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熊本駅50分の田園地帯がリトル台湾化!?「郊外=不利」の常識を覆す10席のお店【スミ】

かつて大豪族・菊池一族が九州制覇の拠点に選び、昭和に入ってからは熊本の奥座敷として栄えた温泉街。現在はもっぱら全国屈指の米どころとして知られ、のどかな田園地風景が広がる熊本県菊池市に、今、ちょっとした異変が起きている。とびきり魅力的な台湾料理店に、本場の味を楽しめる豆花専門店、台湾人の店主が営むベーカリーなど、次々に台湾関連の飲食店がオープンしているのだ。九州各地の台湾好きがこぞって訪れる菊池の“リトル台湾”化は、わずか10席あまりの台湾料理店「SUMI」から始まった。

意識したのはスモールスタート

日本に空前の台湾ブームが訪れたのは数年前のこと。台湾の食材や生活雑貨を販売するPOPUPイベントが頻繁に開催され、現地の有名店が東京に続々と進出。最近ではすっかり定着し、流行を超えて愛される文化のひとつとして認知されている。そして首都圏に遅れること数年、現在は九州・熊本にも、その熱が伝播してきた。台湾の巨大ICT関連企業「TSMC」が県内に進出したこともあり、2023年9月には熊本―台北の直行便も就航予定。がぜん、台湾づいているのだ。今回紹介するのは、そんな台湾ブームの勢いに乗って……というわけではなく、ブームが始まる前から、ひたむきに台湾の食文化を伝え続けてきた小さな料理店「SUMI」と、その周辺に起こった変化の話。たったひとりのファーストペンギンが、シャッターの目立つ商店街を“わざわざ訪れるべき場所”に変えた、そのプロセスに迫ってみたい。

「SUMI」の料理は、店主である河村美紀さんが台湾で出会った、忘れられない味を再現したもの。もちもちとした皮が白眉の水餃子に、スパイスと醤油の香り豊かな魯肉飯、そして屋台の朝を思わせる葱餅。見ているだけで喉が鳴るごちそう揃いだが、決して派手な料理でも、格式張ったものでもない。「美味しい料理を、気取らずお腹いっぱい楽しんでほしい」という店主の願いがそっと添えられているような、飽きのこない素朴な味が特徴で、台湾好きにも食いしん坊にも、たまらない店なのだ。

そんな「SUMI」がオープンしたのは、新型コロナウイルス感染症によって人々の生活が大きく変わり始めていた2020年の春。大々的なオープンの告知もできず、ひっそりと幕を開けた同店の営業だったが、口コミが口コミを呼び、たちまち予約枠が一瞬で埋まるほどの人気店になった。「熊本の中心市街地から40〜50分かかる立地ですし、知り合いにしか伝えられずにオープンしたので、不安がなかったわけではありませんでした。でも、Instagramで見つけてくださったり、当初から予約制で販売していたお弁当を気に入ってくださったり、いろんな接点から知ってくださる方が増えていきました」と振り返る河村さん。行動が制限されても、否、制限されていたからこそ、人々は心の滋養となる食事を求め、同店に漂う自由な旅の空気に癒しを感じたのだろう。

また、河村さんがコロナ禍にあっても動揺しなかったのは、もともと「小さく始める、細く長く続ける」という方針で店をスタートさせたことも大きかったという。「郊外だから家賃もぐっと抑えられるし、自分ひとりで切り盛りできる規模なので人件費もかかりません。極力リスクを抑える形で始めていたので、ダメージが少なかったのかもしれませんね」

マルチな能力を培った会社員時代

すっかり食堂の女店主が板についている河村さんだが、意外にもキャリアの出発点はパン職人。「食べることと、パンやお菓子の生地と、洋服が好きで。最初に勤めたベーカリーは下積みが長くて厳しい環境でしたが、ここで社会人としての基礎、仕事への向き合い方を知ることができました」と河村さん。

その後は念願のアパレルショップや和食店など、さまざまな職に挑戦するも、何か違うという思いは消えず……。そんなときに出会ったのが、地元で急成長中のハウスビルダーだった。工務店がインテリアショップやカフェを経営するのは、今でこそ珍しいものではないが、当時の熊本には存在しなかった新業態。カフェの店長として入社した河村さんは、あるときはセレクトショップのバイヤーとして、またあるときはイベント企画のプランナーとして、会社の発展とともに、ぐんぐんと能力を伸ばしていった。「何も前例がなかったので、すべて自分たちで考えてやっていたんです。飲食と物販のあらゆる仕事を経験させてもらえたことは、すごく良い経験になりました」

ずっと会社員を続けるならこの会社で、と思う反面、いつかは自分の店を持ちたいという夢を諦めきれずにいた河村さん。たまたま地元・菊池で受けた自治体主催のセミナーで、ハッとする気づきを得たという。市街地でなくても商いはできる。その土地に合った形態、収益構造を考えられたら、「郊外=不利」という常識は覆せる。そう思えたとき、生まれ育った菊池に根を張る「SUMI」の姿が朧げに見えてきた。そしてたどり着いたのが、リスクを極限まで軽減したスモールスタートの事業計画だった。

「SUMI」は現在も、月に半分ほど、不定休で営業を行っている。予約はInstagramのDMと電話のみ、ひとりで仕込みからサービスまで行うスタイルは変わらない。「母には、こんなに休んで大丈夫なの?って心配されるんですけど(笑) ひとりでやれる、品質を保てる範囲内で、という思いは、オープン当初から変わりません」と、河村さんはまっすぐな瞳で語る。

「私が好きな台湾」を伝えたい

「コロナ禍では国外に出ることもままならなかったのですが、昨年の秋頃からやっと行けるようになりました。今後も3〜4ヶ月に1回は台湾に行きたいです」と河村さんの声が弾む。リフレッシュとリサーチを兼ねて台湾を訪れ、そのときどきの新しい発見や、旬の文化を店に持ち帰っているのだ。「SUMI」のアートワークすべてを担当するデザインユニット「apuaroot」やフォトグラファーなど、旅の相棒と一緒に出かけることもあるが「ひとりでローカル線に揺られるような旅も好きなんです」と笑う。現地の料理人にレッスンを受けることもあるのだとか。「可能な限り現地の調味料と作り方で、私が好きになった台湾を伝えたいから」。店では、いわゆる“台湾風”ではなく、きちんと本場の味や文化的背景を伝えられる台湾料理を提供している。

「台湾迷倶楽部」で販売したZINE。制作は大塚淑子・apuaroot

河村さんのユニークなところは、料理のみならず、近隣を紹介するMAPやイベント、ZINEなど、あらゆる手段を駆使して台湾と菊池の魅力を伝えようとする姿勢。店舗周辺の名物や銭湯、お気に入りの場所を散りばめた「SUMI MAP」は大いに話題を呼んだし、台北で暮らすコーディネーター・青木由香さんを招いて開催したイベント「台湾迷倶楽部」は、感染症対策を行いながらも、整理券を発行するほどの記録的な来場者を集めた。その他にも、年末の紅白餃子販売、マルシェやクリエイターとのコラボ出店など、河村さんの歩みは止まることを知らない。「自分が飽きちゃうから、いつでも何か企画して準備していたいんですよね」と苦笑するが、SNSを通じて新しい告知を受け取るたびに、胸を高鳴らせるSUMIファンは少なくないだろう。

「SUMI」の出店を決めたのは、子どもの頃から慣れ親しんできた菊池市の商店街。現在はシャッターを下ろした店が目立ち、人通りもまばらになっていたが、同店の賑わいは周辺の景色を塗り変えつつある。河村さんの前職時代の後輩である竹村美波さんが、台湾ではおなじみのスイーツ・豆花の専門店「美豆花」をオープンし、今年6月には台湾人の店主が営むベーカリー「すずめの穂」も開店。いつからか、台湾の空気が街に漂い始めたのだ。

「私のために」から広がった輪

「SUMI」で台湾料理を堪能したなら、ぶらりと商店街を歩くこと5分。「美豆花」でヘルシーな食後のデザートをいただこう。前職時代、同郷の先輩だった河村さんと台湾を訪ね、好きが高じて語学留学までしてしまったという店主・竹村美波さんに話を聞いた。

「台湾で住んでいた部屋の近くに、豆花屋さんがあったんです。毎日のように通って、別のお店で豆花の食べ歩きもして……。大好きになったのに、熊本に帰ってきたら本場の豆花を提供しているお店がなくて! どうしても食べたくなって、自分のために作り始めたのが始まりです」と微笑む竹村さん。

無添加・自然栽培の豆乳を原料とする豆花に、緑豆や小豆、生のピーナッツを煮てトッピングする豆花は、素材本来の甘みが広がる滋味豊富な味わい。最初は自分のためだけに作っていたが、いつしか「食べてみたい」の声を受けてイベントで販売するように。自然と「いつでも誰でも気軽に訪れられる場所を作りたい」という思いが募っていった。「まさか自分がお店を持つとは思っていなかった」と笑う竹村さんだが、少し前に「SUMI」をオープンさせ、既に繁盛させていた河村さんの「お店をやってみたら良いのに」の声に背中を押されてオープンに踏み切ったのだという。店内は台湾らしい装飾に飾られ、どこかレトロな雰囲気。無彩色でモダンな空間が魅力の「SUMI」とはまた違った趣で、旅をしているような気分を味わえる一軒だ。

「最終的に決めたのは自分ですが、菊池でお店を運営している、継続できているというお手本(SUMI)が身近にあったから決められた、というのは大きかったです。私たちの愛する台湾を、たくさんの人に届けられたら」と竹村さん。多くの人が夢中になる国・台湾の魅力を余すことなく伝えてくれる熊本県菊池の“リトル台湾”。次に訪れる際はどんな風に進化しているのか、楽しみは尽きない。

SUM

美豆花

photo:大塚淑子

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