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「本物を正直にをモットーに」世界にも認められた原木椎茸【田中椎茸】

宮崎県の西南部に位置する高原(たかはる)町。霧島連山の麓にあり、温泉や湧水などの水資源が豊富な中山間地域だ。そんな自然豊かな土地で“原木しいたけ”の栽培を手掛けているのが「田中椎茸」代表の邊木園(へきぞの)浩子さんと良昭さんご夫婦。

スーパーで一年中見かける生しいたけの多くは、施設内で人工的に栽培される“菌床しいたけ”だ。短いサイクルで安定して収穫ができる菌床しいたけに比べて、原木しいたけは自然の中で栽培するため、多くの時間と手間がかかり、自然の気象条件にも大きく左右される。そんな自然と共に育てる原木しいたけの栽培を、浩子さんの祖父の代から100年以上続けている。

収穫の時期が短いため一般的には乾ししいたけとして出荷されることが多い原木しいたけ。大多数のしいたけ生産農家が行う機械乾燥ではなく、田中椎茸では昔ながらの薪室仕上げの乾燥製法を守り続けている。その原木しいたけに傾ける情熱と個性は、全国でもトップクラスのしいたけ生産量を誇る宮崎県の中でも際立つものがある。

そんな田中椎茸に襲いかかったのが、二度の新燃岳の大噴火による窮地だ。逆境を乗り越えて立ち上がるきっかけになった学生とのストーリーや、今では世界への足がかりまで掴んだ邊木園ご夫婦の原木しいたけ栽培への思いをお伺いした。

3代続く“ほだ場”で育て、昔ながらの製法を守る

通りを境にしてしいたけと苔の生えた無数のクヌギの原木が整然と並び立つ「ほだ場」(椎茸を栽培する所)。その景観は壮観で、ほだ場に入った瞬間、別の世界に入ったように感じた。

「普通は、杉山での栽培が主流なのですが、田中椎茸では、広葉樹や照葉樹を植えて、間伐・枝切りなどをして、調光を行いながら栽培を行っています」

そんな木漏れ日差し込むほだ場を案内してくれたのは、邊木園良昭さん。妻の浩子さんの祖父がはじめた原木しいたけの栽培を二人で手掛けている。田中椎茸では、肉厚で大型になる特徴があるものの、管理の難しい品種「菌興115」のみを栽培している。取材したタイミングは収穫の時期。ほだ場には驚くほど肉厚のしいたけがいくつも実っていた。

「『菌興115』にこだわって栽培している理由は、やはりおいしさです。旨味と食感があるんですね。水の管理などが難しいのですが、順調に収穫できています」

田中椎茸では、低温乾燥法(日本きのこセンター特許取得)と、昔ながらの薪室での乾燥仕上げの2段階の手順にこだわり、乾燥しいたけを製造している。

「薪を用意する手間や乾燥にも時間がかかる薪室仕上げで、乾ししいたけを作っている理由も、その方がおいしいからです。二昼夜かけてじっくりと乾燥しています」

おいしい原木しいたけの栽培のためなら時間と労力を一切惜しまない。なによりも、おいしい原木しいたけを届けることに心血を注いでいる。

周囲に支えられて乗り越えた二度の大災害

「この地域には霧島連山の恵みがあります。山の麓から数百年かけて貯めた雨が浸透して湧き出る『霧島裂罅水(れっかすい)』に、山から吹いてくる冬の季節風『霧島おろし』。この風のおかげで寒暖の差が生まれて、寒ければ寒いほど、実が厚くなるんです」

生まれ育った土地がもたらす自然の恩恵を受けて、原木しいたけの魅力はさらに輝きを増している。しかし、その自然は恵みをもたらすと同時に脅威ともなる。

2011年(平成23年)1月26日に起きた、約300年ぶりとなる新燃岳の大噴火。その降灰による農作物への被害は甚大で、それはもちろん田中椎茸のほだ場にも。

「12年前の新燃岳の繰り返す噴火の時には、全てのしいたけを廃棄しました。降灰の影響はその年に収穫する分だけではなく、後年の椎茸の栽培にも及びました」

しかし、そのような逆境の中でも3代続く原木しいたけ栽培を守り、2016年には加工・販売施設を開設。降灰の影響を受けた原木しいたけのほだ木も入れ替わり、ようやく通常の栽培環境を取り戻したかにみえた矢先の2018年(平成30年)の3月1日。再び大災害に見舞われる。

「やっと当たり前に戻ったと思った時の2度目の新燃岳の大噴火。県や町などと協議する中で『人体への害なども考えると今度も廃棄かな』と話が決まりかけていました。しかし、同じ頃にワーキングホリデーで来ていた京都大学の学生2人が『なんで廃棄のことだけを考えるのですか。何か良い方向に考えましょうよ』と言ってくれたんですね。これは私たちも同じく考えていた事だったので、学生の熱意にも感化されて再び奮起。県の検査機関などが研究協力し、灰をかぶったしいたけを特殊な技術で濾過することで誕生した出汁商品『特濃だし』が完成しています。

また、刷毛(はけ)で1枚1枚灰を掃き取った生の椎茸も善意でご購入いただき支えていただきました。本当に周りに助けられてばかりです。当時ワーキングホリデーに来ていた学生とは今でも交流が続いています」

原木しいたけの魅力を伝え、常にアップデートする

浩子さんは原木しいたけや乾ししいたけの魅力を伝える活動にも熱心だ。そのきっかけになる面白いエピソードを、良昭さんが教えてくれた。

「10数年前に東京にて販売を行った際に、原木しいたけを試食して感激した若い女性に『水に浸けて冷蔵庫で乾燥しいたけを戻してくださいね』と伝えて渡したら、2日後ぐらいに『冷蔵庫に入れたけど、しいたけが戻らなかったんです』と電話が来ました。よくよく聞いてみるとただ袋のまま冷蔵庫に入れただけだったようで『水に浸けることで乾燥しいたけを戻す』こと自体を知らなかったんですね」

核家族化が進み、乾燥しいたけの調理法を伝える家族の不在、調理に手間がかかるなどの理由で進む“しいたけ離れ”を危惧した浩子さんは、2016年(平成28年)にしいたけ料理専門店「茸ちゃん家(なばちゃんち)」をオープン。乾ししいたけを戻したステーキやアヒージョなどの料理を浩子さん自身が提供し、お店以外でも自宅で気軽に乾ししいたけを利用した加工品の開発も行っている。

取材当日も東京に出張していた浩子さん。食べる形での発信の場の他にも、駒打ち体験や野菜ソムリエなどの料理専門家などとのセミナーやディナーの開催など、原木しいたけや乾ししいたけの普及のために県内外を飛び回っている。

原木しいたけの魅力を伝える活動に加えて、よりおいしいしいたけ作りのための勉強や努力も欠かさない。何年もかけ、木漏れ日が漏れるよう場所に変えていったほだ場も、実はその研鑽の結果だ。


「『杉山の方がしいたけの栽培に適している』が通説でした。しかし、今では広葉樹などを入れて、ほだ場を明るくすることによって笠が明るく、発育が良く、良質のしいたけが採れると言われています」

より安全性を担保するため2018年(平成30年)の2月には「有機原木椎茸」としての条件を満たした証し「有機JAS」の認証、同年9月には宮崎県内独自の農産物安全認証制度「ひなたGAP」を次々と取得している。そんな安全・安心・おいしい原木しいたけを多くの人に届けるためのたゆまぬ努力が、世界にも繋がる可能性を持った原木しいたけの新たな魅力を生み出している。

食べる人の笑顔のために、“本物”を届ける

2020年(令和2年)に本格的に発売開始した「熟成冷凍椎茸・霧島の恵(めぐみ)」。「日本きのこセンター」(鳥取県)からの技術指導を受けて開発された本品は、収穫の時期のわずかな期間しか味わうことのできない旬の原木しいたけを瞬間冷凍したものだ。「霧島の恵」の名前通り、霧島の自然の恵みと邊木園さんたちの汗と努力が詰まった商品だ。

「“本物を正直に”をモットーに国内をはじめ、プロの調理人の方々から家庭にはもちろん、世界の食材として発信していきたい!!というか現在進行中」(浩子さんのメモより)

田中椎茸の原木しいたけは2015年に参加したイタリアで開催されたミラノ博、ドイツアヌーガでの世界最大の蚤の市で「世界のポルチーニにも負けずとも劣らない」と好評を博した。県内外の著名な料理人による食事会で提供された熟成冷凍しいたけの味も大絶賛。県代表の食材として香港の商談会にも出品されており、フランス料理界にもこのほど挑戦する。

「本物を正直に」という原木しいたけに掛ける情熱ゆえに、100年続く栽培方法も日夜アップデートを続けており、原木椎茸ならではの魅力をさらに高めている。

「おいしいと言ってもらえて、それがリピーターに繋がる。それがうれしいので」

“本物のおいしい原木しいたけ”を世界中の食卓に届けるため、二人の真っ正直な挑戦はこれからも続いていく。

photo辻茂樹

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