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「覚悟を決めた子と楽しくやる」開業20年・カフェのこれから【カフェ 太陽ノ塔】

大阪市北区、中崎町。古い民家を生かした個性豊かな店が立ち並ぶ、若者に人気のエリアだ。中崎町がまだ静かだった頃、いち早くカフェをオープンし、中崎町カルチャーの火付け役となったのが人気カフェ「太陽ノ塔」。現在はカフェや洋菓子店を含む7店舗を展開し、20名を超える女性社員とアルバイトが在籍する。

代表取締役の広畑典子さんが開業したのは24歳の頃。経営のかたわら結婚・出産、現在3児の母でもある。「仕事も家庭も全力で楽しみたいから独立した」と話す彼女は、どのように経営と向き合ってきたのだろうか。開業から20年の歩み、一番の経営課題、コロナ禍がもたらした新しいステージなどを伺った。変化の多い女性が、より自分らしく生きるヒントになれば幸いだ。

全力で働きたいし、結婚も育児もしたい

「私仕事大好きなんですけど、仕事だけで生きる人にはなりたくなかった」

大阪を代表するといっても過言ではない『カフェ太陽ノ塔』。1号店のオープンから20年が経った今も、多くの雑誌やメディアに取り上げられている。代表の広畑さんは神戸市で生まれ育った生粋の関西人。痛快な関西弁とストレートな物言いが魅力だ。

「大学生の頃から、仕事と育児の両立について考えてました。自分が仕事できるって勘違いしていたので、どこか企業に勤めて役職就いたときに産休育休って煙たがられるやろうなって思って(笑)。当時は今以上に、育休から帰ってきて管理職に戻るとかが難しい時代でしたからね。そんな妄想と勘違いから、自分でビジネスするしかないなと思って、開業の道を選びました」

「大学卒業してからしばらくは、『自分の店はどんな風にしよう?』と考えながらカフェやレストランでアルバイトしながらお金を貯めてました。当時は4〜5時間しか寝てなかったんですけど、何もかもが勉強になるから楽しかった。アホみたいに働いたらお金って貯まるんですよ」

自力でお金を貯め、いざ、夢のカフェオープンへ。中心地・梅田と中崎町のあいだに位置する茶屋町で物件を探すも、若くて実績のない女の子に貸してくれる不動産屋はなかったという。

「当時は都会じゃないと集客できないって思ってたんですよね。茶屋町に出店することは叶わなかったけれど、不動産屋に中崎町なら貸せる物件あるよって言われて、中崎町に。当時は全然カフェなんてない静かな町だったけれど、梅田からも歩けるし、探さないと見つからない小さい店にわざわざ来てくれた、っていう喜びは大きかったです」

2002年8月に晴れて1号店『cafe 太陽ノ塔』を開業。直後、共同経営者との解消や、家主の倒産による立ち退きなどトラブルは続くも、コツコツと店舗運営を続けていった。

女性に理解がないのも女性?経営課題は常に「人」

出店から7年が経った2009年4月、2店舗目『cafe太陽ノ塔 GREEN WEST店』をオープン。その後、中崎町・梅田・堀江など大阪の中心エリアに続々と出店を続けていく。

「店舗展開はあまり考えてなかったんですけど、出会いや縁の力は信じていて。だから、良い物件と出会ったら出店するって感じでしたね。何よりスタッフの給与も上げたかったですし。ただ、規模を大きくするなかで考えが違う人が増えてきたり、スタッフ同士噛み合わない問題が出てきたんですよね。これはやりたいことじゃないなって気づいてからは、縮小に持っていきました」

常に頭を悩ませてきたのが社員のこと。ほとんどが女性社員(現在は全員が女性)で、それぞれのライフステージ、理想の働きかた、暮らしがある。

「社員のなかで、結婚する子、出産したけれどバリバリ働きたい子、いろいろ出てくるじゃないですか。男性社員で『なんで女性社員の尻拭いをしないといけないのか』と言ってる子がいるのは知ってたんですけど、どこかで女性は理解してくれると思ってたんですよね。でも、店舗や役職者、人数が増えると徐々に不満が出てきてしまって、女性を理解しないのも女性なんやって気付きましたね」

就業時間、給与、役職、将来の漠然とした不安。いろんな問題が絡み合う。悩みや不満をぶつけてくる子、陰で漏らしている子、いろんな社員と向き合ってきた。

「経営者は産休育休がないから、実質うちの会社で初めて制度を使ったのが現在のマネージャー。すでに会社としては6店舗くらいの規模で、複数店舗見てくれてました。自分は社長やからみんな言わないけれど、『17時で帰れてずるい』とか『また子どもが熱出した』とかね。真っ先に矢が立って大変ななか、頑張ってくれてたなと思います」

個人の主張を変えることはできない。会社としてのスタンスを伝え、理解してくれる子、互いに助け合える子と、今一緒に働いているという。

経営はお金さえあればできるが、人の問題はどうにもならない。

「でも人と働くのが好きなんですよ。この子はこっちのほうが適正あるなとか、自分が言ったことで良い方向に変わってくれたりとか、そういうことにやりがいを感じていますし。よく経営者は孤独って言いますけど、私はそう感じません。仲間がいなかったら、こんな店舗展開もしてなかったですしね。一人が嫌いなのもあるけれど、みんなでやるって楽しいです」

悩みの種である以上に、頑張れる理由も『人』なのだ。

新しいステージへ。カフェからメーカーをめざす

あらゆる危機を乗り越えてきたところ、次にやってきたのがコロナウイルス騒動。

「全店休業になって、みんなでワイワイ商品開発したりしてましたけど、これが続いたらほんまに潰れるって感じでしたね」

だが結果的に、コロナ禍は会社を大きく前進させてくれることになった。

「休業期間、これまでやってこなかったこと全部やろう!と、TwitterとかFacebookも動かし始めたんですよ。あるときTwitterにあげたクッキー缶がバズったんです。スタッフが『めっちゃぴこぴこ通知来てますけどー!』って(笑)。その日だけで何百万を売り上げたんですけど…… これはカフェではできないことなんですよね」

焼き菓子やギフト用のケーキなど、これまでもオンラインショップでの販売はしていたが、大きな売上はなく、経営においても重要視していなかったという。

「飲食店ってそもそも天井が見えてるんです。店舗を増やしたり、スタッフ増やしたりしても、売上の天井は上がるけれど取れる利益の%は変わらない。人件費と原価率を削るにもどうしても限界があるから、その範囲での給料構成にしかできなかったんです。でも製造は『物』が動くので、また違う世界でした。これはもう、会社の仕組みがガラッと変わった瞬間でしたね」

Twitterでの一件以降、以前は借りれなかった高架下の物件から連絡があったり、お取り寄せ需要の後押しもあって台湾のvogueに取り上げられたり。阪神百貨店への出店依頼も舞い込んできたという。

「経営で唯一大事にしてることは『媚びを売らないこと』。なので基本は自分からお願いしますって言いたくないんです。百貨店から依頼があった時、そのスタンスで接していたら逆に馬が合って、良い関係が築けました。今は製造を強化して、カフェからメーカーを目指しはじめた感じ。設備投資したり、製造環境を整えたりで今はまだ経費も多いし、助成金の返済も残ってますけど、次のステージが見えてきた感覚です」

製造部門を強化することは、課題である人材不足・定着の問題にも良い作用があったそうだ。

「製造って、急にスタッフが休んでも次の日に取り返せるんですよ。カフェはどうしても無理ですけど。だから、製造スタッフは主婦のかたも多く働いてくれていますね。みんな楽しそうにケーキやクッキーを作って働いてくれてて、それが何より嬉しいです」

「大阪といえば『551』ですから、551さんみたいになりたいとずっと言ってきました。でも、中崎町はインバウンドの効果で外国人も多いし、徐々に海外も意識するようになってきて。いっそのこと日本を代表できるようになりたいなと思って、今ピンコイ(台湾発・アジア最大級のグローバル通販サイト)に出店してみたりもしてます」

まさに“ピンチをチャンスに変える”そのもの。信念を曲げず、失敗を恐れず、常にやりながら考える。実直にやっていれば運も味方してくれるのだ。

わがままに求めていい、けれど覚悟を持つのは自分

「初めは、自ら動く子だけでなく、どうやったら全員に楽しんで働いてもらえるかを考えてやっていました。でもだんだん、自ら楽しんでほしいと思うようになっていきましたね。『楽しみたいけれどどうしたらいいかわからない!』って人には、いくらでも案が出せるけれど、『仕事って楽しいんですかね?』って初めから斜めに構えてる子には『楽しくないならやめたら?』ってなりますよね。歳を重ねれば重ねるほど、自分もシンプルになってきました」

これは大きな選択においても同じ。

「別に結婚と仕事の両立が大事とか言いたいわけじゃないんです。個人の覚悟の問題で、仕事がやりたいのか?好きなのか?それに尽きます。仕事も全力でやるって決めたなら、あとはどうやって楽しく生きるか、どうやって二刀流でいくかを考えればいい」

多くの女性にとって、仕事と家庭のバランスは永遠の議題。将来の姿を想定して不安になったり、スキルを備えたりと、悩む人も多いだろう。

「実際社員に不安を相談されることも多いですが、私は正直、『仕事も楽しむ』と覚悟を決めた子の相談にしか乗れないんです。その代わり仕事も家庭も両方やるって決めた子にはいくらでも提案できる。週3でも週4でもいいし、1日6時間でも7時間でもいい。家庭と仕事って両方求めていいし、私もそうだから、そんな気持ちのある子と働きたいです。何にしても、まずは自分で選択すること。自分で覚悟を決めることだと思います」

「忙しい時は週に2回くらいUber Eats頼んで、『先にUberが家に着くから受け取っておいて』と子どもに電話したりしてます(笑)。それに、出産してから10年くらいは脳の機能低下してる感覚がありました。『あと10年経ったら完全復活やねん』とか言いながらやる日々でしたよ」

両立は決して楽ではない。けれど、楽しむ覚悟さえすれば楽しめるのかもしれない。

「私は、仕事も家庭もどっちもないとダメなタイプだから、そういう意味で両立したいと思ったんです。育児してたら仕事って楽やなーと思うし、仕事が大変なときは、子どものかわいい寝顔に癒される。どちらかが救ってくれるから、二択じゃなくていいんですよね」

もっと自由に求めていいし、人や会社にも頼ればいい。社会の大多数意見に飲まれたり、世間の常識や目にひよったりしなくていい。結局は自分がどうしたいのか、自分で決めること。そう背中を押された気がした。

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