読むふるさとチョイス 地域の挑戦者を応援するメディア

地元からも愛されるマルシェに「移住者の視点」で町に新しい価値を生む【さんさん市場】

店内をくまなくチェックする1人の女性。時折、商品を手に取って配置を整える。そこへ勝手口から取引先の生産者が入ってきた。すかさず笑顔で歩み寄る。

「いつもありがとうございます。売れ行きはとても好調ですよ」

ひとしきり話をした後、再び商品棚を見て回る。すると今度はレジの近くで常連客を発見し、他のスタッフと共に談笑する。朗らかな空気が流れるこの店は、宮城県本吉郡南三陸町にある「さんさん商店街」の一角。店名は「さんさん市場」という。躍動的に動き回っていたのは、店長の太田裕さんだ。

太田さんに売れ筋を聞いてみた

「南三陸町内にある自然卵農園さんの『卵皇(らおう)』で作ったプリンとカスタードシフォンケーキが大人気です。こちらがダントツですね」

棚を見ると確かに欠品中だった。この商品のファンは多く、以前、乃木坂46のメンバー(当時)がブログで紹介して話題になったこともある。

広さ約48坪の店内には、ほかにも商品が所狭しと陳列されている。野菜を中心に、基本的には地元の産品ばかり。季節ごとにラインナップは変わるため、年間で5500アイテムも取り扱うそうだ。この規模の売り場にしては多いかもしれませんねと、太田さんはニコリと笑う。

太田さんは2022年4月、夫婦で南三陸町に移住してきた。地域おこし協力隊に着任し、「さんさん市場」の3代目店長として5月から働いている。新規の取引先を増やすなど、精力的に事業の拡大に取り組む太田さんは、「もっと多くの地元の方に利用してもらえるようアピールしていきたい」と意気込む。

都会の女性が好む食材がぎっしり

東日本大震災以降、長らく仮設店舗で運営していたさんさん商店街が現在の場所に移転した17年3月に、さんさん市場は開業した。当初は「さんさんマルシェ」という名称だったが、20年7月に現在の店名としてリニューアルオープン。コンセプトは大きく変わらず、南三陸町のマルシェとして、地元生産者から仕入れた生鮮食品を販売する。

珍しい葉野菜もたくさんある。バターやワインも置いてある。都会にありそうなオーガニックスーパーマーケットさながらの商品が並ぶ。客層は女性が圧倒的に多い。例えば、ワイナリーツアーでこの街を訪れた県外の20〜30代女性が山盛り買って帰ることも多々ある。

「こういうのを東京で買うと高いんだよねと言いながら。意外なものだと、米のポン菓子が人気。マクロビやヨガをやっている、体に気を遣っている人が好んで買っています」

店長業がすっかり板についた太田さんだが、ここまではユニークなキャリアを歩んできた。

理想の農業を求めて南三陸町へ移住

宮城県多賀城市出身の太田さんは、山形県にある東北芸術工科大学に進学し、油彩を専攻。「国際瀧冨士美術賞」の東日本大震災復興支援特別賞をはじめ、いくつもの賞を受賞した。

大学院修了後、14年からは山形県舟形町の職員として勤務。特産品の商品開発や地域交流イベントの企画などに携わった。この時の最大の成果は、ふるさと納税の返礼品だった「縄文の女神米」のパッケージイラストを自ら描き、この商品にトータルで約3億円もの寄付が集まったことだという。

20年には農業を本格的に学ぼうとしていた夫とともに、岩手県一関市へ移住。1年目は社会福祉協議会で事務補助員を、2年目は市内の染め物店で営業の仕事に就いた。その間、夫は農業法人で働いていたが、自分が追い求める理想の農業を実現するため、再び移住を決意した。

「一関は思ったよりも雪が降って、ハウスが潰れたりもしました。もう少し雪が降らないところで年中農業をやりたいねとなって、私の地元でもある宮城県の海側への移住を考え始めました」

そこで、沿岸部の市町村すべてに移住相談のメールを送ったところ、3、4市町村から返事が来た。それらの自治体に足を運び、直接話を聞いた中で、最も好印象を受けたのが南三陸町だった。

「南三陸町の移住・定住支援センターの方がとても親身で、初めて訪れた日に入谷の農家さんのところまで連れてってくれました。それが今の夫の師匠である阿部博之さんです。南三陸町では牡蠣の殻を砕いて、畑にすき込んで肥料にしたり、町で集めた生ゴミを液肥化したりと、夫がずっとやりたがっていた循環型農業ができることがわかりました」

迷いはなく22年4月、南三陸に移り住んだ。夫は田畑で農業の修行に勤しみ、太田さんは海にほど近いさんさん市場の店長として、この街での生活をスタートした。

体当たり営業で新規取引先を拡大

店長になってからすぐに太田さんが着手したのは、取引先とのコミュニケーション強化だ。今までは受発注のやり取りだけにとどまっていたそうだが、太田さんは取引先に対して、「お客さんからこういう要望がありました」、「こんな野菜も作れませんか?」などと、積極的にコミュニケーションをとっては、一緒に売り場を作っていこうと呼びかけた。

また、取引はないが、気になった生産者や企業には体当たりで営業活動を行なった。その結果、元々80件だった取引先の数を、半年ほどで新たに10件増やした。

ただし、やみくもに数を追いかけているわけではない。個人の生産者は地元に限定するほか、企業も有名であればいいということはなく、太田さんが企業理念などに共感した上で選んでいる。そうした中で、普段は小売に商品を卸していないが、太田さんの提案に共鳴してくれた一社が、「古代米おりざ」という一関市の産直施設である。

「農薬も使ってない、こだわりの強い会社です。田舎だから知名度は低いけど、商品は非常に良くて、蕎麦、ひえ、あわ、古代米など数十種類も穀物を作っています。ただの取引関係というよりは、一緒に頑張っていける仲間の感覚が強くて惹かれました」

店長としてバリバリと働く太田さんを盛り立てるのが、6人のパート従業員だ。太田さん以外は全員が南三陸町出身。彼女たちから町のことを教えてもらったり、文化風習を学ぶ機会になったりしている。

「他の地域では見たことないような素晴らしいパートさんたち。とても丁寧に接客したり、町内に1軒だけあるスーパーとの比較を主婦目線で行なってくれたりと、細かな気配りが嬉しいです。当たり前じゃないことを、当たり前にできる彼女たちのポテンシャルにたくましさを感じます。震災とかいろんなことを乗り越えてきているからか、本当にすごい」

「私がモサガンを届けます!」

チーム一丸となって地元の生産者を応援する中で、こんなこともあったと太田さんは明かす。自然薯の入った蒸し菓子「モサガン」をさんさん市場に卸している千葉たい子さんとのエピソードだ。

昨年7月、さんさん市場は仙台市で開かれたイベント「朝市 出張!道の駅inララガーデン長町」に出展した。それが決まった際に千葉さんに報告したところ、懐かしそうに思い出を語ってくれたという。

「震災直後は何度か仙台で復興支援イベントがあったみたいで、ある時にモサガンを販売していたら、長町で呉服屋を営むおかみさんが『震災で大変だったでしょう……』と涙を流しながら、毎日モサガンを一杯買ってくれたそうです」

しかし、千葉さんはその後、おかみさんとは連絡が取れないままでいた。この話を聞いた太田さんは「私が、その方にモサガンを届けます!」と奮い立った。長町の呉服店すべてに電話をかけると、「それ、私のことですよ」と言う女性にたどり着いた。電話口で太田さんは「7月のイベントにたい子さんのモサガンを持って行きますね」と約束する。

呉服屋のおかみさんに連絡がついたことを千葉さんに知らせると、出発日の朝6時頃にモサガンを山ほど抱えてやってきた。太田さんはそれを大切に預かり、一路仙台へと向かった。

しかしながら、初日は空振りに終わる。最終日であるイベント2日目の昼過ぎになってもおかみさんは現れない。太田さんが諦めかけたその時だった。

「きれいに着物をお召しになられた方がいらして。会った瞬間、おかみさんも号泣してくれて。モサガンとともに、たい子さんがいかにお手紙で心励まされたかを伝えて、写真を一緒に撮りました」

南三陸町に戻って写真を見せながら話をすると、千葉さんもたいそう喜んだ。2人をつなげることができたことを、太田さんは嬉しく思った。

「会社の売り上げを優先すれば、別に私がやる必要はなかったかもしれません。でも、この街で働くのなら、こういうことを大切にしたい。もしかしたら見逃すこともできたと思うんですけど、聞いたからにはやらねばと」

商店街に地元客を呼び込みたい

生産者や顧客との信頼関係を着実に築いている太田さんだが、店に関してはまだまだ課題が多いという。その最たるものが地元客の少なさである。商店街全体でも約9割が町外からの客だそうだ。地場の野菜を地元の人たちにこそ買ってもらいたいと太田さんは願う。

「そのために取り組みたいのは、軽トラ市のような、農家が直接野菜を販売するイベントです。例えば、さつまいもの収穫時期であれば石焼き芋を売ったり。生産者と地元客や飲食店が直に出会う場をもっと作っていきたい」

もちろん、さんさん市場だけでなく、商店街そのものに地元住民の目を向けさせる取り組みも不可欠である。

「商店街って一般的には地元の人が買い物する場所じゃないですか。地元客がいないと滅びてしまう。観光客バブルだけで一喜一憂しないで、地元から愛される場所にならないといけないと思います」

商店街のテナント同士が横連携を深め、一致団結して盛り上げていけるよう、その架け橋になれたらいいなと太田さんは語る。

住民たちの心休まる場所が必要

移住してまだ1年だが、太田さんは南三陸町にずっと住み続けたいと思っている。

「南三陸でとれる豊富な食材は魅力的だし、農業に関しても気候が整っていて、こんなに良いところはないなと実感しています。将来的には子育てもこの街でできたらいいな」

いずれは自分の喫茶店を開き、住民の人たちの心が休まる場所にしたいと太田さんは夢を見ている。

「町の方々がゆっくりできる場所が必要だと、移住してきて、より強く感じるようになりました。南三陸町はずっと、頑張ろう宮城、頑張ろう東北とやってきましたが、もう十分頑張っていると思います。でも、そんな皆さんが息を抜ける場所って、意外と町内には少ないんです」

それは大人だけではない。子どもの居場所にもしたいという。

「震災の影響なのか、不登校の小中学生が多いと耳にします。学校に行くことのない子たちが、安心してただ居ることができる場所を作ってあげたい。誰にだってしんどいことはあります。私は何もできないかもしれないけど、せめて絵を一緒に描いたり、ものづくりの楽しさを伝えたりできれば」

移住者だからこそ、気付けることがある。そして、思い立ったらすぐに走り出す太田さんの行動力は、きっとこれからもこの町の人たちの助けになるはずだ。

さんさん市場

この記事の連載

この記事の連載

TOPへ戻る