしていこうと思ったら楽になりました」

現在の塩満さんから見える萩の暮らしは、どのように映っているのだろう。

「やっぱり街がいいですね。城下町を筆頭に、とにかく町中を散歩するのがめちゃくちゃ楽しい。それでいて山も海も川もこんなに身近で、それぞれの環境にアプローチしやすい土地ってなかなかないですよ。余白があるのに整備も行き届いてて、そこに生きている人たちがいるから暮らしの風景が見える。もう最高です(笑)」

萩市は歴史や伝統を受け継ぎつつ、新しいものが生まれる可能性を秘めた街。知られざる街の魅力を発見したい人は、萩ゲストハウスrucoを訪れるのがおすすめだ。

萩ゲストハウスruco

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