読むふるさとチョイス 地域の挑戦者を応援するメディア

「村の道路はホテルの廊下、村民はキャストに」700人の村がひとつのホテルに【NIPPONIA 小菅 源流の村】

1日に700人のゲストが訪れる都心のホテルマンから、人口700人の村の宿へキャリア転換を図った「NIPPONIA 小菅 源流の村」のマネージャーの谷口峻哉さん。オーストラリアへの留学を通じて、パーマカルチャーに出会い、帰国後はその感覚を体現できる場所を活動拠点に選んだ。現在は、日本の原風景が色濃く残る山梨県小菅村で、「700人の村がひとつのホテルに。」をコンセプトにした宿を切り盛りしている。 自らの生き方を見つめ直す中で、小菅村という心の故郷に出会った谷口さんの村を見つめる視点に迫る。

過疎化に直面する村に、未来を感じて

天然記念物のカモシカや野鳥、多様な野草が自生する自然豊かな環境が残る小菅村。一方で、村の人口はピーク時の3分の1となる700人まで減少するなど、深刻な過疎化に晒されていた。加速する高齢化もあいまって、村内の旅館や民宿は次々と廃業。

観光産業は衰退の一途を辿っていた村に、2019年8月に誕生した「NIPPONIA 小菅 源流の村」。宿のコンセプトは、「700人の村がひとつのホテルに。」。村全体をホテルに見立て、ゲストをもてなす試みは、地方創生の切り札として全国的にも注目を集めている。

「この村を初めて訪れた時、“素敵な場所だな”と感じました」と話すのは、マネージャーを務める谷口さん。

「初めて村を歩いた日に、村の人と言葉を交わした時の記憶は今でも鮮明に残っています。この村に出会って、僕は 自分にとってようやく“故郷”と感じられる場所ができたと感じました。村の人たちは、愛嬌があって頼りになって、とても安心感があるんです。この村なら、僕が理想としていた“暮らしのお裾分け”をする宿にピッタリの場所だなと思いました」。

谷口さんが村に抱いたファーストインプレッションとは裏腹に、ホテルの準備が進むにつれ 「こんな何もない村に人が本当にやってくるのか?」という村人たちの不安や心配は募っていた。

「開業の際に、 村の人たちには“村の道路は、ホテルの廊下です。村の方たちは、1人ひとりがキャストなんです”と、お伝えしました。すると、当初は不安気だった村の人たちが、自ら進んで道路に生い茂った木の枝打ちをしてくれたり、宿の近くの温泉までの道のりに花を植えてくれるようになりました。元々、村外から来る人を受け入れる体制のある村の方たちですが、自分たちは“キャスト”なんだから、お客さんには気持ちよく過ごしてもらえるように努力しようという、予想もしていなかった変化がありとてもうれしく思いました」。

訪れる人々におもてなしの心を体現しようとする村の人たちの前向きな姿に、谷口さんは大きな感銘を受けたそう。以来、村の人とつながり、寄り添い、村の風景に溶け込むように、宿の魅力を紡いできた。谷口さんにとって、今や村の暮らしを深く知ることは、欠くことのできないライフワークとなっている。

1日700組が来訪する、都心のホテルマン時代

群馬県出身の谷口さんは、大阪の大学を卒業後、全国にある高級会員制ホテルを経営する総合リゾート業社へ就職。5年間働いたのち、妻のひとみさんとともに、オーストラリアへ留学する。留学という選択肢は、ふたりにとってどういう意味だったのだろう。

「僕たちが働いていた都内のホテルは、約300室の客室があって、1日に700名のゲストが来るような場所でした。人数は多いけれど、チェックインの時間帯は変わりません。必然的にお客さまを事務的にさばく 形になってしまうことへの違和感は日増しに大きくなっていきました。当時、僕はロビーアテンダント、妻はエステティシャンとして働いていたのですが、2人とも過労で体調を崩してしまったんです」

自分たちの価値観とズレのある サービスに葛藤を感じていたおふたりは、仕事も、ライフスタイルも、リセットできる環境を求めてオーストラリアへの留学を決意した。

オーストラリアで出会った、自分らしい価値観

オーストラリアは、自然療法と呼ばれる薬を使わずに自然治癒力で体にアプローチする手法が一般的だったことから、ひとみさんは本格的なマッサージの資格を取得。谷口さんは、趣味でトライアスロンをやっていたことから派生して、フィットネスの学校へ通い、解剖学や栄養学を学んだという。

「そうした日々のなかで現地の人は、家族のために働くから定時で帰るし、休日はちゃんと休む。そういうライフスタイルを目の当たりにしました。東京とオーストラリアにいる自分たちを比べたら 、オーストラリアで暮らしていた自分たちの方がしっくり来たんです。日本に帰っても、この感覚を残したままで居られる場所に暮らしたいと思うようになりました」

谷口さん夫婦がオーストラリアで得たものは、知識や技術だけではなく、生きることに対する価値観そのものだった。

オーストラリアの小さな村 と重なる小菅村

「オーストラリアのクイーンズランド州に、クリスタルウォーターズという人口100人の小さな村があるんです。そこで人と自然の持続可能な営みをデザインする、パーマカルチャーを軸とした宿を訪れました。いわゆる“オフグリッドな暮らし”を今も実践している人口100人足らずの村では、太陽光で電気を貯めて、雨水を再利用して、自給自足のお野菜を中心とした食事を摂る、という生活を体験しました。村にはカンガルーがたくさんいて、ギターを弾いて歌っている 人がいたり、すれ違う時に手を振ってくれる人がいたり 。そこで心が打ち震えるような感動を味わい、ここに住みたい!こんな宿をやりたい!と思いましたね」

村の暮らしに感銘を受け、一時は永住権の取得まで試みたという谷口さん。正式な取得の許可が降りるまでの年数がかかりすぎるため永住は諦めたものの、そこでの経験から「どうすれば自分たちが好きだと思う暮らしをお裾分けするような宿ができるだろう?」と考えるようになったとか。

日本に帰国したタイミングで「NIPPONIA 小菅 源流の村」のマネージャー募集の記事を見つけて“これだ!”と思った谷口さん。初めて訪れた小菅村は、オーストラリアで見たクリスタルウォーターズの村の姿と重なったという。

「小菅村は、町の規模もクリスタルウォーターズと似ていて、自然豊かで。ここなら自分たちが理想とする“暮らしをお裾分け する宿”ができそうだなと感じました」。

エコビレッジで過ごした経験が、現在の宿のマネジメントをする上での 貴重な原体験になっているという。

「暮らしのお裾分け」をする宿で、本能が喜ぶ体験を

「NIPPONIA 小菅 源流の村」は、築150年超の地元名士の邸宅「細川邸」を改修した全4室の客室と22席のレストランを有する分散型の ホテル。運営スタッフは 全員が村人で、食材も小菅村の農家が栽培したものでほぼまかなう。スタッフ は現地のガイドとなり、時には周辺の自然を一緒に散策し、自転車で村を巡り、出会った村人と立ち話をし、ゲストが村の日常とつながるサポートをする。

また、この地に伝わる食文化を継承し、現代風にアレンジした料理も魅力のひとつ。村の名産である川魚や 、村人が丹精込めて育てた旬の野菜やわさびなど、村の味覚満載の創作和食を提供。ゲストはアクティビティや食を通じて、全身で土地の個性を感じることができる。

「苦手だった川魚が美味しく感じられた」「田んぼの畦道を歩くのが懐かしかった」「自分で収穫した野菜を食べた」…。そんな何気ない体験に、人の心は喜びを感じるもの。幼い頃に田舎で体験したような肌感覚を呼び起こすことで、人間の本能が喜ぶ独自の体験価値を提供している。

足並みを揃えながら、村の幸福度を上げていく

地域内にホテルの客室を分散させ、地域全体で観光客をもてなす分散型ホテル「NIPPONIA 小菅 源流の村」は、2019年のオープンから、段階的に施設の拡充を図ってきた。2020年には、小菅村の地形を生かし崖に張り出すように建つ2棟の古民家をリノベーションし、客室棟として新たに『崖の家』を開業。村で獲れた川魚や、採れたての野菜を使った食材のセット、自社ファームでの収穫体験から「つながる食卓」をテーマにした自炊スタイルのコテージでは、ともに過ごす人とここにしかない食の喜びを分かち合う、ローカルガストロノミーの場を創出している。

今後は、“村のロビー”と呼べるようなカジュアルに通えるカフェ&バーやゲストハウスの計画も進行中だとか。

「例えば、若い世代が集いやすい場であったり、子育て中の家族が利用しやすい場所であったり、おじいちゃんやおばあちゃんにとって居心地の良い場であったり。村内の人も村外の人も、気軽に楽しめる施設を作りたいと思っています」と谷口さん。

村は8つの集落で構成されているが、将来的には全集落に宿泊施設を作りたいと考えているという。

「小菅村の大きな魅力は、移住者や観光客など村外の人との間に壁がないことです 。それでも新しい動きをするときには、少なからず抵抗はあるもの。僕らは、常に村人たちと歩幅を合わせることを意識して、村の最大の魅力である人と自然を大切にしていきたいですね」

宿の集客だけが目的ではない。その言葉には、村の住人たちを巻き込んでチームのように機能することで、村人も、ゲストも、それぞれが村で過ごす時間の幸福度を高めていこうという姿勢が垣間見える。

小菅村に学ぶ、100年先の持続可能な暮らし方

「村の30年後、40年後を想像したときに、もし何もしなければ人口は減っていく事実は避けられないかもしれません。林業や農業で村の暮らしを支えている世代の人たちが持っている 、持続可能な営みの知恵 が徐々に失われていくことへの懸念を、日々感じています。今までどおりの営みを継承することを目指しながらも、一方で外部のアイディアや新たな知識 を借りて違った視点で継承する必要性も強く感じます」

村の暮らしは、知識だけでは推し測れない生きた知恵に満ちている。その文化を 次世代へ繋ぐためにも、都市と村がお互いに無いものを補い合い、 つながりを育む場を村人たちとともに紡ぐ谷口さんの一歩は、ここから100年先の暮らしを考える上で大きな示唆に富んでいると感じた。

NIPPONIA 小菅 源流の村

この記事の連載

この記事の連載

TOPへ戻る