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「食材買ってきたら料理作るよ」公設市場で持ち上げ考案のツバメ【御食事処ツバメ】

沖縄県最大の繁華街である那覇市の「国際通り」。この通りから小道に入り、3分ほど歩くと、第一牧志公設市場に到着する。現在は仮設店舗として営業中の同市場は、1階は魚や肉などの食材を販売する店が立ち並び、2階には主に食堂が入る。そのうちの一軒がかつて、市場の歴史に大きな変化をもたらすこととなった。

本土復帰前に台湾から移住

ジャー。カンカンカン。

中華鍋をふるいながら、具材を手際よく炒める音が食欲を掻き立てる。しばしの静けさの後、厨房から出来立てのソーメンチャンプルーが運ばれてきた。

「うちのはネギ油を使っています。人気のメニューですよ」

こう話すのは、那覇市の第一牧志公設市場で「御食事処ツバメ」(通称:ツバメ食堂)を運営する張本英龍さん(34)。両親は台湾出身だが、英龍さんは生まれも育ちもここ沖縄である。2018年に母・張陳雪貞さん(67)から店を引き継ぎ、オーナーとしての手腕を振るう。

代替わりしたとはいえ、客商売が大好きだという雪貞さんも時々は店に立つ。ソーメンチャンプルーに関して印象的な思い出がある。「10年ほど前に、お代わりして5皿も食べたお客さんがいたよ。最後は『皆の分がなくなるから、もうこれ以上は注文してはダメよ』と止めた」と雪貞さんは大笑いする。

沖縄の本土復帰前、雪貞さんは家族とともに台湾から移住してきた。雪貞さんの父が卸売関係の仕事をしていたが、あるとき、取引先に売り上げを持ち逃げされるような事件が起き、商売を続けられなくなってしまった。この先どうやって生きていけばいいのか。家族で話し合いがもたれた。

「母は料理上手だし、私も料理が好き。だったら、現金商売の飲食店をやろうと。それで始まった」

1983年5月、国際通りから600メートルほど南下した開南交差点近くにツバメをオープン。店名の由来は、雪貞さんの義母が「燕」という名前だったのと、漢字の中心に口があることから、世界中の人たちがこの店に集まって料理を食べてくれるようにという願いが込められている。

その約1年半後、ツバメは公設市場に移転した。テナント募集には他にも7、8店舗が名乗りを挙げたが、市場の運営元である那覇市は将来性などを評価し、ツバメを選んだ。

ただし、当時の公設市場は客も同業者も地元の人たちが中心。新参者には厳しかった。

「競争じゃないですか、市場は。新しい人が入ると目をつけられて……。始まりは本当に大変だった。毎日赤字ですよ」と雪貞さんは回想する。

「持ち上げ」で赤字を脱却

転機となったのは、雪貞さんが母と一緒に考案した「持ち上げ」というシステムだ。

持ち上げとは、公設市場の1階の店に並んでいる魚介類などの食材を購入し、2階の飲食店で調理してもらうサービス。今でこそ公設市場の名物になっているが、これを最初に始めたのがツバメである。

「台湾には、海鮮を買って屋台で調理する仕組みがありました。当時、毎年沖縄にやってくる台湾のお客さんが『あんたのところのメニューも食べ飽きた』と言うので、だったら1階で食材を買ってきたら料理を作るよ、となったんです」

そうしたきっかけで80年代半ばごろに始まった持ち上げは、瞬く間に大評判となった。ところが、保守的だった市場のコミュニティーにおいて、ツバメに対する風当たりはますます強くなった。

「総会などでは、皆文句ばかり。特に繁盛していた店からは散々言われた。どうしましょうと毎日悩んだ」と雪貞さんは明かす。

そこに助け舟を出してくれたのが、市役所の担当者だった。

「ツバメは一度も文句を言うことなく、どこよりも高い家賃をちゃんと払っている。なのに、なぜあなたたちは不平不満を言うのか」

その後、「自分たちもツバメみたいに食材を調理したい」という店が次々と出てきた。雪貞さんは喜んで大賛成した。

「うちだけではとても対応できる数ではなかった。皆でまとめて調理すればお客さんも喜ぶ。共存共栄で頑張りましょうとなりました」

持ち上げによって、赤字続きだったツバメは連日満席となり、大いに儲かった。そしてツバメだけでなく、市場全体が活気づいた。

どんな時でも常に笑顔

ツバメを運営する中で、雪貞さんにはたくさんの出会いがあった。例えば、家族連れの客で、当時はまだ小さかった子どもが、いつの間にか大人になり、自分の子どもを連れてくるようなことはよくある。一緒に子どもの成長を見守っている気持ちになる。

また、死ぬ前にツバメの料理が食べたいとやってきた高齢の常連客も少なくない。そんな一つ一つのエピソードに雪貞さんは感動する。

ツバメが多くの客に愛される秘けつは何だろうか。息子の英龍さんが口を開く。

「料理にはこだわっています。例えば、出汁(だし)も自分たちで毎日作っていて、自信がある。もちろん料理のリピーターも多いんですけど、母に会いに来る人も大勢います。母は一度会っただけでも距離をつめて、誰とでも仲良くなるのがとても上手。人柄でしょうね。今でも『お母さんいないの?』とよく聞かれます」

雪貞さんの人柄の良さが滲み出ている点の一つが、常に笑顔であることだ。これが多くの客を幸せな気持ちにしてくれるのだろう。

「私はどんなに忙しくても笑顔よ。小さいころからずっと。私のお母さんも相当苦労したけど笑顔だった。それを見て育ったからね」

コロナ禍の苦しみも笑い飛ばす

この2年半、コロナ禍でツバメは苦しんでいる。開店当初を超える試練はもうないだろうと思っていたが、それに匹敵するピンチに直面した。

「一番悪い日は、従業員8人が店に出ていて、売り上げは2700円。最悪。笑うしかない。こういう時代になっているからしょうがないと」

そう振り返りしながら、雪貞さんはワハハと大きな笑い声を上げた。この底抜けの明るさが彼女の、そしてツバメの魅力なのだ。

その後、コロナ関連の助成金に加えて、英龍さんがデリバリーサービスや、主に地元客をターゲットに「せんべろ」(1000円でベロベロに酔えるという意味)のメニューを始めたことなどで、少しずつ収益は上向きになった。まだ最盛期にはほど遠いものの、今年の夏は沖縄に大勢の観光客がやってきて、ツバメにも足を運んだ。

「母みたいに強いキャラクターではないのですが、この人に会いたいと思われる店にしたい」と英龍さんは意気込む。

雪貞さんにとってもツバメは人生そのものだ。

「39年間営業する中で苦労もあったけど、それをやるだけの値打ちはある。世界中からお客さんが来てくれるのが本当に嬉しくて。お客さんが料理を食べた後の笑顔を見ると、もう感謝しかない」

ツバメはこれからも訪れる人々の胃袋を満たし、心を和らげる存在であり続けるだろう。

Photo:崎原有希

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