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消滅可能性都市で古着店「遠くても足を運びたくなる店づくり」【ichiru】

鎌倉、葉山など、さわやかな海の町が名を連ねる三浦半島。最南端に位置するのが三浦市だ。神奈川県で市として唯一「消滅可能性都市」に指定されているが、中心地の三崎はかつて“まぐろバブル”といわれるほど栄えた場所。寂れたレトロな街並みと、東京から1時間半ほどというアクセスの良さから、今も観光地として人気。三崎港や商店街の付近には、週末多くの観光客が訪れている。

商店街を抜け、人通りが少なくなった坂道の途中に、土日だけ開く店がある。ジャパンメイド&レディース専門の古着屋「ichiru」だ。以前は都内で古着屋を経営していた店主の佐々木拓馬さん。人口の少ない田舎町に身を移し、自らのスタイルを貫きながら商売をすることに不安はなかったのだろうか。彼が理想とする、資本主義を抜けた「少なく、より良い商売」に迫る。

ダサいと言われ続けた日々、古着への目覚め

佐々木さんの生まれは北海道。両親の離婚を機に、横浜へ引越したのが小学校1年生の時だ。

「母親は働いていたので、ずっと独りで家にいました。貧乏でテレビもないしゲームも買ってもらえない。暮らしていた団地でやっと友だちができたと思った頃に引越しとなり、さらに暗く、陰にこもっていきました。決して明るいとはいえない子供時代でしたね」

高校生になりアルバイトをしようと試みるも、24回連続で面接に落とされた。そのくらい、人と話すのが苦手だったという。

働きぐちは見つからなかったが周囲には恵まれ、バンドをしている友人たちと音楽にのめり込む日々。独り静かに過ごした幼少期から、音楽好きの青年へ。少しずつ世界が拓けていった。

卒業後は美大に進学したいと、親を説得した佐々木さん。

「学費は自分で出すから、予備校のお金だけは出してと頼んでいたんです。それが、直前になってやっぱり出せないと言われてしまって。結局美大進学は叶わず、おまけにいろんな家庭事情が重なって『家を出てひとりで暮らしてくれ』と言われてしまうんですよ。18歳から、まさかの野宿生活が始まりました」

職探しに励んでいたところ、偶然再会した友人が勤める美容室で住み込みで働くことに。ここでの出会いが佐々木さんを洋服の世界へ導いてくれた。

「女性美容師の先輩から、毎日のように『佐々木はダサい』って言われ続けていました。当時パンクが好きだったんですけど、かっこいいパンクの世界は知っていても、自分でどう表現したらいいかわからなかったんです。それが、ある時その先輩がくれた細身のパンツを履いてみたら『似合う、いいじゃん』って言われて。細身のパンツと自分が好きなパンクが結びついて腑に落ちたというか、悪くないかもって初めて思えたんです」

ダサいといわれること、貧乏で細身だったことがコンプレックスで、同じ洋服でも自分が着るとかっこよくならないと思っていた。“あなたに似合う”と初めて褒められたことは、とにかく嬉しい出来事だった。

その後、洋服屋をはじめ、いくつかのアルバイトを掛け持ち。20代前半はフリーターとして生活を送っていた。

「ある時友人とバンドを始めることになるんですが、メンバーの弟に古着屋で働いているやつがいたんです。猛アタックして、古着の歴史や古着屋のセオリーを教えてもらいました。彼が古着屋で独立したときも手伝わせてもらって、仕入れも、ふだんの営業のことも、ひと通り学びましたね」

この頃から具体的に“自分の古着屋オープン”をイメージし始めたという。元々、誰かのもとで勤めるより自分で仕事をするほうが向いていると思っていたが、独立したい気持ちが膨らんでいった。

「それから洋服屋や他のアルバイトでお金を貯めて、27歳の時、貯金と融資を元手に自分の店をオープンしました。高円寺のメイン通りにある家賃28万円の物件でした」

決して恵まれていたとはいえない青年は、見事20代で自分の城を持ったのだった。

4年間で学んだ、脱資本主義の経営

1店舗目の古着屋「vivid」をオープンし、淡々と営業に勤しむ日々。自由に好きな仕事ができる喜びは大きかった。

「お客さんもたくさん来てくれて、順調なスタートだったと思います。ただ、大量に仕入れて、商品を出しては売れてまた出しての繰り返し。そのやり方に、わりと初期段階から疑問を抱いていたんです」

立地もあり、訪れる人の多くは新規客。思うようにリピーターは増えず、名前と顔が一致しない人たちが洋服を買っていく毎日で、これだと自分がやる意味がないと感じていた。

「お客さまとvividの真ん中にあるニーズをずっと考えてました。自分が好きで、かつ得意で他の人がやっていないことはなんだろう、とも。デザイナーのディーター・ラムスの『より少なく、しかしより良く』という言葉があるんですが、その言葉が好きで。資本主義のもとでお金のために商売をすることや、人と勝負することを避けようと思ったんです」

思考し続け、行き着いたのがジャパンメイドのレディース古着。

古着業界において、日本製古着の評価は低い。10年ほど前である当時は、今よりさらに低評価だったという。しかし探してみると面白い生地やテキスタイルがたくさんある。世の中に対してやる意味を感じた。

そこから、佐々木さんは日本のカルチャーをとことん掘り下げていく。

音楽、映画、建築、デザイン……。トレンチコートが第1次世界大戦時に生まれたように、あらゆる歴史やカルチャーは古着に繋がっている。日本人が作ってきた作品や文化を知れば知るほど好きになり、その熱量は、店の個性に繋がっていった。

「やってみて楽しくなければやり方を戻せばいい、くらいに思ってましたが、やり方を変えてみたら、明らかにお店に来る人が変わったんです。店に好きな人ばかりが集まるようになったし、ちゃんとうちを選んで何度も来てくれる人たちがお客さんになってくれて」

方向転換したのはオープンから半年経った頃。高い価格の商品も売れるようになり、平均客単価も上がった。このままいけば5年後には楽に運営ができそうだと、長期計画を立てて営業を続けていた。

しかし、最初は順調に思えたが、在庫確保の問題や家賃の高さなど、資金繰りが思うようにいかなくなる。

子どもができたタイミングもあり、やむなく閉店を決意。開業から4年が経った31歳の頃だった。

取材当日、昔から通い続けているという横須賀の古道具屋「もの屋」へ連れて行ってくれた。

もの屋の店主・高橋さんもvivid時代のお客さん。「vividのショップカードまだ持ってるよ」と取り出す高橋さんに、佐々木さんはとても嬉しそうだった。

2店舗目は、長く続けられる居心地のいい場所に

「三浦に移ってからも、ずっと次の店のことを考えていました。やると決めていたから、仕入れも続けてましたね」

奥さんの実家がある三浦に拠点を移し、農家やトラックの運転手として働きながら借金を返す日々。それでも、仕入れを止めることはなかった。

「思想家の吉本隆明さんが、なにかで良い事務所の条件を語っていたんですよ。『日当たりがよくて、近くに気軽に入れる喫茶店やおいしいご飯屋さんがある、素朴な場所がいい』って。その通りだなと思って。下見がてら、景色や雰囲気のいい三崎に行ってみたのが最初でした」

人口の少なさなど、ローカルならではの課題はあるが、場所としてのポテンシャルを感じたという。

「鎌倉や横須賀も見に行ったけれど、予算が合わなかったり、場所として魅力を感じられなかったりして。三崎はなにより、自分が気持ちよく過ごせそうだなって思ったんです。家がある三浦海岸からもバイクで15分ほどで、便もいいですし」

そして2019年の12月。2店舗目となる『ichiru』をオープン。現在、営業を始めて2年と半年の月日が経った。

「正直、はじめは誰も来ないだろう、と思っていたんです。それが、驚くほど来てくれて。vivid時代のお客さん、そのお客さんの紹介、近所の人、SNS、それぞれ同じくらいの比率で来店してくださっています。ただ、商売的には損益分岐点あたりを行ったり来たりしているので、もう少し現状を分析しないと、と思っています」

お店のニーズがどこにあるのか、SNSでの発信など、集客に関して試行錯誤をする日々。売上の数字には捉われず、とにかくできることをやってみているという。

それも、平日のトラック運転手を続けているからこそできること。他に収入源があれば、目先の売上を優先してやり方がブレることも、思い詰めてしまうこともない。自分のやりたいことを妥協せず、トライ&エラーができるのだ。

個人こそ社会、ローカルこそがグローバル

大都会かつ古着の町といわれる高円寺から、都心から距離があって人口は少なく、若者向けの洋服屋や娯楽が少ない三浦へ。

市場としてあまりにも違うこの地で商売をすることに、不安はなかったのだろうか。

「高円寺で店をやっていたときも『メイン通りに店を構えなくても人は来るんじゃないか?』と常々思っていました。場所がいいと人は来るけれど、家賃も高く、結局お金のために働くことになってしまう。それより、場所が悪くても通ってもらえるような店を作ることこそ商売だなと感じるんです」

1店舗目でうまくリピーターをつけられなかったこと。ジャパンメイドのレディースに絞ったら風向きが変わったこと。自分の興味を掘り下げていくことで、どんどん好きなお客さんが集まり、商品が売れるようになったこと。

大事なのは立地条件じゃないことは、とうに体感していた。

条件がいいとはいえない場所で、自分を貫きニッチな商売をやることを、佐々木さんは楽しんでいた。

「どんなことも、その人にとって本当に腑に落ちていること=個人的なことって面白いと思うんです。個人的なことが種となって花が咲いて、人が集まり、いろんな人に広がっていく。ツイッターとかを見ていても、サービスは世界規模のものでどこまでも広がっていくけれど、つぶやき自体はとても個人的なこと。場所も同じで、ローカルこそがグローバルなんじゃないかと常々思います」

商売の難しさは、都会も田舎も同じ。

「今はオンラインショップやホームページを少しずつ準備しています。そのあたりが整ってきたら、スタイリストへの衣装提供なども始めたいですね。最終的には洋服も作りますし、人が集まれるような企画や場所づくりをしていきたいと思っています」

その場所でしかできないことよりも、自分にしかできないことを。佐々木さんとichiruの今後が楽しみだ。

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