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「お茶は最先端でなくちゃいけない」流派に所属しない茶人の実験的な暮らし【陶々舎】

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京都市北区、茶の湯を確立した桃山時代の茶聖・千利休に縁のある大徳寺のほど近く。立派な日本家屋を前にやや緊張しながら声をかけると、「あ、こんにちは〜」と軽やかな声が返ってきた。出てきたのは、白のTシャツ×ハーフパンツに素足という出で立ちの男性。「陶々舎」(とうとうしゃ)の天江大陸(あまえ だいりく)さんだ。自らを“流派に所属しない茶人”と称し、この家で日常にお茶のある暮らしを実験的に行いながら、現代に合った茶道の在り方を探っている。陶々舎の理念である“茶の湯を解凍する”とはどういうことか? いま世界中で茶道が注目されている理由とは? それらの答えのなかに、最先端のお茶の可能性が見えてきた。

茶の湯を解凍する

和室や着物が減りつつあるなか、茶道をたしなむ人も減っている。ある統計では、2021年の茶道人口は約92万人で、25年間で3分の1ほどになったという。伝統や格式といったイメージが先行し、たとえ興味があってもハードルの高さを感じる人も多い。けれど400年以上つづく茶道の歴史を遡れば、もともとお茶は人びとの日常のなかにあった。千利休の言葉を用いて天江さんは話す。

“茶の湯とはただ湯をわかし茶を立ててのむばかりなることと知るべし(茶の湯というのは、ただお湯を沸かし、お茶をたてて飲むだけだ。それを理解するべき)”

「茶の湯とは、現代風に言えば“お茶する”ことを通して、誰もがその奥深い思想や美学に触れることができるものです。それらはお茶室やお茶会だけで通用する特別なものではなく、むしろ普段の生活全体に関わっています。にも関わらず、伝統や誤解などのバイアスが作用しているために、茶の本場と言われる京都でもお茶人口は減っています。そのような現在の“冷凍状態”にある茶道を解凍するために、2013年に立ち上げたのが陶々舎です」

陶々舎の初期メンバーは天江さん含む3人の茶人。当時全員が20代というタイミングで、この家での共同生活をベースに活動を展開した。そこから10年間で天江さん以外のメンバーは何度か入れ替わり、それぞれの活動幅も広がっているが、茶の湯を解凍するという理念は変わらない。

メンバーそれぞれが通常のお稽古や依頼を受けての茶事を行うのに加えて、ある時にはカスタムした自転車に茶釜や茶道具を載せ鴨川で道ゆく人に振る舞ったこともある。過去には、参加者全員で銭湯に入った後に温泉饅頭とお茶をいただく「茶と湯」や各自好きな本を持ち寄っての「読書茶会」などの茶会を開いたり、無印良品の店舗では無印良品のアイテムを用いた茶の湯のワークショップを行った。企画はどれもユニークで、茶道経験のない人の参加も多いという。

コロナ禍で“日常の儀式”に光

コロナ禍では無数の茶会が中止になり、日々の稽古も感染対策により従来の手法が変更された。そんな折、天江さんはオンライン稽古に注力した。日本はもちろん、アメリカ、カナダ、フランスをはじめ、各国の生徒が毎週のようにオンラインで稽古を受け、海外の生徒においては今も継続中だ。またコロナ収束後には、モントリオールやサンフランシスコに赴き、対面でのワークショップを行った。

そうした海外の生徒の特徴は、若いビジネスマンが多いこと。人工知能開発の最前線をいくOpenAIの社員をはじめ、スタートアップ企業の代表やエンジニアなどの時間的にも精神的にもかなり仕事に打ち込んでいる人が多いという。オンラインをベースにした彼らの仕事量が、コロナ禍で加速したのは明らか。

「コロナ禍で健康意識が高まりましたし、特にストレスの多いビジネスマンではなにかしらの瞑想をやっている方も増えました。そうしたなか、精神的にも身体的にも健康に働きかける最先端のツールとして、お茶への意識が急速に高まっているのです」

ストレス解消やリラックス作用はもちろん、それ以上に彼らが求めているものがあるという。

「茶の湯では、掃除をする、茶碗を清める、料理する、歩く、お茶を飲むといった動作に良いとされる作法があるように、日常的な行為が儀式化されています。それら儀式に沿って身体を動かすことで、人は無心になり没入感を得流ことができる。欧米の先進国では、今では若い世代は教会などの宗教施設に行かないそうです。新たな精神的な拠り所として、そうした日常の儀式、彼らの言葉で言うとRitual(=儀式)、が求められているように感じます」

きっかけは日本の伝統建築

意外にも、茶道とは無縁の家庭で育ったという天江さん。ましてや幼少期から学生時代まで、両親の仕事の都合で外国暮らしが長かった彼にとって、日本文化は遠かった。高校3年に訪れた京都の街並みに惹かれ、建築を学ぶため京都の大学へ進学した。

「初めて伝統的な町家を見学した時、地味でつまらない建築に感じました。ですが目を凝らすと、欄間の彫りや建具の錺金具といった細かな意匠に気付き、心が震えました。ほとんど人目に触れない所にこれほど手をかけるという日本の美意識は、他のどの国でも触れたことがないものでした」

そうした伝統建築への興味を経て天江さんがたどり着いたのが、世界的にも最小建築と言われる茶室だった。その延長で、デンマーク出身の茶道家・ビスゴー宗園氏に師事するように。師のもとで裏千家茶道を学んだのち、独立した。

茶の湯はアバンギャルド

もう一つ、天江さんが惹かれたのが、茶道のこんな気質だと言う。

「アバンギャルドな気質に惹かれます。茶の湯が発展した戦国時代には、戦国大名がプレミアのついた茶道具を競って集め、それらを権力として利用することで、戦を勝ち抜き、政治を動かしました。お茶を利用して、格下の大名が成り上がることも度々あったようです」

桃山時代から江戸時代にかけては、織田信長や豊臣秀吉を筆頭に多くの戦国大名が勢力争いに茶の湯を利用したことはよく知られている。ただ、そうした権力に媚びることなく前例を壊す精神は、現代の茶の湯でも変わらないと天江さんは言う。

「茶道や武道などの道とつく領域で大事にされている、守破離(しゅはり)という言葉があります。修行や道を極めるまでの工程を表す言葉です。『守』は決められた動きをする段階で、そこで学んだ基礎に自分なりの要素を加えていくのが『破』、最後には師の元を離れ独創性を追求する『離』へと至るのです」

茶の湯×リトリートの可能性

茶道の師範でありながら、図面が引け、デザインもする天江さんの活動幅は広がっている。依頼を受け茶室を設計することはこれまでも多かったが、2022年秋には天江さんが定期的に外国人ゲスト向けに野点を行うラグジュアリーホテル「アマン京都」で使う野点用の茶道具のプロデュースも行った。天江さんが京都の若手職人とともに仕上げたこれらは、天然素材を生かしたアノニマスなデザインが特徴。洋室やマンションなどの現代の生活空間にもよく馴染む。

陶々舎は2023年には10周年を迎えた。茶の湯の伝え方をいま一度見直すなかで注目しているのが、世界的にも需要が高まりつつあるリトリートという過ごし方。

「これから世界的にもますます茶の湯の精神が求められると思います。対して今の日本で初心者が茶道に触れられる機会は、数時間で簡単なお点前を習うライトな体験か、もしくは毎週のようにお稽古に通う本格的なプログラムの大体どちらかしかありません。そこで僕たちが考えているのは、お点前からお茶の思想、また茶道具のものづくりの背景までを数週間で学べるリトリート型のプログラム。お茶を軸にしたリトリートなので、終了後も参加者はそこで得たものを日常生活で実践できます」

お茶が日常のものである限り、社会に求められる茶の湯の形が変化していくのは当然のことなのだ。“最先端の茶の湯”の在り方を探る彼らの挑戦は、これからもつづく。

Photo:成田舞

陶々舎

「茶と湯」

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