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東京・稲城で梨づくり、江戸時代から続く梨園 親子二代の思い【川清園/川島 實】

東京都稲城市は都内最大の梨の生産地だ。

市内には約90棟の梨生産農家があり、生産された梨のほとんどは市場に出回らない。農園や市内各所にある直売所で販売されることから、シーズン中には市外や他県からも多くの客が稲城の梨を求めて訪れる。

稲城の梨は一般的な梨よりもひと回り大きいのが特徴だ。大きさだけでなく、芳醇な香りと瑞々しい味わいが人気で、リピーターが続出している。

どうしたら、こんなにも大きくて美味しい梨が出来上がるのだろうか。

この地で江戸時代から16代続く梨農園「川清園」にて、長年梨作りをしている川島 實さんと長男の幹雄さんに、稲城の梨についてお話を伺った。

稲城の梨の歴史と川清園の梨作り

稲城の梨の歴史は、2022年現在から約300年前の江戸・元禄時代まで遡る。

代官増岡平右衛門と川島佐治右衛門が山城国(現在の京都府東南部)に出かけた際に「淡雪」という品種の梨苗を持ち帰ったことが始まりとされている。

その後、明治中期には本格的な商業栽培として定着した。現在、梨の生産量は1,000トンを超え、東京都最大の梨生産地として、都内の梨栽培を牽引し続けている。

「農家は1年に1回の収穫サイクルなので、やっと新人マークが取れた感じです」

そう話す長男の幹雄さんが梨農家へ転身したのは、29歳のころ。それまで務めていたシステムエンジニアから、父・實さんのもとで梨づくりに従事し18年が経過する。

「稲城は多摩川の氾濫で山砂と川砂が混じった水はけの良い沖積土(ちゅうせきど)と呼ばれる土地で、果樹栽培に適した土地なんです」(幹雄さん)

広さ47aの梨農園を所有している川清園では、8月に「稲城」「みのり」といった品種の収穫がはじまり、10月下旬の「新高」まで12種類の品種を栽培している。

シーズン中に収穫する4万個の梨は、毎年ほとんどが予約分だけで売り切れとなってしまうほどの人気だ。

梨だけに留まらず、高尾ぶどうやシャインマスカット、梅、ボイセンベリー、柿などのフルーツや野菜も栽培している。

6月上旬に農園に伺うと、梅の実が鈴なりになっていた。

この梅も、梅酒や梅干し用として買い求める客が後を絶たない。

幹雄さんの父、實さんは1941年生まれの御年81歳(2022年現在)。

この地で生まれ育った實さんは、世田谷区の都立園芸高校へ進学。後に東大農学部教授となる佐藤幹夫さんから栽培技術を直接学んだ。それ以来60年以上にわたって、稲城の梨の生産に尽力している。

幹雄さんが「うちの親父はなんでもやっちゃうスーパーマンみたいな人」と話すほど、年齢を感じさせないバイタリティで、稲城の梨の発展に力を注いで来た。

川清園では、大きな梨を作るための様々なこだわりが随所に見て取れる。そのひとつに挙げられるのが、50年以上前から取り組んでいる自家製の配合肥料だ。

千葉の銚子から送ってもらうカタクチイワシの煮干しを粉砕し、大豆や菜種油の粕、少量の化学肥料などと混ぜ合わせる。煮干しが含まれる独自の配合肥料により海のミネラルが増して、味が格段に違ってくるという。

「良い土壌に海のミネラルを入れて、雨が降って多摩川に流れて東京湾に行きつく。結果的に日本の海の水質が良くなって煮干しの品質が向上する。それが理想のサイクルですね」(幹雄さん)

桜が咲く春先。梨の花に花粉をつける受粉作業が、最も多忙を極める時期だ。

川清園では家族親類が総出で受粉作業を手作業で行っている。

梵天と呼ばれる羽毛棒を使い、花の中心にある雌しべひとつひとつに受粉させている。

その上で欠かせないのは、梨の花につける交配用の花粉だ。

ネパールのヤマナシ花粉を全国の梨農家に無償で提供

園内の一角にある、ネパール原産の大きなヤマナシの木から採取した花粉を交配用に使用している。

實さんがその大きなヤマナシの木との出合いについて話してくれた。

「20年以上前に、友人がネパールでやっている農業見学に出向いたとき、乗車していたワゴン車がパンクしてしまったんです。交換用のタイヤが届くまで、3時間ほど足止めされてしまいました」

スペアタイヤが届くまでの間、一緒にいたメンバーと周りの山を歩いてみたところ、大きなヤマナシの木に遭遇した。

「肌の色つや、葉っぱの大きさ、厚さ。今まで日本で見たことがないくらい、素晴らしいヤマナシの木でした」

試しに枝を日本に持ち帰って冷蔵庫で保管し、翌年の春に接ぎ木をしてみると、ものすごく元気な木になったという。さらに翌年には花が咲いた。

「3月7日のことだったと思います。日本の梨の花よりも2週間も早く咲きました。そこで、もしかしたらこれは梨の交配用の花粉として使えるんじゃないかと思ったんです」(實さん)

(農園を囲むようにネパールの梨の木が植えられている)

それまで交配用の梨の花の受粉は、そのほとんどが中国から輸入した冷凍花粉などに頼っていたそうだ。

「梨の花が咲いたら一斉に受粉させるので、交配用の花粉は事前に用意しておかないと間に合わないんです。さらに日本の梨は、父型の花粉は受け付けない特性を持っています。ネパールのヤマナシの花は日本梨と系統も違い、尚且つ2週間ほど前に咲くので、冷凍することなく新鮮な状態で使えて、交配用の花粉としては最適でした」(幹雄さん)

實さんはその5年後に改めてネパールを訪問。受粉樹として検疫と検査を通し、正式に交配用の花粉として活用をはじめた。

現在、ネパールから持ち帰った梨の木は3系統ある。實さんの名前をとって「ネパールミノル」と名付けられ、希望する全国の梨農家さんや農業高校などに、第三者に譲渡しないことを条件に苗木を無償で提供している。

「苗木屋さんじゃないから無償で提供して、自分たちで増やして結構ですよと伝えてます。時々、お礼としてお金を贈っていただくこともあるんですが、公益財団法人日本農業研修場協力財団(JAITI)を通じて、ネパールに全額寄付しています。少しでもネパールに恩返ししたいですしね」(實さん)

ネパールの梨の木を通じて、全国の梨農家と情報交換ができることが、實さんと幹雄さんにとってのこの上ない喜びになっている。

稲城の大きな梨が出来るまで

6月。農園を訪れると、幹雄さんが梨を摘果している姿が見られた。

「できるだけ形の良い梨を実らせようとしています。そのためには交配が大事なんです。ネパールの元気な花粉のおかげでたくさん実が付くので、ここから形の良い梨を残して摘果していきます」

幹雄さんがいくつかの梨を割って中を見せてくれた。

形の良い梨には実の中に種が10個しっかりと入っていて、生育も味も良くなる。それに対して形の良くない梨は種が小さく、ときには入っていないこともあるので、その後の生育に大きく影響するという。

梨の外観だけで良い梨か、そうでないかを見極められるのは、熟練した技術がないとできない。

「良い梨の収量が上がれば秀品率が上がります。都市農業では、その秀品率をいかに上げるかが重要なんです」(幹雄さん)

花粉にこだわるのは、面積の狭い都市農業ならではの事情もあるのだ。

6月から7月にかけては、袋かけの作業を同時に行う。

目的は日焼け防止や農薬が直接かからないこと、病害虫や鳥からの被害防止のためだ。

稲城市で生産している梨には、すべてに袋をかけている。有袋栽培と呼ばれていて、梨の表面が綺麗になるとともに、安心・安全にもつながっている。

「最後に袋の下を軽く叩いて、底を凹ますんです。凹ますことで実が風に吹かれてもフラフラせず、安定するんです」(幹雄さん)

幹雄さんが専用の袋の束を腰に巻いて、ひとつひとつに丁寧に袋をかけていく。その数は1日1,000枚にもなるそうだ。

7月後半から8月にかけては地下水を汲み上げて、園内に敷かれたホースやスプリンクラーを用いて散水する。

都市農業では、ハダニが発生しやすい。農地の周りにアスファルトの道路が多く、夜の温度が下がりにくいためだ。木の上からスプリンクラーで散水して葉を濡らせば、ハダニの防止にもつながる。

「散水することで保水性を保ち、夜温を下げて寒暖差をつけます。そうすると梨のおいしさや甘みが増すんです。今年の梅雨はほとんど雨が降らなかったので、1日中撒くこともありました」(幹雄さん)

こうして8月には「稲城」と、川清園オリジナル品種の「みのり」が収穫される。

赤梨の「稲城」は肉厚で糖度の高い甘味が特徴。

「稲城」の枝変わり(キメラ現象)で生まれた川清園オリジナル品種の青梨「みのり」も、甘みが強くて柔らかな肉質が魅力だ。

「今シーズンも「稲城」と「みのり」は、すでに予約で一杯なんです。毎年この時期はもぎ終わってから送り出すまで、すごくプレッシャーを感じています」(幹雄さん)

その他の品種も9月頃から順次、収穫がはじまる。収穫の状況は川清園のFacebookページやインスタグラムなどで随時発信しているので、確認していただきたい。

自然と共存して稲城の梨を作り続ける

おいしい梨を作るためなら、どんな努力も怠らない實さんと幹雄さん。しかし、近年の気候変動は稲城の梨にも多大な影響を及ぼしている。

「梨は夏の食べ物だから暑さには強いですが、品種によっては暑さに耐えられない梨があるので、今後がとても心配です」(幹雄さん)

昔はあまり見られなかった梨の日焼けや、梨の中が煮えたような状態が目立つようになってきた。

「最近は自然に育てられ、活かしてもらっている感じがするんです。人間の都合だけでは決してうまくいきませんし、自然には絶対に敵いません。人間が自然に合わせて共存していかないといけない。その上で食べ物を作る人は今後も必要ですし、私もそこにプライドを持ってやっていきたいと思います」(幹雄さん)

気候が大きく変わる中、梨にかける情熱と稲城の梨農家をもっと盛り上げたいという父、實さんの思いは、幹雄さんへと着実に受け継がれている。

「今は楽しみながら農業をやっているよ」と話す實さん。

取材中にもひっきりなしにかかってくる問い合わせの電話に、實さん自らがひとつひとつ対応している姿が印象的だった。

今年も川清園の梨を多くの人が待ち望んでいる。

(文:中川マナブ(東京散歩ぽ))
(画像一部提供/川清園)

参考情報

川清園
東京都稲城市東長沼1964
アクセス:京王線「稲城駅」徒歩7分
公式SNS:facebooktwitterInstagramYouTube

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