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知名度0から「オンラインで完売」おいしさと心を届けるSNS時代の農家【あいがもん倶楽部】

多くの若者が憧れる、都市圏から山間部への移住や就農。ところが、夢を抱いてチャレンジする新規就農者のうち約3割が、農業の厳しさ、田舎暮らしの過酷さに耐えられず3年以内に離職してしまう現実もある。今回、話を聞いたのは、多くの就農者と同様、東京から熊本へUターンし、ゼロから米づくりに挑戦した市原伸生さんと奈穂子さん。『aigamonclub』(あいがもん くらぶ)の屋号で販売している米は、毎年ほぼオンライン販売のみで完売している。険しい道といわれる新規就農の世界で、市原さん夫妻が10年かけて築いてきたものとは? 「特別なことは何も」と謙遜するふたりだが、生産、販売、消費者との接し方etc. すべての瞬間、丁寧なコミュニケーションを怠らない在り方には、農業の枠を超えた多くの学びが詰まっていた。

「こだわりの」ではない? けれど特別な米

羽釜で炊いたご飯をお櫃(ひつ)に移す。ぎゅっと握り固めず、ほんわりと包むように握る。お皿に並ぶおにぎりは、丸くて、ちょっとごつごつしているのが特徴だ。ピカピカの米粒に、おいしい塩と海苔……。見ているだけで喉が鳴る、このお米の生産者は、熊本県北部の田園地帯、山鹿市菊鹿町で農業を営む『aigamonclub』の市原さん夫妻。その名のとおり、合鴨農法で米づくりを営んでいる。合鴨を水田で放飼すると、雑草や害虫を餌として食べ、排泄物が稲の養分となり、化学肥料や農薬を使わない稲作が可能になる、というのが合鴨農法の仕組み。戦後に広がりを見せたものの、少しずつ生産農家が減り、今では希少になってしまった農法だ。ふたりが敢えて手間のかかる合鴨農法を選択したのは、なぜだったのだろう。

「偶然、最初に農業を教えてくれた農家さんが合鴨農法を取り入れられていたんです。だから、僕らにとってはこれが普通(笑)『aigamonclub』の名前も、もともと近所の農家数件が共同で使われていた屋号『相良あいがもん倶楽部』を引き継ぎました」と白い歯を見せる伸生さん。最初の4年ほどは自分たちの田んぼをほとんど持たず、農業や地元の習わしを学び、周囲との信頼関係を築くことに徹したという。

帰熊後、まずは1反分の田んぼを借りて、無農薬米をつくっていました。イベントに出るために、そのお米の米ぬかを使った焼き菓子づくりも始めて。その活動が3年ほど続きました。自分たちのお米を作り始めてからは好きな名前をつけて良いよ、と言ってもらったんですけど、なんだか愛着が湧いてきたのでそのまま(笑)」(奈穂子さん)

 ふたりの考える農業をじっくりと育み、着実に技術を身に着けていった4年間。そうこうするうちに地域の信頼を得て、高齢になり廃業する近隣農家から「田んぼも農具も引き継いでほしい」と頼まれるように。満を持して本格的な米づくりがスタートした。

化学肥料や農薬を使わない合鴨農法、さぞかし強いこだわりがあるだろうと聞くと、ふたりは顔を見合わせて破顔した。「実は何もないんです、こだわり」。土地と水が良いのは大前提だが、特別なことは本当に何も、と微笑む。「お米は、鴨たちがおいしくしてくれるから。人間にしかできないことを、ほんの少し手伝うだけです」と語る横顔は清々しい。

「でも」と思い出したように奈穂子さんは呟く。

「作り手の私たちが心身ともに健康であること、農業を含む日々の生活にストレスがないことは、とても大切にしています。そういうエネルギーの在り方は、お米を通じて伝わってしまうと思うから」(奈穂子さん)

こだわりの米、とは言わないけれど、自分たちの生き方を映すような米。それこそが、あいがもん倶楽部の米の特別な個性だ。 

家族が手を携える、懐かしく新しい産業のかたち

少年の頃から動物や自然が好きで、いつかは熊本で農業を、と考え農学部に進んだ伸生さん。病院で管理栄養士として働きながらも、本当の食のサポートって何だろう、と模索していた奈穂子さん。ふたりが東京で出会ったのは、東日本大震災の年だった。

「九州に移住したいと思っていたので、仲良くなってから彼のルーツを聞いたときはびっくりしました」(奈穂子さん)

熊本での農業体験を経て、自然な流れで結婚と移住が決まった。

「僕は三兄弟の次男ですが、兄も弟も、ほぼ同時期に東京で結婚相手を見つけて熊本に帰ってきたんです。兄は父から受け継いだジェラートの製造を、弟はパティスリーを経営しています」(伸生さん)

規格外の地元食材を生かしたジェラート「パストラル」、フランスの食文化を伝えるパティスリー「ricca」は、どちらも全国にその名を知られる実力店。riccaではパストラルのジェラートを販売し、伸生さんが育てた栗を使ったモンブランは同店の看板メニューだ。また、地元の生産者から託され、家族の総力戦で取り組んだ渋柿の加工販売「洒落柿」(しゃれがき)も大きな話題となった。

大きな構想を描いた父と三兄弟、それぞれのパートナーたち。各人の得意分野の円が少しずつ重なり、大きな輪を描くような事業の在り方は、農水省と日本農林漁業振興会が主催する「農林水産祭 天皇杯」受賞という結果に結実する。とはいえ「賞の中の賞」と呼ばれる天皇杯の受賞を経ても、マイペースな一家は何も変わらない。

「これまでの規格外のお米を使って米粉パンケーキミックスや生糀をつくってきましたが、今度はうるち米のお煎餅をやってみようと思っていて。基本は自分たちが食べたいとものをつくっていますが、お米を食べてもらうための入口をつくりたい、という思いは常にあります」と奈穂子さんは語る。

写真のシャルドネも、市原さん夫妻が丹精しているもの。9月の収穫期にはボランティアの収穫体験を募り、早朝からの収穫が終わると、奈穂子さんのおにぎりで労をねぎらう。畑仕事で汗をかいた後のおにぎりは、どんなにおいしいことか。良き体験とaigamonclubの米が結びつくその瞬間、ファンにならずにはいられない。

小さな農家だからこそ、伝える手間を惜しまない。

「熊本でお米を売るのは難しい」と市原さん夫妻。なぜなら、熊本は全国でも有数の水どころ、米どころ。食味日本一に輝いた菊池七城米をはじめ、地元ではどの米を食べてもある程度のおいしさが担保されているのだ。

「お米って、なかなか普段の銘柄から変えないですよね。それに、自分でお米を買わない若い人も増えてきているみたいで」(伸生さん)

そこで考えたのが、親しい生産者やアーティストと一緒に主催するイベント「おにぎり会」やマルシェへの出店など、消費者とダイレクトな接点を持つことだった。

「やっぱり、食べてもらう、触れてもらうのが一番だと思ったので、イベントでおにぎりを販売できるように製造許可を取りました。パッケージも、手に取ってもらいやすいようにMine Kitamuraさんにイラストを描いてもらって可愛くつくりました。オンラインショップやパンフレットには、水田や羽釜で炊くご飯の様子がわかるように写真を選んで……。どんな人がつくっている米なのか、伝わりやすくする工夫は惜しまずに、と思っています」と、奈穂子さんはやわらかく微笑む。

ふたりの丁寧なコミュニケーションを、SNSも後押しした。奈穂子さんが綴るブログやInstagramは、米づくりの背景にある暮らしを伝え、そこに共鳴する人々が愛好者へと変わっていく。コロナ禍にあって自宅で過ごす時間が増え、暮らしを見直す機運が高まったことも追い風になったのだろう。

そうしていつしか、無名だった地方の新規就農者の米は、全国から購入者を集めるようになった。

「今は、1町3反分の米のうち、6割をオンラインの定期販売分に、残りの4割をイベントでの直販や委託販売に振り分けています。ありがたいことに、田植えの時期を待たずに完売するようになりました」(伸生さん)

ちょっと無骨な奈穂子さんのおにぎりを口いっぱいに頬張ると、驚くほどにみずみずしく、ふっくらと弾力のある米が踊る。のびのびと、正直に、そして丁寧に。一見すると“あたりまえ”だが、日々の生業を通じて貫き通すのは難しいこと。しなやかで、実直で、どこか頑固な市原夫妻の生き方を真っ直ぐに伝えるaigamonclubの米は、食べると体の底から力が湧いてくる、唯一無二のパワーフードだった。

aigamonclub
photo:大塚淑子

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