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「イチローズ・モルトを正直に」アンバサダーが譲れないスタイル

秩父市に希少なウイスキーを生産する酒造会社ベンチャーウイスキー(代表:肥土伊知郎)がある。世界最高峰のウイスキーの品評会「ワールド・ウイスキー・アワード」では5年連続世界最高賞を受賞。同社の代表作「イチローズ・モルト」は国内外に多くのファンを擁する名品だ。同社で「グローバルブランドアンバサダー」を務める𠮷川由美さんに、ベンチャーウイスキーで働く人々のウイスキー愛や蒸留所としての在り方を伺った。

ベンチャーウイスキーが切り拓く新しい歴史

ベンチャーウイスキーは、ウイスキーが好きで仕方がない人が集まる蒸留所だ。そんなベンチャーウイスキーでは「造り手であり飲み手でもあること」が、高品質のウイスキー造りにつながっているという。

「ウイスキーを造っている世界中の様々な方とお話していると、造り手だけの方もいらっしゃるんです。ベンチャーウイスキーは、飲み手としてウイスキーを楽しんだことのある人間がお酒を造っている蒸留所で、その違いは大きいと思っています。ウイスキー文化は日本だけのものではありません。世界を目指し、その中でもトップクラスの品質にしていきたいという志を持った人が集まっています。自分たちが今まで飲んできたウイスキーの中でも、高い品質を目指していきたいんです。そういう意味でもなかなか稀有な蒸留所かもしれません」

日本のウイスキー文化の始まりといえば、江戸時代末期の黒船来航がきっかけだと言われている。その後はウイスキーの輸入が進み、日本人も徐々にウイスキー製造へと参入していった。1924年には山崎蒸留所が竣工。1929年には寿屋が日本初の本格ウイスキー「サントリーウ井スキー(白札)」を発売した。日本におけるウイスキー蒸留所の歴史は百年近く、今もまだ進化の途中にあるのだ。

ベンチャーウイスキーは2004年に創業した会社。代表者である肥土伊知郎氏の実家は1625年から続く先祖代々の日本酒の酒造元で、ウイスキーの生産も手がけるようになっていた。ところがウイスキーの需要減少と共に、1980年代に経営が悪化。肥土伊知郎氏の父が経営していた時代、他社に経営譲渡することが決まった。経営譲渡先の方針によって、約20年造り続けてきた約400樽のウイスキーの原酒を廃棄しなくてはならなくなったという。

原酒を守るために肥土伊知郎氏が奔走したところ、樽を預かってくれる会社を発見。樽を預かってもらいつつ、原酒を使用したウイスキーの製造・販売に着手した。そうして2004年、肥土伊知郎氏がベンチャーウイスキーを創業。2005年には初代「イチローズモルト」を販売開始した。2007年には秩父に蒸溜所を設立し、2008年に製造免許を取得。𠮷川さんによると、蒸留所としては若いベンチャーウイスキーだからこその魅力があるという。

「私がベンチャーウイスキーに強い魅力を感じたのは、自分が歴史の作り手になっていけること。大手のウイスキーは私にとって憧れではあるのですが、百年や二百年という歴史が重なってくると、自分が歴史の作り手になるというよりは継承していく役割になりますよね。ベンチャーウイスキーみたいな創業まもない会社はそこが違うということに気付いたんです。品質でも大手の蒸留所に負けないものを造っていますから、ベンチャーウイスキーで働くことができたら、(ウイスキーの)将来を自分たちで作っていけるのではないかと考えました」

ベンチャーウイスキーが製造するウイスキーは、世界的にその品質の高さが認められている。「ワールド・ウイスキー・アワード」では、5年連続世界最高賞(2017年シングルカスクシングルモルトウイスキー部門、2018年から2021年までブレンデッド ウイスキー・リミテッドリリース部門)を受賞した。まさに、ベンチャーウイスキーがジャパニーズウイスキーの歴史を切り拓いているのだ。

ベンチャーウイスキーに集まるウイスキー愛溢れる人々

𠮷川さんがベンチャーウイスキーに入社したのは2013年。それ以前は、スコットランドのウイスキーバーで働いていた。また、それより前には、東京の帝国ホテルでバーテンダーをしていたことも。歴史と伝統あるホテルのバーテンダーとして働きながら、プライベートではウイスキーバーによく足を伸ばしていたという。𠮷川さんはその頃からずっとイチローズモルトの存在が気になっていたそう。

「行きつけのウイスキーバーには、イチローズモルトが初期から置いてあったんです。秩父で製造する前のカードシリーズが中心となって。スコッチウイスキーなどいろいろなお酒を飲んでいましたが、イチローズモルトは一度飲んだら忘れられないようなインパクトがあったんです。その時の私は『イチローさんって誰?』という状態で、イチローズモルトのこともベンチャーウイスキーのこともよくわかっていませんでした」

バーテンダー時代に𠮷川さんは、ウイスキーが不遇を受ける様子を目の当たりにしていたという。1971年のウイスキー輸入自由化により、国内外のウイスキーブランドが日本市場に浸透。ところが1980年代に値上げや増税の煽りを受けてウイスキー離れが加速。1980年代中頃からウイスキーの国内消費量が右肩下がりとなっていった。

「当時はウイスキーが本当に売れていなかった時代でした。ウイスキーの消費が日本で底だったのが、2007年から2008年の頃。そんな時代に日本でウイスキーを造ろうとしている人がいたんです。それがイチローズモルトを製造するベンチャーウイスキー。ブームに流されることなくやりたいことをやる、ベンチャーウイスキーの本気の情熱に共感。ウイスキーの愛好家として味わいの謎を解き明かすという事はもちろん、造り手の人間を掘り下げてみたくなり、『このお酒を造っている人に会ってみたい』と思うようになったんです」

𠮷川さんはベンチャーウイスキーに就職する前、同社に手紙やメールを送ってはウイスキー造りへの情熱をぶつけていたという。𠮷川さんのようにベンチャーウイスキーにやってくる人は、ウイスキー愛に溢れる人たちなのだ。

「ウイスキー造りを目指している愛好家さんやベンチャーウイスキーを憧れの蒸留所として見てくれている人もいるようです。二十代前半で『大学を卒業したら酒造をしてみたい』という若い子が結構多いんですよ。『ウイスキーを家に百本は持っています』という学生や、ウイスキー愛好家の子が連絡をくれることもあります。ベンチャーウイスキーにはバーや飲食店で働いていた人もいます。酒造を中心にしつつ、その周りのウイスキーに関わる全ての産業に興味を抱いている人が多いですね」

ウイスキーが連れてきてくれた秩父での暮らし

ベンチャーウイスキーで働く従業員は秩父に住んでいる人がほとんど。栃木県出身の𠮷川さんも、現在は秩父市で生活を営んでいる。

「秩父に住んで9年位になります。高校までは栃木に住んでいて、卒業後は音楽の専門学校に進学して東京へ。社会人になってからは帝国ホテルで働き、2008年春に海外に移住しました。ニューヨークとスコットランドでバーテンダーや蒸留所での経験を積み、その後はベンチャーウイスキーで働くために秩父にやって来ました。ウイスキーがなかったら、秩父を訪れることはなかったかもしれないですね」

ウイスキーが導いた秩父とのご縁。埼玉県北西部に位置する秩父市は、県の面積約15%を占める大きな都市だ。森林が多く水の綺麗な川や湖が流れているため、キャンプやアクティビティのために訪れる観光客も多い。秩父市の人口は約5万9千人。市が移住推進事業に取り組み、移住者を歓迎しているのも特徴だ。

「秩父に引っ越した当初から疎外感は感じなかったです。私は飲食店が好きなんですが、秩父の街の人も飲食店によく出かけているように感じます。お祭りが多い文化というのも大きいかもしれません。お祭りの会合だったり何かの集まりで飲食店を利用する人が多いみたいです。私みたいにお酒が好きな人間からすると、よそ者感を味わわずにパッと飲食店に入れる雰囲気があるんですよ」

𠮷川さんが移住してみてわかったのは、秩父の人たちの気質の丁度いい塩梅だという。

「いい意味でおせっかいな人が多い(笑)。ウェルカム過ぎず、丁度いいんです。外から入って来る人を拒まないけれど、中の人のプライドもしっかりある。秩父の生活や文化を大事にする人は受け入れてもらえますが、そうでない人は受け入れてもらうのは難しいと思います」

そんな秩父で造られたイチローズモルトが、今や世界で愛されるウイスキーとなった。ベンチャーウイスキーは、蒸留所と地域の間に良い相互作用が生まれることを目指しているという。

「『地域に根差したお酒造り』を目指しているんですが、地域に根差すのがどんなことかは一言では言い表せないんです。気候や風土も含まれると思うんですけど、造り手に飲食が好きな人が多いのも大きいです。たとえば仕事が終わった後に、勉強のために街に出る造り手が多いんですよ。(地域の)飲食の文化を理解して、その魅力を感じている人が働いている蒸留所なんです。そういう蒸留所が地域にあるということは、単にウイスキーの製造をやっている蒸留所以上の価値になっていると思います」

グローバルブランドアンバサダーとして正直であること

𠮷川さんは、2019年に「ワールドウイスキー・ブランド・アンバサダー・オブ・ザ・イヤー」を受賞。同賞は、世界のウイスキー業界に著しい貢献を果たした人物に贈られる賞だ。「ベンチャーウイスキーはお酒の製造業であるとともに、ホスピタリティ・インダストリーの側面もある」と語る𠮷川さん。グローバルブランドアンバサダーとして働きながら、伝えることの重要性を実感しているという。

「私の仕事は、お客様に蒸留所のご案内をしたり、国内外のイベントでブース出店の際に商品説明をすることです。セミナーを開催することもありますね。海外で働いていた経験を活かして、輸出に関する仕事で現地との交渉も担当しています。いくら品質の良いものを作っても、それを伝えないと地域やお客様に伝わりません。(製造とホスピタリティの)両方を100%ずつ出来てやっと、品質が生かされます。国内外のホテルで働いていたときに色々なお客様とお会いしてきましたので、現在の仕事にもその経験が活かされていると思います」

ウイスキーや日本酒、ワイン、ビールなど、世の中には多種多様なお酒が流通しているが、お酒の世界には流行り廃りもある。蒸留所のアンバサダーとして仕事をする上で、𠮷川さんが大切にしていることを伺った。

「一番大事にしているのは消費者目線です。自分自身がいつまでも飲み手でいなきゃいけないと思っています。飲む人の気持ちが分からないと、単なる一方通行のラブコールになっちゃうんです。造り手半分・消費者半分の気持ちを心がけています。造り手が話をすると、造り手目線の話が中心になりがち。ですが、受け手がどういうボールを受け取れるかが大切だと思っています。ウイスキーの製造工程に対する理解度も、受け手ごとに異なりますよね。受け手に合わせて話す内容を細かく調整することを意識しています」

ウイスキーを長年愛している人もいれば、ウイスキーに出会ったばかりの人もいる。受け手に応じて話す内容を微調整することはあっても、𠮷川さんが常に変わらず心がけていることがあるそう。

「正直なコミュニケーションをすることは、(心の)真ん中に置くようにしているんです。アンバサダーや広報はつい自分たちのブランドの良い面ばかりを伝えようとしますよね。ですがウイスキー造りでは失敗や葛藤もありますし、商品に関する自分自身の好き嫌いもあるんです。『うちの商品は全部美味しいですよ!』という言い方や過大表現をするよりは、どういうシチュエーションで美味しいお酒なのかを丁寧に伝えるようにしています。アンバサダーとして商品に対して正直であることを、社長が許してくれているのも大きいですよね」

インターネットが浸透し、消費者の口コミやレビューが商品の売上に大きな影響を与える昨今。グローバルブランドアンバサダーとして𠮷川さんが抱く想いとは。

「好きなアーティストさんのライブに行ったときに思ったことがあるんです。確かにこの人の曲が好きで追いかけているけど、全部の曲が好きなわけじゃない。あんまり好きじゃない曲もあるんです。だけどやっぱり新曲が出るとついつい追いかけてライブに行っちゃう。それは、このアーティストの人生を追いかけたいと思っているから。ウイスキーもそうですよね。全部のウイスキーがお客様にとって好みに当てはまるわけではないし、好き嫌いも分かれるはず。苦手なものと得意なものがあるのは当たり前なんです。でもベンチャーウイスキーに賛同する気持ちがあれば、一生ここの味を追いかけたくなる。ベンチャーウイスキーも、ウイスキーを飲む人にとってのそういう存在でいいのかもしれないですよね」

国内消費量や海外からの需要に高まりを見せるジャパニーズウイスキー。ベンチャーウイスキーの製品は、秩父市のふるさと納税にも登録されている。イチローズモルトを自身で楽しむのはもちろん、ギフトとしてウイスキー愛好家に贈るのもおすすめだ。ウイスキー愛が詰まった世界最高峰の味わいを是非堪能してみてほしい。

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