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「今、生きている工芸」に光〝工芸と社会〟を接続させる【山崎伸吾】

西陣織や京焼・清水焼といった伝統産業が古くより盛んな京都。現在も市が定める74品目の伝統産業製品には、市を挙げた取り組みが行われている。他方で、業界の衰退が年々深刻化しているのも事実。そうした伝統産業をはじめとする京都の“工芸”シーンで、活動の幅を広げているのがディレクターの山崎伸吾さんだ。企画展や展示会に職人の育成プログラム、またメディアまで多様なプロジェクトの企画運営を行い、2019年には「京都伝統産業ミュージアム」のリニューアルオープンのディレクターを務めるなど、10年以上にわたりシーンを切り拓いてきた。全てに通底するのは“現代に生きる工芸”を問い、その未来を模索する視点。現代社会における伝統産業の立ち位置やこれからの可能性について話を聞きに、二条城近くの複合テナント施設「共創自治区CONCON」内にある事務所を訪ねた。

生きている工芸を問う

地域の伝統産業や京都の工芸に興味のある人なら、“伝統工芸のディレクター”と聞き、彼を思い浮かべる人は多いかもしれない。手掛けた企画全てを挙げることはできないが、代表的なものに、若手職人の育成・支援プログラム「京都職人工房」(2012〜2022年)がある。自己プロデュースやデザインシンキングなどの基礎講座と商品開発講座の2本柱で10年間にわたり実施され、のべ200人以上の作り手が参加した。「講座終了後も様々な相談をしたい」というメンバーの希望を受け、4年目からは卒業のないメンバーシップ制に。最大の特徴は、作り手側に蓄積される商品開発プログラムである点。

©京都職人工房

「従来の商品開発では、東京の有名なデザイナーがデザインしたものを職人が作り展示会に出して終了、という手法が全国的に主流で、作り手側にメリットも蓄積もないものでした。職人工房では、作り手が作りたいものを主体的に考え、そこに対して専門家講師がアドバイスするゼミのようなスタイルにしました」

職人工房から魅力的な商品が多数生まれるようになると、職人の明確な目標になり、かつ商品の付加価値を付けられる機会の必要性を感じ、山崎さんは、市内のホテルを一棟貸し切って開催する4日間の工芸の展示会「DIALOGUE」を2017年に企画。と同時に、工芸のWEBメディア「KYOTO CRAFTS MAGAZINE」を立ち上げ、広報にも力を入れた。作り手自身が出展者になり、来場者は彼らと対話できる、という名前に込められたコンセプトが受け、第2回の2018年には会期中の売り上げが1000万円を記録。会期中に生まれた商談分の売り上げを含めると、総額2000万円を超えた。

2019年3月には京都伝統産業ミュージアム(旧称:京都伝統産業ふれあい館)のリニューアルディレクションを行った。内装は汎用性のあるオープンなギャラリー空間にし、従来の常設展メインの運営から、企画展を大体的に行っていく発信型の運営へとシフトした。

「ここは“今を生きる市井の職人さんたちのミュージアム”にしようと、この時にスタッフ間でワークショップを行ってコンセプトを定めました。過去の作品や作家の作品ばかりを紹介するのではなく、今京都で作られている伝統産業を展示・販売する。伝統工芸が生活に根付く京都だからできることです」

棚に置かれたモニター

中程度の精度で自動的に生成された説明
©Yoshiro Masuda

工芸に感じていた距離感

今やすっかり“工芸の人”だが、意外な経歴もある。工業高校で建築を学んでいた山崎さんは、京都の大学で音楽活動にのめり込み、その延長で大学卒業後は音響エンジニアとして独立。以降、ライブにフェス、展覧会にワークショップと、音楽・アート・カルチャーの領域を縦横無尽に飛び回るように、あらゆるイベントを企画・運営した。そんなジャンルレスな“イベント屋”だった彼でも感じていたのは「工芸には手出せへんな」ということ。

「ある時、伝統産業のリサーチで竹籠を編む職人さんの実演を見て。どのくらいで完成するのか訊くと『3日かかる』と。それを『8000円で売る』と教えてくれました。当時の僕が無知だったこともありますが、正直、そんな商売じゃ経済成り立たへんやん、と思ってしまって。そうした仕事量や金額の裏側にある、ハッキリ見えない部分がややこしそうだし、そのなかに闇深さもありそう……などと思っていました」

転機になったのは、山崎さんと同世代で、当時30代前半だった鏡師(かがみし)の山本晃久さんとの出会い。古来製法による手仕事で、神社の拝殿に据えられ祀られている御神鏡や和鏡・魔鏡と呼ばれる青銅鏡を作る職人だ。

「『職人は技術を手に入れたのなら、その技術を社会に還元しないといけない』と、山本さんは言っていたんです。僕にとっては、彼のように一般の人と同じ感覚で話ができ、かつ現代の社会に開かれている職人がいる、というのが分かって嬉しかった。それですぐに30代前半の若手職人の企画展を何度かやってみました。僕が繋がりのある音楽やアートやデザイン関係の人を呼んでレセプションパーティなどもしたところ、僕の知らないところで職人と異業種の人によるコラボが自然に生まれていたりして、これは面白いなと。今思えば、これが工芸の入り口でした」

伝統工芸を社会に接続させる

山崎さんの手掛ける企画は、工芸をアートやカルチャーや地域コミュニティと掛け合わせることで、工芸の新たな価値を投げかける。しかしながら、数字で見る伝統工芸の業界はかなりシビアなのが現状だ。

「アートとは違い、工芸は放っておいたらなくなるものだと思っています。工芸の衰退は今に始まったことではないんですが、やっぱりコロナの影響は大きく、今年もどんどん廃業が進んでいて。経済産業省が定める伝産法(*)自体も成り立たなくなるのではと言われています」


*伝統的工芸品産業の振興に関する法律。各伝統産業の材料や道具や手法を定めている

伝統産業界では職人の高齢化や若手人材の不足などから技術喪失が進んでおり、近い将来には、まずは道具材料の供給が追いつかなくなると言われている。そうした状況を現場レベルで痛感している山崎さんは、こんなジレンマを抱えている。

「3Dプリンタを活用するとか、工芸に新しい更新があってもいいと思うんです。ただ、仕方がないから、という諦めの上に次の策を講じていくのには違和感がある。ローカルに当たり前に存在していて、ほぼ自然由来でできていて、環境負荷が低く、修理修復が可能で、人より長生きするものづくりである。といった工芸の本質的な価値を現代にフィットさせることはできるはずです。そうしたことを一人ひとりの作り手が考え、地域で何かを起こしていくことが、日本各地で起こるといい。そのためにも、工芸をいかに現代社会に接続させるか、を最近はずっと考えています」

海外に伝統工芸を文化ごと届ける

2023年3月には、京都市内にある複合テナント施設「共創自治区CONCON」内に新たな場を構えた山崎さん。移動の制限がなくなった今、彼の視線は海外に向いている。

「これまでに工芸の仕事でフランス、イタリア、台湾、中国、アメリカなど様々な国を職人さんと一緒に訪れました。最近よく訪ねているアメリカの日本庭園に集まる人たちは日本の伝統工芸のファンなので当然、みなさん喜んでくれるのですが、業界の未来を案じて寄付を申し出てくださる方までいるんです。一方で、そうした現地の熱心な方々のコミュニティ拠点である日本庭園の石灯籠やミュージアムショップの商品が中国製だったりする。こんなに喜んでくれる人がいるならきちんと文化ごと本物を届けなくちゃ、と思いました。2023年8月には仲間と一緒に一般社団法人 Linked Artisanを立ち上げました。そこを介して、今後は海外展開を目指す日本の職人さんの受け皿になっていきます」

©Shingo Yamazaki 

従来の海外展開といえば大規模な展示会に参加するのが主流で、資金的・人的コスト的にもハードルは高かった。そこを、小規模事業者や作り手個人でもできるようにサポートするのが狙いだ。

古くより、土地土地に当たり前に存在してきた工芸。その本質を問いながら、“生きている工芸”を社会に接続させる。世界を舞台にした彼の旅路はまだ始まったばかり。

Photo:町田益宏

DIALOGUE

KYOTO CRAFTS MAGAZINE

京都伝統産業ミュージアム

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