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茅ヶ崎は海だけ、なんかじゃない。湘南に唯一残る酒蔵6代目が酒米プロジェクトに向き合う理由【熊澤酒造】

JR東海道線の茅ヶ崎駅から単線のローカル線・相模線に乗り換えて2駅目の香川駅。そこから5分ほど歩くと、住宅地の中に突如、爽やかな緑のアーチのアプローチが現れる。そこを抜けると、中央にメタセコイヤの大木が枝葉を広げる広場があり、周囲には日本酒とビールの醸造所、ベーカリー、和食・洋食のレストラン、カフェ、ギャラリーなどの建物が並んでいる。

ビーチやサザンオールスターズといった海の湘南・茅ヶ崎のイメージとはまた違った、のどかな住宅街と緑の風景が広がる、山側の地域。ここで明治5年(1872年)から日本酒を造り続けている熊澤酒造は、湘南に唯一残る酒蔵だ。水田風景と蔵元の文化を守るために活動を続ける6代目・熊澤茂吉さんに話を伺った。

地域に水田を残したい。酒米プロジェクトの始動

「ここ、香川という集落は、古代から昭和40年くらいまではずっと水田地帯だったんです。このあたりは地下水が豊富で、谷間があって、非常に稲作に向いている場所でした」

昭和22年に上空から撮られたという写真を指し示して、熊澤さんが言う。

弥生時代からの水田地帯だったこの地域だが、国道が整備され、高度経済成長期を経て土地開発が進む中で、土地は買い占められ、田んぼはどんどん消えていった。

昭和22年に熊澤酒造上空から撮られた写真(写真提供=熊澤酒造)

「ずっと田んぼしかなかった場所なのに、たった40年くらいの間にがらっと風景が変わってしまった。そのことに気がついて、今から10年前、熊澤酒造140周年のときに、地元のお米でもう一度お酒を造れないかとチャレンジしたんです」

周囲の田んぼでは食用米しか栽培されていなかったため、純米酒や吟醸酒はできず、そのときはどぶろくを造った。その後、酒米を作ってくれる農家も見つかったが、地域には兼業農家が多く、酒米にまで手を回せる人はなかなかおらず、生産量は増えなかった。

また、周囲には耕作放棄地となった田んぼが広がっていた。そこで熊澤酒造は、自ら田んぼで酒米を作る「酒米プロジェクト」を始動する。

「僕らが耕作放棄地を譲り受けて、酒米を作る田んぼにする。そうすれば水田の風景が守れるし、周辺の農家の人たちも賛同してくれるんじゃないかとやり始めて、今年で4年目ですね。協力農家さんもだんだん増えてきました」

1年目に一反(300坪)の田んぼから始まったこのプロジェクトは、4年目の現在、自社の田んぼを3.5町歩(1万坪以上)ほど有するまでに。それに地域の協力農家の田んぼ8.5町歩を加えて、同社の日本酒全生産量の約4割を、地元産の米で賄えるようになった。地元・茅ヶ崎だけではなく、寒川、藤沢、そして藤沢に近接した横浜のエリアにも、同プロジェクトの田んぼが広がっている。

酒米プロジェクトは10年計画。熊澤酒造が目指すのは、酒造りに使用するすべての米を地元産で賄うこと。米の生産量が増えたら、精米工場や米庫が必要となる。これまでの4年は単に田んぼを増やすだけだったが、これからはさらに設備を整えていく計画だという。

「地元で採れた米だけで酒を造ろうとしている蔵は、全国でまだ数えるほどしかない。それくらいハードルが高いことなんです。地元産の米だけでやっていると非常に効率が悪いものですから。米を作る農家、精米して加工する業者がいて、酒蔵はそれを買って醸造するところ、というように、分離することで生産量を伸ばしてきた。それをかつてのように戻そうとしているのですから、簡単なことではありません」

地域交流の場としての酒蔵の姿を取り戻す

あたりが水田地帯だった時代は、地元の米で造った酒を売る蔵元が当たり前のように多数あった。ピーク時には、神奈川県内に1070軒(明治時代)もの蔵元が存在していたという。県内に限らず日本中、どこでも歩いて行ける範囲に酒蔵があり、量り売りで酒が売られていた。しかし流通網が発達すると、だんだんとその数も減っていった。

「昔は、どこの地域の人たちも徳利を持って地域の酒蔵にお酒を買いに行き、そこにみんなが集まって、祭事があったり、いろんな展開があったりした。蔵元は、お酒を通じて人が集う場所だったんですね。僕はその時代の話をよく祖母から聞いていましたが、昭和の初期あたりまではそういう文化が続いていたそうです。酒米プロジェクトもそうですが、今の熊澤酒造敷地内の雰囲気も含め、この40年くらいの間に失われてしまったもの、つまり『本来の酒蔵の姿』を取り戻す、という取り組みを続けています」

常に人々で賑わう熊澤酒造。それもそのはず、敷地内にあるのは、日本酒やビールの醸造所だけではない。

敷地内のベーカリーでは、湘南ビールを使用したパンなどを販売している

古くからの蔵を利用したベーカリーには焼きたてのパンの数々が並ぶ。水の代わりにここで造られるビールを使用したパンや、自家製の酒粕を使った商品も人気だ。古民家を移築して改装したというカフェも併設されている。

移築した古民家を利用したトラットリア。連日多くの人で賑わう

酒蔵のビールや酒を料理とともに味わえるトラットリアや和食料理店は、連日行列もできる盛況ぶりだ。ここでライブが開かれることもある。また、倉庫を改造したギャラリーには、陶器や木工品など、湘南地域の作家の作品が展示・販売されていて、こちらも人々で賑わっている。

広場で開かれるグリーンマーケットには、無農薬野菜を育てる農家が曜日ごとに日替わりで出店する。農家さんごとにファンのお客さんが付いているのだとか。

こうした日々の集客のほかにも、農家やものづくり職人のマーケット「くまざわ市」や、かつて酒蔵で行われていた祭事・甑倒し(こしきだおし)をイメージした蔵開きのお祭り「酒蔵フェスト」、ビールの祭典「オクトーバーフェスト」といった大きなイベントも定期的に開かれている。とても開放的な雰囲気に満ちた空間なのだ。

ビールや日本酒の醸造担当者、パン職人、レストランやカフェの料理人、サービススタッフなど、それぞれの仕事をこなす多くのスタッフがいて、皆で熊澤酒造という“場”を盛り上げているという空気を感じる。訪れる客の目的も様々。各店舗を利用する人のほかにも、スケッチをしに来る人もいるという。単なる酒造メーカーではなく、常に人々が行き来し、集う、地域の交流の場としての蔵元の姿がここにある。

6代目熊澤茂吉としての酒造り

今でこそこのような盛況を呈する熊澤酒造だが、ここに至るまでの道程は決して平坦なものではなかった。

蔵元で生まれた熊澤さんにとって、家のそばで日本酒が造られているのが幼い頃からの日常の風景だった。家業を継ぐつもりはなかったが、それはあたりまえのようにずっと続いていくものだと思っていた。しかし大学卒業後にアメリカ留学している最中の1994年、実家から熊澤酒造廃業の危機だという連絡を受ける。帰国して、6代目として家業を継ぐことを決めた。その時、熊澤さんは24歳。

「若ければ若いほどハードルは低いんで、面白そうじゃん、って思ったんですね。当時は若かったんで、リスクはまったく考えなかったです。経験もないものですから」

主力の商品のラベルを変えたり営業先を変えたりしてみたが、売れない状況は変わらなかった。

「安酒と思われてしまっているお酒をいくら売り込みに行ってもダメだったんです。一度ついってしまったイメージはなかなか消えない。全く違う銘柄の酒を、当時の業界で通用するクオリティで新たに造らないと、このままではダメだと。そこで、新しいお酒を造ることにしたんです」

それまでは長年、新潟からの出稼ぎ杜氏が熊澤酒造のお酒を造っていた。しかし、地元に住む人間が、地元の食文化を理解した上で、それにふさわしい酒を造る方が正しいのではないかと思い至り、地元の社員が酒を造る方針に切り替えることにした。

そして2001年、満を持して、蔵元を代表する新しい日本酒「天青」の販売を開始した。

ただ、販路はなくなってしまっていたので、新しい販売先を探すところから始まった。最初は4店舗での販売から始まったが、口コミや地道な活動で、取り扱ってくれる酒店を20年かけて徐々に増やしていったという。

また、杜氏を育てて納得できる日本酒を造りあげるまでの間、会社を維持するために、クラフトビール造りを始めた。熊澤さんが家業を継いで2年後、「湘南ビール」の販売がスタート。今でこそいたるところで造られているクラフトビールだが、当時は熊澤酒造が県内で最も醸造開始が早かったという。

現在、通年商品の4種はもちろん、地元・茅ヶ崎の生姜や大磯町のみかん、小田原市のレモンなど、神奈川県産の季節の農作物を使った「ローカルプロダクトシリーズ」のビールも好評だ。

受け継がれる未来へのバトン

「造り酒屋は皆そうだと思うんですが、バトンを受け継いでいるんです。だから、次にバトンを渡す、という発想になるんですね。できるだけいい環境で渡したいけれど、僕が次に渡すとき、儲かっている会社に成長させていることができても、そのときに地域に田んぼがなかったらどうだろうと考えた。造り酒屋だけ繁栄していても、周囲に田んぼがない状態って、根っこのない木みたいなもので、非常に脆弱というか、存在する価値はあるんだろうか、と」

フランスの素晴らしいワイナリーの周りには素晴らしい葡萄畑があるように、酒蔵の周りには美しい田園風景が広がっていてほしい。フランスでワイナリーが担っている役割を、日本では酒蔵が請け負える可能性があるのではないか、と熊澤さんは考えている。

「僕らが一つのモデルケースとして、湘南でそれを実現できたらと思っているんです。湘南地域に水田を残していく、これが、湘南に唯一残された酒蔵の使命なんじゃないかな、と。酒蔵がある地域には田んぼが残る。それが全国に広がっていけば、酒蔵がある地域は、日本の食文化である稲作の文化が守られる、ということになるのでは、と期待しています」

地域文化の中心地として、人々が集い、何かを生み出す磁場を持った場所でありたい。そう願う熊澤酒造の社是は、「よっぱらいは日本を豊かにする」。田んぼの広がるのどかな風景と、それを守り育てる蔵元。その蔵元には、笑顔でお酒を楽しむ人々が集う。日本各地にそんな風景が広がっていく、豊かな未来を想像してみる。湘南の、ひいては日本の田園風景を守るためのバトンが、この先もずっと受け継がれていくことを願わずにいられない。

熊澤酒造

Photo:一井りょう

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