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「一風堂」もラーメン監修でエール。酒、レストランで男鹿に「あたりまえ」を取り戻す【サナブリ】

秋田駅から男鹿線で約1時間、終点の男鹿駅の駅前船川地区はいわゆる「シャッター街」だった。2年前の2021年、旧駅舎の建築を使ったクラフトサケ『稲とアガベ』醸造所と併設するレストラン『土と風』の“点”がまずできた。今年2023年4月、酒粕の発酵マヨネーズを作り販売する 『SANABURI FACTORY』開店で“線”ができた。そして8月に男鹿の食材を使ったラーメン店が開店、さらに、レストランで使う野菜や酒の原料になる自然栽培の酒米を作る農業と農地の拡大、そして……。

いくつもの線が面になり、男鹿の街が立体的に立ち上がっていく予感の風が吹く。その発信地である稲とアガベ代表の岡住修兵さんのまわりには、少しずつ人が集まってきていた。その中の一人であるレストラン『土と風』のホールと農業担当を兼任する保坂君夏さん、そして岡住さん、それぞれに抱く男鹿の未来への思いを聞いた。

※岡住修兵さんの記事【男鹿を国内唯一の日本酒特区へ「酒は、地域の名刺でメディア」】はこちら

男鹿の農地を耕し、『土と風』で男鹿の恵みをサーブする

稲とアガベ醸造所に併設する形のレストラン『土と風』。昼は酒の有料試飲と軽食、夜は8名限定の完全予約制レストランとして稲とアガベの酒をペアリングしたメニューを供し、全国からここでの食事を目指してお客がくる。そのレストランでのサービスと、稲とアガベの農業担当を兼任する保坂君夏(ほさかきみか)さん。レストランで使う野菜のほか、稲とアガベの酒米も作っている。

「稲とアガベ」代表岡住修兵さん(写真左)、『土と風』のサービスと農業担当の保坂君夏さん

「大学3年の時に農業の現場を知るために休学し、農業を始めました。当時は片道1時間かけての通いでしたが、そのころから男鹿で農業の現場をよく見てきました。耕作放棄地で農業を始めたんですが、今は引退する高齢の農家さんから田んぼを引き継ぐ形で広げて、うちの酒米も作っていける広さになってきました」

いい農業政策を作っても使い手がいないなら、いち農家として生きる

秋田市の高校時代、植物の研究で論文発表までした保坂さん。

その興味と経験を活かし、大学では秋田県の基幹産業である農業を学ぼうと思った。東京の大学と県内との選択肢があったが、地元の強みを知らないまま出ていくことに違和感を感じ、秋田で進学をする。

農業の政策立案が専攻だったが(アグリビジネス学科政策・経営マネジメント)、現場を知らずに効果のある政策はできないと考え、休学し農家として男鹿で畑を耕し始めた。

「男鹿で農業を始めてみて、そもそも政策を作っても農業従事者が減少しているので、政策の対象者がいなくなってきていることを知りました。実際に手を動かす農家さんがいなければ政策を厚くしても意味がない。だから自分は一集落の農家として、まずは知り合いやお客さんの店で欲しいものを聞いて作るという形で農作物を作り始めました。なので男鹿には21歳から通っていて、稲とアガベができた後に完全に移り住みました。レストランができる前から土地の人間関係が作れていたことが、レストランにも農業担当としてもすごく生きました」

「稲とアガベ」に『土と風』オープン当時からアルバイトとして手伝っていた保坂さんは、ついに正社員になる道を選ぶ。

「パートーナーとの結婚を考え始め、収入を安定させるために、代表の岡住に正社員として雇ってくださいとお願いしました。無事結婚したのは岡住さんのおかげです」

この先の目標は男鹿に一軒家を買って腰を落ち着けることだという保坂さんがジョインしたのはそれだけの理由ではない。入社に際し、稲とアガベの酒米を作るという新たな仕事も引き受けた。

「今の田んぼだと、うちの蔵のタンク1〜2本分の収量になる予定です。これまでも能代の安井さんや大潟村の石山さんなど自然栽培米を作っている方からの仕入れで作っていましたが、今後は男鹿で作る自然栽培の酒米でもお酒を作れるようになります」

農地を広げていく必要はあるが、耕作放棄地や高齢で田んぼを手放す世代が増えている今、むしろ現状の農地を減らさないためにその受け皿になるというニーズがある。実際の農作業には醸造所の蔵人やシェフが一緒に入ったりしながら、安定した形を探っているところだ。同世代の人が少なかった男鹿に、仲間の若い人が増えてきているのが嬉しいという保坂さん。また、自分の手を動かしている場所から成果までの距離の近さも魅力だ。

「うちのお酒は自然栽培米を使っています、そしてお米はほとんど削っていません。作り手としてはすごくありがたいですね。お米を大切に扱ってくれて丁寧にお酒にしてくれるっていうのは恵まれている。シェフとタネ選びをして、一緒に農作業に入ったりもしますし。2時間前に収穫した野菜をすぐ調理してもらえるとか。生産者と消費者の距離がめちゃめちゃ近いですし、それはテーブルを通してお客さんに感じてもらえていると思います」

『土と風』シェフのサトウショウタさん(写真左)

実際に、ディナーのメニューの中には保坂さんの野菜が多く使われて、シェフのサトウショウタさんも、畑から知っている野菜や米のことを細やかに説明をしながら提供してくれる。そんな恵まれた環境に感謝をしていると保坂さんは言う。

「自分の作ったコメの酒と野菜の料理が並ぶ時がいずれ来る、そんなこと実現できるところなんて日本国内を見てもそんなないでしょう。それを強みにしたいし、ここにある意味や色を押し出していきたいと思っています。それが魅力になってもっと人がきて、街が潤っていく。僕の仕事がそのパーツになるというのが稲とアガベで見たい風景ではあります」

この街から失われた“当たり前の存在”を、ひとつずつ取り戻す

今年8月、男鹿駅前に1軒のラーメン店が開店した。

男鹿塩ラーメン『おがや』を仕掛けたのは、「稲とアガベ」代表の岡住さんだ。さらに、「稲とアガベ」はこの店のために、このラーメンに合う「ラーメン専用稲とアガベ」という、特別な酒も作っていた。

これには、「『酒は地域のメディアで名刺』であると同時に『酒と同じくらい、国民食のラーメンも地域の名刺になる』」という岡住さんの考えがあるという。確かに、日本各地に有名なラーメン屋やラーメン文化はあり、全国からわざわざ旅をして、行列してでも山奥でも客が押しかけるのは事実だ。

もうひとつの理由は地域からのニーズだ。2022年に男鹿駅前広場オープンのイベントにてラーメンを出したところ、列は途切れることなく売り切れるまで人が並んだ。予想以上だった、と岡住さんは言う。

「翌日に家から出たら、近所の人に捕まって『お前んところの酒はむっちゃ高いから興味なかったけれど、ラーメンが美味しかった。ラーメン屋いつやるんだ』とか、お母さんたちも、みんなが声をかけてくれるんですよね。もちろん以前は、この街にもラーメン屋があったわけです。当たり前にあった存在が失われている。その当たり前の存在を僕たちの手でちゃんと取り戻す、というのもモチベーションのひとつです。

もうひとつは極めて個人的な理由で。うちは3歳の息子がいるんですが、彼が成長して反抗期になったとき、こんなラーメン屋もない街に生みやがって!…って言われたくないんでラーメン屋を作りたかったんです(苦笑)」

ラーメンで新しい人流と、地域をつくる。一風堂からのエールで最高の一杯に

ラーメンであれば、これまでのお酒のファンとはまた違う人たちが男鹿を目指してきてくれる。家族でラーメン食べに行こう、とやってきて、お酒を買って帰るということもできる。酒ありきでは足を運べなかった層を連れて来られる。

スープは男鹿の名水・滝の頭の湧水。 諸井醸造のしょっつると男鹿の塩。お麩が乗っているのは秋田のラーメンに多いスタイル(写真提供=稲とアガベ)

そのレシピの監修をしたのは大手ラーメンチェーンの一風堂(株式会社力の源ホールディングス)だ。ラーメンを通して地域創生を応援するというプロジェクトの第一弾ということで、レシピの監修やアドバイスで見守ってくれる存在だという。

『おがや』は、醸造所の向かいにある。売り切れ仕舞いで昼過ぎには完売というほどオープンからの人気は上々、岡住さんも時々店頭に立って皿洗いをしながらお客さんの笑顔を確認している。

目指したのは、なに屋かわからないけど立ち寄りたくなる物販店

『おがや』に先んじて2023年4月から、酒の製造過程で出る酒粕を発酵させて作る発酵マヨネーズの販売をメインにした物販店『SANABURI FACTORY』が、駅前からひとブロック先にオープンしている。

こちらも岡住さんが手掛けたお店。東北では田植え終わりの祭りの名(さなぶり=早苗饗)、リノベーションをした素朴なファサードにかかる暖簾の紋は、祭りで神様に捧げる御幣がモチーフだ。

工場の入口が販売所になっていて、自社のマヨネーズとお酒、オリジナルの酒器やグッズを販売。その他にお箸や靴下、文具などもあり、セレクトショップのようだ。

岡住さんは、物販店をつくったのもまた、まちに人を集めるためだと話す。

「お店にしたのは、加工所だけあってもまちが賑わないからです。覗けるお店が増えたほうが嬉しいじゃないですか。東京みたいにコンセプチュアルな店は必要とされないです。東京は差別化しないと生き残れませんが、ここにはそもそも店がないのに、そこでフルオーガニックで、純国産材で、サステナブル。それでデザインが尖って、高額な製品を並べたとしても…誰も喜ばないですよね。セレクトの基準は、地元の人がちょっとしたプレゼントに買いにとか、日用品にも使える、ちょっといいもの置いて。この店ができてよかったわ、って月に一度くらい、お散歩がてらに寄ってくれるお店が理想です」

最初に醸造所とレストランを作った時の反省も生かしている。

「地元の人たちが、私たちはお客さんじゃないよね、となってしまったんです。この地区の象徴ともいえる、男鹿駅の旧駅舎を使わせてもらっているのに」。そんな気持ちが残っていると岡住さんは話す。とはいえ尖ったものを作らないと、男鹿の外から、酒の世界の外から見つけてもらえない。注目を集めないと外の人が来てくれない。だから、次は地元と外がうまくつながるお店を目指した。

男鹿や秋田産品にこだわらず、県内外のちょっといいものを揃えたのにも理由があった。

「例えば秋田のもので統一した方が“ぽい”じゃないですか。でも、案外誰にも刺さらないんです。あの店は何って言われて、なんなんだろね、でも良いよねってフワッとした感じがいい。秋田のお土産買って帰ろうって人は道の駅に行くし。お客さんをいっぱい呼び込んで、仕入れてきた商品を売って成り立たせる店じゃないんですよ。加工品を作っているその脇で、ちょっとした物を売ってそれで成り立つ感じの場所ですね」

採用基準は「ウチで働いて、今より幸せになる人」

まちに賑わいを生み出すためにさまざまな仕掛けをつくり続ける岡住さんの元には、多くの人が集まってくる。しかし、お店を開くために人を雇うという訳でもないのだという。

今は正社員が15名、男鹿出身者より、秋田県や他県の都市からの移住者がほとんどだ。移住をしたいというより、稲とアガベで働きたいから男鹿にきたというメンバーばかり。その中で、お酒であったりお店であったりと一緒に男鹿で新しいものをひとつずつ作りながら仲間をつくってきた。

『SANABURI FACTORY』で出迎えてくれた齋藤梨奈さん。1週間前に男鹿に引っ越してきたばかり、秋田出身でお酒が好き、稲とアガベのお酒と出会って一緒に働きたいと思ったと笑顔で話してくれた

「採用基準は、まずはニコニコできるかどうか、僕ができないんで(笑)。基本的に代表の僕がやりたいことを一緒に実現していく。その先を見据えた時に、この人はうちの会社に来たら、今よりも幸せになるなっていうのが採用基準です」

男鹿で普通に暮らす人たちの雇用を生む。生活や人生が豊かになる人を、ひとりずつ、淡々と増やしていくために、稲とアガベの仲間たちは進んでいく。「その先に世界があって、もし世界に出ないと実現しないことなら出るかもしれない」と、少し強い目をして笑う岡住さんは続けてこう話す。

「地元のおじいちゃんとかおばあちゃん雇って、この仕事のおかげで孫にプレゼント買えたよ、って言ってもらえたら、僕がいる意味があるかな。次に作る工場や施設は、地元のおばあちゃんとかいっぱい雇用できるといいなとか。まあ今時点、立ち上げ期は多少チャレンジ精神のある人が集まってくるものなんでまた違うかもですが。次どういう人たちを雇おうって、そういう夢を見ていますね」

その採用基準は、決してゆるいわけじゃない。いつも強い風が吹く、冬の寒さやアクセスの難しさなど、この土地の試練にも負けず根を張り、さらに豊かに暮らしていくことを目指し続ける。それを覚悟とかではなく「男鹿に住むこと」として受け入れる岡住さんたち、彼らのような人であることかもしれない。

稲とアガベ

Photo::菅野証 Sho SUGANO

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