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東京・埼玉の地うどんの歴史と伝承【武蔵野うどん】

日本の三大うどんといえば、讃岐うどん(香川)・稲庭うどん(秋田)の二つは多くの人が認めるところ。しかし「第三のうどん」は意見が分かれる。それにふさわしい魅力あるうどんは各地にあるからだ。なかでも富山県の氷見うどん、群馬県の水沢うどん、長崎県の五島うどんなどは、とくに有名である。

ひとつ忘れてはいけない地うどんを挙げよう。東京・埼玉を股にかけた「武蔵野うどん」だ。

武蔵野の定義は諸説あるが、およそ南限を多摩川、北限を荒川、東限を隅田川、西限を入間川で囲まれたエリアを武蔵野台地と呼ぶ。このあたりでは江戸時代から、採れた小麦をそれぞれの家庭で手打ちうどんにして食していた。

武蔵野うどんの名付け親は、東京都小平市出身であり國學院大学名誉教授を務めた加藤有次氏(2003年没)。母の手打ちうどんを食べて育った加藤氏は、その食文化を守るため昭和63年1月に武蔵野手打ちうどん保存普及会を設立する。その後、2022年3月には「武蔵野地域のうどん文化」が、「伝統の100年フード部門」~江戸時代から続く郷土の料理として文化庁から認定された。

武蔵野の小麦を使った手打ちうどんの店は、武蔵野台地エリアに何店もある。しかし、加藤氏は特に家庭料理としての「武蔵野手打ちうどん」に拘り、食文化や歴史を伝えるために「武蔵野手打ちうどん保存普及会」を発足した。同会の四代目会長となる、元小平市議会議長の宮﨑照夫さんに、武蔵野うどんの特徴や文化を伺った。

「武蔵野うどん」は加藤名誉教授の命名

江戸時代の初期、現代の東京都羽村市から新宿区四谷まで、全長約43キロメートルの上水路が完成した。これが玉川上水だ。

「小平市がある武蔵野台地は『逃げ水の里』と呼ばれるほど水はけが良い土地です。土地の郷士・小川九郎兵衛が幕府と折衝して、玉川上水から小平へ『小川用水』を引く許可を得て、1656年に小平が開拓されるようになったのです」(宮崎会長)

水はけが良すぎて田んぼのない武蔵野台地だが、玉川上水の恩恵で畑作が盛んになり、小麦が作られるようになっていく。

小平市出身の加藤教授も、幼少期には母の手作りうどんを毎日のように食べていたそうだ。
「加藤先生が若かった当時の武蔵野では、結婚式やお祝い事、あるいは葬式などで人が集まる際には、来客者向けにうどんを作るのが一般的でした。神仏にも供えていたそうです。料理を振る舞い、酒を飲み、本膳としてうどんが出てくると『そろそろ行事が終わり』の合図だったのです」(宮崎会長)

食べ物が豊かではなかった時代だ。行事で提供される豪華な食材はお土産にし、うどんを満腹になるまで食べて帰るのが普通だったのだそうだ。

当時は女性が食事を作る役割を担っていたこともあり、うどんの打てない女性のいる家庭は

「あの家の嫁はうどんも打てない、うどんの打てない女性は農家の嫁に行けない、などと言われることもあったそうです」(宮崎会長)

今でこそ武蔵野うどんの専門店もあるが、本来、武蔵野台地で作られるうどんは農家の家庭で作られる、生活の中にあるうどんだ。武蔵野台地の土地が農業利用から商業・住宅地へ変わっていく中で、そのうどんを郷土料理として伝承すべく、昭和63年に同会を発足させた加藤教授。なお加藤教授の命名は「武蔵野手打ちうどん」だが、本稿では通称として「武蔵野うどん」と表現する。

2022年3月、文化庁は文化財として登録されていない食文化の中で、地域で愛されているものを採り上げる「100年フード」宣言を行った。武蔵野うどんは小平市に加え武蔵村山市・所沢市と合わせて、江戸時代から続く郷土料理として「伝統の100年フード部門」に認定されている。

茶色みのかかった太いうどんが特徴

同会員は2022年8月時点で約80人。武蔵野うどんの普及活動は、うどん打ちの習得から始まり、地方のうどん名産地への研修や小学校で手打ちうどんの体験会を開くなど、幅広い。

取材日には、小平市中央公民館でうどんと出汁作りの役員研修が行われていた。

小平市の小麦農家は2軒ある。市内で作付けされた小麦「さとのそら」を使ってうどん作りが行われていた。今年取れた新粉の「さとのそら」は小麦本来の風味があり、全粒粉のためうっすらと茶色くなっているのが分かる。

地元で採れる小麦粉のことを「地粉」と呼ぶ。地粉を打ち、伸ばしている様子を見ると、色がみるみる際立っていく。

うどんを打っている傍らでは、小皿に薬味のネギや、旬の野菜を茹でたものが盛り付けられている。うどんに添えて食べるこうした茹で野菜を、武蔵野うどんでは「糧(かて)」といい、糧が添えられているうどんを「糧うどん」と呼ぶそうだ。この糧うどんこそが、加藤教授が提唱した武蔵野うどんの本来の姿と言えるだろう。

幅・厚さともに4mm程に打たれたうどんを、12~3分ほど茹でる。すると、水分を得たうどんは太さを増したようにも感じられ、武蔵野うどんらしい姿になってくる。

この日、ご厚意で茹でたうどんをごちそうして頂いた。手前右手につけ汁、左手にうどん、奥に糧を置くのが標準だそう。
うどんの上に盛られた一切れの幅広いうどんは「みみ」というそうだ。手打ちのうどんではこうした余りの部分が出てくる。「みみ」が入っているのが手打ちである証拠だ。

茹で上がったうどんを水で締め、温かいつけ汁で食べるのが武蔵野うどんの基本的な食べ方だ。

うどんを箸で取っただけでも、コシの強さが伝わってくる。茹でる前よりは白くなった感もあるが、うどんをよく見ると、若干黒い粒が入っているように見える。これが地粉の特徴のようだ。

つけ汁はしょうゆとかつおだしの香りが高いが、しょうゆが濃すぎない。うどんを食べたあと、割り湯がなくてもつけ汁を飲めてしまうのが、武蔵野うどんの汁の特徴だそう。

つけ汁は、しめじや油揚げの入ったシンプルなもの。かつお節としいたけを感じる、素朴で優しい味がする。歯応えは讃岐うどんに近く、吉田のうどんほど固くはないがとてもしっかりとしている。つけ汁が強い主張をせず、コシのあるうどんをよく噛んで食べるため、自然と小麦の甘みが伝わってくる。

うどんとつけ汁の味は同じように、不思議と優しい気持ちになるものだ。

これからも武蔵野うどんの普及を

近頃は、武蔵野うどんの中でも、より狭いエリアで銘打つうどんがある。武蔵野市産の小麦で作っている「武蔵野地粉うどん」、そして埼玉県熊谷市産の小麦で作っている「熊谷うどん」は、広義では武蔵野うどんではあるが、市単位で地うどんであることを名乗っている。

一方、文化庁の「伝統の100年フード」にも認定された「武蔵野うどん」は、申請のあった小平市・武蔵村山市・所沢市の三市を一括りとしてその代表で認められたものだ。

宮崎会長は

「小平市では残念ながら、小麦を作っている農家が2軒しかありません。しかし、内外の人に小平の文化や自然を知ってもらう場として、古民家のある施設『小平ふるさと村』を市より行政財産使用の許可を頂き、武蔵野うどん(糧うどん)を提供しています。小平の地粉で、と声高に宣伝するのは難しいですが、武蔵野台地産の小麦でうどんを作って食べる文化があることを、少しずつ伝えていければと考えています」

と、100年フードに認定された後も、変わらず地道な普及活動を伝えていきたいと考えている。コロナ禍で機会の減った小学校での体験会も戻る気配があり

「一緒にうどんを打ち、寝かせている間にうどんや小平の歴史の話をしたり、作ったうどんを一緒に食べたりするのが楽しいんですよ」

と、次世代へ武蔵野うどんの良さを伝えられる手応えを感じている。

「武蔵野うどんを食べられるお店はたくさんありますが、会としては、家庭料理としての糧うどんをしっかり伝えていきたいですね」(宮崎会長)

武蔵野手打ちうどん保存普及会には、うどんの本場群馬県や埼玉県からも武蔵野うどん作りを学びにくる会員がいる。優しいつけ汁の素朴な糧うどんは、関東を代表するうどんの一つとして、これからも食卓を飾ってくれるだろう。

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