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「売れなかったおやき」は長野の看板へ……“焼き”にこだわる専門店【いろは堂】

長野県の郷土食といえば「おやき」。昔は家庭の囲炉裏端で焼かれ、主食やおやつとして親しまれてきた。近年、長野県内の観光地で湯気を立たせて販売されている光景は珍しくなく、冷凍でのお土産や通信販売も定着している。

信州・鬼無里(きなさ)に本店を構えるおやき専門店「いろは堂」のおやきは、ふるさと納税の返礼品としても大人気だ。ところが、おやきが現在の市民権を得るまでには長い道のりを経てのこと。いろは堂の女将、伊藤園子さんを訪ねて、鬼無里に向かった。

おやきが売れなくて苦労した時代

いろは堂のルーツは、大正14年に長野県小川村に創業した和菓子屋さん。和菓子の他に、パンや洋菓子も手がけ、昭和29年に鬼無里村へ移転した。おやき販売を始めたのは昭和40年頃。家庭とはひと味違った信州のおやきを、と商品開発に勤しんだという。

「当時、私は別の仕事をしていたのですが、父が生地を考え、母が中の具材を開発している様子を見ていました。父は、どうしたら冷めても固くならないおやきを作れるかといつも試行錯誤していましたね。納得のいくものができても、なかなか売れなくてね‥・」(伊藤園子)

当時を思い返す女将さんの表情から、その苦労がひしひしと伝わってくる。元来、おやきは、長野県北部の稲作が難しい山間地で、お米の代替食として小麦粉や蕎麦粉を原料に食べられていたもの。現在のように、都会から遊びにきた人がお土産として選ぶ習慣はなかった。

「白馬や戸隠のお土産屋の隅に、商品を置かせてもらっていたそうですが、おやきなんて田舎のもの、と思われてしまって、全然売れなくて。父が何十軒も回って頭を下げて、必死に動き回っていた情景が忘れられないんです」(伊藤園子)

昭和58年、鬼無里のミズバショウ群落が「日本の自然100選」に選出され、観光客が急増。また「ふるさと創生一億円事業」などの効果もあり、おやきが注目され始める。これらの好機とともに、先代の地道な努力と確かな味が少しずつ身を結び、平成3年に鬼無里に工場併設のおやき専門店をオープン。決してアクセスしやすい場所ではないにも関わらず、多くのファンを持つ人気店として今もなお成長し続けている。

美味しさの秘密は「揚げて焼く」こと

いろは堂のおやきは、油で揚げたのちに高温の窯で焼き上げる「揚げ焼き」という製法を採用している。信州の家庭の囲炉裏端でおやきが食べられていた時代、おやきを丸めて鉄板で「焼く」というのが一般的であった。中まで火が通らないので、焼いた後に囲炉裏の灰の中に入れて蒸し焼きにし、灰を落として食べるというのが伝統的な食し方。

「今は『蒸す』おやきが多いのですが、父は昔ながらの『焼く』ことにこだわっていました。色々と試すうちに、油で揚げてから焼くと、生地は柔らかく、冷めても美味しいということがわかったんです。生地に蕎麦粉を入れて発酵させ、モチモチ感を生み出すというのも父の発案です」(伊藤園子)

外はカリッと香ばしく、中はふっくらとした食感は、先代の長年の探求、開発の末にたどり着いたもの。生地の発酵は、温度や湿度によっても違い、一定のモチモチ感を出すのは現在でも難しいのだそう。

「昔は父に感覚で教わっていましたが、今は室内温度と湿度を毎日細かくデータを取り、生地の発酵が均一になるように管理しているんです」(伊藤園子)

厳選された具材と安全管理の徹底

いろは堂のおやきのもうひとつの特徴は具材がぎっしりと詰まっていること。野菜ミックス、野沢菜、ねぎみそ、かぼちゃなど、定番の具材は7種類。さらに山菜やキノコなど、旬の山の幸を取り入れた「季節限定おやき」も注目されている。

「最初は野菜ミックスとあんこの2種類だけだったんです。お客様からのリクエストで新しい具材を開発することが多くて、季節限定おやきは毎年新しい具材にも挑戦しています」(伊藤園子)

試食に出していただいたのは冬限定の「舞茸」。具材の多くは、信州味噌での味付けが主となるが、舞茸は醤油ベース。様々な醤油を取り寄せて試作を重ねた結果、善光寺の醸造蔵から取り寄せた無添加の醤油が、舞茸とベストマッチで選んだのだそう。あっさりした味わいと舞茸のシャキシャキ感がたまらない!

いろは堂のおやきで一番人気は「野沢菜」。具材に使う野菜もできるだけ信州産にこだわり、「ふるさとの味」を追求している。

「野沢菜は、県内の農家さん中心に契約栽培しています。有機農法で土がとっても良くて、柔らかい野沢菜ができるんです。それを浅漬けにして、酸化しないように銅鍋で茹でてから使っています」(伊藤園子)

数十名のスタッフにより、大量に製造されるおやきは、食の安全への配慮も忘れない。食材に異物混入などないように、金属探知機で全て検査、出来上がったものも全部チェックして、異物はもちろん、3グラムの誤差もはじくという徹底ぶりだ。

「田舎で作っていますが、全国の皆さんに安心・安全に美味しいおやきを味わっていただきたい、という想いが全てですね」(伊藤園子)

長野に新しい発信基地OYAKI FARMの誕生

2022年7月、創業100周年を前にした長い歴史の中で、新たな時代の1ページが刻まれた。長野市にオープンした、ひときわ目を引く建造物は、いろは堂の工場併設店舗「OYAKI FARM(おやきファーム)」。おやきファームを通して、新たなおやき文化の構築を目指すのは、伊藤園子さんの息子である伊藤拓宗さんだ。

「通信販売や支店での需要が増え、鬼無里工場での製造が追いつかなくなったため、数年前から新たな工場の建設地を探していました。長野インター至近という好立地にめぐりあい、どうせ建てるのなら工場だけでなく、店舗と工場見学やおやき作り体験もできるような施設にしようと企画しました」(伊藤拓宗)

拓宗さんは10年ほど東京で別の仕事に就き、Uターンで鬼無里に戻ると、外での経験を活かしながら、いろは堂の四代目として活躍。今の時代に合う、おやきのある暮らしを提案していく。

「囲炉裏とおやきという昔ながらのイメージも大切にしつつ、地元の方にも県外の方にも、幅広い世代に、おやきを親しんでもらいたいと思っています。たとえばコーヒーとおやきを合わせてみたり、アレンジおやきを出してみたりと、手軽におやきを楽しんでいただければ」(伊藤拓宗)

施設内のカフェ&ショップでは、「おやきドーナッツ」やおやきに合うオリジナルブレンドコーヒーなど、これまでのおやきの概念を覆すような商品が並ぶ。週末には整理券を配らないとカフェに入れないほど、すでに大盛況だ。

工場見学による作り手と消費者の良い関係

カフェの裏側は、一面ガラス張りとなっており、おやきの製造工程を誰でも自由に見学が可能。ここでは各支店や通販用の出荷分をメインに、年間500万個ものおやきを製造している。

「従業員の皆さん、とても丁寧でいい仕事をしているんだから、見てもらったら?と思って製造工程を公開することにしたんです。見られる側はプレッシャーもあるし、信頼と安心がないとできないこと。小学校の社会科見学も受け入れているんですが、子供たちから『おやきを作ってくれてありがとう!』という手紙が届くんですね。製造工程を見せることで、子供たちも喜び、その喜びが作り手に届いて励みになるという良い循環が生まれています」(伊藤拓宗)

工場見学の他に、予約制の「おやき作り体験」も子供たちに大人気。昔は当たり前に信州の家庭で取り入れられていたおやきを作るという文化が、身近に感じられる体験となるだろう。

おやきのような円い循環が続くように

信州の自然環境が生んだソウルフード、おやき。おやきファームの建物は、360度、周囲を取り囲む山並みのように緩やかなアールを描き、ふんだんな自然素材が使われ、風景に溶け込んでいる。ここにも拓宗さんの想いが込められている。

「おやきの目指すところと同じように、新しいのだけれど普遍的な空間にしたいと思い、設計していただきました。材木は全て県産材の杉、土壁はこの土地を造成するときに出た土を使っています。丸いおやきに合わせて外観も丸く、円を描くような循環をイメージしました」(伊藤拓宗)

建築材だけでなく、建物を手がけた設計士や大工さんも長野の職人たち、店内の家具も県内の家具職人、オリジナルグッズは地元の若いクリエイターと組むなど、食材も人材も地産地消を大切にしている。

「おやき=長野の看板を背負っているようなものです。地域に愛される企業であり、商品でないとならないと思っています。今後は、地元の農家さんと連携したマルシェやイベントも定期的に行なっていきたいですね」(伊藤拓宗)

鬼無里本店には、おやきを食べに来たお客さんが、感想などを綴る「お客様ノート」が置かれている。その数、500冊近く! 美味しかったおやきの感想や、旅の思い出など、過去のノートを閲覧するのも楽しい。

お客さんの声にしっかり耳を傾けながら地道におやきを作り続けてきた、いろは堂の作り手たち。いろは堂のおやきを頬張ると、ほっこりと温かな気持ちになるのは、先代から受け継がれてきた作り手の優しさがぎっしり詰まっているからだろう。

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