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漫画家になりたかった父が、蒔絵師として歩んできた47年【森田昌敏】

日本に古くから伝わる伝統工芸”蒔絵”をご存じでしょうか。

美しく塗りあげられたお椀や盆に、漆で緻密な絵や模様を描き、その上に金や銀の粉を蒔いていく。

器に絵を蒔いていく様子から”蒔絵”と呼ばれている、伝統工芸の技です。今なお、全国各地に産地が残っています。福井県鯖江市河和田地区もまた、1,500年以上もの長きに渡り、越前漆器の里として伝統工芸が息づく地域。

私の父親である森田昌敏(まさとし)もまた、越前漆器の里河和田で、長年蒔絵師を営む職人のひとりです。

漫画家になりたかった青年が地元の技に魅了されて47年

幼少期から絵を描くことが好きで、漫画家になることを夢みていた父親。

将来どうしようかと迷っていた時、知り合いに「地元に絵を描く仕事がある」と教えてもらったといいます。

初めて茶びつに描かれた金魚の蒔絵を見て「これはすごい」と、地元に根付く技に魅了されました。それが、中学卒業後に蒔絵師の世界に足を踏み出すきっかけとなった、貴重な出会いに。

それ以降47年間、第一線で技を磨き続けています。

幼いころの私は、暇さえあれば父親の仕事を眺めるため、工房に足を運んでいました。器に描かれるのは、ガタイがいい父親の手からは想像がつかないような繊細な絵。その上に金や銀など鮮やかな色を蒔いていく手際も鮮やかです。

私は、蒔絵師・森田昌敏に魅了された人間のひとりでした。

どんなものにも描く職人の技

父親は、模様の中心がずれないようにガイドラインを引くものの、よほど複雑な模様でない限りは、ほぼフリーハンドで描いていきます。

お椀の塗りは、平面に塗られたものだけでなく、凹凸がある刷毛目(刷毛の目を立たせて塗ったもの)など多岐にわたります。だからこそ、絵を描く際にも、そのお椀の塗りに合わせて筆の運びを変化させる必要があるのです。

例えば、凹凸がある刷毛目の場合は、筆をゆっくり動かし過ぎると線がにじんでしまいます。反対に、筆を早く走らせすぎると、かすれて見えなくなってしまう。線がにじまず、かつ消えないギリギリのスピードが大事なのです。

同じ蒔絵でも、産地によって描き方や使う漆の粘度が異なります。

河和田と輪島を比べてみると、まず筆は輪島のものより一回り太く、高額な工芸品の漆器が主な輪島に対して、河和田は業務用漆器が主。そして使う漆の粘度も、輪島より粘り気が控えめです。

業務用漆器が主である河和田では、数を多くつくることが求められてきました。だからこそ、塗りも蒔絵も作業の早い職人が多いのです。父親もその一人として、早さとともに技術を磨いてきました。

時代の変化とともに、絵を描く対象も変化しています。

漆器物と聞いて、みなさんがパッとイメージするのは、椀や盆、重箱、箸などではないでしょうか。
しかし、時代の変化とともに、こういったものを作る仕事はどんどん減少しています。

代わりに、眼鏡のフレームやスマホケース、変わったものでは自転車など、描く対象が多岐にわたるようになりました。

「河和田は職人のまち。お客さんから頼まれたものは、どうにかして仕上げる器用な職人が多いのがいいところ」と父親は言います。

決まったものだけでなく、時代とお客のニーズに合わせて絵を描くのです。長年培ってきた技に加え、一筆一筆に、誠意を込めて。

父親たち蒔絵師、そして産地が直面する”いま”

1500年以上続く越前漆器の里・河和田ですが、蒔絵師は減少の一途を辿っています。全盛期には100人以上の職人がいたにもかかわらず、今では25∼30人ほど。

河和田の蒔絵師の中では、還暦を過ぎた父親が2番目に若く、70代でまだまだ中堅どころ。職人の高齢化の問題も抱えています。

「昔と違って、今は弟子をとっても、描かせる仕事もなければ給料も払えない」

これは越前漆器に限らず、伝統工芸の産地が直面する課題です。

伝統工芸品は、この日本に1,300種類程あります。その中でも、経済産業大臣が「伝統的工芸品」として指定する代表的な工芸品は225品目。そんな伝統工芸は、年々規模を縮小しています。

「伝統的工芸品」に指定された品目数は微増傾向にあるにも関わらず、生産額及び従事者数は右肩下がりなのが現状です。

【伝統工芸業界の抱える主な課題】

(1) 需要の低迷による生産額低下
(2)人材、後継者不足
(3)生産基盤(原材料など)の衰退・深刻化
(4)伝統工芸に対する情報不足
※出典:H23 伝統的工芸品産業をめぐる 現状と今後の振興施策について(経済産業省製造産業局 伝統的工芸品産業室)

河和田に1500年息づく越前漆器も、数十年後には、担い手が途絶える可能性があるのです。私が幼少期から見てきた、大好きな父親(職人)の技が途絶えてしまう。そんなことをリアルに考えるようになったのは、恥ずかしながら社会人になってからでした。

父親の技を継げなかった私ができること

「継がなくて良いでな」

進路に迷っていた高校3年生の頃、父親が伝えてくれた言葉です。

当時、教師の道を目指したいと考えていた私は、その言葉を「自分のやりたいことをやりなさい」といった意味に受け取っていました。

しかし、社会人経験を重ねる中で気づいたのです。あの言葉には「覚悟がないと、本当にやりたいと思わないと、この仕事はできない」ーーそんなメッセージも込められていたのだな、と。

私には、それほどの覚悟や熱意を持てなかった。少なくとも、父親にはそう感じられなかったのだと思います。

父親の仕事を継げなかった私に、できること。それを、考え続けています。

蒔絵の可能性を広げる

「伝統工芸の技術は、伝統工芸の枠でしか発揮されないイメージがある。

しかし、蒔絵は車にだって描けるほど、描く対象を選ばない。新しい素材も生まれているし、蒔絵の可能性はまだまだ広がるはず」と父親は言います。

蒔絵の可能性を広げる父親の夢を、私が関わることで形にしたい。それが、1つ目の挑戦です。

日本の象徴である漆

日本の漆器は、15世紀の南蛮貿易でポルトガルやオランダへ輸出されて以降、ヨーロッパをはじめ世界中で広く愛されてきました。海外で「漆」のことを「Japan」と呼ぶことがあるのは、その時代の名残と言えるかもしれません。

しかし、日本で使用されている漆の99%は、輸入品に頼っているのが実情です。残りわずか1%が日本産。主な産地は岩手・茨城・栃木です。

鯖江市河和田地区は越前漆器の産地でありながら、原材料である漆は輸入品に頼っている状況。

河和田を『代表的な漆の生産地』にするのが、2つ目の挑戦です。

伝統工芸士・森田昌敏の技を伝える

2016年、念願の伝統工芸士の認定試験に合格。名実ともに、伝統工芸士として活躍できるようになりました。

それ以降、いろいろなメディア取材や企業とのタイアップ企画が生まれており、父親の元にも仕事が舞い込んでいます。

そんな父親が、寝る間も惜しんで必死に働き手掛ける商品を、もっと多くの人に知ってもらいたい。そう強く思っています。

私の3つ目の挑戦。それは、父親の技の価値を高め、広く世に発信することです。

蒔絵師森田昌敏のこれから

「漆器だけでなく、いろいろなものに絵を描いてみたい」

それが、蒔絵師・森田昌敏のこれからの挑戦です。

さらに「蒔絵を体験するために県外から通ってくれている人に、教えられることはすべて伝えたい」ーーそんな想いも持っています。

伝統工芸が抱える課題や現状からは、なかなか弟子を取ることができません。

しかし、職人の価値が高まり、稼げるようになれば、人を雇うこともできる。自ずと職人になりたいと思う人も増えるのではないでしょうか。

職人は、時代の変化に対応すべく、新しい取り組みに挑戦していきます。

そんな中で、変わらず大切にすること。

それは「一筆に誠意を込める」こと。

これだけは過去も今も、そしてこれから(未来)も、不変のものでしょう。

(文:森田裕士)

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