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隈研吾氏の建築が並ぶ村づくり「富山でくすりに頼らない」理由は【ヘルジアン・ウッド】

見上げれば、空の半分を埋めるように立山連峰が目に入る。水田が広がる富山県立山町には、アロマ工房やレストラン、サウナなどが点在している一角がある。「ヘルジアン・ウッド」と名づけられたその施設は、前田薬品工業の3代目が「薬に頼らない世界を作りたい」と、ハーブやアロマ事業を軸として手がけている事業だ。製薬会社が「薬に頼らない世界」を目指す理由とは? 現在の取り組みと、今後の広がりについて話を聞いた。

製薬会社が目指す薬に頼らない世界

一瞬、今いる場所が日本ではないような気がしてくる。田園風景のなか、車を走らせていると木造の瀟洒な建物がポツンポツンと現れるからだ。近づくにつれ、その周辺にはラベンダーなどのハーブ類が植えられていることに気づく。田んぼのなかに突如として現れた「ヘルジアン・ウッド」というこの場所は、アロマ工房、レストラン、サウナ、スパ、イベントスペースといった施設が点在していて、それらがウッドデッキで繋がっている。

「いろいろな土地をまわって、やっと見つけた場所です。売りに出ていたわけではなく、自分で地権者の方々に話をして譲ってもらったんです。自分たちでハーブを育てて、アロマを抽出する工房を作りたいという思いがあったからでした」と話すのは、前田薬品工業の3代目社長である前田大介さんだ。

自ら車を運転し、富山県内をまわった末にこの土地を見つけた。土地の所有者を調べるところから始め、地権者に集まってもらってどんなところにしたいか自分の考えを伝えたという。

そこまでしてアロマ工房を作りたかった理由は、自身の経験からだった。

「30代の半ばだったと思います。ひどい頭痛に悩まされた時期がありました。病院に行っても、薬を飲んでも、整体に通っても、何をしても治らない。そんな時に知人が連れて行ってくれたのがアロマサロンだったんです。ハーブの香りですっとからだが軽くなって、頭痛も消えていった。それまでアロマには興味がなかったし、正直効果があるとは思っていなかったので驚きました。自分でもやってみたい、製薬会社としてやるべきじゃないか、と思ったんです。常々、薬に頼らない世界を作りたいと考えていたので、新たなチャレンジとしてやろうと決めました」

建築家・隈研吾氏による設計が目をひくアロマ工房

製薬会社が「薬に頼らない」というのは、矛盾しているように感じるかもしれない。しかし、前田さんはそうでないとキッパリと言い切る。

「もちろん、薬にしかできないことはあります。でも、何もかも薬で解決すればいいわけでもない。そもそも薬の役目って『体と心を健やかにすること』だと思うんです。製薬会社としてその目的を達成できるなら、その手段はハーブでもいい。薬よりもからだに負担がかかりにくいですしね」

日本に存在する製薬会社は約320社。当時、前田さんが調べたところでは、アロマオイルの抽出を手がけているところは一社もなかった。新規事業として踏み出すべきだと判断したというわけだ。

経営危機の立て直しから始まった社長業

決して順風満帆に新規事業を始めたわけではない。2014年、前田さんは34歳で社長として就任したが、その前年には医薬品のデータ改ざんが発覚。社長として経営を立て直さなければならない状況だった。くだんの頭痛の理由は、当時の忙しさやストレスゆえのものもあったのだろう。

「改ざんが発覚し、父である社長が引責辞任をして、急遽私が社長になったんです。ほかにも改ざんがないか全製品のデータを洗い出しながら、取引先や銀行へのお詫びや説明、手がけていた製品の見直しや、経営体制と人事制度の刷新など、とにかく無我夢中で会社を立て直すために動いていました。そういうストレスからの頭痛もあったんでしょうね。それでも、なんとか3年で経営の立て直しの目処がたったところで、新たなことを始めたいという気持ちを持てたんだと思います」

アロマ事業を手掛けるにあたって前田さんが考えたのは、ただ精油として抽出するだけではなく、ハーブを育てるところから手がけるということ。そのためには豊かな土地が必要だった。この場所を見つけ、農地を持つために農業法人としての別会社を設立。地権者と話をしながら少しずつ進めていくことにした。

「地権者と話すうちに、さまざまな不安があることに気づきました。当時は12世帯が暮らしており、休耕田や空き家が目立っていました。また、小学校の廃校も決定。高齢化が進み、農家としての後継者もいない。いわゆる限界集落。でもね、だからと言って僕にすぐ売ってくれるわけでもない。先祖代々大事に受け継いできた土地ですからね、当然です。ましてこんなにも美しい場所ですから、気持ちはわかります。だからこそ、その思いを理解し、一緒に進める施設を作る必要性を考えました」

窓の外に田園風景が広がる気持ちのいいレストラン。ハーブを使った料理をコースで提供している

アロマ工房にとどまらず、レストランやサウナまで事業を広げていったのは、ここを訪れる人を増やしたいという思いからだった。限界集落にたくさんの人が足を運ぶようになれば、活性化につながる。土地の魅力は必ず伝わると前田さんは信じている。

「僕は富山湾近くの、田んぼが広がるところで育ちました。立山連峰と海が近いということは、目に映る風景が美しいだけじゃなく、自然の恵みである食も豊かなんです。それを伝えられたら、たくさんの人が来てくれるはずだと思いました」

土地の魅力を損なわないよう、田園風景になじむ設計を建築家の隈研吾氏に依頼した。また、周辺の伝統的な集落の形態に倣って、建物を点在させるように。じつは、もともと農地だった場所にこのような施設を作るのは、さまざまな条件をクリアしなければならない。

「農道しかない場所でしたからね。まず公道から私道を通し、さらに農道を町道にして、緊急車両が通れるようにウッドデッキを這わせて。前例がないので、行政に提出する書類もたくさん作らなくちゃいけなかったんですよ。でも前例がないとは、それだけ新しいことだと思ってやるしかない。大変でしたけどね」と笑う。

そうして、アロマ工房、レストラン、イベントスペースに続き、スパやサウナホテルと順に施設を完成させてきて、今に至るというわけだ。

一棟貸切型のリトリート・サウナホテル「ザ・ハイブ」。六角形の半地下構造で注目されている

世界一美しい村にするためにヴィラやスクールの計画も

ハーブ畑では、ラベンダーやローズマリーといった代表的なハーブだけでなく、日本ハッカやヨモギ、セリなどの日本ならではの品種もあり、約25種類のハーブが豊かに葉を揺らし、花を咲かせている。ガラス張りのアロマ工房からは、その姿をみることができ、工房内には抽出するための設備はもちろん、キーカラーである深いブルーの容器に入った商品が並ぶ。精油そのものから、マッサージオイル、スキンローション、ハンドクリームまでさまざまだ。

製薬会社としてのノウハウと新たなハーブを組み合わせて立ち上げた天然国産アロマブランド「Taroma」
ヘッドマッサージ用のスプレーや、香りも良く、保湿効果も高いヨモギを使ったスキンローションなど

育てて、さらに精油を抽出して、製品を作るところまで一貫してやっています。自分が頭痛から救われたように、ここに来た人のからだや心が少しでも健やかになってくれたらという思いからです。化学合成の医薬品を作っている会社ですけど、病気になる人をつくらないような『予防』と、病にかかった後の『アフターケア』も担うべきだと考えています」

レストランでは、ここで育てたハーブを中心に、近隣の生産者による野菜や、富山湾で採れる魚介を使った料理を提供している。その雰囲気と眺めの良さから、ウェディングパーティとしてもよく使われていて、県外の人も足を運ぶきっかけになっているという。

「食後にはオリジナルの『メディカルハーブティ』をお出ししています。二十四節気に合わせてブレンドしているもので、その年の気候に合わせて変えているんですよ。ちなみに、料理に使っている野菜は、イベントスペースで購入できるようにしています」

3か月に一度、週末限定で開催されるのが『立山朝市』。近隣の生産者による野菜だけでなく、お菓子の販売やヨガ教室などさまざまなイベントも行っている。

また、一棟貸しのリトリート・サウナホテル「ザ・ハイブ」は、“今行くべきサウナ”を発表する「SAUNACHELIN2022」にノミネート受賞するほどの人気だ。

サウナホテル「ザ・ハイブ」の水風呂からの風景。天気が良ければ、奥に立山連峰を見ることができる

どの施設も着実に少しずつ認知され、県内はもちろん県外から足を運ぶ人が増えてきている。実際にこの地域に移住した人もいるほど、魅力はしっかりと伝わっている。それでも、まだまだこれからだと前田さんは続ける。

「古民家や蔵を利用した宿泊施設や、ヴィラ2棟に着工するところです。ほかにも、廃校になった小学校を活用してフードコートやコワーキングスペースを作る予定で、将来的にはインターナショナルスクールに発展させたいと準備しています。旅人が住人になってくれるような土地になったらいいな、と考えています。子どもや若者が増えてくれたら、ここでの暮らしも受け継いでいけますから。世界一美しい村を目指しているんです」

限界集落だった場所が、これからどんな広がりを見せていくのだろうか。次々と楽しそうに構想を話す前田さんが見据える未来に、終わりはなさそうだ。

ヘルジアン・ウッド

Photo:相馬ミナ

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