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老舗きびだんごメーカーの反転攻勢「すべては地元・岡山のために」【廣榮堂武田】

新型コロナウイルスによって深刻なダメージを受けた観光業。それに付随するお土産品も大きな痛みを伴った。例えば、全国の名産品の中でも高い知名度を誇る岡山名物「きびだんご」をもってしても、その荒波を乗り越えることはできなかった。

きびだんごの元祖である廣榮堂武田(こうえいどうたけだ)もその一社。満を持して新規出店した直後に緊急事態宣言が発令されるという不運も重なり、2020年には売上高が前年比で8〜9割減する月もあった。「ほとんどの従業員が休んでいた時期もあった」と同社の武田宏一専務(43)は厳しい状況に陥った当時を回想する。

しかしながら、耐え忍んだ結果、22年に入ってからは徐々に岡山にも観光客が戻ってきた。加えて、進めてきた事業改革にも一定の手応えを得たことで、今まさに廣榮堂武田は反転攻勢に出ようとしている。

日本兵を出迎えた桃太郎

現在、岡山にきびだんごメーカーは10社ほどあるが、廣榮堂武田の歴史が最も古く、創業は1856年にまでさかのぼる。

「池田藩の筆頭家老とわれわれの先祖が友人で、『岡山はきびがよく取れるから、それを使ったお菓子を作ってくれ』と頼まれたのが始まりです」

こう説明する武田さんは、創業者から数えて6代目に当たる次期社長だ。きびだんごを岡山名物にしたのも、実は同社の貢献が大きい。

「日清戦争および日露戦争の時に、2代目の武田浅次郎が桃太郎の格好に扮して、広島・宇品港に引き揚げてきた日本兵にきびだんごを配りました。そこから全国各地の故郷に帰っていった人たちが、『桃太郎のきびだんごは縁起がいいぞ』と広めてくれたそうです」

それを契機に「きびだんご=岡山」というイメージが一気に日本中に浸透した。その後、山陽本線や新幹線の開通なども追い風となり、同社の業績はうなぎのぼりに。ピーク時は4億円ほどの売り上げがあった。

ところが、バブル崩壊を境に、売り上げは徐々に減少していった。そして、コロナ禍の直撃である。

ゴールデンウィークに仕事を休むなんて……

「2020年3月下旬オープンの駅ビル『さんすて岡山』に新規出店するため、ずっと準備していました。そしたら開業後すぐに緊急事態宣言が出て、いきなり40日間休業ですよ。最悪のタイミングでした」

しかも例年、春先は書き入れ時で、ゴールデンウィークは観光客が大挙して押し寄せる。そんな時期にすべての店舗を閉め、工場での生産も止めざるを得なかった。当然、売り上げはほぼゼロだった。

そんな状況だったため、思いも寄らない、こんな珍事もあったと武田さんは苦笑いする。

「うちの子どもが『ゴールデンウィークはじいちゃんの家に行ってバーベキューをしよう』と言うのです。今まではそんな暇もなかったから、この時期にバーベキューなんてやったことないぞと思いましたね」

ただ、この期間が良い“リフレッシュ”に。地元の仲間などと夜飲みに出歩くことも減り、その時間を会社や家族のために当てられるようになった。結果、新たなビジネスに取り組むことにもつながった。

初めてのグッズ販売に踏み切る

では、具体的に何をしたのだろうか。

一つは地元企業との連携である。これまでは皆無だったというが、コロナ禍をきっかけに数社と一緒に新商品を開発した。それが20年12月に発売した「ももたろうのおひるごはん」である。

食品製造販売などを行う果実工房の平野幸司社長の呼び掛けで、地元のお土産菓子メーカー5社が集まり、レジスタントスターチやおから、胡桃を配合した腹持ちの良いきびだんごを作ろうとなった。商品は話題となり、今もなお販売は続いている。

「平野社長は顔が広く、オンリーワンのことをやっている方。われわれ老舗企業は時代についていけてないという課題があったため、先を行く人を間近で見ておきたいと思いました。老舗だから時代遅れでいいというのは許されません。チャレンジャーの気持ちで飛び込みました」

新商品開発だけで終わらず、その後も参加した企業とは交流が生まれ、お互いが新たな取引先を紹介するようなビジネス上のつながりもできた。

もう一つは、グッズの販売に踏み切ったことである。これは同社の長い歴史の中で初めてだった。

「今年7月にトートバッグやハンカチなど8アイテムを発売して、雑貨屋やセレクトショップなどに卸しています。観光土産以外にも売れる商品を出していこうと考えました」

同社は19年6月に商品ブランドを刷新。現在きびだんごのパッケージはイラストレーターのNoritakeさんが手掛けている。これによって若い客層が同社のきびだんごを買い求めるようになったほか、Noritakeさんは韓国や台湾などでも人気が高いことから、コロナ禍前には海外からの観光客にもよく売れた。

Noritakeさんのイラストによるグッズ販売は以前から話に上っていたものの、一気に派生商品を出すとブランドイメージが傷つくからという理由で、当初は2024年ごろにスタートする計画だった。ところが、コロナ禍によって事情が一変した。

「売り上げが8割、9割ダウンする中で、悠長なことを言っていられなくなりました。Noritakeさんにもご理解をいただいて、前倒しでグッズを出すことにしました」

その決断は功を奏す。特にさんすて岡山の店舗でお土産品とともに購入する客が散見されるようになった。「きびだんごのグッズはありそうでなかった。賞味期限もないし、常温で扱えるし、われわれとしても新たな市場の開拓につながりました」と武田さんは力を込める。今後は海外での販路拡大も見据える。

ビジネス的な施策だけではなく、社内の改革も進めた。就業規則を見直したほか、若手社員のフォローアップにも力を入れるようになった。

「(きびだんごの)職人を育て上げるのは大変。昔は先輩の背中を見て覚えろというのが当たり前でしたが、今はもう通用しません。いかに丁寧に教えることが大切なのか、ベテランの職人たちに口酸っぱく言い続けています」

とはいえ、なかなかすぐにやってくれるわけではない。職人たちの意識が変わるまで地道にやるしかないと武田さんは腹をくくる。

恩返しのためにも会社をつぶしてはならない

「いいものを使い真心をこめて作ればきっとよいものができる」

これは、先述した2代目の武田浅次郎氏が唱えた言葉であり、その後も廣榮堂武田の経営理念として受け継がれている。

どんな状況であっても、変わらず丁寧に商品を作れば、きっと報われるはず——。それを信じて、武田さんをはじめ同社の社員たちは愚直に日々の仕事に取り組む。そこには地元・岡山に対する恩返しの気持ちがあるという。

「当社も、そして私も、地域の人々に支えられてここまで生きてきたと自覚しています。その恩返しとして、雇用を生んだり、取引先に利益をもたらしたりすることが一番だと思っています。そのためには、会社をつぶすようなことがあってはならない」

来年にはコロナ前の水準に業績を戻せると、武田さんは自信を見せる。これからも岡山名物のきびだんごを守っていくために、廣榮堂武田には一層の飛躍が期待されているのだ。

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