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「地域を照らす提灯に惚れている」大正5年創業の提灯店を支える夫婦【大谷提灯店】

日本の暮らしを明るく彩る提灯。職人技が光る大谷提灯店は、大正5年創業の老舗だ。現在は山口県萩市で3代目の大谷育男さん・弘美さん夫婦が提灯を手作りしている。元々は銀行員として三十年以上働いていた育男さんが、今では「提灯に惚れている」と語るほど提灯に魅せられたのはなぜだろう。お二人に話を聞いてみると、提灯が地域から愛されてきた歴史や伝統も見えてきた。

夫婦の息がぴったり、伝統受け継ぐ提灯作り

萩市役所ロビーを訪れると、五十を超える提灯が並ぶ圧巻の光景を楽しめる。提灯に描かれた文字や絵柄は一つひとつ異なるが、すべて大谷提灯店が手作りしたものだ。

「市役所の提灯には、町印(まちじるし)が入っています。町印というのは、町の紋。町内ごとに紋を持っているわけです。萩は三角州がありますから、ダムもなかった昔は毎年のように川が氾濫していました。そんなときは町の人が総動員で堤防を守るんです。『ここはうちの町が守っていますよ』と伝えるために、提灯が使われていました」(育男さん)

提灯に描かれた、町人たちの責任感とプライド。それぞれの提灯が個性を持っているのも納得だ。大谷提灯店では、提灯を丁寧に手作りで仕上げていく。

提灯づくりは、骨を組み立てるところから始まる。ワイヤーに和紙を巻いた籤を骨に巻き付け、提灯のじゃばらになる部分をかたちづくっていく。

籤に糊を塗り、上から和紙を貼り付けていくと、白い提灯が出来てくる。

提灯を乾燥させ、骨を抜いたら完成だ。

「最初から紐を巻いて仕上げていくのは、かなり大きい工場でやるのが普通なんですよ。うちみたいにこじんまりしたところでやっている店は少ないんじゃないかな」(育男さん)

注文者によって、希望する模様や入れたい文字はさまざま。家紋を入れて自宅に飾る個人客も少なくないのだとか。提灯に文字や絵などを描き入れるのは、奥さんの弘美さんだ。

「デザインは主人に用意してもらうので、私は塗り絵のようなことをしています。ひと筆で描き切るのはとても無理なんです。色ムラが出るんですよ。一回塗って、その後すかして確認しながらまた塗っていく。一発で描けるのはじいちゃんぐらいでした。とても真似できません(笑)」(弘美さん)

銀行員からものづくりの職人へ転身

大谷提灯店は、地域になくてはならない伝統企業。育男さんが家業を継いでから十数年が経つが、50代半ばまではまったく別の業界にいたという。

「某都市銀行で働いていたんですよ。定年までいる予定でしたが、親が倒れたので中途退職することに。あと2年働いて55歳まで銀行にいれば退職金をもっともらえたんだけど(笑)。お金をもらえたところで、両親が元気じゃないならどうしようもない。お金のことは一旦捨てて、実家に帰ることを決めました」(育男さん)

「私には事後報告でした(笑)。主人が早めに萩へ来て準備のようなことをしていて、2年間は別々に暮らしていました。その後に私も萩に来たんです」(弘美さん)

夫婦漫才のような会話で、笑顔が絶えないお二人。馴れ初めを聞くと、ジョーク混じりに思い出を語ってくれた。

「銀行で働いていたときの職場結婚なんですよ。本店に配属されたらたまたま変な人がいたんです」(育男さん)

「同い年で同期で、縁があって今に至っています。長州生まれと会津生まれなのにね(笑)」(弘美さん)

育男さんが新しい生活の準備を整えた頃、弘美さんと萩での暮らしをスタートさせた。

「知り合いがいないところへぽんと来て、 イチからでしたね。主人が免許を持っていなかったので、どこへ行くにも自転車。でも萩の街は道が狭いから自転車の方が小回りが効くんですよ。自転車で街をぐるぐる回っているうちに、いろいろな人との出会いもありました。この街にちょっとずつ溶け込んで、面白おかしい仲間も増えました」(弘美さん)

萩での暮らしを楽しみ、街に馴染んでいった二人。育男さんの顎にたくわえられた髭も、萩に帰ってきてから伸ばし始めたものだという。

「イメージチェンジしたんです。以前は銀行員の顔をしていましたから(笑)。そういうのはちょっと面白くないなと思って、髭を伸ばして ちょっとおしゃれにしました」(育男さん)

提灯作りが教えてくれた人生の美学

「提灯に惚れているんです」と語る育男さん。提灯作りを始めた当初は、仕上がりばかりに目がいっていたというが、ある時ハッとする瞬間があったそう。

「骨を組み立てて紙を全部貼り終わったら、骨を抜くんです。提灯が完成すると同時にぱっと消えていくわけです。これは見習わなくちゃいけないなと思いました」(育男さん)

「この時代、執着したい人は多いじゃないですか。けれどそうじゃないんですよね。仕事がひとつ終わったら、そっと引くようなスタンスで生きていきなさいと、骨が教えてくれたような感覚がします。『あとはお前に任せたぞ』みたいな潔さがあって、骨を抜くたびに格好いいなと思っています」(育男さん)

作り手だからこそ気づいた、提灯が持つ魅力。弘美さんもこんな想いを抱くことがあるのだと教えてくれた。

「貴重な仕事ですし、日本の伝統に携われているんだなと感じることがあります。お客さんに出来上がった提灯を持って行ったとき、喜ばれるのもすごく嬉しいです」(弘美さん)

大谷提灯店の作業スペースは開放的で、光が差し込みとても明るい。伝統的なものづくりの空間でありながら、風通しの良さが心地いい。

「観光客のみなさんもこの空間を訪れたとき、すごくびっくりするんです。それもなんだか誇りに思えます」(弘美さん)

古くからの伝統や絆が支える地域の祭り

育男さんと弘美さんが作り上げた提灯は、萩の祭りに欠かせない。軒先を提灯で飾れば、誰もがワクワクする祭りの夜になる。祭りは地域のコミュニケーションの要でもあるという。

「萩市で昔ながらの生活が色濃く残っているのは、港町の浜崎地区ですよ。浜崎地区にはお祭りがあって、うちの提灯もたくさん注文してくれます。地域の人たちは何か月もかけて、笛や太鼓を若者たちに指導するんです。 だんだん地域の人たちが一体となって、祭りを盛り上げようとしていきます。 そういう昔からの流れが大事にされているのを感じます」(育男さん)

地域の絆が深まる祭りには、若者だけでなく移住者も参加できるという。

「移住されてきた人も祭りに呼ばれていますよ。地域の人たちは、しっかり育てようとしているみたいです。浜崎地区は古民家が多いから、お祭りで提灯が下がっていると絵になるんですよね。地域の人たちも『提灯のおかげで祭りが盛り上がる』と言ってくれるから、こっちはますますいい気になっちゃう(笑)」(育男さん)

地域に根差すお祭りのように、萩が持つ魅力はまだまだ深掘りしがいがあるという。

「萩は本当に面白い。萩といえば吉田松陰先生がいらっしゃって素晴らしい方ですが、他にも面白い歴史があります。平家の落人が暮らしていたとか、九州の方からの海賊が住み着いた所もあるとか、 弥生時代にもいろいろな歴史があったみたいですね。そういう歴史も目立ってほしいなと思います」(育男さん)

「萩は三方が山に囲まれ、大きな川もあって海に出ます。海の眺めは、島がいくつか見えるのがすごく綺麗。指月山の景色も良いですよ。小さい山なんですけど、昔そこに萩城があって石垣が残っています」(弘美さん)

大谷提灯店が伝統工芸を担う空間であるように、萩の街のあちらこちらに人々が繋いできた伝統や文化が息づいている。

「萩に移住してきた人と親しくなることもあるんですが、古民家が大好きな人もいて話が合うんですよ。若者にも古民家が好きな子がいたりして、 そういう人がいるんだと思うと気持ちが明るくなります」(育男さん)

「若い方でも口伝えで提灯に興味を持っている方がいて、看板代わりに使いたいと注文が入ることもあります。英語教室をしている人から注文が入ったこともありました。最近は提灯づくりも忙しくてうれしいです」(弘美さん)

大谷提灯店の提灯作りからは、お二人がお互いをリスペクトしあっていることが伝わってくる。もちろん、地域への愛情もたっぷりだ。これからも萩の地域内外で、大谷提灯店の提灯が日本を照らしていくだろう。

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