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「地域ではぐくむ縁側、こちらです」点を線に、面に変え、町のポテンシャルを上げる【NIPPONIA甲佐】

九州のちょうど中央に位置する上益城郡甲佐町。加藤清正が治水のために水路を巡らせ、夏には鮎釣りで賑わう緑川が町の中心を走る水の郷だ。かつては観光資源に恵まれず、地元の人は自嘲的に「何もない土地」とこぼしていた甲佐町。そんな甲佐が今、加速度的に魅力を増している。

九州中から数万人の来訪客を集める「甲佐蚤の市」、地域と旅人の関わりが生まれる「NIPPONIA 甲佐 疏水の郷」、予約が殺到するアウトドアフィールド「COMMON IDOE」etc.こころ踊るプロジェクトが続々と生まれ、県内外から「何度も訪れたい町」として注目を集める地域は、どのようにして生まれたのだろうか。

コンセプトは、地域とゆるやかにつながる縁側。

築130年の古民家・旧松永邸を改築した「NIPPONIA 甲佐 疏水の郷」には、川床のように張り出した縁側がある。ここは、地域の人と旅人が交錯し、縁を結べる場所。週に4日は地元ベイカーが焼く「古田パン」の自家製酵母パンが並び、宿泊者はもちろん、地域の住人たちも気軽にやってきて縁側でパンを頬張る。水路を挟んだ通学路では、黄色い帽子の小学生たちが人懐っこい笑顔でこちらに手を振っている。

「どこから来られたの?」「おすすめの食事処はね」心地よく小さな“おせっかい”に包まれ、気づけばこの町を身近に感じている自分に気づくだろう。

まるで遥か昔から続く営みのように思えるが、実はここができたのは2020年の秋のこと。随分と最近の話なのだ。愛してやまない故郷に新しい風を吹き込みつつ、古くからあるものの価値に光を当てる。まさに温故知新の取り組みに情熱を注ぐ一般社団法人パレットの理事、そしてNIPPONIA 甲佐 疏水の郷を経営する株式会社Drawing代表の米原賢一さんに話を聞いた。

自分の思いをかたちにできる仕事。

米原さんの実家は、甲佐町で代々商いを続けてきた商家。現在はプロパンガスの会社を経営している。学生時代は建築を専攻したが「どうも性に合わなくて…(笑)自分が考えたことを形にできる仕事がしたいと思い、広告代理店に就職しました」。

入社後は東京支店に配属になり、最先端のクリエイティブやマーケティングに触れるも「販促の知識がない職人や経営者は多いし、ガス屋とは遠いジャンルであっても、自分が身に付ける意義はあると思っていましたね。4人兄弟の長男だったこともあり、どこかで地元へ帰る、稼業を継ぐことを意識していました」と振り返る。既に地元で活動を始めていた幼馴染の大滝祐輔さん(一般社団法人パレット代表理事)から「早く帰ってこい、帰ってきたら一緒に面白いことをやろう」と誘われていたことも、故郷への思いを募らせるきっかけとなった。

そんな米原さんが実際に帰郷したのは2018年のこと。「まったく人脈がないところからのスタートだったので、まずは自分の仕事のためにローカルのつながりを作りたいなと思っていて。そんなとき、誘ってくれたのが大滝でした」。当時、大滝さんは地元スポーツクラブの立て直し事業に携わっていた。

「町が運営するクラブだったんですが、指導者はボランティア、提供できるサービスの質も種目によってまちまち。長く続けられる仕組みが存在せず、会員数も半減していました。ひょんなことから会議に参加したら、その場でクラブの副会長に任命されてしまって(笑)」

未経験のスポーツクラブ運営に携わることになった米原さん。しかし、そこからの快進撃は電光石火の早業だった。家族を通じて出会ったトランポリンに魅せられ、数ヶ月でインストラクターの資格を取得。指導者としてトランポリンクラブを立ち上げ運営のノウハウを掴むと、一気に全体の組織づくりや販促事業に着手し、一年間で元の会員数を超えるV字回復を成し遂げたのだ。

甲佐町の未来を変えるなら、今しかない。

「ちょうどその頃、同世代の友人と商店街のお店でご飯を食べていて、俺らが子どもの頃、商店街って今よりずっと賑やかだったよな、寂しくなっちゃったなと話をしました」。どうやったら盛り上げられるだろう? まちづくりってどうやれば良い? 答えを模索するうち、一人、またひとりと仲間が集まり、一般社団法人パレットの設立が決まったという。

法人名のパレットは、さまざまな色が混じり合い、ひとつの絵を描いていくイメージから命名した。「設立理事の5人は、病院にサッシ屋、ガス屋…。みんな本業はBtoCの家業なんです。つまり、町の世帯すべてがお客さん。人口が減っていくほど本業が苦しくなるのは分かりきっていました。これ以上、町の人口が減ると、子どもたちに残せるものが何もなくなってしまう。今ドラスティックなことをやらないと、という危機感がありましたね」。

その頃、パレットの理事でもある弟の米原雄二さんは、妻の明子さんとともにアンティークや器をメインに取り扱うセレクトショップ「NEWOLD」をオープンし、数万人を集客するイベント「甲佐蚤の市」の運営に携わっていた。家族も、仲間も、持てる力はすべて結集して町を元気にしよう。チーム甲佐の本格的な挑戦が幕を開ける。

町全体を巨大な宿泊施設と捉えたら。

パレットの活動の中でも大きな注目を集めたのが、古民家や文化財を活用し「なつかしくて、あたらしい、日本の暮らしをつくる」NIPPOINAの誘致だろう。シンポジウムを通じてNIPPONIAを展開する、株式会社NOTEの代表・藤原岳史氏と意気投合した5人の頭には、元質屋やタバコ屋として町を見守ってきた旧松永邸が浮かんでいた。

「甲佐には60年以上、ホテルや旅館が存在していませんでした。せっかくイベントで集客できても滞在の場がなければ、町にお金を落としてもらえる機会をみすみす見逃すことになる。でも、まちづくり=駅前にビジネスホテル、ではないんですよね。甲佐のような田舎は虫食い状に空き家が増えていくので、逆に町全体を宿泊施設と捉えたら面白いのでは?と考えました」

一般的なホテルのように常時7〜8割の稼働率を保つのは難しいが、NIPPONIAには2〜3割の稼働率で持続できるビジネスモデルが存在した。「宿泊料金は決して安くないので、しっかりとしたサービスの質を担保しなければなりませんが、それさえできれば可能性は大いにある、と感じました。食事、リネン、人材もすべて町内でまかない、域内調達率を上げれば、持続可能なまちづくりを促進することができます」と米原さん。かくして、建物は極力そのままの姿、古い家具や梁を磨き上げて使い、新しい建材はあえて異なる色のものを用いるなど、古さゆえの魅力とモダンな設えの両方を楽しめる宿が誕生した。

さらにNIPPONIA 甲佐 疏水の郷では「KOSA PASS」を発行し、町の回遊性を高める仕組みを構築している。「KOSA PASSを持ってお店に行くと、それぞれのお店からオマケがもらえるんです。例えばNEWOLDであれば、珈琲を一杯プレゼントとか。オマケの予算はNIPPONIA持ちなので、お店はノーリスクで商いのチャンスを得ることができます」と語る米原さん。ここにも、自分たちだけが儲かっても意味がない、町全体のファンになってもらわなければ、という哲学がにじみ出る。

外を知っているからこそ、町の良さが見える。

「田舎だし何もなくてつまらない土地、と思っている甲佐の人は少なくないと思います。でも、僕は外から戻ってきたからこそ、この町の魅力がよく分かる。もっともっと打ち出していきたいです」と意欲的な米原さん。「面白いことをやり続けて発信が伴えば、自然と一緒にまちづくりをしたい人が集まってきてくれる」と自信をのぞかせる。実際、設立理事5人で始めた一般社団法人パレットは現在5人+正社員10人、アルバイト20〜30人という大所帯へと成長を続けているのだ。「例えば、NIPPONIAの支配人を務める柴尾は鹿児島からの移住者。移住当日に結婚して、今ではこの町で子どもを育てています。新潟からIターンしてきてくれたスタッフもいますよ。こういうのって嬉しいですよね」。

「働いている人たちの生活が豊かになっていかないと、まちづくりは意味がない」と真摯に語ったかと思えば「全国どこでも、まちづくりで苦労するのはプレイヤー不足なんです。甲佐は町のポテンシャルとしては底辺に近いけど、プレイヤーには恵まれているのでトントンでしょうか」といたずらな笑顔も覗く。実に楽しそうにまちづくりを語る人だ。

観光地ではない土地にも、戦い方がある。

「甲佐町にはまだまだ観光資源が足りないので、何度も訪れてもらうためには、人にスポットを当てる必要があります」と米原さん。リピートしてもらうためには、滞在者と地域住民の接点を増やし“またあの人に会いに行こう”と思われる体験を作らなくては、と企てている。「例えば、宿泊者と地元の人が縁側で一緒にパンを食べても良いし、農家さんと一緒にカブトムシを探しにいったり、収穫した野菜をキャンプ場でグリルして、一緒に食べたりするのも楽しい。基本的にはオーダーメイドで、関わることでもてなす側ももてなされる側も光るようなプランニングができたらと思っています。だから、甲佐町では“観光”ではなく“関光”と書くんです」。

求める人には、地域からの“おせっかい”を贈り、人と人が関わることで町のおもてなし力が上がるような仕組みをつくりたい。その思いは、NIPPONIA以外の施設やアクティビティにも通じる、いわばパレットの背骨といえるだろう。

町×人、自然×人。それぞれの楽しみ方。

現在、パレットが手がける事業は、NIPPONIAや古田パンに加え、同じく古民家を改装したレストラン「trattoria San Vito」や一棟貸しの宿「kugurido」、グランピング施設を備えた「COMMON IDOE」、甲佐町で古くから営まれてきた「やな場」、新しく取り組み始めた自然アクティビティ「TANOSIKA」、ローカルマガジンを発行する「magazine BO」など、多岐に亘る。

「例えば、町営のキャンプ場をリニューアルしたCOMMON IDOEは、甲佐町の最奥に位置しています。ここに集客することで、麓の商店街へ引き込みたいという狙いがあるんです。ビギナーでも、手ぶらでも、女性だけでも安心して訪れられるような場所にしたいと思い、グランピングの設備なども入れて徹底的に作り込みました。そもそも理事の僕らみんなアウトドアが苦手だったので、そんな自分たちでも行きたくなるようなキャンプ場にしようと(笑)」

事業継承にチャレンジした「やな場」は今冬から初の通年営業をスタート。SUPやトレッキングを楽しめる「TANOSIKA」も続々とアクティビティを増やしているが、米原さんたちの構想は止まらない。「やな場に取り組む以前から市民大学をやりたいと思っていたので、いつか実現させたいです。それから、Spotifyでゆるく聴けるようなラジオ局をやりたいな〜とか。甲佐を訪れた人がみんな出演しちゃうラジオ、面白いと思いませんか?」。聞いているだけでわくわくするような未来が、彼の頭の中に広がっているのだ。

「せっかく帰ってきたからには、甲佐を日本で一番、面白い町にしたい」と少年のような笑顔で語る米原さん。「甲佐町は九州のへそ。九州のへそが尖っていたら、きっと九州の未来は明るいと思います」と希望に満ちた言葉でインタビューを締めくくってくれた。

疏水(そすい)とは、灌漑や舟運のために新たに土地を切り拓いて水路をつくり通水させること。今から400年以上前、干ばつを繰り返す不毛の地だった甲佐は、熊本藩主・加藤清正の治水整備によって水郷へと生まれ変わった。そして今ふたたび、豊かな水や自然、人を起点に、新たな歴史を切り拓きつつある。

一般社団法人 パレット

Photo:大塚淑子

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