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世界農業遺産の5町村を一つにした、椎葉村に根付く洋菓子店の精神【カテーリ】

日本が抱える社会問題といえば「少子高齢化」「人材不足」「後継者不足」「待機児童」など、挙げればキリがない。特に地方ほどそれが顕著で、若者の地元離れによって過疎化している町も多いのが現状だ。しかし、そんな地域でも伝統的な産業や文化が今の時代にも受け継がれていて、世界からも評価されるほど魅力に溢れた場所が存在する。それが、日本三大秘境の1つでもある、宮崎県椎葉村(しいばそん)だ。

世界的に重要な伝統的農林水産業を営む地域として、世界農業遺産にも認定されている椎葉村。この村でそば屋「よこい処 しいばや」と菓子屋「菓te-ri(カテーリ)」を営む椎葉昌史さん。「九州山蕎麦(そば)」「そばの実フロランタン」「宮崎バターサンド」など、地域の特産品を使った商品を次々開発し農林水産大臣賞も受賞。そんな輝かしい実績を持つ椎葉さんに、商品開発秘話や将来の展望について伺った。

農業未経験からそば栽培への挑戦

もともと、「よこい処 しいばや」は椎葉さんの母親が2010年に始めたそば屋である。「よこい」とは椎葉村の方言で、休憩する、という意味があり、椎葉で一息ついてほしい、という思いが店名に込められている。オープンから2年後、東京で飲食店経営の経験もあった椎葉さんがUターンし、店を手伝うことに。

「手伝い始めて、最初の3年間は結構苦しかったです。まず東京との環境の違いもあって、こんなに暇でいいのかと思うこともあり、売り上げも伸び悩んでいる時期でしたね。椎葉のそば生産量もどんどん減ってきていたので、このままじゃダメだと思い、自分でそばの栽培を始めたんです。暇で時間だけはあったので……」と苦笑い。

とはいえ、農業未経験の椎葉さんにとってそばの栽培は決して簡単なことではない。分からないことだらけの毎日で、鹿に食べられては鹿対策のネットを張るなど、何をやるにも一日がかり。それでも、椎葉村のそば文化を守りたかった椎葉さんは試行錯誤しながらそばの栽培を続けた。減り続けていたそばの生産量も今ではほぼ横ばいだという。間違いなく、椎葉さんの努力が地元の文化を繋ぎ止めたのだ。

「そばの実フロランタン」の誕生が自身の転機に

写真提供:椎葉昌史

自らがそばの栽培を経験したことで改めて地元の魅力に気付き、さらに熱が上がった椎葉さん。どうにか椎葉のそば文化を絶やすことなく多くの人に知ってほしいと思い誕生したのが「そばの実フロランタン」である。なんと椎葉さん、菓子作りが得意だった奥さんの影響もあり、菓子製造業の許可も取っていたのだ。奥さんの手作りフロランタン(クッキーの生地にキャラメルを重ね、アーモンドを乗せたもの)が大好物で、「これをそばと組み合わせたら、お菓子を通してそばの魅力も伝えられる」と考えたのだ。それからは、そば屋の営業もしながらフロランタンの販売も行う毎日。地元の方からは「そばとお菓子の店」として認識されるようになり売り上げも好調だったが、次は販路拡大という大きな壁にぶつかった。

「商品化に成功したはいいものの、流通に関する知識が全くなかったので宮崎県が行っている『みやざき6次産業化チャレンジ塾』に参加しました。流通のプロから直接アドバイスをもらって、イベントなどにも出店するようになり少しずつ販路を拡大することができたんです」

そばの栽培、菓子製造業許可の取得、チャレンジ塾への参加など地道に努力を重ねた椎葉さんに転機が訪れたのは2019年。「椎葉のそばをもっと知ってほしい」という思いが伝わり、第8回チーム・シェフコンクールで「そばの実フロランタン」が最高賞を受賞したのだ。これはまさに、椎葉のそばが世間から認められた瞬間だった。ますます売り上げは伸び、勢いに乗った椎葉さんは菓子製造業できちんとした店舗を設けようと考え、そば屋の隣に「菓te-ri」をオープン。このまま順調に売り上げを伸ばしていくかに見えた矢先、新型コロナウィルスという誰もが想像していなかった未曾有の危機に直面する。「菓te-ri」をオープンしてからわずか3ヶ月目の出来事だった。

写真提供:椎葉昌史

店名の「菓te-ri」に込められた想い

「コロナ禍で売り上げは9割減って、もうダメだと思うくらい今までで一番苦しかったです」と苦境を振り返る椎葉さん。毎日悩み、苦しみ続けていたある日、店名の由来にもなっている大切なことを思い出したのだという。それは、苦しい思いをしているのは自分たちだけではないということ。店名の「カテーリ」とは椎葉村の方言で、助け合う、という意味。こんな時こそみんなで助け合っていかなければいけないと改めて気付かされたのだ。

「小売店をはじめ生産者の方たちは軒並み売り上げが落ちていて私と同じように苦しんでいました。そこで、宮崎県の特産品である日向夏やマンゴーなどの生産者さんに声を掛け、誕生したのがうちの人気商品であるバターサンドです。苦しんでいる生産者さんたちの力に少しでもなれたらいいなと思って」

宮崎県の特産品と濃厚な高千穂発酵バターを使用した「菓te-ri」のバターサンドは瞬く間に人気を博し、発売から2ヶ月で約5千個を売り上げた。全国からも注文が入るほどの大人気商品となり、累計販売数は30万個を超える。しかし驚くべきは、それだけではない。原料に発酵バターを使用しているため決して日持ちしないが、賞味期限を切らして廃棄したことは一度もないのだ。なぜなら、椎葉さんはフードロスにも取り組んでいて基本的には注文があった分だけ作るようにしているから。そして、この背景にもコロナ禍が関係していたのである。

「マンゴーはあまり日持ちしないので廃棄になりやすく、コロナ禍の時にマンゴー農家さんは特に大変だったみたいなんです。うちの店にも何回も『マンゴー買ってくれませんか?』と訪れて来られました。ある時、その方が本当に苦しそうな顔をして店に来たことがあったので、フードビジネス関係の知り合いを紹介したんです。その後うまく話が進んだみたいで、すごく喜んでくれました。その時に、生産者の方は僕が思っているより何倍も苦しんでいる。作った商品も一個も無駄にしちゃいけないと思ったんです」

生産者さんの力になりたいという椎葉さんの思いはさらに新商品を生み出すこととなる。バターサンドももちろん特産品を使用しているのだが配合としては少ないため、もっと一度にたくさん使える商品はないかと考えたのだ。

そして出来上がった新商品が果物を贅沢に使ったフルーツバターである。味はもちろん、商品開発に至るまでのストーリー性も評価され「MIYAZAKI FOOD AWARD 2022」において最優秀賞を受賞。椎葉さん自身も苦しい状況の中、よくここまで誰かのために寄り添って行動できましたね、という喉まで出かかった言葉を飲み込んだのは「私一人の力じゃなく生産者の方々のおかげです」と、椎葉さんの表情が語っていたからである。まさに「菓te-ri」の店主にふさわしいと感銘をうけた。

固定概念から解放してくれた「九州山蕎麦」

熱い話に引き込まれ椎葉さんがそば屋も営んでいるということを忘れそうになっていたが、「実はバターサンドより少し前に九州山蕎麦(そば)という商品の販売も始めていたんです」という話を聞いて今回の物語の始まりがそばだったことを思い出した。

写真提供:椎葉昌史

「九州山蕎麦は、2015年に世界農業遺産に登録された5町村の特産品を生かしたそばのセット商品です。それぞれ高千穂町の米、日之影町の柚子(ゆず)、五ヶ瀬町の釜いり茶、諸塚村の椎茸を練り込んだ変わりそばと、椎葉村のそばの5種類。実はこの商品を作る時に、椎葉村以外の特産品を使って商品を作っていいのかどうか悩んだんです。『よそ者が他地域の特産品で商品を作るな』と怒られそうな気がして…」

懸念も分からなくもなかったが、そんなことよりも椎葉さんの人柄に胸が熱くなった。どこまでも謙虚な人だからだ。椎葉さんの心配をよそに、九州山蕎麦は「地域産業として重要な役割を果たしている」と評価され農林水産大臣賞を受賞。農業未経験からそばの栽培まで行い、地元のために奮闘する椎葉さんの思いは間違いなく多くの人に届いているのだ。

「多くの方からお褒めの言葉をもらいました。5町村の方々からも『良い商品を作ってくれてありがとう』と言ってもらえてすごく嬉しかったです。地元のモノで商品を作るべきだと勝手に固定概念を作っていただけだったんでしょうね。こんなに感謝してもらえるなんて思っていませんでしたから(笑)」

子どもたちが戻りたいと思う町へ

地域の魅力を次世代に残すことがミッションである椎葉さん。若い子たちが帰ってくる町にしたいと、学校に出向き講演会を行ったり、高校生と協力して商品開発を行ったりと精力的に活動を続けている。

写真提供:椎葉昌史

「子どもたちが戻りたいと思う町にするために、まず大人が頑張らなきゃいけない。田舎は働く選択肢がないと言われがちですが、ないんじゃなくて他の選択肢を知らないだけだと思うんですよ。だから、こういう生き方もあるんだよって教えてあげたいんですよね。昔は田舎に引け目を感じて暮らしている人もいたから、今の子どもたちにはもっと地域愛を持ってほしいと願っています」

椎葉村でチョウザメの養殖を行っている株式会社キャビア王国の鈴木宏明さんもそうだが、秘境と呼ばれるような山奥の村で地元のために奮闘する大人たちの姿は、今の子どもたちにとってとても魅力的で大きな存在であるに違いない。

「次の目標は店舗展開です。まずは県内、そしていずれは県外にも進出していきたいと思っています。椎葉村も含め中山間地域の魅力をもっと広く発信していきたいんです」

現状に満足せず、どこまでも挑戦をし続ける椎葉さん。椎葉村には未来のために頑張るこんなにも熱い男がいるのだ。その思いは今の子どもたちにもう十分伝わっているはず。後はその子どもたちがまた次の世代へと継承し続けていってほしい。椎葉さんの思い描くストーリーはまだまだ始まったばかりである。

撮影:伊藤駿平

写真提供:椎葉昌史

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