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「手づくりには甘えない」130年続く醤油店、若き夫婦の挑戦【鈴木醤油店】

130年以上の歴史を誇る福島県岩瀬郡天栄村の「鈴木醤油店」。いまも「手づくり醤油」を堂々と名乗る老舗だが、その道にはさまざまな紆余曲折があった。震災で一度は途絶えた昔ながらの仕込みを、再び復活させた道程とは。小さな蔵を営む若き夫婦の、大きな志を追った。

訪れる前日は発酵食品、特に納豆は控えてください

天栄村にある鈴木醤油店を訪れる前、そんなお達しがきた。発酵を扱う醤油蔵だからだろうが、訪れる前から少し背筋が伸びる思いがした。

訪問前日、発酵食品以外を口にせねばとあれこれ考えたが、これがなかなか難しい。納豆はもちろん、醤油も味噌も発酵食品だ。洋食ではパンもチーズも発酵によって生まれている。ふと気づくと、私たちは発酵食品に囲まれて暮らしている。そもそも発酵とはなんだろう。中でも発酵食品として身近にありながらも、どこか謎めいているのが醤油だ。

発酵について、醤油について、グルグル頭をめぐらせながら鈴木醤油店を訪れた。郡山駅から車で1時間弱、昔ながらの製法で醤油をつくる蔵だ。抜けのいい田園風景を過ぎて集落に入ると、急に道が狭まった。車社会になる前の時代からの集落なのが見てとれる。細い坂道を上がった先に現れるのが、鈴木醤油店。130年以上の歴史を誇る、老舗の醤油蔵だ。

ここまで聞くと頑固な職人さんが腕組みをして待っているイメージかもしれない。けれど実際に出迎えてくれるのは、ていねいかつ、にこやかな若き夫婦だ。

全国でも数少ない、「手づくり」を名乗れる醤油

鈴木醤油店は5代目の鈴木英司さんと奥さん、その息子の良浩さんと奥さんの洋子さんの4人で切り盛りしている。

鈴木醤油店の看板醤油「平右衛門」は、昔ながらの製法を守った手づくりの醤油だ。実は醤油で「手づくり」を名乗るには、いくつか定義がある。例えば麹蓋や筵(むしろ)を使い、人の手によって製麹することなど。全国でその条件をすべて満たす醸造所は多くない。

とはいえ、鈴木醤油店が伝統の製法を守る理由はシンプルだ。「うちはとても小規模の蔵で、続けていくにはこれしかなかった。昔ながらの方法が一番だったんです」。

一般的な醤油製造の歴史は、日本の歩みとリンクしている。高度経済成長期には、多くの蔵が協同化の道を選び、設備投資を行った。安定した品質を保つために、醤油は工場で機械的に管理された中で、まるで工業製品のように生産されるようになっていく。

鈴木醤油店もその流れに乗りながらも自蔵での醤油仕込みも細々と続けていた。協同生産や工業化の波の中でも醤油づくりを続けられたのは、「当店がとても小さな蔵だったから」。鈴木さん夫婦は決して吹聴しないが、地域の人々に愛されてきたからだろう。

震災からの復興、体が覚えていた醤油づくりの所作

長い歴史を紡いできた鈴木醤油店だが、震災では大きなダメージを受けたという。「震災の直後、父親とは連絡がとれませんでした。これは最悪のこともあるかもしれないと、一時は覚悟を決めました」と良浩さんはあの日を回顧して語る。

当時、良浩さんは東京で醤油づくりとは縁のない仕事をしていた。震災後に蔵に戻ってみると、壁が落ちていたり、釜にヒビが入っていたりと大きな損害を受けた。その影響もあり、5代目である父・英司さんも一時は仕込みをやめていたという。その後、良浩さんが蔵に入って仕込みを再始動させたのは、結婚がきっかけだった。ただし、「父も絶対に継げと言っていたわけではありません。ただ自分の中では、跡を継ぐのが自然の流れでした」。

一方で伴侶となる洋子さんは神奈川県川崎市育ち。「正直、最初は醤油が大豆と小麦からできていることすら知らなかったんです」と笑う。

「それでも、初めて仕込みを見たとき、お父さんと主人の動きがものすごく自然だったんです。台に広げた大豆を冷ます動作などが、流れるように進んでいく。それを見ていたら、この醤油づくりを守っていきたいと覚悟が決まりましたね」

良浩さん自身、小学生の頃から醤油づくりを手伝ってきたという。「醤油づくり、特にうちみたいに手づくりするのには人手がいるんです。この家に生まれたから、手伝うのは当たり前という感じでしたね」と良浩さん。中断した時期もあったが、体は醤油づくりを覚えていた。

大好きなのに憎い、納豆菌との戦い

こうして鈴木醤油店は震災で被害を受けた蔵を修復し、昔ながらの製法での醤油づくりを復活させた。とはいえ、最初からうまくできたわけではない。今でも特に仕込み時期の1~3月は気を遣う。

「今はもう大丈夫ですが、最初の頃は蒸した大豆が麹にならずに納豆になってしまったこともありました。そうなると、全部廃棄です……」

納豆菌はどの土壌にも存在し、特に稲わらに多く生息している。田んぼに囲まれた天栄村は「納豆菌に囲まれている」という。しかも食べた後の呼気からも納豆菌が排出されるので、普段は二人とも納豆を食べないそうだ。

それでも「実は二人とも納豆が大好きなんです。だから仕込み以外の時期で、一年に何日か『納豆解禁日』を設けています。普段食べられないから、よけいにおいしく感じますね」と笑う。

確かに鈴木醤油店を訪れる前日だけでも、発酵食品を控えることに頭を抱えてしまった。そう考えると、醤油づくりは鈴木さん夫妻の生活を形作っている。二人は自然体だが、やはり覚悟のいる仕事だ。

木桶と蔵に130年以上住まう、小さき生き物たち

訪れたのは2月で、仕込みの真っ最中だった。郡山では青空が出ていたものの、天栄村はヒンヤリとした冷気に包まれている。天栄村のこの寒さが、麹づくりにも良い作用をもたらすという。蔵を案内してもらう時には、靴を専用のサンダルに履き替えた。「納豆菌がついてきませんように」。心の中でひそかにそう願う。

まず案内してもらった石造りの室では、麹蓋を使っての麹づくりが行われていた。いまや全国でも麹づくりから手作業している醤油蔵は数えるほどだという。これも「手づくり」を名乗れる理由のひとつだ。

麹蓋の中には蒸した大豆が並べられている。大豆はお隣の郡山市産や、主に福島県産のもの、小麦も福島県産だ。

「やはり国産は安心して使えます。ただ素材がすごく重要かというと、例えば毎回大豆の大きさは微妙に違ったりもする。素材そのものよりも、むしろ工程が大事だと考えています」

整然と麹蓋が並んでいる下には、七輪で炭がたかれている。麹づくりの温度調整のためであり、さらに煤(すす)による殺菌作用もあるという。「自然の力ってすごいですよね」と洋子さんは目を輝かせる。

先に進むと醤油の香ばしい香りがぷうんと強くなっていった。奥の蔵には巨大な木桶8つが並んでいる。昔ながらの醤油蔵らしい、重厚な景観だ。足を踏み入れると、それまでとは少し空気が変わったような気がした。なんだか神社で鳥居をくぐった時のような、そんな面持ちになる。

この木桶に室で手作りした麹と塩水を混ぜて、もろみを仕込む。もろみを手作業でかき混ぜるのも、「手づくり」を名乗れる理由のひとつだ。毎回櫂棒を使って、人の手でていねいにかきまぜていくという。そこから約3年という長い歳月をかけて、鈴木醤油店の「平右衛門醤油」が完成する。

「通常、発酵・熟成は1年程度のことが多いです。だけどうちはその約3倍の時間をかけています。ただ長ければ長いほどいいというわけではありません。その期間がうちの醤油にとってぴったりなんです」

見ると木桶の淵にはびっしりと糸のような綿のような菌がついていた。初代・虎蔵の時代から使い続け、130年以上ももろみを受け止めてきた木桶。蔵に入ったときに感じたのは、ここに住まう微生物の気配だったのかもしれない。

「この蔵で作るから、どの醤油もうちの味になるのだと思います」。醤油づくりは、小さな生き物と真摯に向き合い、大切に育てていく作業なのだ。

昔ながらの製法で、現代に通じるおいしさを

こうして約3年の月日を経てつくられた平右衛門醤油は、濃口、甘口、再仕込の3種類。濃口は赤身の刺身やおかかに合い、焼きおにぎりにもいい。「出汁を入れず、醤油だけで炊き込みご飯にしてもおいしいですよ」と洋子さん。

甘口はまろやかな風味があり、たまごかけごはんやお吸い物、白身の刺身に合う。「あとは納豆にかけるのもおすすめです。私達は食べられないんですけど!」と、二人は苦笑する。

再仕込は塩水の代わりに醤油で仕込んだもの。旨味が凝縮されていて、照り焼きのタレや揚げ物のソース代わりなど、主張のある食材にも調和する。

「まずは炊き立ての白いご飯にタラっと垂らすと、おいしさがよくわかります。うちの子どもも好きで。お行儀が……と言われるかもしれませんが、もりもり食べてくれるとうれしくなります」

自らが手づくりした醤油を語る二人は、ていねいな口調だが、どこか声が弾んでいる。「やっぱり一番うれしいのは『おいしい』と言ってもらえること。昔ながらの製法を守りつつ、現代の人にもおいしいと言ってもらえるものをつくるのが大事だと思っています」。

「だからこそ、新しい挑戦は続けていきたい。小さい蔵だからできることがたくさんあると思っています」と真っすぐに語る二人。醤油の瓶には、伝統を守りつつも、新たな挑戦を忘れない若き夫婦の志が宿っている。

家に帰って平右衛門醤油を開けるとき、1滴も無駄にしないぞと心に誓った。約3年の月日をかけて手づくりし、ラベルまで夫婦の手で貼っているというのだから。

醤油をちょっぴりなめてみると、塩味がしっかり立ったあとに、じんわりと奥深い旨みが広がった。鈴木さん夫婦にはちょっぴり申し訳ない気持ちがしながらも、その晩は納豆に平右衛門醤油をたらし、もりもりと食べた。

Photo:小田駿一

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