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「お金=幸せ」ではないから国内消費量1%を目指す発酵珈琲【宮出珈琲園】

日本で育ったコーヒーは「個性がない」。そんな業界の定説を塗り替えるコーヒーが徳之島にある。年間平均気温は21度。コーヒーの木が育つギリギリの環境にも関わらず、収穫に至るまで無農薬、無肥料のコーヒー。芳醇な味わいを引き出すのは、日本古来の伝統技術である“発酵”。さらに、コーヒーの果皮や花、葉を生かしたプロダクトの開発。オリジナリティあふれる手法で国産コーヒーの栽培に挑むのは「宮出珈琲園」の宮出博史さんだ。

2023年4月には、農業生産法人「うむい」を設立。奄美大島に「Terrace Coffee Fields」を立ち上げ、国産コーヒーの産地化に向けて、本格的に動き出したばかりだ。宮出さんが人生を賭けたコーヒー栽培は、島を起点に大きなうねりを生み出している。

異色の経歴を経て、導かれるように徳之島へ

徳之島の南部に位置する、大島郡徳之島町。緑に覆われた秘密基地のようなこの場所で、宮出さんはコーヒーの栽培に取り組んでいる。

元々カーレーサーだった宮出さんは、25歳の時に愛車を手放し、大阪で弟と一緒に飲食店の経営を始める。いくつもの店舗を展開するほど、経営は順風満帆。けれども、あまりの忙しさに家族との時間もままならない日々が続いた。そんな中で、自身の生き方を顧みた宮出さんは30歳の時に、それまでの飲食店の経営から身を引く。2007年に大阪でカフェを開くと同時に、徳之島でコーヒーの栽培を始めた。

「徳之島の年間平均気温は21度。コーヒーの木が育つギリギリの環境です。国内でのコーヒー栽培は、本州はもちろん、徳之島での栽培事例もほとんどないため手探り状態だったけれど、やってみる価値はあると思いました」

そう語る宮出さんのコーヒー栽培は、とてもユニークだ。農薬は使わず、畑を耕すこともない。

「コーヒーの木を植えた後、一定期間は有機肥料を与えます。その後は日射量の調整や風通し、土壌改良や剪定、防風対策など、畑や森の手入れをしながら、徐々に肥料の量を減らし、最終的には無施肥まで持っていきます」

コーヒーの木が実をつける頃には、肥料を与えなくてもしっかり育つ状態まで、コーヒーの木と森の力を引き出していくという。

「もちろんコーヒーの成長は、ゆっくりです。だけど、その代わり信じられないくらい強く育ちます。収穫量も落ちますが、自然の中で自分の力だけでたくましく育ったコーヒー。そんな一杯を僕は飲みたいと思います」

その言葉には、宮出さんなりの“究極の1杯”に対する答えが詰まっている。

経験値も、前例もない。どこにも正解がない中でもがき続けた結果、たどり着いたのは、農業と林業を組み合わせた「アグロフォレストリー」と呼ばれる農法だった。森の手入れをしながら“自然の一部をいただく”という発想に基づき、コーヒーを育てながら、椎茸やシークニン(徳之島固有のシークワーサーの原種)など、さまざまな作物を育てている。

“発酵”を味方につけて、豆の個性を引き出す。

ところで日本で育ったコーヒーは、「個性がないのが個性」と揶揄されるのが常だという事実をご存知だろうか。日中の寒暖差が弱い日本の気候では、酸味が少なく香りが弱くなってしまうのだ。そうした常識を塗り替えるために、宮出さんが持ち前の発想力で見出した方法がある。日本古来の伝統技術の“発酵”だ。

コーヒーを精製する過程で、天然酵母による発酵プロセスをいれることで、豆の風味や旨味を引き出すというもの。徳之島の特産物であるフルーツと、コーヒー豆を長期定温熟成させる独創的な手法だ。この過程を経ることで、フルーティーで芳醇な香りとコクを引き出し、純度の高いチョコレートのような余韻を醸すコーヒーに仕上がる。宮出さんの「発酵珈琲」は、国産コーヒーの新境地を切り拓く、大きな可能性を秘めている。

“自家栽培”に可能性を感じ、島の農地を購入

そもそも宮出さんが徳之島でコーヒーの栽培に挑戦することになったのは、自身が経営していた飲食店から身を引き、大阪にカフェを開いた2007年のこと。人生の新たな一歩を踏み出したタイミングと同時期だ。

「農業経験はゼロ」。そう語る宮出さんが、徳之島で農業を始めたのはなぜ?きっかけは、徳之島出身の親族から「サトウキビ畑を買ってもらえないか」という突然の電話だった。

「電話を受けた時は、もちろん戸惑いました。でも、当時から将来的には自家焙煎のコーヒーショップが増えるだろうと言われていましたし、飲食店の経営をする中で、食材の生産から取り組むことの必要性を強く感じていました。そうした背景もあって、農地購入の話を受けたときに、“自家焙煎”ではなく、“自家栽培”のコーヒーをやってみよう。そこで差別化を図れるなら、面白いかもしれない、と考えたんです」。当時30歳。無謀とも言える挑戦だが、徳之島に土地を買ったことで、それまでの人生に感じていた閉塞感は、不思議と消えていた。

「お金=幸せ」ではないから、諦めなかった

徳之島に約3000坪の農地を購入した日から、自身のカフェを営む大阪と徳之島の2拠点生活がスタートした。手に入れた広大な農地には、約2500本のコーヒーの苗木を植えた。通常コーヒーの実がなるまでには、3〜5年かかると言われているため、カフェと2足の草鞋で凌いでいた。ところが、収穫まであと一歩のところかと思われた4年目、てしおにかけて育ててきた2500本の苗木が全滅する。原因は、台風被害だった。

一般的に「コーヒーベルト」と呼ばれる、コーヒー栽培が盛んなエリアは、赤道を挟んで南北25度の範囲にある熱帯・亜熱帯性地域にある。これまで日本でコーヒーの栽培が行われてこなかったのは、日本列島が浮かぶ位置に理由がある。加えて四季のある日本は、夏は暑過ぎて、冬は寒過ぎる上、年間降水量も多い。年々増え続ける台風被害も避けられない地域でもある。そうした環境的な要因をカバーするには、コストがかかりすぎてしまうためだ。

「日本での栽培は、無理かもしれない」そんな考えが脳裏をよぎる。絶望の淵に立たされた宮出さんは、目の前の現実にとらわれることなく、再び原点に立ち返る。

コーヒーの産地である本場エチオピアの栽培環境に着目したのだ。すると、エチオピアでコーヒーが育てられているマザーツリーのある森と、徳之島にある緑に覆われた耕作放棄地の段々畑の風景が重なって見えたという。何十年と放置され、森と化しつつある耕作放棄地。そこには、独自の生態系が生まれている。それを丁寧に読み解きながら、森に根ざす命とともに、コーヒーの木を育んでいる。

「振り返ってみれば、30代は1円も稼げなかったんです。それでも諦めなかったのは、“お金=幸せ”というモノサシで生きてなかったから」と宮出さんは笑う。

初めての収穫に至ったのは、11年目の春のこと。収穫できたコーヒーは、わずか10キロほど。それでも宮出さんの中では大きな成果だった。

収穫の手応えを感じられた2018年、宮出さんは徳之島に本格的に移住する。

花や葉も味わう、世界でも珍しい試みに注目

ユニークな発想を生かしたコーヒープロダクトも好評だ。コーヒーの花や葉を使ったお茶、コーヒーの果皮を使ったカスカラティーの開発など、コーヒーの実以外に着目。世界的にも珍しい取り組みは、各方面から注目を集めている。「将来的には奄美群島が国産コーヒーの産地となり、海外の産地までこの事例を伝えたい」と思いを口にする宮出さん。なぜならば、海外で生産されているコーヒーは、先物取引として安価に買い叩かれている現状があるからだ。

栽培から焙煎まで持てる限りの技術を伝え、コーヒーの実以外の部分の商品化を試み、世界中のコーヒー農家の収益を上げ、自立を促すこと。それは、宮出さんの活動の先に描く、大きな希望だ。

その活動に共感する人も少なくない。全国からボランティアやファームステイの応募が後を絶たないのだ。

「僕ができることなんてほんのわずか。ですが、うちにファームステイやインターンに来てくれた子たちは、コーヒーや自然のエネルギーのおかげで見違えるほどたくましく、人間らしく育っていきます。

それに、都会には“帰る田舎がない”という方も多い。いつでも帰れる場所を、この島に作っておきたいと思っています」

そう語る宮出さんは、活動を支援したいという人々の声を追い風に、2023年4月、農業生産法人「うむい」を設立。奄美大島に「Terrace Coffee Fields」を立ち上げた。

「ここまで来れたのは、仲間の存在があったから。これからは自分を頼ってくれる人たちが農業で自立できるように育ててあげたい。数年前からマニュアル化は進めて来ましたが、より多くの人を受け入れるための教育プログラムを確立する必要性を強く感じていました」

奄美大島のフィールドでは環境配慮型の農業や、国産コーヒー栽培の知識と技術を伝えるとともに、国内消費量のシェア1%まで引き上げ、産地化を目指す。まずは、かつて大島紬の蚕の餌となる桑の木畑だった奄美大島の耕作放棄地に10万本のコーヒーを植えることから始めている。

「東京で学んだり、現地を訪れたり、コーヒーの学び方は色々あると思う。でも、本当の意味での学びは、自分で植えて、自分で摘んで、淹れる。その過程にある」と宮出さんは言い切る。

ゼロからはじめたコーヒー栽培。無数のトライ&エラーを繰り返しながら、畑から商品化まで、たった1人で6次産業化を担ってきた宮出さん。今、積み上げてきた実績が実を結び、描いてきた夢は、ひとつ、またひとつと実現に向けて動き出している。

その一杯が物語る、人生で大切なこと

いくつもの困難に見舞われながら、それでも“徳之島”と言う場所に根を張り続けた理由を問う。

「コーヒー栽培を始めた30歳の頃から思い描いている理想は、60歳になった時に森の中で小さなコーヒー屋を開くこと。それまでは紆余曲折して、失敗もたくさんした方が、おいしいコーヒーになると思っているんです」

自身の失敗を笑い飛ばし、前へ進むエネルギーに換えてきた宮出さん。

「それに島の人たちは生き方がシンプルで駆け引きが一切ない。育てた作物と同様に嘘がなくて、生命力にあふれてる。人間の本質的な部分が残っていることを強く感じます。それが自分にとっては、何より心地よいんです」

宮出さんのパワーの源は、島に暮らす人々の生き様そのものにあるようだ。

「コーヒー、淹れましょうか」

木漏れ日が緑を照らす。BGMは、森が奏でる自然界の音。みずみずしい森の香りと、挽きたてのコーヒーの香りが鼻をくすぐる。こぼれ落ちるその一滴一滴に、宮出さんの人生が詰まっている。静かに差し出してくれた唯一無二のコーヒーは、時には「立ち止まる勇気も必要だよ」と教えてくれているようだった。

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