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過去15年で人口半減した家島の案内人「離島での挑戦が日本の先行事例に」【いえしまコンシェルジュ】

人口減少と高齢化の波は留まることなく、好むと好まざるとにかかわらず日本はその先駆者となっている。離島はその最たる例だ。島民たちは地域の新たな活路を模索し、あるいは複雑な事情を抱えながら本土へ渡る人もいる。日本の有人島は400島ほどあるが、家島という離島をご存じだろうか。兵庫県の姫路港から定期船で30分、瀬戸内海に浮かぶ島である。10年前に家島に移住し、島の案内人「いえしまコンシェルジュ」として、観光ガイドや地場産品の開発、また宿泊施設を立ち上げるなど、幅広く活動する中西和也さんにお話しを伺った。

不思議な島に魅せられて

正直なところ、兵庫県民でさえ知らない人もいる。家島諸島はそんな無名の島だ。大小44の島からなり、有人島は家島本島、坊瀬島、男鹿島、西島の4島。家島本島には約2,000人ほどの島民が住む。

本島には、幼稚園から小・中学校、高校まであり、島外から通う生徒もいる。毎年、秋に行われる合同運動会は運動部の代表生徒と保護者代表チームのリレー対抗は、最高の盛り上がりをみせる。

行事も盛んで、さくらまつり、家島天神祭、ぼうぜペーロンフェスタ、オープンウォータースイミング大会、家島秋祭り、節分豆まきなど一年を通して様々だ。夏の盆祭りは3日間あり、仮装して踊る夜の仮装大会もユニーク。

島民は、播州弁と呼ばれる関西圏でもディープな方言を操り、島民同士の会話は聞き取れないことも。

漁業はもちろん、砕石・海運業(ガット船と呼ばれる運搬船で各地に石材を運ぶ)で栄え、関西国際空港や中部空港、六甲アイランド、また阪神淡路大震災の復旧工事にも家島の石材が使用された。

そんな家島に魅せられたのが、11年前に大阪から移住した中西さんだ。

「家島って不思議な魅力があるんですね。でも、他所からはその良さがわかりにくいかもしれません」

魅力のほとんどは島民の生活と密接に関わっているため、誰かに説明してもらわなければわからない。その役目を中西さんが一手に担ってきた。

10年前は無鉄砲な若者だった

中西さんは熊本の大学で建築を学び、土木施工管理会社や都市計画系のシンクタンクで働いてきた。建築に携わる一方で、湧き上がる疑問があった。人口減少が進む日本で新しい建物をつくり続けることの意義はなんだろうか、と。

ちょうどその頃、家島ではコミュニティデザイン第一人者の山崎亮氏とその学生たちがまちづくりの活動をしていたという。彼らの協力もあって、島の主婦たちが立ち上がり、島の活性化をめざした「NPO法人いえしま」を設立。特産品「のりっこ」の開発など、様々なプロジェクトを行ってきた。中西さんは、その中のひとつだった、観光コーディネーターを養成する「いえしまコンシェルジュ」講座に、参加することになった。

「シンクタンクで楽しく働いていたのですが、ネットでNPO法人いえしまが主催したプロジェクトを知り、導かれるように応募しました」

メンバーは10名ほどいたというが、若い参加者たちには「地元にゲストハウスをオープンさせたい」といった確固とした目標があった。シンクタンクという風上ではなく、まちづくりの現場でこそ先行事例をつくることができるのでは、と考えるようになった。島の人たちと仲良くなり「なかちゃん」と親しまれるようになったことも大きな移住への後押しになった。

こうして中西さんは移住を決意し、2011年にいえしまコンシュルジュとして、本格的に活動をスタートする。

「今思えば思い切ったことをしました。無鉄砲な若者でした。でも助けてくれる人たちがいたので失敗を恐れず移住できました」

昔ながらの郷土の味。都会的な新しい味

移住後、中西さんは島のまちあるきツアーを企画し、来島する観光客のガイドをはじめた。そんな折、ツアーに参加したお客さんからご近所や会社の同僚に配りやすい土産はないかと聞かれることがあったという。佃煮や味海苔といった商品はあったが、小分けされた土産物はなかった。

そこで家島の塩を使った「家島せんべちゃん」という塩クリームせんべいをつくり、販売することにした。中西さんが企画から行った初めて商品だったが、評判は上々。

次は家島の魚を使って土産物をつくりたいと動き出した。しかし漁獲量が安定しないと商品化は難しい。そこで牡蠣に目をつけ、出来たのが「牡蠣ごはんの素」だ。家島で愛用されている富士大醤油を使い、島ならではの味を追求。行政のBtoBマッチングサイトを利用し、いい製造会社にも巡り合えた。島の主婦たちにも味見をお願いしながら、調整し、旨味たっぷりの納得のいく商品ができた。

一方、島特有の料理だけでなく、都会的な商品づくりにもチャレンジしたいと、おおぶりの牡蠣を使ったアヒージョの缶詰を開発。人気のお土産のひとつとなっている。

また「家島せんべちゃん」でも使用されている家島の天然塩は、漁師だった中川さんが塩づくりを学びに五島列島まで足を運んだ後、帰島して製造をはじめたそうだ。五島列島と家島では海の環境が違うので、より長く薪をくべ、じっくり炊き上げているという。ミネラルが豊富の甘味がある大粒の塩で、姫路の洋菓子店や神戸の料亭、東京のレストランなどでも使用されているそうだ。

「牡蠣ごはんの素とアヒージョの缶詰、天然塩は姫路のふるさと納税でも取り扱っていただいていますし、羽田空港や百貨店でも販売していただいており、多くのお店と取引きできるまでに成長しました」

念願だった一棟貸しゲストハウスも

中西さんの活動は、ガイドや名産の商品化だけではない。2018年にはカフェを、22年にはゲストハウスの立ち上げを行った。

「海のみえるカフェ スコット」は家島の玄関口、真浦港のすぐ前にオープン。21年には専属のシェフを雇うまでになった。メニューは旬の魚をふんだんに使った海鮮丼、姫路の日本酒に瀬戸内海をイメージしたクラフトビールなどがおすすめなのだそう。

22年には、ゲストハウス「家島ハレテラス」をオープン。カフェ横の階段を上がった見晴らしのいい古民家をリノベーションしたゲストハウスだ。

「移住当初から空き家を利用した宿泊施設の立ち上げを目標にやってきました。宿泊施設の条件が厳しく、簡単ではありませんでしたが、たくさんの方の協力があって実現することができました」

その他にも「家島空き家対策協議会」を立ち上げ、島の空き家と移住者のマッチングサービスも行っているという。

「無鉄砲な若者だった僕も、この10年間でいろんなことができるようになりました」

中西さん個人としても、単身家島に渡ってきたが、ご結婚され、今では二児の父親でもある。休みの日には、子どもたちを連れ、家島の湾を一望できる清水公園へ遊びにいくのが楽しみだという。仕事だけでなく、プライベートも充実している様子が伝わってきた。

かつて移住者だった自分と重ねて

過去15年間で約5割もの人口が減少し、島民の約半数が65歳以上の家島本島は、既に日本の未来の問題に直面しているといえるだろう。

「既に人口減少、高齢化の進む家島でまちづくりに取り組み、結果を残すことが、今後の日本の先行事例になると考え、挑戦してきました」

これまでの活動が実を結び、少しずつではあるが移住者が増えてきたという。

「これまで、いろんな方々の支えがあって島の案内人を続けることができました。これからの10年では、かつての自分のように、家島でチャレンジしたいという人たちを支える人になれるよう活動していきたいですね」

人口減少・少子高齢化をチャンスととらえ、地方でまちづくりを行う人の覚悟によって、日本の持続可能性は保たれるのかもしれない。

 

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