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老朽化とコロナ禍で明かりが消えた「寝台列車」宿泊者が記した371件のコメントから奇跡の復活劇【秋田県小坂町】

全国各地のふるさと納税を通した取り組みを表彰する「ふるさとチョイスAWARD」。ふるさと納税担当に就任して2年目までの担当者で、これから地域を良くしたいという想いのある方の、「まちへの想い」「未来への決意表明」に関する部門が「チョイスルーキー部門」だ。同部門で大賞を受賞したのが、産業遺産を未来に残す活動に取り組む秋田県小坂町だ。職員の熱意がこもった取り組みへの想いを聞いた。

町の大切な『宝もの』を残し、活用するために

人口5000人弱、青森県との県境に位置する秋田県小坂町。小さな自治体だが、職員の木村卓泰さんが「宝もの」と称する産業遺産がある。そのひとつが「小坂鉄道レールパーク」だ。

もともと小坂町は鉱山の町として栄えた歴史がある。かつてこの地には小坂鉱山が設置した東北最初の私鉄である「小坂鉄道」が走っていた。ただし鉱山の衰退とともに1994年に旅客を廃止、2009年には営業も廃止してしまった。

けれどもこれらの鉄道は、町の貴重な産業遺産だ。ぜひ次世代に受け継ごうと、小坂町では2014年に「小坂鉄道レールパーク」をオープン。2015年10月にはかつて寝台列車として活躍した「ブルートレインあけぼの」を譲り受けて宿泊営業を開始し、町のにぎわいを創出した。

しかし多くの観光施設が同じ道をたどるように、「小坂鉄道レールパーク」の来園者はオープン初年度がピークで、その後は右肩下がりに。ピークには2万人を超えていた入園者数も1万5,000人を割るようになった。

「そこにコロナ禍が起こって、『ブルートレインあけぼの』の宿泊者数が一気にゼロになってしまったんです。さらに車両の傷みも進んでいて、老朽化が激しかった。あの時はまさにダブルパンチでした」と語るのは、同町のふるさと納税の担当である木村卓泰さんだ。

車両の老朽化を食い止め、「ブルートレインあけぼの」の宿泊営業を再開するためには、修繕工事をするしかない。けれどもそれには多額の費用がかかる。そもそも「小坂鉄道レールパーク」は、観光目的でやってくる、いわば「外の人向け」の施設だ。予算をかけるなら、もっと町に暮らす人向けのものの方がいいのではないか……修繕工事に反対する声もあった。

そんな折にふるさと納税の担当者になった木村さん。そして小坂町では修繕費用のためにガバメントクラウドファンディング®を行うことが決定した。「コロナ禍前は、レールパークの入園者数は減っていたとはいえ、『ブルートレインあけぼの』の宿泊者数は2,000人を数えていました。町にとっては貴重なにぎわいであり、経済波及効果もある。何より『小坂鉄道レールパーク』は町の歴史が刻まれた貴重な産業遺産であり、町にとっては大切な『宝もの』であると考えていました」

ただし当時の木村さんはふるさと納税の担当者になって1年目。ガバメントクラウドファンディング®の経験もなければ、鉄道の知識もない。ゼロからのスタートで木村さんが考えた戦略が「想いを知る」、「協力を得る」、「発信をする」の3段階のステップだった。

「想い」を知り、協力をあおぐ

「想いを知る」ために、まずは「ブルートレインあけぼの」の宿泊者が綴った自由帳を開いた。

「宿泊者に書いてもらった『自由帳』へのコメントは4年間で371件を超えていましたが、それをひとつひとつすべて読みました。かつてこの列車に乗ったことがある人も多かったですね。中には子どもと一緒に泊まりに来てくれた人などもいて。本当にいろいろな方の想いが詰まった車両だったことを知りました」

それは木村さん自身の「想い」を再認識する作業でもあった。自身がブルートレインに最初に乗ったのは、修学旅行のとき。「夜に動く電車で寝る」という行為は、何よりもワクワクした思い出として残っているという。

大学時代は「ブルートレインあけぼの」で上京したこともある。中学時代は毎朝教室の窓から、貨物列車を眺めていた。「小坂鉄道レールパーク」に関わることは、木村さんにとって青春の1ページにあった情景を後世に残す活動でもあった。

そこから木村さんは第2段階の「協力を得る」活動に入っていく。車両の整備や企画・運営協力を行う「小坂鉄道保存会」の協力をあおぎ、プロジェクトメンバーになってもらった。昨年まで属していた、施設を管理する立場である小坂町観光産業課や町のふるさと納税を共に運営する事業者の協力もあおいだ。

「協力を得る」と一言でいっても、簡単なことではない。「力を貸してください」と頼める勇気、そして何より木村さんの熱意が周囲を巻き込んでいったことは想像に難くない。

SNSはやりすぎるぐらいがちょうどいい

そんな木村さんの熱意が結実するのが、第3段階のステップ「発信をする」だ。木村さんはクラウドファンディングとSNSの相性は良いと考え、徹底的にSNSを活用することを決めた。

ただし木村さん自身も当初からSNSが得意だったわけではない。そもそも町のSNSは当時、機能していないも同然なもの。どうしたらいいか……。考えあぐねた結論は、先と同様「協力を得ること」、そして「地道に当たること」。

「交通系のYouTuberを始めとするインフルエンサーの方々にメッセージを送りました。もともと車両を修繕するために寄付を募っているのだから、広告料をかけるのは言語道断です。お金は発生しませんが、こちらの想いを丁寧に説明して協力いただける方を募りました」

インフルエンサーへの依頼といえば、いわゆる「案件」と呼ばれる広告料が発生する仕事が少なくない。木村さんの行動は、おそらくSNSマーケティングを知る人からすると地道かつ無鉄砲に見える。けれども小坂鉄道レールパークが持つ価値、そして木村さんの熱意と行動力に賛同する人も現れていく。

その一人が交通系YouTuberのスーツさんだ。スーツさんは2019年に「小坂鉄道レールパーク」を訪れたことがあり、さらには2014年の「ブルートレインあけぼの」の定期列車最終運行にも乗車している。

X(旧Twitter)のフォロワー数25万人超へ彼が町の投稿のリポストを行うと、町としては過去最高の6万超えの閲覧数を記録。インフルエンサーの拡散力を借りることで、クラウドファンディングは認知拡大につながった。

「SNSはやりすぎるぐらいでちょうどいいと思っています。発信してもその時間にSNSを閲覧していない人もいるし、投稿自体が流れていってしまうわけですから。クラウドファンディングの期間中はとにかく想いを伝えたいと、『数打てば当たるはず』と願いながらSNSを投稿していました」

そのほかにもあらゆるツールを駆使した。先の小坂鉄道保存会にFacebookで投稿をシェアしてもらった上で丁寧に発信をしてもらったり、プレスリリースを発信したり、観光担当時代に立ち上げた地元コミュニティFMの番組で告知をしたり。「後になってあれをすればよかったと後悔したくなかったので、とにかくやれることはすべてやりました」

その結果、クラウドファンディングは締め切り1カ月を前に目標額を達成、最終的には173.6%もの達成率になった。この資金で「ブルートレインあけぼの」の塗装工事が無事行われ、2024年のゴールデンウィークには営業を再開。さらには同じく老朽化が進む「キハ2100形」の復活に向けて今後も活動を進めていくという。

外に出たからこそ創りたい、ふるさとの未来

もともと小坂町で生まれ育った木村さん。ただし多くの同級生同様、進学を機に上京し、そのまましばらくふるさとに戻ることはなかった。小坂町も他の自治体同様、過疎化という大きな課題を抱えている。

木村さんが東京に出たあとに就職したのは旅行会社だった。各地へ人を送る業務に携わり、自身も広い世界を知ったことで、ふるさとに対する見方が変わったという。

「十和田湖といえば青森県のイメージかもしれませんが、小坂町も十和田湖と隣接しています。小坂町側はありのままの自然が残っていて、神秘的な雰囲気もあります。さらに鉱山の町として栄えた産業遺産もあり、それを誇りに思っている人々がいます」

ガバメントクラウドファンディング®が大きく成功したことにより、地元の人々にも改めて、「小坂鉄道レールパーク」、そして小坂町が持つ魅力を認識してもらえたと木村さんは感じている。だからこそ今後は地元の人と外から来る人が交われるような企画も行いたいと抱負を語る。

「産業遺産は町の宝ものです。人口は減っていくかもしれませんが、外の方を迎え入れ、そして関係人口を増やしていきたい。今回のふるさと納税をきっかけに、さらに新しい挑戦をしていきたいです」

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