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「恋」の一文字で紡ぐ〝宮崎〟の街と、コーヒーと、カルチャー【恋史郎コーヒー】

宮崎市の中心市街地に位置する「四季通り」。ファッションやアートなど、日々さまざまなカルチャーが生まれ、多くの人に親しまれているレンガの通りだ。そこにお店を構えて8年、通りに面したガラス窓が印象的なのが、今回取材させていただいた「恋史郎(れんしろう)コーヒー」。宮崎で、浅煎りのスペシャルティコーヒーを味わえる数少ないお店である。店主の田中友太さんが抱くのは、「宮崎に浅煎りカルチャーを根付かせたい」という夢だ。

生産者からお客様まで、切れ目のないストーリーを

まず、つい気になってしまうのが「恋史郎コーヒー」という店名。店主である田中さんのお名前は「友太」で、「恋史郎」という文字は見当たらない。

「実は、息子の名前なんです」

由来を尋ねると、そう田中さんは嬉しそうに答えた。店がオープンしたのは、2015年8月。その半年ほど前に、恋史郎くんが生まれたのだ。そんな店と恋史郎くんの素敵なエピソードは後ほどお届けするとして、まず恋史郎コーヒーで提供しているコーヒーについて説明しておきたい。

この店で飲めるのは、スペシャルティの浅煎りコーヒー。「スペシャルティコーヒー」は、コーヒーの1番上のグレードを指す言葉で、ここ30年くらいで生まれた概念だ。

「コーヒーは貧しい国で作られることが多いのもあり、品質管理などが難しい時代が長く続きました。そこで、良いものを作る生産者がきちんと評価され、対価が支払われ、より良いものを作れるようなシステムを作ろうと誕生したのが『スペシャルティコーヒー』です」

そう田中さんは説明する。

フルーティーな味を楽しむことができるのが浅煎りの特徴。しかし、深煎りほど定着していないのが実情である。田中さんが「浅煎り」にこだわるのはなぜなのか。

「例えば高級レストランに行って、良いお肉や野菜が丸焦げにされたら嫌でしょう。それと同じで、良いコーヒーをどう調理するかを考えた時、火加減はできるだけ最低限でいきたい。『コーヒーが持つ素材の味をできるだけ出していこう』という考え方が浅煎りにつながっています。スペシャルティというグレードは生豆に付いていて、それを我々料理人・焙煎人がどのように加工するのかは自由ですよね」

そして田中さんは「深煎りのニーズが多いからと、うちのお店で深煎りにしたら、やっとここまで届いたストーリーを分断してしまうことになります」と真剣な表情で語る。

「それは提供するストーリーとして、あまりに短く、情報量が少ないものです。恋史郎コーヒーに来てくれるお客様からしたら、見えているのはこの空間とスタッフだけですが、このコーヒーには辿ってきた長い物語がある。生産者から飲んでいただくお客様まで、一貫した切れ目のないストーリーを体感してもらいたいんです」

憧れの「四季通り」にお店を構えるまでの歩み

宮崎県串間市で民宿を営む家庭に生まれ育った田中さんが、コーヒーの魅力に気づいたのは25歳のとき。

「ある日、福岡から串間市に移住してきた方がコーヒー屋を開き、そこで初めて浅煎りコーヒーを飲みました。こんな美味しいものだったのかと衝撃で。それまではコーヒーがあまり好きではなかったんです」

当時、スペシャルティの浅煎りコーヒーが飲めるお店は宮崎に無かった。そこで、田中さんはそれが飲めるお店の開店を目指し、独学でコーヒーの勉強を始める。

「地元串間でお店を、という思いもありましたが、最終的にたどり着いたのは『四季通り』でした。実は、学生時代から四季通りの服屋に通っていて、ここは思い入れのある通りだったんです。開店当時に比べると、お店も増えましたし、最近は人通りもかなり多いように思います」

長男とともに成長してきたお店だから

先述の通り、店名の「恋史郎」は息子の恋史郎くんの名前からとったもので、店は恋史郎くんが生まれてすぐにオープンした。つまり、長男とともに育ってきたのが、この恋史郎コーヒーという店なのである。

ここでは定期的に、写真展やアコースティックライブが行われており、空間としての評価も高い。そんな場所で先日開催され、大きな反響を集めたのが「田中恋史郎 個展 たなここととかかれんしろう」。そう、恋史郎くんによる作品を展示した個展だ。

「この個展は、彼への誕生日プレゼントなんです。彼は今、絵を習っていて、制作の意欲や刺激になるような何かを送りたいということで企画しました。せっかく箱を持っていて、これまでにもいろいろな作品展をやってきていたので、ぴったりかなと。期間中は、想像以上の反響がありました。2、3組でしたが、恋史郎の作品を見に来るために足を運んでくれたお客さんもいて、ありがたかったですね」

個展の期間は、恋史郎くんの8歳の誕生日から2週間。父から息子へ、田中さんが恋史郎コーヒーでの個展を贈ったのには、田中さん自身の地元への思い、そして後悔があった。

「僕は地元の串間市恋ヶ浦を離れましたが、やっぱりずっと思い入れがあります。だから、息子の名前に『恋』という漢字を付け、店名には彼の名前を貰いました。恋ヶ浦を離れてもずっと、間接的ではあるが地元への何かを考えています。僕は田舎で育ったので、地域に育てられたという感覚がとても強いのですが、その感謝を周りの人に伝えられなかったという心残りもあって」

田中さんがとつとつと語ると、その表情から田中さんにとって「恋」という一文字がいかに大切なものか、じんわりと伝わってくる。

「8歳になった彼は今、このお店のある街を自分の街だと思っています。この土地に育てられているという事実は絶対にあって、それが後々、彼の感性や考え方など、様々なところに繋がっていくと思います。僕のような後悔を彼にはして欲しくない。彼の成長を、この店に来てくれる人、街の人に見てもらうことが一つの目的でした。今回の個展が、彼がこの街と繋がるきっかけになればと。開店当初は彼をおんぶしながらお店に立つ日もありました。当時を知ってくれているお客さんもいますし、知らない方も、お店の名前が子供の名前と知って、気にかけてくださいます」

コーヒーがつくる、それぞれの時間

幅広い客層が訪れ、それぞれを受け入れてくれるのもこの店の魅力だ。県内外からコーヒーを愛する人々が足を運んでくれるそうだが、それだけではない。一人の時間を作りにやってくる学生や、友人とのコミュニケーションの場を求める大人など、性別・年齢・目的を問わず、多くの人で日々賑わいを見せている。

また、コンパクトな店内のレイアウトや木材を基調とした温かみのある雰囲気が影響してか、お客さん同士の交流が生まれることも多い。この店のコーヒーをきっかけに、新しい出会いや人々の繋がりが生まれている。

浅煎りカルチャーの浸透を目指して

田中さん曰く、浅煎りコーヒーのニーズはまだまだ少なく、まさにマイノリティど真ん中。宮崎のコーヒー文化を見てきたからこそわかる課題と、お店がこれから目指す姿について、少し悩みながらも語ってくれた。

「浅煎りコーヒーが飲めるお店がないからとこの店を構えましたが、じゃあ今それが飲める店が増えているかと問われると、結局まだ全く多くありません。宮崎では、うちを含めて3軒。将来的に、この分野が宮崎でどこまで浸透するかを考えると、そう浸透はしないと思っています。ビジネス的に考えたら、浅煎り以外でやった方が単純にもっと売れるとは思いますし」

そして、田中さんは「それでも浅煎りを出すコーヒー屋が無ければ、宮崎のコーヒーのカルチャーとしての厚みが非常に薄くなってしまう」と語る。

「この先コーヒーを飲める場所がたくさんできたとしても、そこにグラデーションや多様性があって、初めて『カルチャーの厚み』になると思っています。コーヒーの素材の味に対して本質をついているのが浅煎り。カルチャーの一環を担うためにも、このカテゴリーを諦めてはダメだと思うので、この分野の普及というのがざっくりとした目標です」

コーヒーの魅力に気付いて以来、独学で味を突き詰めてきた田中さん。より多くの人にコーヒー本来の味の魅力を知ってもらうため、これから挑戦したいことがあるのだそう。

「カルチャーにどう切り込むかという話があることが前提ですが、ここから4〜5年の目標に置かなければと思っているのが、大会への出場です。宮崎には、わかりやすい称号を持っている人がいないんです。コーヒーは味の感じ方がすごく曖昧な飲み物。だからこそ、『日本一の人が焼いているコーヒー』というような、わかりやすい理由付けがそろそろいるのかと。このカテゴリーは特に、何もせずに広げていくのは難しい。もちろんどのコーヒーのカテゴリーにもそれぞれの美味しさがあり、多様性が大切です。その上で、僕は浅煎りコーヒーが好きなので、この分野をもう少し宮崎に根付かせられたらと思います」

生産者から続くストーリーが飲み手に1番伝わるのが浅煎りコーヒー。このカテゴリーを広め、宮崎のコーヒーカルチャーの厚みを増すべく、今日も田中さんは奮闘している。宮崎市の中心にある四季通り、ほっと心が休まる場所だ。近くを訪れる際には、「恋史郎コーヒー」にぜひ足を運んでみて欲しい。新たなコーヒーの世界を知ることができるだろう。

撮影:伊藤駿平

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