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「水なすの原種を復活させたい」なにわの伝統野菜を育てる農園の挑戦【北野農園】

大阪を代表する伝統野菜、水なす。なかでも大阪南部・泉州地域一帯で収穫される水なすは「泉州水なす」と呼ばれ、この地域でのみ栽培される特産野菜。内側に水分をたっぷり蓄えたみずみずしさや艶やかな濃紫、丸みを帯びた形が特徴の人気種だ。

この泉州水なすのルーツである品種が「貝塚澤なす」。一時は大阪府内での栽培が途絶えて幻の品種となっていたが、2017年頃から貝塚市内で栽培が復活。2023年5月には、概ね100年以上続く大阪独自の品目・品種のみが登録される『なにわの伝統野菜』に認証された。

貝塚澤なすが奇跡の復活を遂げたのは、市内にある「北野農園」の6代目・北野忠清さんの十数年来の努力と研究によるものだ。

大学卒業後はIT企業に勤め、「畑仕事は嫌いだった」という北野さん。そこから一転、農業の面白さに目覚め、途絶えていた泉州水なすの原種を復活させるべく情熱を注ぐようになった経緯とは。

これまでの北野さんの研究や活動を振り返りながら、お話を伺った。

泉州地域の風土に適していた水なす栽培

強く握ると果汁が滴り落ちるほど、水分を豊かに含んだ丸々とした果肉。水なすは、かつては農作業の合間の喉の乾きを潤すものとして、田んぼの畦などで育てられてきた夏野菜だ。現在は加温から無加温のハウス栽培、露地ものへとリレー栽培されるようになり、ほぼ1年を通して生産できるようになった。

不思議なことに、泉州地域以外の土地では同じものは育たないといわれる水なす。ここまで栽培地域が集約しているのは、この地域特有の地質や風土が関係している。泉州地域の温暖な気候や、ため池に豊富に蓄えられた水、また海が近くて程よく塩分が含まれた粘度層の地質は、大地に強い根を張り多くの水を必要とする水なすの栽培に適しているのだ。

大阪府貝塚市で代々農業を営む北野農園が、泉州水なすの栽培に力を入れ始めたのは昭和30年頃。当時は流通技術が発達しておらず、繊細で鮮度の劣化が早い水なすは漬物に加工するなどして、地元を中心に販売されていた。今では冷蔵状態をキープできるクール便が発達し、野菜の売り方は多様化。北野農園も、生の水なすから加工品まで、バラエティに富んだ販路を展開して人気を集めている。

そんな中でも、北野さんが特に大切にしているのが、毎週火曜の20時頃から15分ほどだけ開催する野菜の直売イベント「ベジナイト」だ。「生産者仲間とともに野菜の声を届けたい」という想いで始めた直売は、2008年のスタートからコロナ禍を乗り超え今年で15年目を迎えた。

「時代が変わっても持続可能な販売スタイルとは? そう考えたとき、結局は曜日と時間を固定し、その日採れた野菜を自分で持参して売るというスタイルに行き着きました」と北野さん。農家を継ぐ前はIT業界で働いていたという経歴からは意外な選択にも思えるが、就農前と後では考え方にもたくさんの変化があったようだ。

「なすの顔を見れば分かる」

北野さんが農業の道に入ったのは25歳のとき。自分が継がなければ廃業してしまうという状況があっての、半ば義務感からの就農だった。結果を出さなければいけないという責任感から、当初は「いかに良いものをつくるか」より「いかに効率よく利益を出すか」という商売のほうに意識が向いていたという。

「父や祖父は黙々と畑作業をしていて、一体どんなことを考えながら泉州水なすを育てているのかが当時の僕には分かりませんでした。最初は父と意見が合わず、ぶつかることも多かった。この仕事とどう向き合っていけばいいのか正解が見えず、悩む日々でしたね」

ある日、泉州水なすづくりのヒントを祖父に聞いてみると返ってきた答えは「なすの顔を見れば分かる」という言葉。最初は意味が分からず余計に戸惑ったという北野さんだが、なすのことをより深く知るため、スマートフォンのタイムラプスというアプリで1日中なすを撮影してみたそうだ。タイムラプスとは、一定の間隔で定点撮影した何十枚もの静止画をコマ送りで再生できる機能。そこに記録されたなすの様子を見ていると、ゆっくり動いていたり、膨らんだり萎んだりと1日のなかでも変化があることが分かった。

「祖父の言う通り、なすにはちゃんと表情があったんです。驚きました。野菜も生きているんだと分かり、自分たちが育てているのは命なんだと実感すると一気に愛着が湧きましたね」

それが、北野さんが農業の面白さに目覚めた瞬間だった。

水なすと真剣に向き合う覚悟を決めた北野さんは、農作業の傍らずっと気になっていたことの調査にも着手した。それは、いつからか姿を消してしまった「泉州水なすの原種」を探し出し、この地で復活させるという一大プロジェクトの始まりだった。

泉州水なすの原種「貝塚澤なす」を求めて

「祖父は、昔の水なすは今の水なすとは全然違うものだったと、ことあるごとに言っていました。調べてみると、実際に今“泉州水なす”と呼ばれているものは元々この地域にあった“貝塚澤なす”という原種を品種改良したものだということが分かりました」

ではその原種はどこへ行ったのか。なぜ姿を消してしまったのか。泉州水なすのルーツを辿ることはこの地域の農業史を知ることでもあると考えた北野さんは、近所の種屋、歴史ある水なす農家、農業技術の普及所、大阪の水なす博士など、当時のことを知っていそうな方への聞き込み調査を開始した。

貝塚澤なすは、約400年前の1606年(慶長11年)の文献にその名が記載されており、その頃にはすでに貝塚市に存在していたと考えられる。また、室町時代の教科書である『庭訓往来』にも「澤茄子」と書いて「ミヅナスビ」とふり仮名が振られた記載があり、古くから庶民の間で親しまれていた野菜であることが証明されている。

「貝塚澤なすは赤紫色で縦じわがあり、がま口財布のような形が特徴。果肉は甘く、味は抜群だったそうです。しかし漬物にしたときの漬け上がりの色が悪く、その見た目の悪さからなかなか流通されなかった。昭和20年代に入って盛んに品種改良が行われた結果、現在の泉州水なすが主流になり、純粋な貝塚澤なすは姿を消してしまったそうです」

数年間、情報収集をしながら原種の種を探し続ける日々が続いた。水なす博士から研究用の種を分けてもらいテスト栽培してみたこともあったというが、種取りから年月が経ちすぎて発芽には至らなかった。また別の種はすでに交配が進んで今の泉州水なすに近い品種となっていたりと、結果には結びつかなかったという。

しかし2016年、事態が大きく動く。水なす博士から「新潟に貝塚澤なすと思われる水なすを栽培している農家さんがいる」と連絡があったのだ。急いで新潟を訪ね、件の農家さんの畑に案内してもらうと、そこには貝塚澤なすの特徴そのままの水なすがあった。

「昭和初期に大阪の水なすの種が新潟に渡ったようです。そこから土地にあわせた品種改良を重ねてなすの栽培が行われていましたが、原種そのままの水なすも生産し続けてくれていたとのこと。それ以来その農家さんと交流を重ね、翌年2017年に原種の種を分けていただけることになりました」

かくして、新潟県に奇跡的に現存していた種は大阪に里帰りすることとなった。そして、貝塚の地で再び貝塚澤なすの栽培が復活することになったのだ。

大切に守られてきた種を未来に繋ぐ

2023年、原種の栽培は7年目に突入。5月には貝塚澤なすが『なにわの伝統野菜』に認証された。十数年来の挑戦がひとまず実を結んだ今、北野さんはこれから新たに力を入れたいことがあるという。

「先人たちが守り続けてきた泉州水なすを、次世代へとしっかり継承していく責任を感じています。そのためには、水なす自体の魅力をもっと発信していくこと。地域の価値へと繋げていくこと。また、地元での新規就農者の育成に力を入れることが大切。これからは、それらに精力的に取り組んでいきたいです」

北野さんは現在、自身でつくりあげたウェブサイトでの情報発信のほか、外国特派員協会での海外向け発信、動画サイトを利用した泉州水なすの料理番組など、さまざまなコンテンツ発信に積極的に取り組んでいる。

「北野農園のためというよりは、泉州水なす自体のブランディングのため。水なす業界全体の底上げに繋がればいいですね。また、毎週火曜のベジナイトもそうですが、生産者と消費者が直接繋がれる場を大事にしたいと思っています」

実際にこのイベントは数百回以上の開催を通じてすっかり地元に定着し、地域の方々から人気を博している。「購入した野菜の感想を聞かせてもらったり、リクエストを貰ったり、直売所は地域の方とのコミュニケーションの場にもなっているので面白いですよ」。

未来に種を繋ぐため、地域農業の発展のため、泉州水なすの魅力発信と人材育成に取り組む北野さんは「水なすのことで頭がいっぱいです」と笑う。スタッフとの作業中も常に何か楽しげだ。

「まだ全部ではないですが、なすが必要としているものが分かるようになってきました。こちらの想いに応えてくれた瞬間は本当に嬉しい。もっともっと美味しい泉州水なすをつくれるよう日々勉強です」

北野農園で愛情いっぱいに育てられた泉州水なすは、同社のECサイトで購入可能。また、大阪府貝塚市のふるさと納税返礼品としても登録されている。北野さんの奥様が製造を担当されている「ぬか漬け」は、泉州水なすのみずみずしさとぬかの優しい発酵の具合が絶妙な逸品。ぜひご賞味あれ。

北野農園 

Photo:辻茂樹

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