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「SAIGAIをSAIWAIへ」ウッドキャンドルに変わった災害ゴミ【あさくら観光協会】

福岡県朝倉市で観光協会事務局長を務める里川径一さん。朝倉市は、2017年7月の九州北部豪雨で甚大な被害を受けた地域。大量の土砂や流木が河川に流入し、氾濫を引き起こした。里川さんは、当時、課題となっていた流木を、斬新なアイデアによって活用するプロジェクトの中心人物だった。そのほか、地域を盛り上げるさまざま取り組みを行う里川さんに、活動への想いを聞いた。

豪雨被害で出た流木をウッドキャンドルに

2017年7月5日、朝倉市内は最大雨量700mmを超える大雨となった。山間部の多数の箇所で山腹が崩壊。流出した大量の土砂、流木によって河川は氾濫し、死者や住宅被害などを出した。

当時、課題となっていたものの一つが山林から流れてきた流木だった。川からも溢れ、道を塞ぎ、復旧作業の妨げとなっていた。行政も必死に動いていたが限界がある。災害ゴミとして処理するにも手間とコストもかかる。そんな中、里川さんはあるアイデアを思いつく。「流木をウッドキャンドル(スエーデントーチ)として再生させることはできないだろうか」。

朝倉市内を流れる筑後川

「自分が若いころ、植林の活動をしていたときに出会ったのがウッドキャンドル。丸太にチェーンソーで切れ目を入れるだけでつくれるウッドキャンドルは、キャンプなどで煮炊きに使えるし、当時、CMなどで使われてインテリアとしても人気がありました。これを、流木を使ってできないかなって」

里川さん自身、被災した身。自宅も流された。水害によって農業はもちろん、里川さんも関わる観光業なども多大な影響を受け、地域が疲弊していく状況も痛いほどわかっていた。里川さんは仲間とともに流木をウッドキャンドルとして再生することを、クラウドファンディングのプロジェクトを立ち上げることを決意した。

「ウッドキャンドルの製作を地元の人にお願いできるし、販売して得た利益を、被災した地域にお渡しすることもできる。クラウドファンディングのリターンで地域産品も活用できる。そして流木も、やっかいもののように思われていたかもしれないけど、大事な里の資源。地域のじいちゃんたちが愛情を持って育てたものを、どうにか生かしたいと思ったし、この取り組みがほかの地域に広がってくれたらという気持ちもありました」

「朝倉に復興の兆しがある」、「がんばっている朝倉」など、そんな元気をもたらすトピック。災害で被災した地域発の、被災者自身によるクラウドファンディングは注目を集め、メディアの取材も相次いだ。プロジェクトは早期に達成し、流木を使ったウッドキャンドルの製作がスタートした。

「被災後、多くのボランティアの方々に朝倉市で活動していただき、元気をもらっていました。応援してくれる人がいることは本当に心強かった。だからこそ、自分たちも自分たちの手で、地域の資源を使って立ち上がりたかったんです」

里川さんと朝倉との出会い

地域のためにウッドキャンドルを企画した里川さんは、移住者だ。熊本県出身の里川さんは1976年生まれ。阪神淡路大震災や、ナホトカ号の原油流出事故現場へボランティアとして入ったり、さらには大学在学中に出会ったNGOではアフリカ・モザンビークに放置自転車を送るプロジェクトに参加したり、さまざまな経験を重ねてきた。

里川さんと朝倉市の出会いは2000年ごろ。縁あって黒川地区という、朝倉市の山間部にある郵便局跡地との出会いがあり、そこを拠点にカンボジアと日本の子どもたちを繋ぐ国際ボランテイアを育てる会(AIM)というNGOを立ち上げ、環境教育や自然体験プログラムなどを提供する活動を始める。

活動が2年ほど続いたころ、里川さんは市の教育委員会から、地域活動指導員という役割を託される。「行政との関わりはそのころからでしょうか。市内各地を周り、子どもたちと自然体験活動を一緒にしていきました。各地域では、想いを持って活動するたくさんの人たちと出会いました。ネットワークを活かし、1039人を集めて二人三脚を行い、ギネス記録をゲットしたこともありました(笑)」。

里川さんの人柄と活動の輪は徐々に知られるようになり、折りしも地域の観光協会が人材を求めていたこととも合致し、事務局長を見据えたポジションに迎え入れられた。

「観光協会は、ある意味では観光客と地元の人を繋ぐという仕事。それは、これまでやってきた活動に通じるものがありました。縁あって住むことになり、また地元出身の今の奥さんにも出会った朝倉は、自分にとって特別な場所でもあります。自分の経験を活かし、自分にしかできないことを、ここでやってみようと思いました」

地域の観光資源を掘り起こし、磨き上げる

里川さんは観光協会に入り、さまざまな企画を立ち上げ、実施してきた。各地の成功事例を模倣するのではなく、地域の魅力を自分たちで掘り起こし、自ら手を動かして再編集することを心がけた。そのベースには、ボランティアやNGO活動での経験があった。

「なにかをつくったり、直したりするときに、地元で入手できるもの、地元の人の手でできなかったら続かなかったし、意味がなかった。観光も同じだと思うのです。逆に、その地域の人や、そこにあるものでやれば絶対にうまくいくと思いました」

そして里川さんが地域に目を向ければ、朝倉にはさまざまな観光資源が眠っていることがわかった。

たとえば、朝倉には大化の改新の立役者として知られる中大兄皇子の母親でもある斉明天皇が、朝倉に数十日間、都を遷したのかもしれないという学説や、邪馬台国の有力な候補地であったという逸話もあった。アフガニスタンの支援活動で知られる故・中村哲さんが現地工事で参考にしたのは、実際に当地にある山田堰という灌漑施設。里川さんは、観光協会のSNSやイベントなどを通じて、そういった隠れた朝倉の魅力を発信に尽力した。

『筑前朝倉蒸し雑煮』と呼ばれる茶碗蒸しのような雑煮も、当地ならではものだ。ポテンシャルの高い地域資源だと感じた里川さんは、地元の小学校にアンケートをお願いしてお雑煮マップを作成したり、市内飲食店に協力を仰ぎ、それまで観光客向けには提供していなかった蒸し雑煮をメニューにしてもらったりもした。

「朝倉にはアジア最大のキリンビールの工場もあります。さまざまなご縁が繋がり、構内を使ったサイクルイベントを開催させてもらうことができました。はじめての取り組みであり、地域で活動する団体の協力によって、大盛況になりました。コロナ禍で継続が難しくなりましたが、これもまた再開できたらうれしいですね」

水の恩恵があるからこそ、水害もある

朝倉での観光の取り組みの中で、里川さんがひときわ想いを寄せるのは、“水”にまつわるものだ。

「九州北部豪雨の年以降も、水害に悩まされることが多かったのですが……。でも、それも含めて、今改めて思うのは、朝倉は水の恩恵をすごく受けている地域だということ。水の恩恵があるからこそ、水害もあるのかなって逆に思うようになって」

九州最大の筑後川が市内を流れ、その恵みによって流域では稲作が盛んに行われている。市内には、福岡県随一の湧出量と源泉数を誇る原鶴温泉があり、アジア最大のビール工場が立地するのも、水が豊富にあるからこそ。

「ただ、大きな被害でしたから、2年目以降くらいからかな。水にまつわるプロジェクトを徐々に始めていきました」

里川さんは、よき相談相手であり仲間でもある、旅館「原鶴温泉やぐるま荘」の社長・師岡哲也さんらとともに「筑後川カッパニー」という団体を結成。ちなみに師岡さんは地元生まれの地元育ち。「恋愛のフォローもしてくれるし、友達にも言えない悩みも、全部筑後川はわかってくれるような。母なる川であり、友達のような存在ですね」(師岡さん)

「筑後川カッパニー」は、カヤックや、サーフボードの上に乗りパドルを漕いで進むスタンドアップパドルボード(SUP)の体験などを提供する団体だ。

「アクティビティを楽しむのと同時に、僕たちの体験では、絶対に水の中に入ってもらうんです。『ライフジャケットを着て流されときには頭はどっちに向けたらいい?』とか、水と親しむために知っておいたほうがいいことを、遊びながら身につけてほしくて」

水害があった地域だからこその取り組み。むやみに水辺を避けるのではなく、親しみながら水を学ぶ試み。インストラクターの一人は、原鶴温泉の夏の風物詩でもある「鵜飼い」で鵜を操る鵜匠だ。体験の中で、鵜飼いをはじめとした“川との携わり”がある地域の暮らしを伝えていくことも大切にする。

「災害と幸いは、アルファベットにしたら、SAIGAIとSAIWAIとなる。たったGとWの違いなんですよね。すべては表裏。水害もそう。地域の課題と思えることを楽しみながら、前向きに転換して、これからも観光に繋げていきたいです」

あさくら観光協会

筑後川カッパニー(ASAKURA water activitys)

photo:乾 祐綺

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