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「林業の可能性を次世代へ」都市と森林をつなぐ〝山業家〟の話【バウムクーヘン】

木こり。コンセプトショップのオーナー兼キュレーター。木工作家。アウトドアイベントのオーガナイザー。いったい幾つの顔を持っているのだろう?と不思議になるほどだが、どの肩書きも、紛れもなく宮村啓さん、その人のもの。「森林(もり)と都市(まち)が共存する未来を」彼を貫く信念は大樹の幹のように強靭で、しなやかだ。年輪のように重なっていく人の輪、カルチャーの輪。その中心にいる宮村さんが、次世代に受け継ぎたいものとは。

訪れた人生の転機

以前は映画の仕事に携わっていた宮村さん。シネマコンプレックスの運営会社でエリアマネージメントを担当していたが、31歳のとき、資源リサイクルの世界へ飛び込んだ。都会から森林へ、華やかな映画業界から、ものづくりの現場へ。ドラスティックな変化の契機は何だったのだろう。

「規模の大きい会社にいたもので、いつも全国を動き回っていて、東北の震災も目の当たりにしました。それ以来、災害から家族を守るにはどうしたら良いか。いざというとき、どう行動するか……。常に頭に浮かぶようになり、地域や身近な自然に目が向くようになったんです」。もう少し自然を意識しながら暮らしてみたい。そう考えていた頃、地元福岡で木材のリサイクル会社を経営していた先輩から誘われ、思いきって福岡へ家族で移住。リサイクル・リプロダクトについてゼロから学んだ。

当時、手がけていたのは、通常であれば廃棄されてしまう木材を使った製品。真摯に素材と向き合ううち、いつしか興味は山そのものに向いていった。「木材はどこから発生して、どこへ辿り着くのだろうか。自分は木材を扱っているにも関わらず、木を切るところを見たこともない。林業がどういった世界かも知らない」と気づいた宮村さんは、仕事でつながりのあった地元の林業家に、作業の現場や仕事を見せほしいと頼み込み、山の現場に入らせてもらったそうだ。

「そのときに見た光景が今でも忘れられません。稲妻が走るような感覚がありました」と、在りし日の興奮が蘇るように、瞳に光が宿る。「ありのままの自然に身ひとつで向き合う林業家の姿、チェーンソー1本で大木を薙ぎ倒していく姿に、鳥肌が立ちました」。それからは、林業にのめり込み、遂には「自分も技術を身につけて、この世界で生きていきたい」と強く願うように。37歳のとき、5年過ごした会社に別れを告げ、独立。宮村山業株式会社を設立した。

「ただ、最初は苦戦しました」と苦笑する宮村さん。「林業は山間部に拠点が集中していて、林業を営む方々も、先祖代々の生業というケースが多いんです。その中に、新参者として熊本市内から参入していく障壁は決して低いものではなかった。なかなか仕事も得られませんでした」。とはいえ、そこでへこたれる宮村さんではない。口で説明するより仕事で判断してもらうしかないと考え、黙々と山に入り、仕事に打ち込んだ。その努力は、ほどなく実を結び、確実な出来栄えが評価されるとともに少しずつ業績を伸ばしていったという。今では、大規模な工事を請け負うことも少なくない。

市街地に拠点を持つ意義

宮村山業は、熊本市中央区坪井に本社を置いている。そう、熊本県ではほぼ唯一といって良い、中心市街地に位置する林業会社なのだ。山の近くに拠点を持とうとは考えなかったのだろうか。「もちろん、現場が遠いことで生じるデメリットも多々あります。でも、市内に拠点があることは弱みを転じて強みになる、これまでとは違った価値を生めると信じていました。例えば、規模の大きい不動産や建設の会社、行政の中枢機関は、熊本市内に集中しています。現場は遠くとも、お客様との物理的・心理的な距離は圧倒的に近いんです」

また、林業業界は深刻な担い手不足でもある。「自分と同じように、何かのきっかけで林業を知り、目にする機会さえあれば、飛び込んできてくれる人もいるはず」と考えた宮村さんは、若者が林業に触れる機会を増やすべく種を蒔いていった。「いろんな職に興味を持つ若年世代も、圧倒的に街中の方が多いでしょう?」と笑う宮村さん。林業という仕事に触れ、自分が衝撃を受けた「林業ってカッコいい」の感動を再現できたら。そんな思いから生まれたのが、都市の中にある森”Urban Forest”をテーマに掲げるコンセプトショップ「Baumkuchen」だ。

山や木の素晴らしさを伝えたい

宮村さんは、現役の林業家として活躍する傍ら、不定期でオープンするコンセプトショップ「Baumkuchen」のオーナーとして、自ら店に立っている。「お店を始める前からBaumkuchenというプロジェクト名と、資源への感謝の気持ち、輪の広がりをイメージしたロゴマークだけは決めていました。山や木に関することを発信する場づくりがしたいと思っていたんです」

コンセプトショップという形態が決まり、お店をオープンしたのは独立して4年目の春のこと。「オープン当時は、コロナ禍の真っ只中。世の中が閉鎖的だったこともあり、自然の中で過ごすキャンプやアウトドアのブームがやってきました」。自社で伐採した木から生まれる薪やスウェーデントーチ、愛用しているメーカーのアウトドアグッズetc…林業家だからこそ、リーズナブルに質の高いものを提供できる強みを活かし、たちまちアウトドア好きの注目を集めた。

「オープン当時と今では、取り扱うアイテムも雰囲気も少し違ってきていますね」と店内を見回す宮村さん。現在は、林業の仕事で伐採した木を資材=ストックと考え、それにまつわるプロダクトを中心に取り扱っている。無駄な装飾を削ぎ落とした店内に並ぶのは、木工作家さんに資材を提供して製品化を実現した木製のカトラリーや、スケートボードから生まれたアップサイクルのルアー、小国杉を用いたウッドスピーカーなど、多角的に木の魅力を伝えるアイテムの数々だ。さらに、驚くべきことには、宮村さん自身も個人名義で作家活動をスタート。その作品が店頭に並んでいるという。

「もともと、趣味として木工のものづくりを楽しんでいましたが、お店を通じていろんな作家さんと知り合いになるにつれて、本気で挑戦したいという意欲が湧いてきて……(笑)」。忙しい日々を縫って目標とする作家に弟子入りすることに。「何度もダメ出しを受け続け、やっと太鼓判をいただけました」と破顔する宮村さんの手には、虫喰いすら美しい紋様に昇華された、静かな佇まいのプレートが。「同じものはひとつとしてない、一期一会のものづくりです。私が手がけたものは、木材の産地や種類も明記するようにしています」と宮村さん。

「林業という仕事をしていると、住宅や家具には使えない“端材”と呼ばれる木材が必ず出ます。例えば、根っこに近い部分、枝の部分、節が目立つ部分など。1本の木から、住宅や家具に使用できる木材は6割程度しか流通されず、残りの4割は廃棄されたり、山に放置されたりしているのが現状です」

林業において、重要な仕事のひとつが災害復旧。豪雨災害の現場に入った経験が、宮村さんのものづくりの指針を決めた。「山に放置された木材が山から崩れ落ちて、川を氾濫させたり家屋を潰したりしている現場を目の当たりにして、混乱したんです。普段、自分たちが行っている伐採が災害を大きくしているのでは? その自分たちが、災害復旧のために、また山に入る……。これって何なんだろう?と。悶々とした日々を過ごし、出した結論が、現場に丁寧な処理を施すことと、伐採した木を余さず使い切り、持続可能な環境づくりに取り組むことでした」

さらに輪を広げていくために

「山や災害をめぐる現状は、あまり一般に知られていないですし、言葉だけで理解してもらうのも難しいと思います。手に取ったプロダクトに興味を持つことで、その裏側にあるストーリーに思いを馳せてもらえたら」。林業の会社を運営する自分たちだからこそ可能な、独自の啓発のかたちを模索してきた。

アパレルブランドでのPOPUPや、イベントのディスプレイ、アウトドアイベントの主催など、さまざまな手法で、繰り返し、宮村さんは木の持つポテンシャル、価値を伝え続けている。「最近は飲食店、住宅メーカー、セレクトショップなどから、オーダーの仕事も増えてきました。この活動の広がりこそが、熊本市内で林業をやる意味なのかもしれないですね」と宮村さんは語る。「実は、当社の最年少社員とは、BaumkuChenのお客さんとして出会ったんです。彼はまだ20代で、もちろん林業は未経験ですが、一生懸命がんばってくれています。少しはカッコいい林業の側面を伝えられたと思うと、お店を始めた頃の夢をひとつ叶えられたのかなと」。次世代へ向ける眼差しは、優しく、温かい。

現在、宮村山業ではキッズ向けの木育ワークショップにも精力的に取り組んでいる。対象は未就学児から小中高校生までと幅広い。「今の子どもたちは、山に入ったり、木に触れたりする機会が昔と比べて圧倒的に少ないですよね。だから、まずは体験してもらいたくて」と宮村さん。地域の小学校で出前授業をしたり、高校生には実際に伐採から製材、プロダクトづくりまで体験してもらったりと、年齢や習熟度に合わせたプログラムを企画・提供している。

「幼稚園や小学校低学年の子どもたちと山に入ることもあります。切り倒した木を抱きしめて、ありがとう、おやすみなさいと、自然に労う言葉をかけている子どもたちを見ていると、この活動をやっていて良かったなと思うんです。今後は、大人向けのツアーも企画したいと考えています」

軸足は林業に置きながらも、多方面に活動領域を広げている同社。次なる企みについても教えてもらった。

「林業の作業拠点としてもお世話になっている、阿蘇郡西原村に木工の工房を建てようと計画しています。景観の良い土地なので、工房だけではなく人が集まって自然の魅力を体感できるような場所にしたいと思っているんです。農業、畜産、飲食など、異業種が一緒に新しいチャレンジをできるような空間づくりができたら良いですよね」

熊本といえば小国杉が有名だが、ブランドにこだわるつもりはないという。「私たちが使うのは、市場で高値がつかないような木。有名なブランド木材でなくても、これだけの空間ができるんだと。その可能性を示すことで、いろんな業界の人に伝播して、それぞれに変化を促してくれるのではないかと思います」

自分のやっていることは、常に実証実験と笑う宮村さん。まずは、やってみる。可能性を探る。そこから先は、バトンを受け継いだ人が新しいムーブメントをつくっていく。年輪のように人の輪が広がり、カルチャーの輪が広がっていく。そんなイメージが、Baumkuchenのロゴと重なって見える。

「山や木に携わる仕事をしている人間は、みんな仲間だ」。宮村さんは、独立前にベテランの林業家からかけられた言葉を、今でも大切に抱いている。「その思いに感銘を受けて、社名も林業ではなく、宮村山業にしました。これからも山に関する活動を、軸をぶらさず続けていきたい」と小さな盆栽を愛でながら、宮村さんは微笑んだ。

photo:大塚淑子

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