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「招待状はひと束の杉の枝」森と都市を水とアートで循環する【諏訪綾子】

山梨県の東南端にある道志村に拠点を持つ、フードアーティストの諏訪綾子さん。彼女が「フォレスター(森の人)」と呼ぶ林業を中心に森林や山での生活をする村の住人たちと『水源の森からマルシェ』という名の2日間にわたるイベントをこの春開催。水源の森を守るフォレスターたちが、その水を享受する都市からの参加者を迎えて歓待した。

森からの招待状は、木々の枝葉で作るひと束のアートピース「タリスマン(お守り)」(上の写真で諏訪さんが手にする杉の束)。

アートは時に難解に見える。しかし言葉での理解・説明が難しい複雑な世界の価値を、言葉以外の形で理解・体験させてくれることこそがアートでもある。その時アーティストは世界の通訳者=媒介者であり、異質に見えるものや人を繋いでいく。道志の森で生まれたアート、または森と都市をめぐる新しい物語。なぜアートで、なぜマルシェになったのか? そこにたどり着いた道筋を、諏訪さんに伺った。

名も知らなかった水源は都市の生活=水道に繋がっていた

諏訪さんは、コロナ前までは東京を拠点とするフードアーティストとして「あじわうという体験」をテーマにした作品やパフォーマンスを国内や世界に発表してきた。今回のマルシェの初日、事前に「タリスマン」を受けとった各地からの参加者が携行したそれに火に焚べて、役目を終えさせる「リチュアル(儀式)」というパフォーマンスを催行した。

朝から強い雨が降るあいにくに天候のなか、アーティスト・諏訪綾子のパフォーマンスは夕方の1時間ほど予定されていた。そして直前に雨はあがり、神秘的な雰囲気の中で参加者とそれを見守る村人や来客が儀式を囲んだ。

Photo:KAE IKEYA

からりと晴れた翌日、森の恵みを料理や商品として楽しめるマルシェ「フォレスターズマーケット」と、道志川を挟んでフォレスターフィールドである森の中で林業から生まれた木登りや木育体験をするお客たちで賑わっていた。出店者からも来客からも「諏訪さん!」と声がかかるたび、大きな笑顔と声で応えるマルシェ主催者としての諏訪さんは、昨日とは別人のような無邪気な顔を見せる。

「道志村の水は、横浜市の水道にも繋がっているんです。森に住む人たちの暮らしと仕事が、都市に住む人たちの日常を潤している。でも、ここに住むまで水源地としての森の存在を意識することも興味を持つこともなかった。それこそ名前すら知らない場所でした」

2019年8月に偶然アトリエを道志村に移転したことから始まった東京との二拠点生活。コロナ禍の2020年、先の見えない状況で海外や都市部でのプロジェクトもストップしたことをきっかけに、都内での生活から離れて道志の森に留まり、本格的な森の暮らしが始まった。

それまでここは、東京の家を軸にした別荘のような感覚だったという。海外に行っていることも多く、地域との関わりも強い興味も持たずにひっそり立ち寄る場所として過ごしてきた。森で暮らし始め村の人々と関わっていくにつれ、都市では出会うことのなかった自然と共存する人々との出会いは、諏訪さんに衝撃を与えた。

「ここで出会った方々の、ある意味で洗練された暮らしや生き方、考え方に驚愕し、そこから多くのことを教えていただきました。ここでの私は自分ひとりで何もできないし、生物の個体として弱いなあ、と身に染みました。そして言葉では理解していた“サステナブル”とか自然の恩恵ついて、実感と体感を持ってはじめて自分ごととしてわかってきたんです。道志の方々が言葉にして掲げずとも、昔からの生活で実践しているたくさんのこと。水源地で暮らす彼らには“環境を守る”って何?っていうくらい、日常のことでしたが(笑)」

森での暮らしは木々を切り出すだけでなく、植林をして森を育てて、自然と人の手が細かに入っている。ここで暮らすこと全てが、森と水に関わっていることを知る日々だったそう。自分自身が森の、そして水源の一部であること。世界の見え方が変わったようだったと諏訪さんは当時を振り返る。

森の木々の“野性”からうまれた、本物の「タリスマン」

緊急事態宣言が発令された都市で外出もできず不安に暮らす友人たちを励ましたいと、道志の森で切り捨てられている杉やヒノキの枝葉を拾い集めて「タリスマン」をつくり、贈ることを始めた。

一般的にタリスマンとは、古代ギリシャ語が語源で護符や御守り全般を指す。キリスト教の十字架や占星術でのシンボルの護符、宝石を使った装身具など、護身や救済の祈りを込めつられたものの呼び名だ。諏訪さんは森で出会う人や自然の力強さと野性をこの「タリスマン」に見出していく。

「この枝葉のタリスマンからする森の香りは、樹木が傷ついた時に身を守るために出す成分で、フィトンチッドと言って殺菌効果があるんです。野生の森の木々が放つ“野性”、それに触れることで受け取った人の野性も呼び覚まされたら、疫病や不安に立ち向かうお守りになるのではないか。そんな気持ちもありました」

村で出会ったフォレスターに後押しをされた経緯もある。林業の環境をバイオマス燃料や森の空間活用などの視点から考える取り組みをしている大野航輔さんに、「林業へのアプローチとして未利用材・廃棄素材にアートで価値をつくる試みはすごく新しい」と励まし続けられた。そして個人的な活動だったタリスマンは、アートとして世の中に出ていくことになる。

「金沢の私設美術館『KAMU kanazawa』館長の林田堅太郎さんがアトリエを訪ねてくださった際に、壁にかけていたタリスマンを見つけて、その新たな循環をうみだす状況に興味を持ってくれました。それをきっかけにタリスマンは美術館で展示するアート作品にもなりました。その後に開催された山梨県立美術館での展覧会でもタリスマンをテーマにした作品を発表することになり、美術館の敷地でマルシェも同時開催することになりました」

展覧会の作品制作と併せ、関連テーマでマルシェのクリエイティブディレクターもお願いしたいとの依頼で、最初は制作と同時進行での開催は仕事量的に難しいと思った。けれど、諏訪さんはタリスマンを生んだ森に関わる村の人たちへのお返しができる機会だと思い直す。

「村の人たちはそれぞれに仕事を持っている他に、日常的に色々なものをクリエイションしているんです。森で木を切っているかと思えば、翌日は味噌を作っていたり。間伐材の葉で染めた布を使った手拭いや木工小物やお茶など。そしてそんな森ならではのものを何かの折にお裾分けしたり交換したりしているんです。この森と共にいきる暮らしの中でうまれた智恵が、都市の人たちには新しい価値だったりする、捨てられていた間伐材の枝葉がタリスマンになったように」

そんな体験を広げたいと、村の人たちに美術館でフォレスターズ・マーケット「水源の森からマルシェ」をやりましょうと声をかけた。すると——

「彼らに変化が起きました。山梨県立美術館という発表の場を目指して、みんな自己表現のアップデートを始めてくれたんです」

これまで作っていたものに新しく名前を付けたり、屋号のロゴを作ったり。ジビエの干し肉やソーセージ、森の植物を使ったお茶、草木染や木工具、果ては植林用の種を入れた泥団子まで、色とりどりのお製品やお店がうまれて、マルシェに並んだという。

「マルシェは大好評で、村のフォレスターたちは是非またやろうと言ってくれました。前回は文化庁と美術館の主催でしたが、今回は道志村役場の協力のもと道の駅をメイン会場に催される、村の人たちやフォレスターたちとの自主開催です」

東京や、甲府の美術館でタリスマンを受け取った全国の人々に案内を送り、雪が溶ける春を待った。そして場所を道志村に移して、今度はマルシェを主体にしたイベントへ。参加者が持参したタリスマンはコロナの最初期から数えると長いもので3年間、美術館で渡されたもので半年の間、それぞれの場所にあった。集まった数は20ほど、そして今回新たにタリスマンを受け取った人はその4倍以上になった。これらのタリスマンは、いずれまた森に還るリチュアル(儀式)への招待状でもある。

「今回、タリスマンを還すために森に足を運んでくれた都市の人たちが、森や村の人たちの“野性”に触れて、毎日飲んでいる水や食べ物の意味を身体の中で知る機会を得たら、色々なことが変わると確信してます。私がそうだったように」

水源の水で栽培されたクレソンと生チョコレートを口に運び、森のお茶で一息つく諏訪さんは、人々の方を眩しそうに眺めながら話を続ける。

「美術館の展示室でスポットライトを浴びた作品を見ても『そういう視点もあるよね』と頭の中での理解で終わるかもしれない。だけど「水源の森からマルシェ」での出会いや食や遊びを通じ自分の内臓や細胞を巡っている水の“うまれる場所”へ足を運び、その水をうみだす森づくりに関わるフォレスターたちと深くつながること。この体験によって人々の内面に、本質的なタリスマン、いわば“心の拠りどころ”が浮かびあがるのではと思います」

お金を使わない循環って、豊かで未来的だなと思った

「東京で暮らしている頃、私は自立していると思っていました。水道代を払えば水は蛇口から出てくるし、お金を払えば食べ物も衣服も住まいも不自由することはない。自分で働いたお金で、綺麗にパッケージされて価値が保証されたものを手に入れることができる。すべて自分の力で生きることができる……と、でも」

コロナ禍の初期、当時の諏訪さんのように「お金ってなんだっけ」と、これまでの常識を考え直す人は少なくなかっただろう。

「移動は制限されて、人にも会えず外食もできない。お金を使う場面が減り、お金の価値について考え、仕事や生き方についても想いをめぐらせました。森で暮らし始めて驚いたのは、村の人たちは、必要な物はできるだけ、そこに在るもので知恵を使って自分で作るんです。村にはコンビニもスーパーも無く、峠を超えて買いに行くのにも一苦労。だから昔からそれぞれが得意なことをシェアし、交換して暮らしていた。なんて豊かで未来的なんだろう!と思いました」

その後、都市で暮らしている友人たちに何かしたいと、森からの“お守り”を贈った諏訪さん。友人たちはそのお礼にと、都市で手に入る美味しいワインやお菓子を贈ってくれた。それを森の枝葉をくれた村の人に贈ると、今度は自分たちでとった鹿の肉や森の恵みを贈ってくれた。森の中で閉じていた循環が、諏訪さんのタリスマンを通して都市に拡張した。

今回のマルシェで、最初に贈ったタリスマンを森へと還すため都市人たちが森の人たちに会いに来てくれた。水源の森の知恵、その水を使う都市の知識が繋がることで、野性という「生きる力」を双方に豊かに生み出していくという大きな循環が完成しつつある。

“行きつけの森”がある。森に友達がいる新しい暮らし

「森に友達がいるって素敵じゃないですか。自分の知らない知恵と恵みを持っていて、きっと多くのことを教えてくれる友達。マルシェのフォーマットを通して“行きつけの森”、という交流や循環がうまれていく状況をうみだせたらいいなと思っています」

森の枝葉で作ったタリスマンは、村の人たちが日常で作っている布や味噌と同じく、森からの恵みを加工したものに違いない。けれど、諏訪綾子というアーティストというフィルターを通すことで、森の枝葉がもつ野性に新しい「意味と価値」を発見し、全国各地からこの小さな村のマルシェに人が足を運ぶ理由となる「アート」を作り上げた。

そして、村の「フォレスター」たちが、日々の仕事の価値や意味を自覚するきっかけをつくった功績も大きい。今回、横浜市の水源地である道志村のマルシェには石川県白山市白山麓のフォレスターたちも参加した。白山麓は金沢をはじめとする石川県広域や隣県の水源地である。全国にある水源地とそれを守るフォレスター、都市生活者との輪に小さな流れが生まれていく『水源の森からマルシェ』という循環の祝祭は、始まったばかりなのだ。

「また、森で会いましょう」と、招待状のタリスマンを手渡しながら諏訪さんは笑った。

水源の森からマルシェ(Instagram)

Photo:Kenji Onose

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