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「男鹿を日本のブルゴーニュに」酒を造りに若者が集まる、国内唯一の日本酒特区へ【稲とアガベ】

秋田県男鹿市、日本海にぴょこっと飛び出した男鹿半島。有名なのは「悪い子はいねえが」のナマハゲ、その半島の南側に伸びる男鹿線の終点、男鹿駅の旧駅舎を使った醸造所『稲とアガベ』が発足したのは2021年。代表の岡住修兵さんが掲げてきた目標は、法規制により70年近くにわたり新規参入の認められていない清酒製造免許の新規発行、そして男鹿に雇用を創り続けること。

発起人として昨年7社共同で立ち上げたクラフトサケブリュワリー協会による「日本酒のようで日本酒でない、クラフトサケというシーンの盛り上がり」……それらは、日本酒という伝統の閉じた業界と、この男鹿のシャッター街のシャッターを揺るがし、開いていけるのか。発足から2年、その歩み続ける事業の速度と目標への道程を聞いた。

クラフトサケの市場と男鹿の街はより大きく、稲とアガベは小さくやりたい

「まず、ジャンルを作ったことが大事でした。クラフトサケは日本酒ではないんですよ、ってところから、免許も違いますよ、新規の参入もできませんよ、って毎回説明しないと伝えられない。これってしんどいなと。それに、商売が成り立たない。だから作りました」。稲とアガベ代表の岡住修兵さんは駅舎の名残ある醸造所内を見渡しながら、話し始めた。

2022年夏、ここ男鹿駅前にクラフトサケ醸造所7社が結集したクラフトサケブリュワリー協会のお披露目イベント「猩猩宴(しょうじょうえん)」を開催し、2日間で4000人以上の客を呼び込んだ。

その名付けの効果は大きく、それまで検索をしてもそれぞれの醸造所の名前止まりだったものがクラフトサケの言葉で繋がり、シーンとして動き始める。名称は当初は自分たち発信ではなく、メディアなどが使い始めていた呼び名を使い「クラフトサケブリュワリー協会」としたが当初は反発もあった。

「クラフトサケ、って何番煎じやねんと。でも仕方ないんです、クラフトって言葉が強すぎて。キャッチーで、ポップで、なんとなく印象も伝わる新しさも小規模ってのも伝わるし。それでようやく批判よりも認知がされ受け入れられてきたなという中で、クラフトサケのスタンダードを作らなければいけない段階がきたんです。クラフトサケってこういうものだって、文化的背景も含めて示していく必要がある。僕、クラフトサケブリュワリー協会の会長なんで」

クラフトサケは「日本酒の製造技術をベースとして米を原料としながら日本酒では法的に採用できないプロセスで作る、またはフルーツやハーブなどの副原料を入れて新しい味わいを作る自由で新しいジャンルの酒」と定義された。

醸造所の名前にある「アガベ」は、テキーラの原料。添加するアガベシロップは酵母が食べてしまうのでほぼ日本酒の味わいになる。

稲とアガベが最初の年に仕込んだ“クラフトサケ”はアガベシロップを添加したフラッグシップ「稲とアガベ」、そしてホップを使った「CRAFT稲とホップ01」。ホップを使用した理由はホップの近縁種のカラハナソウを使ってどぶろくを作っていたという事例が東北地方にあったから。“なんでもあり。ルールなし、自由”な、ものづくりには深みが出ないという考えからだった。そして「稲とホップ」は、その年で1番の話題になる。味わいも良く、何よりクラフトビールファンを筆頭とした日本酒に馴染みのなかった人や店にも注目され、市場を広げていった実感があった。

「僕たちって日本酒業界の一番端っこくらいにいました。市場も日本酒の人たちが生きてきたところで、ちょろっと棚を借してもらって生きていたんですよ。そんなことをやっていても、日本酒のためになっていないし、酒の市場は開かないんです。チャネルもプロダクトも含めて、今まで日本酒を扱っていなかった店や、飲んでいなかった層にちゃんと届けるようなプロダクトを作る必要がありました」

左から「稲とアガベOGAラベル」、「稲とコウジ」、「doburoku」。「稲とコウジ」は米麹と水だけで仕込む甘みと酸味の豊かさが特徴。白麹を使用し酸味を効かせた「doburoku」は熟成もできるアルコール高めの作りで、米粒感の少ない飲み心地が好評。

岡住さんは稲とアガベという醸造所自体を大きく広げたいとは考えていないという。WHOや欧米の複数の研究所が10年ほど前から、アルコールの生活や健康への影響について警鐘を鳴らし、今やお酒をこれほど日常的に飲む日本は少数派。世界のスタンダードはいずれ日本のスタンダードになる。そして人口減少、頑張っても酒の消費量は減る。そういった未来の予想の中でも、お酒を作り続けるための方法を岡住さんは考える。

「それでも飲まれるお酒を作りたい、それでも残っていく酒にしたいっていう自分の思いもあるけれど。ずっと先、自分が死んだ後にどう残せるかなんです。僕の代でどんどんでっかくしても、僕は情熱があるから誰よりも頑張れる。けれども、僕の跡を継いだ人が、僕ほど情熱を持ってやり遂げられるかわからないですよね。会社の規模がでっかくなると大変で、人も売り先もたくさん必要です。少量しか作らず、1人、2人でも酒が作れる状態であれば細々と生き残れるかもしれません」

稲とアガベの醸造所としての規模感はミニマムかもしれない。けれどそこを起点として数多くの手札を作り続け、男鹿船川地区に人を呼び込んでいく。「人生の目標は死ぬまでにこの場所に、1人でも雇用を生むこと」それが岡住さんに酒で生きていくことを決めさせ、その全てを教えてくれた秋田への恩返しであり、数値的な目標はこれだけだと言い切る。

男鹿の街の、閉まったシャッターをひとつずつ開けていく

岡住さんは「お酒は地域メディア」だと考えている。男鹿という土地の名刺がわりに世界に飛び立っていく土地の酒。フランスに行ったことない人たちがボルドーやブルゴーニュという地名を知ってるように、酒は地域の名前と風土を背負って遠く人々に渡り、時にその土地の名前を目指して人々を連れてくる。

お酒は人を動かす。そのパワーを使って、男鹿に人を呼び雇用を生む。稲とアガベの直営レストランのおかげで県外からも人は来るようになった。しかし来てもらっても現在の駅前は閉じたシャッターだらけ、一年半前までは、ほぼ全てシャッターが降りていたという船川地区のシャッターをひとつひとつ開けていく。お酒を認知させ、美味しいものを作ることでそれをやり遂げたいという夢を岡住さんは描いている。

「お酒でやりたいって言うのは作り手としてのエゴでしかないです。究極、酒でなくてもいいんですよ。僕はお酒作りを学んできたし好きなだけでもお酒には人を呼ぶ力がある。その理由はわからないけど(笑)。事実として酒は“間”を取り持つし、その関係をより豊かにします。地域と世界、人と人を繋ぐ。その延長で地域と地域や、地域と人を繋ぐかもしれない。お酒はメディアで、媒介するもの。お酒を通して人を呼び込み、それに対してコンテンツを作っていくというイメージです」

男鹿地区だけで販売された「稲とアガベOGAラベル」。クラシックとモダン、新旧入り混じるデザインボトルで、今後男鹿地区での自然栽培米だけを使用した限定酒になる予定。

日本で新しい酒を作りたいから男鹿にくる。「日本酒特区」を目指して

清酒製造免許の新規発行ができないため、日本酒の醸造所を新規に作ることが実質不可能であるという問題を、「クラフトサケ」という存在から知った人も多いだろう。「既存の蔵を潰さない、守るため」というが、例えば大きな資本が免許を持つ蔵を買収すれば参入はできる。さまざまな議論があるが、岡住さんの考えはこうだ。

「なぜ法律を変えたいかというとムカつくからです、その法律が(笑)。条件は厳しくても情熱がある若者のチャレンジを受け入れられる業界であってほしい。僕がただ日本酒を作りたいなら、どこかを買収すればいいんです。でも法律を変えていかないと日本酒が廃れていくでしょう。法律を変えられる、その力を持てる人間になりたいと思っていました」

2021年に輸出用清酒免許の規制緩和があり、輸出専用であれば新規で免許取得が可能になった。しかし、その際の日本酒業界の反応は厳しいものだったという。だからこそ、岡住さんは諦めない。

「新規の参入は、日本酒業界を乱したいわけでも壊したいわけでもなく、後進に対して道を開きたいという思いがあるだけ。いたずらに参入できるような緩和はせず、ハードルもきちんと設ける。日本酒業界と共存した上で日本酒の市場を伸ばし、あるいは地方創生につながる。そういう基準の緩和を目指したいんです」

「思いをちゃんと伝えたら、わからないような業界でも世の中でもないと思っています。実はすでに具体的に話が進んでいるんですよ、本家本元の法律を変えるのはハードルが高いので『特区』という形で。いわゆるどぶろく特区の構造改革特区じゃなくて、国家戦略特区での規制緩和をやろうとしています」

実は現在、男鹿市には一軒も日本酒の酒造が無い。その中で、稲とアガベと自治体がタッグを組み、今年2月に内閣府に特区案を提出した。この結果を受けて秋田の酒造組合との調整ができたならば、男鹿市は日本酒特区として日本で唯一、清酒製造免許の新規発行が可能な地域になる。

「それで“男鹿っていう土地でなら日本酒が作れる”状況を作れるんです。そうすれば日本中から日本酒を作りたい人が男鹿に集まってくる。僕らが酒の作り方や、空き家を斡旋し、資金調達をサポートしていけば、この街のシャッターの降りた空き家の一軒一軒が、ちっちゃい酒の醸造所になる。それが5軒10軒と集積して行って、30年もたてば男鹿の街が新興の人たちの酒蔵が育ってできた、唯一無二の日本酒の街になる。……それが文化として根づけば、100年先200年先にも稲とアガベの醸造所がこの街に残ってくれるかもしれない。免許に期待しているのはそういう未来です」

秋田県は人口減少率が全国で最も大きい状態が既に10年続いている。中でも男鹿は生産年齢人口が最も少なく、60代でも若手という状況だ。その中でまず蒸溜所のある船川地区から人を集め、街を再起動する試みだ。2023年は4月に雑貨小売店を、8月に飲食店を開店し、その後には簡易宿泊所のオープンを予定している。

「今は目に見える手の届く範囲ですが、一軒のシャッターを開ける速度を、街がなくなってしまうより早くしないといけない。もし同じことをやるのに15年かかったなら、その時に子どもたちは街に残ってくれるのか。高齢者の皆さんは元気で暮らし続けているのか、それを考えています」

酒の街・男鹿という未来を引き寄せるため、岡住さんは次の一軒のシャッターを開いていく。

稲とアガベ

Photo:菅野証(SHO SUGANO/PHOTOX) 

※記事【醸造所とレストラン、ラーメン店、農地。男鹿の街に「あたりまえ」を取り戻す】はこちら

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