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鉄フライパンを6万個以上売り上げた〝小さな町工場の復活劇〟【藤田金属】

数々のメディアで取り上げられ、販売累計6万個以上の大ヒットを記録している鉄フライパンがある。

スライドで簡単に着脱できる木製ハンドルと、外周にある幅広いリム(ふち)が特徴の『フライパン ジュウ』。鍋としても皿としても使える利便性とデザイン性の高さが話題となり、SNSから人気に火がついた。

作っているのは大阪府八尾市にある小さな町工場、藤田金属だ。

従業員19名の規模ながら、多くの大手企業やブランドとのコラボを次々に展開。新商品を続々生み出しているが、これまで幾度か倒産の危機もあったという。

ここに至るまでの道のり、復活劇とはどんなものだったのか。

4代目社長・藤田盛一郎さんにお話を伺った。

赤字続きの経営からの脱却

ものづくりの町、大阪府八尾市。

その工場地帯の一角に、カフェと見間違えるような外観の建物がある。

ここが、1951年の創業以来フライパンをはじめ、鍋やヤカンなどの金属製品を作り続けている藤田金属の工場兼ショールームだ。

4代目・現社長を含む3兄弟を中心に、商品企画から金型製造、加工や溶接、梱包から販売まで、全工程を一貫して行っている。

町工場のイメージを大きく覆す建物は、旧工場を全面改装したものだ。

ショールームと直販ショップを新設し、2020年に竣工した。『フライパン ジュウ』が大ヒットしたこともあって、今では近隣の人だけでなく地方からもたくさんの客が訪れる。

しかし、ここに至るまでは決して順風満帆ではなかったという。

「1番大変だったのは2011年頃ですね。毎月赤字続きで、倒産寸前でした」と藤田社長は笑う。

当時は主に、量販店やホームセンターに卸すアルミ鍋や急須などを製造していた同社。しかし、量販店の価格競争は加熱するばかりで利幅は少なく、また、新商品を出しても数ヶ月後には類似品が出回る業界の不毛さにずっと危機感を感じていた。売れど作れど、売上げに繋がらない。このままではもう会社が危ないという状況で、最初に救いとなったのは“アルミ製タンブラー”だった。

「タンブラーというもの自体、まだ市場に出回っていない頃でした。熱伝導率の高さを生かしたアルミ製タンブラーは冷たい飲み物をより冷たく感じることができ、ビールやチューハイを飲むのに最適だとお酒好きの人たちの間で話題になったんです」

アルミ製タンブラーは売り上げも上々。傾いていた会社に利益をもたらしてくれた。

またその頃には、客からの要望で鉄フライパンの製造にも着手していた。時代はフッ素樹脂(テフロン)加工されたフライパンが主流だったが、鉄フライパンの良さが見直され始めた頃でもあった。

「鉄は耐熱性に優れていて高温調理が可能。食材を入れても温度が下がりにくいので、野菜などの水分を逃がすことなく素早く加熱することができます。また、鉄は丈夫で傷にも強く、油をなじませながら手入れして使えば半永久的に使えるというメリットがある。鉄フライパンには、“自分だけの一生モノ”として育てる楽しみがあるんです」

そういった点から一定数の需要があることは肌で感じていたが、主流ではない鉄フライパンは量販店にはなかなか置いてもらえない。

「タンブラーの売上げに支えられているうちに、鉄フライパンの販売法を考えなければと必死でした」

そして藤田さんは、新しい販路を求めて東京のギフトショー(大型展示会)への出展を決意。“製造”には自信があったが、これまで“新規営業”というものに重きを置いてこなかった地方の町工場にとっては大きな挑戦だった。

商品に合った販路の開拓とブランディング

ギフトショーには、タンブラーと急須と鉄フライパンの3商品で挑んだ。

「これまでは決まった得意先を周るルート営業がメインだったので、ギフトショーでどんな反応が貰えるのかは未知数でした。華やかな商品が並ぶ中で、地味なタンブラーや鉄フライパンがどれだけ勝負できるのか、一種の賭けのような挑戦だったんです」

しかし蓋を開けてみると、3×3m程度の小さなスペースにたくさんの客が立ち寄ってくれた。

「ギフトカタログを扱う数社からお声掛けいただき、鉄フライパンの新規取引がその場で複数決まりました。自分では買わないが貰えると嬉しい、一度は使ってみたいという鉄フライパンのイメージがギフトにちょうどハマったようです。それからどんどん注文が入るようになり、カタログの契約も増え、売上げもかなり伸びました」

藤田さんはこのことをきっかけに、商品に適した販路を見つけることの重要性を痛感したという。

「いつ契約を切られるか分からず、一方的に価格競争に巻き込まれる量販店に商品を100個置いてもらうよりも、うちの商品の良さを本当に分かってくれる店に1つ置いてもらおう。そして、そんな店を100店舗見つけることを目指そう。それが、会社のブランディングにも繋がると考えるようになりました」

藤田金属だからこそ作れる商品を追求し、売り方にこだわる。そう決めた藤田さんの次の目標は“商品価値を守ることができる”販売サービスの開発だった。

価格を守るため、オリジナリティにこだわる

「その頃は商品をいろんなECサイトで展開していたのですが、値崩れがひどく、価格の下げ合いのような状況でした」

価格競争のループから抜け出すには、オリジナリティを持ったオンリーワンの商品を生み出すことが大事だと考えた藤田さんが悩みに悩んで開発したのが、フライパンのカスタマイズサービス『フライパン物語』だ。

フライパンの素材やサイズ、表面加工、持ち手やカラーなどを選び、自由に組み合わせられるシステムは画期的で、あっという間に評判になった。

こういったサービスは手間やコストがかかり、大きな工場などでは断られることも多い。藤田金属でも最初は職人からの反発があった。

「注文が入るたび、『1つずつ違うものを作っていられるか』と職人には怒られていました(笑)。セミオーダーシステムは本当に大変。ただ、これができるのは加工から仕上げまで一貫生産でやっている藤田金属の強みでもある。そこに需要があると確信していました」

個人からの注文だけでなく、まとまった数の注文を取る必要性を感じた藤田さんは、法人営業にも注力。その結果、テレビショッピングで紹介されたり大手食品メーカーの景品に採用されたりと、徐々に認知が拡大していった。そうして、個人だけではなく法人からも数百単位の注文が相次ぐようになったという。

「どんな注文でもなるべく断らないというのがモットーでした。大変だからと断るのは簡単ですが、そうするともう二度と声が掛からないかもしれない。僕はいつも、とりあえずやってみます!と返事をするようにしています」

そうやって生まれた出会いが次の出会いを呼び、東京のデザイン会社TENTとのコラボ商品『フライパン ジュウ』に繋がっていく。

確かな技術力にプラスされたデザインの力

「東京のデザイン会社・TENTさんとのコラボのきっかけは、両社をよく知る知り合いの社長に“2人が組んだら絶対面白いものが出来るからやってみて!”と声を掛けてもらったことでした」

『フライパン物語』というサービスが普及し、一定の売上げが見込めるようになっていた2017年頃。藤田さんは次のステージに向けて、デザインに力を入れた新商品の開発を企てていた。

冒頭の声掛けは、タッグを組むデザイナーを探していた藤田さんにとっては渡りに舟。「失敗してもいいからチャレンジしてみよう」。フライパン物語のヒットで出た利益をすべて注ぎ込み、藤田さんは新商品の開発に着手した。

デザイン会社にオーダーしたのは「取っ手が取れる鉄フライパン」という1点だけ。形状やコンセプトは全てデザイナーに一任した。その後、デザイン会社から提案されてきたのは、シンプルな鉄のお皿。

「びっくりしました。いや僕お皿は頼んでないですよって言ったら、3Dプリンタでつくった取っ手が出てきたんです。これをつけたらお皿がフライパンになりますと言われた瞬間、めちゃめちゃおもろいやん!やる!と即決しました」

「“つくる”と“たべる”を1つにする」というコンセプトと、鍋のイメージとはかけ離れた形状に「これがデザインの力か」と藤田さんは感動したという。

そこから、細かい商品開発に要した月日は約2年。皿の部分は、藤田金属が長年培ったノウハウを用いることですぐにデザインを形にできたが、問題は持ち手の部分。皿の重みに耐えられ、着脱しやすく、かつ意匠性のあるもの……デザインと構造の狭間で試行錯誤をくり返し、数多くの試作を重ねた。

そうして、ようやく納得いくものが完成したのが2019年。

満を持しての発売にあたって、支払ったPR費用は外部用プレスリリース1回分の3万円のみ。それでも国内外からいろんなメディアの取材や問い合わせが相次ぎ、初回ロットの300個は即完売した。

異業種とのコラボで認知の拡大へ

「現時点で、累計販売数は6万個を超えました」と藤田さん。

藤田金属の看板商品として売れ続けているフライパン ジュウは、2021年、世界三大デザイン賞の一つ「iFデザイン賞」と「レッド・ドット・デザイン賞」を獲得した。

現在の工場兼ショールームがオープンしたのも、同じく2021年。一般の方々にものづくりに興味を持ってもらいたいという想いから、工場内を公開するオープンファクトリーにこだわった。工場2階にあるショップスペースからは、工場全体の様子を眺められるようになっている。

ショップ内には、システムキッチンを導入したキッチンスペースも。ここから、社の製品を用いた料理動画の配信や、地域の人たちを招いて料理のワークショップなども始める予定だ。 


「こうしたリブランディングが功を奏して、テレビや雑誌などの取材依頼がかなり増えました。また、フライパン ジュウのおかげでさまざまな企業からのコラボ依頼も絶えません。興味を持ってもらえるのはそこに技術と品質があってこそだと思っているので、純粋に嬉しいです」

だが、世間的には会社名の認知までには至っていないのが課題だという藤田さん。「鍋を見ただけで藤田金属と分かる、というところまでたどり着くのが目標です」

最近では、電通のフェムテック(女性特有の課題を解決するための製品やサービス)チームと組み、軽くて持ちやすく、鉄分補給もできるフライパン『元気じゃない日の、フライパン』を発売。

また、2023年にはアパレルメーカーのアーバンリサーチ、スポーツ用品メーカーのミズノ、TENTと藤田金属の4社がタッグを組み、フライパン ジュウの別注オリジナル商品も誕生した。

町工場の仕事の範囲を自分たちで狭めない。面白そうだと思ったら、果敢に挑戦する。その姿勢が、いくつもの起死回生を生んできた。そうした挑戦や異業種とのコラボが、自分たちを想定外の場所へ連れていってくれると信じている。

「TENTさんと組んで良かったことは、デザインの良さはもちろんですが、作って終わりではなく売るところまで一緒にやれるところ。また、納得できるものになるまでとことん一緒に悩んでやりきってくれるところ。今思うと、“誰と組むか”というのは本当に大事だと思います」

小さな町工場から世界に挑戦する

今や、八尾を代表する町工場となった藤田金属。現状維持でも十分に思えるが、藤田さんは「今後は海外進出に力を入れていきたい」と抱負を語る。

700度以上で火入れを行うハードテンパー加工や、熱伝導と保温性にこだわった板厚1,6mmの黒皮鋼板など、藤田金属の製造技術と職人技を駆使してつくられたフライパン ジュウは、確実に世界に通用するレベルだと藤田さん。現に、デザイン賞を取った2021年以降は北米やヨーロッパからの注文が急増しているそうだ。

「これまでは海外の展示会に行っても現地のフライパンメーカーと戦えるものがないと思っていました。しかし、ここ数年で僕をはじめ、工場で働く職人の意識も変わってきています。これまで培った経験と実績、そして商品そのものに対する自信があるので、あとは挑戦するのみですね」

今の藤田金属があるのは、危機に瀕したときに守りに徹するのではなく、勝負に出て挑戦し続けたからだろう。そして、その復活劇はまだまだ終わらない。

従業員19名の小さな町工場が、世界とどこまで戦えるか。

倒産寸前の会社をここまで導いてきた藤田さんの挑戦はこれからも続く。

photo:辻茂樹

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