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「さびれた街の近未来をデザイン」カレー屋店主が掘り続けた別府【バサラハウス】

大分県大分市から海沿いに車を走らせること30分、日本屈指の温泉地として知られる別府市がある。情緒溢れる雰囲気を纏う町並みに、漂う湯けむり……旅情をそそられない人はいないのではと思うほど、この土地は特別感がある。そんな別府市で、ひときわ存在感を放つ人がいる。彼女の名前は宮川園。彩り豊かなスパイスカレーを提供する『バサラハウス』の店主である。“たべもの建築家”と名乗り、3店舗の飲食店の立ち上げ・運営に携わり、現在のバサラハウスで4店舗目となる。店が軌道に乗ると新たな野望を抱え、現在もコツコツと頭の中で建築の真っ最中。彼女の話を聞きたくて、会いに行ってきた。

「カレーは世界共通語!」別府だから輝く食文化

バサラハウスで提供しているカレーは、一度見ると忘れられないし、食べてみるとひと口で虜になる。そんなセンスとエッジの効いたカレーを作る園さん。なんでも、カレーと別府は切っても切れない関係なんだとか。

「別府には立命館アジア太平洋大学(APU)があるので、とにかくアジアからの留学生が多いんです。卒業後にそのまま別府に住んで飲食店を営む人もいるので、各国のごはんが食べられる環境が出来ているんです。元バックパッカーの移住者が多い事もあり、異国食文化としてのカレー屋が多いんだと思います。渦巻くさまざまな人種の共通言語としてカレーが存在している感じです」

「南インド、北インド、ターリー、ミールス、ビリヤニ、スリランカ。そういうジャンルで分けられるカレーは他の人がやってくれていたから、私はどこのカレーでもないオリジナルを振る舞いたいと思いました。カレーという言語だけでコミュニケーションが出来ていた別府だからこそです」

そう話す園さんは、“食べもの建築家”という肩書きを自ら名乗っている。食べるものを重視するというよりも、食を媒介して人と、空間と、地域と繋がることを「建築」と捉え、「空間と思い出を作る」ことに徹しているのだ。

「お店づくりをすることはまちづくりをすること、逆も然り。いろんな国の人・価値観の人が多い別府は、色々チャレンジしやすい土台が揃ってるし、個性的なお店が受け入れられるんですよね」

違和感を持った都会の暮らしと別府との出会い

園さんのルーツを探ると、これがなかなか興味深い。熊本・天草の豊かな自然の中で3歳まで過ごし、その後は東京や神奈川で少女時代を過ごした。父親は宝飾品を売る仕事をしていて、職場が青山にあったため、表参道や骨董通りは園さんの“庭”だった。

「父の仕事先のギャラリーで宝飾品や海外のアートに触れたり、母が買い物する場所も当時のトレンディドラマの世界そのものだったし、その時目で見て感じたものがきらきらしていたのを覚えてます」

しかし同時に、派手できらびやかな反面、何かものすごい大事な部分を消耗しているように見えた。そこから違和感を抱えたまま成長することとなった。高校を卒業後、インテリアデザイナーを目指した彼女は東京造形大学に進学。専攻した室内建築学科の先生をしていたのが恩師である建築家の岸健太さんだ。そこで学んだのが「まちづくり」だった。

「繁栄を経験した後さびれた街の近未来をデザインする、という趣旨のプロジェクトに参加して、2009年に初めて別府を訪れました。東京やニューヨークのいわゆる“都会”はすでに衰退していく未来が見えていて、今衰退しきっている場所の課題をクリアにする“クライシスデザイン”という提案です」

先生のプロジェクトを手伝うため何度か別府を訪れ長期滞在する中で、住居に選んだ安物件が偶然かつて遊郭だった事も、今の園さんを形作る重要な出来事だ。

「別府にはかつて遊郭だった建物がたくさん残っているんです。遊郭が機能するための店だけの街もあったりして、そういう文化ってすごい面白いなって。それに遊郭建築は変わっていて、階段や玄関が2カ所あったり、中庭を回遊するように迷路状にしてわざと人とすれ違うように造ってあるんです。でもこれって中庭がある事を逆手に取れば“人と出会うためのデザイン”が出来るんじゃないかと思ったんです」

この場所に住んで12年。熱を持って別府を掘っていた

別府に移住してすぐの頃は『BEPPU PROJECT』に所属し『platform04 BOOK CAFE』というショップの店長をしたり、『platform04 SELECT BEPPU』の立ち上げを担当したり、ショップで取り扱う大分の伝統工芸などの商品プロデュースを手がけたりと、日々忙しく過ごしていた園さん。同時に、建築に対する考えも段々と変わっていった。

「元々ごはん作りが好きだったことや、芸大時代に農業をやっていたこともあって、食と関わりたいという思いをずっと抱えていました。そこで私は“食”を人が集まる装置として捉えてみたんです。見ず知らずの人とも食を囲めば気持ちが共有でき想いが繋がり、そこに美味しいや楽しいという記憶が積み上がる。記憶も構造物として、建築のひとつという定義です。そうやって店作りをして軌道に乗れば人にバトンを渡し新たな建築を、と気づけば4店舗目です」

さらりと語るが、園さんの考え方も行動も、普通では真似できないものであるのは間違いない。そんな彼女の目に今の別府はどう映ってるのだろう。

「別府がこうなるだろうな、と想像していたものには辿り着いちゃったかなと思っています」

新たな野望が聞けると思いワクワクしていたから、想像していない答えに肩透かしを食った。

「同年代の大志ある人たちが、ここ数年で別府にUターン・Iターンしてきてるんです。そういう人たちがかっこいいお店をどんどん作ってるんですよ。“別府がまた面白くなる”と思う反面、それで大丈夫?とも思ってます。だって彼らが都会で過ごして見てきたものと私が12年別府で過ごした時間は全然違うもので、私はその間、一生懸命別府を掘ってたんですよ」

彼女の在学中に参加したプロジェクトテーマである「さびれた街の近未来をデザイン」を、卒業後もこの別府で続けていた彼女にとっての12年間は、あまりにも濃密だ。地域と繋がりすぎるほど繋がり、知るためには元・遊郭に住むことだっていとわない。別府という土地柄、時間をたっぷりとかけたからこそ雪解けした部分や、半径50mの人たちを目覚めさせたという紛れもない事実だってある。だからこそ今の別府の姿に疑問を持つのも無理はない。

「別府は猥雑でカオスだからおもしろいんです。こんな個性的な場所なのに、都会で流行っていたり、かっこいいと思ったものや憧れをただ貼り付けるんだ……って。店も人も土地への解釈を入れないと意味が無いから。そこに若干の危うさを感じていますが、それも今の別府らしいカオスで面白いのかもしれないですね」

新たな価値観と出会った今。今度は自分の人生のデザインを

ここまで別府について熱く語ってはきたが、実は園さん、最近住居を大分市に移したのだという。

「自分と周りの意識を変えたかったというのもあります。20代の感覚で活発的にやってきたことが、30代の自分には合わないことも増えてきて。そんな時、大分市でナチュラルワインを提供する飲食店に出会ったんです。無農薬で丁寧に作られた数々のワインと同じように生産者の顔が見えるような料理をペアリングして出すというスタイル。そこでワインを担当しているお兄さんの選ぶナチュラルワインの美味しさと、知識、ストーリー、相性を事細かに伝えてくれることに驚き、エネルギーワークができているお店と出会えた!と感動しました」

彼は現在の園さんの恋人でもあり、いつか一緒にお店を開きたいとも考えているのだそう。

「個性だけでどうぞー!っていう別府らしく私らしかった感じではなく、全てのエネルギーをきちんと扱う店を増やす働き方を別府で出来たらなと思ってます。私またお店増やそうとしてる(笑)。いいお店をもっと作りたいな」
別府のためにデザインをしていた園さんが、今度は自分の人生のためのデザインが出来る店を目論見中。ここから始まる園さんの物語もまた、面白くなりそうだ。

バサラハウス

photo:大塚淑子

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