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「旅館の王道プランはやめた」人と街の循環を生み出す女将【山田別荘】

源泉数、湧出量ともに日本一を誇る温泉の街、大分県別府市。その地で、国内外から人々を迎え入れているのが「くつろぎの温泉宿 山田別荘」。もうすぐ築100年になる同荘は、1951年から旅館として開業した。

今では宿泊客の半数が海外からの旅行者でリピーターも多いが、現女将に代替わりした当初は不景気真っ只中。別府の街も活気を失い、旅館の価値を問い直す毎日だったという。

苦しい局面のなか、旅館の王道といわれていた運営方法を大転換。いつもだれかの声が響く賑やかさを取り戻した。宿の形は変えず、あり方を変え、旅行者と地元住民を繋ぐ場になるまでの裏側とは。4代目女将の山田るみさんに話を伺った。

バブル崩壊後、夕食を出さない温泉旅館へ

るみさんが山田別荘を継いだのは1998年。日本はバブルが崩壊した後の景気後退期だった。それまでは団体客が飲んで食べて遊ぶといった宴会場の利用がほとんどだったが、不況とともに客足が遠のき、別府の街全体が静まり返ってしまった。お客さんが来てもカップルやファミリーなどの個人客で、客層がガラリと変わった。

「どうしようかと思っていたときに露天風呂ブームがきて、それがないと旅館としての価値がないような時代になってしまったんです。うちは内湯しかなかったので、夫とふたりでトンカントンカン、露天風呂を手作りしてみました。なんとか経営は乗り越えられたんですけど、今度はこんな古い建物より新しい建物に泊まりたい人が増えていって……」

そんなとき、るみさんは観光や地域活性など、コンセプト重視の事業プロデュースを手がけてきた江副直樹さんに出会う。運営方法を相談した末に、旅館の王道である1泊2食付きプランをやめ、夕食がつかない「B&B(bed and breakfast)スタイル」への移行を決意した。

「初めは不安でしたが、夜は街のおいしいご飯屋さんに食べに出てもらうことにしたら、泊まってくれる人も増えていきました。それに食事の用意もチェックインの案内も全部していたら、時間も足りないし、体ももたんなあと」

外国人旅行者にマッチした宿泊形態

宿泊料金がリーズナブルになったことで、日本の温泉宿を求めてくる外国人旅行者が徐々に増えてきた。言語も文化も異なる外国人を受け入れるのに難色を示す宿も多かったそうだが、るみさんはいたってポジティブだった。

「誰も英語が喋れないから、私が必死にジェスチャーしながら『ここがお風呂。バスルーム!』とか言って、1人チェックインしてもらうのに汗だくでしたよ(笑)。でもそうしていくうちに、口コミが広がって海外からの予約が増えたんです。昭和レトロな館内、天然温泉に『キュート!』、『アメイジング!』とか、心から楽しんでくれている様子に助けられて、海外のお客さんを主要なターゲットにすることにしました」

山田別荘に続くように、B&Bスタイルに移行する宿泊施設は後に増えることになる。外国人観光客にとって宴会料理は量が多すぎたり、食の好みが合わなかったり、需要と供給がマッチしなかった背景もあるようだ。そういう意味で、街に出て自分の好きな料理を選んで食べられることは、観光客、飲食店、宿泊施設の三者にとってベストな形だった。そして、この転換を境に食事処は増え、別府の街は賑やかさを取り戻していった。

大地に感謝しながら、女将の自分が一番楽しむ

山田別荘はもうすぐ築100年になる。元々は民家で、るみさんの曾祖父が実際に別荘として使用していた建物だ。

「何しろ戦前からの建物ですから、修繕が必要な箇所には少しずつ手を入れていますが、今ある形をなるべく残し、古き良き日本の趣を楽しんでいただきたいと思っています。めまぐるしく移り変わる時代の中で、変わらない姿でみなさんをお迎えすることが山田別荘のひとつの魅力で有り、役割であると思うようになりました。とはいえ、今でも山田別荘の在り方や表現の仕方については暗中模索の毎日です」

今でこそ、そう話するみさんだが、4代目として山田別荘を存続させなければならないとがむしゃらに進み続け、体を壊しては寝込む日々を繰り返すこともあったという。そんなるみさんを救ったのもまた、山田別荘である。

「この建物を建てた曾おじいさんと、この場所そのものに守られていると感じるんですよね。内湯の温泉に毎日入るんですけど、もう本当に幸せというか、心底感謝しています。別府は大地の力をもらえる、感じられる場所だと思います」

山田別荘は高級感ある外観に対して、建物の中に漂う空気感はずいぶんと違う。気さくでフレンドリーなるみさんの人柄が現れているような、まるで親戚の家に遊びに来たような安心感を抱かせる。

「プロデューサーや周りのみんなは『とにかく楽しんでやってほしい。無理にやらなくていい』と言ってくれています。たしかに、女将の私が楽しくなかったら、きっとお客さんも楽しくないはずです。だから私がこの宿を一番楽しむことを心がけています。B&Bにする前は、朝から晩まで業務に追われていましたが、今はお客さん一人ひとりと向き合う余裕ができました。自分自身と、山田別荘と向き合う余裕もある。それがよかったんです」

地域の循環を生み出すお宿を目指して

「地道だけど確実に、人と人を繋ぐのがうちの路線なんじゃないかな」。るみさんが思い描く山田別荘の役割は宿泊施設だけにとどまらない。

県内のパン屋「HIBINO」の天然酵母パンとアートを本館の縁側で楽しめる「縁側カフェ」や、地元コラボのフードやDJの音楽と一緒にお花見ができる「夜桜会」などのイベントを催した。また、元々倉庫として使用していた古い蔵を活用する企画も実施。クラウドファンディングを募り、2022年にリニューアルした蔵は、1日最大10時間のデイユース利用を受け付けており、テレワークの作業場所や別府観光の休憩所として利用することができる。

さらに、アーティストの支援にも力を入れている。るみさんの曾祖父、山田別荘を建てた山田英三さんが日本画家や南画家への支援に励んできたことを受け継ぎ、蔵で食器や竹籠、アパレルなどの展示会を幅広く開催している。精力的な「場づくり」の根本には、アーティスト、旅行客、地元住民が交差する“きっかけ”を作りたいという思いがある。「ほかのお店、人と対立せず、いいものは紹介し合いたい」と、るみさんは心中を語る。

「初めて別府に来た人は、この辺りを少し散策しただけで帰ろうとするのです。明礬(みょうばん)や鉄輪(かんなわ)に行かないと、別府に来た意味がないのに。だから私が連れていって、各地域のキーパーソンに『あとはよろしく』と託してきます(笑)。繋がりが広がって、出会った人を思い出して、また別府に帰ってきてくれることが一番うれしいし、楽しい。ちっちゃい宿の女将である私に何ができるかを考えたときに、地域の循環を生み出すことなのかなあと思うのです」

取材中、次から次へとるみさんを訪ねる人が途絶えなかった。「久しぶり!」の声から始まり、和気あいあいと会話を弾ませ、笑顔で写真に写る姿が印象的だった。自然体でなるみさんの存在自体が、「山田別荘」のシンボルであるに違いない。人々を呼び寄せ、今日も明日も、別府の輪を紡いでいく。

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