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「畑とお客さんを結ぶ作業場に」人柄に惚れ込んで仲間が集まる、糸島の農家【野菜やトラキ】

風光明媚な海山に囲まれた福岡県糸島市。志摩岐志地区にある岐志漁港に近い場所で農業を営むのが、『野菜やトラキ』の山本誠さんと和佳さん。自然に優しい農法で育てられた野菜は、著名シェフからの引き合いも多く、直販する野菜もすぐに売り切れるほど人気。そんな2人が、毎月2度、定期的に野菜市を開催する。背景にある、農業や、志を同じくする地域の農家仲間への想いを訊いた。

ここはホテル? それともレストラン?

福岡市内から車で1時間ほど西に走ると、それまでの風景が一変する。ここは福岡県糸島市。糸島半島を中心に広がる、美しい田園地域だ。最近は移住地としても人気が高い。糸島の大きな魅力の一つといえば、新鮮な海山の幸。周辺の海域は好漁場として知られる玄界灘。古くから農業が盛んな土地でもあり、農産物直売所なども点在する。

そんな糸島で注目される生産者がいる。『野菜やトラキ』の山本誠さんと和佳さんだ。

『野菜やトラキ』の山本誠さん(左)と和佳さん

取材当日、指定された場所に行って驚いた。シンプルだが、センスのいい建築。内部にはキッチンがあり、暖炉まで設らえられている。「ここはホテル? それともレストラン?」と見紛う、すてきな空間がそこにあった。

作業場でもあるというここは、『トラキルート』という、2人が開設したスペース。食に関するイベントなども行われるという。でもなぜ、こんな空間をつくったのだろう。

「『畑とお客さんを結ぶ場所』になればいいなあと思って。野菜には気持ちが映ります。モチベーションを維持しながら、野菜に向き合うために、どうしたらいいか、を考えた一つのカタチでした。作業が大変できつい、という農家さんのイメージを変えたいという気持ちもありました」と誠さん。

取材に先立ち、この空間で少し作業をお手伝いさせていただいたのだが、『トラキルート』の高い天井や、きれいに整えられた洗い場、広い作業スペースなど、すべてが快適で、作業が楽しかったという印象。誠さん、和佳さんはじめ、手伝いに来ていたスタッフの雰囲気もすてきで、居心地のよさを心から実感した。

農薬や化学肥料に頼らない農法を続ける難しさ

誠さんと和佳さんの2人は9年ほど前に新規就農した。いわゆる有機・無農薬栽培を行っている(が、こちらを訪れるお客さんの多くにとってはそこが重要ではなく、2人の人柄や仕事ぶりを信頼し、考え方に共感している)。

環境負荷の少ない、有機野菜などを育むオーガニックな農業は世界中で推奨され、普及が進む。日本も推進を図り、農林水産省が2014年に「有機農業の推進に関する基本的な方針」を打ち出したが、まだまだ取り組む農家や地域はそう多くはない。

作業に多大な手間がかかるうえ、それゆえに金額的には割高になる有機や無農薬栽培をはじめとした、自然に優しい農法による野菜。売る側だけでなく、消費者の意識のほうに働きかける必要もあるだろう。

さらに、野菜をどこでどう販売するかは大きな課題だそうだ。

「農薬や化学肥料に頼らない農業を始める人は意外と多いように思います。『有機農業をやりたいけどどうしたらいいでしょうか?』と、若い方たちから相談をたくさん受けました。一方で、作業の辛さや、売り先を見つけることができないことから、継続が難しくなったという人たちにも、これまで何人も出会いました。でも、安心・安全な野菜を求めている人はたくさんいるとも感じていました。だったら、そういう農家さんがぎゅっと集まって場をつくったら、それを必要としているお客さんが来てくれるんじゃないかって」と誠さん。

この考え方をきっかけに始めたのが毎月2回行われる『トラキルート野菜市』だ。野菜市では、近隣の仲間の農家さんの野菜も一緒に販売する。『野菜やトラキ』同様に、自然との関わりや共存を意識した農法で育てられた野菜ばかりが並ぶ。加えて、毎回異なるゲストを招き、『野菜やトラキ』の野菜などを使った加工品などを提供してもらっている。

「お客さんはもちろんですが、参加する農家さんのほうも楽しみになります。有機や無農薬などで栽培する農家さんは、うちの誠さん同様、職人みたいな人が多いんです。だから、農家さん同士のいい息抜きになったり、情報交換をする場にもなっているんじゃないかなとも思っています」(和佳さん)

心地よいコミュニティ、『トラキルート野菜市』の価値

ある土曜日に行われた『トラキルート野菜市』に出かけてみた。11時のオープンを心待ちにするお客さんの列。みんな楽しそうだ。あるお客さんに声をかけてみた。

「農薬などを使っていない野菜を入手できる場所は、多くはなってきていると思うけど、それでも少ない。それに、やっぱり、どんな人が育てているか知りたい。自分の食べるものは、自分で納得して買いたいですから」

また、別のお客さんは、こうも話してくれた。

「毎回、『トラキルート野菜市』が楽しみで。並べられている野菜から旬を感じられますし、出店されている農家さんとのやりとりも楽しい。友人のInstagramで知って、来てみたらハマり、もう何回も来ています」

一見、よくあるマルシェのようではあるのだが、農家さんたちは、すべて誠さん、和佳さんと付き合いを重ねた人たちだ。みな、自然に優しい農業を生業に、さまざまな苦労を重ね、それを共有し、一緒に乗り越えてきた仲間たち。

農家さんの一人である『西農園』の西正剛さんは、「『トラキルート野菜市』に出店する農家さんは、みんな野菜ときちんと向き合っている人ばかり。売り方や育て方、見せ方など、さまざまな部分で情報交換でき、刺激にもなりますし、とても勉強になります」と話す。

また、誠さんのもとで1年間農業研修を受け、就農したという人も。『かやのこ農園』の篠原優子さん曰く、「出荷して終わりでは売れないし、はっきり言っておもしろくないんです。でも、こうやってお客さんとやりとりしながら販売できる『トラキルート野菜市』は、たくさんのヒントをもらえますね。どう、価値を高めていくか、ブランディングについても考えさせられます」。

日本の農業の未来への、小さくも大きな希望

日本の農業従事者の多くは60代以上によって占められている。ゆえに高齢化によって、日本の農業の存続自体が危ぶまれている。

若い世代による新規就農を増加させることは喫緊の課題なのだが、ある調査によると、その3割超が労働のたいへんさや収入面での不安定さから離農するという。さらに新規参入の中の少なくない人が、有機や無農薬の栽培を希望するが、前述のように、現実はなかなかに厳しいものがある。

そんな中、農家さん同士は競合ではなく仲間(和佳さん曰く「同志」)という捉え方や、『トラキルート野菜市』の開催などの仕組みは興味深い。

野菜を売る側である農家さんの拠りどころであり、農薬や化学肥料に頼らない農法で育てられた野菜を求める消費者にとっても貴重な場所。誠さん、和佳さんの取り組みは、小さな一歩なのかもしれないが、社会や市場にインパクトを与える、大きな可能性があると感じられる。

実際、彼らの野菜や、取り組みの影響力は大きい。『トラキルート』からほど近い場所にあるフランス料理レストラン『TERROIR』オーナーシェフ・日下部誠さんは、誠さんと和佳さんのつくる野菜に惚れ込み、店を農園の近くに建ててしまった。

日下部さんに限らず、誠さんと和佳さん野菜は評判となりつつある。2人の野菜は九州発の調味料メーカーであり、日本の出汁文化を世界にも発信する『茅乃舎』のレストランでも使われるようになったり、また『トラキルート野菜市』は、人気生活ブランドである『無印良品』とのコラボレーションが実現し、福岡市内の大手百貨店内にある店舗で出張開催が行われたり。

自然に優しい農業を軸に、軽やかにつながるコミュニティの可能性。小さな点が面となって大きくなり、やがては流れになる。この取り組みや考え方を模倣する地域や農家さんが増えるたらきっと、日本の農業の未来は、ほんの少しだが確実に明るくなるだろう。

「野菜やトラキ」Instagram

photo:乾 祐綺

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