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「誰もが集い、〝カタル〟場所を」熊本郊外で集客する施設「HIKE」【ハイク】

九州最大級のクリエイティブアワード「九州ADCアワード2023」の展示審査会を皮切りに、デザイナーや編集者による個展、九州初上陸のアパレルPOPUPなど高感度なイベントが続々と開催され、九州内外から熱視線を集めている場所がある。その名は「HIKE」。かつて河川を活用した商業の集積地として栄え、今はのどかな温泉地として知られる熊本県玉名市の一画に佇む複合施設だ。ホステル、レストラン、カフェ、イベントホール、セレクトショップetc 多面的な機能と魅力を持ち、中心市街地とは離れた郊外にありながら高い集客力を誇る同店の理念とは? オーナーの佐藤充さん、陽子さんに話を聞いた。

写真提供/橋本大

話題のイベントを続々と開催

2023年3月4日。九州アートディレクターズクラブが主催する九州最大級のクリエイティブアワード「九州ADCアワード2023」が開催されていた。その日は展示審査会と表彰式を兼ねていたこともあり、九州各地から候補者が集結した会場は「大賞は誰の手に渡るのか」と熱気の渦に包まれていた。

その会場となった「HIKE」こそ、本記事の舞台。良質な温泉や日本マラソンの父・金栗四三の故郷として知られる熊本県玉名市の複合施設だ。午後から夕方にかけて展示会と授賞式が行われ、その後は同じホールで食事を楽しむ懇親会。そのままホステルに泊まっていくアーティストも少なくなかったという。ひとつの拠点に、さまざまな機能が備わっているHIKEの業態は、これまでの熊本にないもので、その後も気鋭のデザイン事務所「OVAL」による初の個展「明星」や、熊本在住のデザイナーとフォトグラファーが参加したイベント「プリプリプリT」、編集者・福永あずさ氏による言葉の展示「キキキ」を開催するなど、その快進撃は留まることを知らない。熊本の中心市街地から車で30分以上、決して交通の便が良いとはいえない郊外で多くのイベントを成功に導いてきたHIKEは、どのようにして生まれたのだろうか。

HIKEがオープンしたのは、新型コロナウイルス感染症によって、世の中が未曾有の大混乱の渦中にあった2020年春のこと。宿泊や飲食を伴う事業だったこともあり、大々的なオープン告知もできず、人を集めるイベント開催などもってのほか、という逆境にあった。「ホステルの最初のお客さんは、目の前のお家に住む80代のおばあちゃんだったんです。工事中の時からずっとオープンを楽しみにしてくださっていて。先行きが見えなくて不安でしたが、今になって振り返ると、地元の方に知っていただく機会が持てたり、カフェで提供するメニューの検討ができたりして、良かったのかもしれませんね」そう言って、陽子さんは穏やかに笑う。

「ローカルを知りたい」世界一周と熊本移住

HIKEのオーナーである佐藤夫妻は、地元ではちょっとした有名人だ。それは、誰もが知る大手アパレルメーカーを退職し、ふたりで世界一周の旅に出たという経歴から。旅とHIKEの誕生には、どんな因果関係があったのだろう。

「まず、結婚して家を持とうと考えたとき、このまま東京に居て良いのか? 東京のどのエリアに拠点を構えるか? と考えたんです。それぞれが幼い頃、祖父母とともに田舎暮らしをしていた経験もあって、子育てをすることも見据え、どちらかの田舎に移住しようかと話すようになりました。もともと僕は熊本が好きだったこともあり、妻の実家がある玉名にしようと」(充さん)

今しかできないことを思いっきりやり切ってから移住しよう。そう考えたふたりがトライしたのが、世界中のローカルを訪ね歩くという旅だった。

「同じ会社で働いていた独身の頃、職種は違えど、ふたりとも仕事で海外に行くことが多かったんです。でも、出張で行くのは大都会が中心だったので、いつかじっくり腰を据えて、各国の普段の暮らしの奥まで見てみたいと考えていました」(陽子さん)

同時に抱いたのが、自分たちで場づくりをやってみたいという思い。

「やりたいことがありすぎて、ちっとも事業計画がまとまらなくて。旅の途中も、ずっとどんな事業を立ち上げたいか、どうやって実現するか、毎日のように話し合っていましたね」とふたりは振り返る。

長い旅を終え、熊本へ移住してきたのは2017年のこと。まだ業種は絞り込めていなかったが「誰もが集い、“カタル”場所」というコンセプトの原型は、当時から明確にあったという。

「カタルというのは、熊本弁で参加する、加わるという意味。間口を広く持って、どんな人でも集まって楽しんでもらえる場所にしたかったんです」 

“カタって創る”リノベーション

最終的な事業形態の決め手は、現在HIKEを運営している建物と出会ったことだった。

「もともと整形外科の病院だった建物なんです。個室があって、大きなホールがあって、いろんなことができる。とにかくこの建物、特に屋上から見える景色に心奪われ、こんなに気持ちの良い場所が使われていないのはもったいない、どうしたら運営できるだろうか、と考えるようになりました。規模の大きさに心配もしましたが、ちょうど場所を探していた頃、玉名市内の小学校が同時に6校も廃校になることになり、廃校利活用も視野に入れて九州各地に視察に行ったんです。そこで運営のイメージが湧きました。」(充さん)

ホステルをやりたいと思ったのは、旅の影響も大きかったのだとか。

「やっぱり、気軽に旅に出るためには宿泊費を抑えられる安宿が欠かせないんですよね。自分たちが旅をしていて良かった設備や、助かったことを詰め込みました」(陽子さん)

決して高級ホテルのような手厚いサービスはないけれど、さっぱりと清潔で居心地の良いホステル。この宿泊事業がHIKEに人を集める要因のひとつであることは、想像に難くない。

のどかな田園風景を存分に感じられるガラスの大窓に、大きな無垢材のテーブル。テラスにソファ席、キッズルーム、バーカウンターと多彩なエリアを持つHIKEのカフェ&イベントスペース。デザインを手掛けた地元の建築士のアドバイスにより、改装の際は地域住民からボランティアを募り、一緒に改装作業を行ったという。

「まずは、地元の方に知ってもらって、気軽に訪れてもらえる場所にしたかったんです。このテーブルも、大工さんに教えてもらいながらボランティアの皆さんと一緒に組み立てました」と陽子さん。

願いのとおり、HIKEは遠方から訪れる人々のみならず、地元住民にとっても大切な憩いの場になっている。「平日は公民館みたいな感じです(笑) でも、地元の皆さんに愛してもらいたかったので、すごくうれしい」と笑顔がこぼれる。

料理でもローカルを表現したい

HIKEを語るうえで欠かせないのが、カフェで提供している料理やドリンク。陽子さんの母の味がベースになっているという熊本の郷土料理「だご汁」や、夏季限定で登場する「冷や汁」、グラスフェッドミルクを生産している地元畜産家「玉名牧場」の名を冠したチーズケーキetc. 決して華美ではないが、しみじみと美味しく満たされるメニューの数々に、思わず頬がゆるむ。

「料理には、こだわりが幾つかあります。1つ目は地元の食材や調理法を大切にすること。2つ目は、大人と子どもがシェアして食べたとき、どちらも我慢せずに楽しめるようなものにすること。3つ目は、お茶の時間を楽しく過ごせるよう喫茶メニューも準備すること」と指折り教えてくれた陽子さん。

ふたりが見つめるのは“食べること”そして “食事を提供すること”の本質だ。

「写真映えするような、派手さを求める料理にはしていません。もちろん視覚で楽しんでいただくことは大事ですが、僕たちは料理にまつわるストーリーや生産者の想いと向き合いながら伝えていくことを大事にしたい。例えばスイーツも、海外のローカルのお母さんが普段から家のおやつとして作っているような、素朴なものばかりです」とさわやかに言い切る充さん。

「実は最初の頃、だご汁の味がなかなか決まらなくて。シェフの友人にレシピを依頼しようと思ったことがあるんです」と打ち明けてくれた。未経験のオーナーが飲食店を経営する場合、シェフを雇ったり、レシピ監修を依頼したりするのは決して珍しいことではない。けれど、ふたりは異なる選択をした。

「その友人に、レシピを作成するのは簡単だけど、苦労しても自分たちで挑戦した方がいいよってアドバイスをもらったんです。今を乗り越えたら、ちゃんとHIKEの味ができるからねと」(充さん)

その言葉に打たれた佐藤さん夫妻は、スタッフとともに試行錯誤しながら、見事にHIKEの味へとたどり着いた。

「今も、専属のシェフは雇っていません。料理好きなスタッフが厨房を取り仕切ってくれて、季節のメニューもとても好評です」ふたり揃って、花がほころぶような笑顔を見せてくれた。

「お店で使っている野菜は、どこで買えるの?」と常連客に尋ねられたことから、月1回の生産者マルシェが始まり、最近はアパレル時代の人脈を生かしたPOPUPも開催できるようになったと語る佐藤夫妻。前述のアートイベントのように会場提供をするだけでなく、今後は自主企画の催しも増やしていきたいという。

「コロナ渦で始まったHIKE。ようやくこれからが本番、という思いがあります。地元の器や調味料など、自分たちが良いと思うローカルのものを、地域の内外に伝えていける場を育てていけたら」(陽子さん)

今後は、屋上を活用したビアガーデンや地域の人気店とのコラボイベントも控えている同店。絶えることのない情熱と、すべての事業をひとつにまとめる「ローカルを体現する」という軸が組み合わさった「誰もが集い、“カタル”場所」は、これからもワクワクするような進化を見せてくれるに違いない。
HIKE

photo:大塚淑子

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