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「カフェやジャングルネットで過ごす」みんなが集えるSHIRO新工場【みんなの工場】

スキンケア、フレグランスを中心に製品の企画から製造、販売までトータルで行うコスメティックブランド「SHIRO」が、創業の地・北海道砂川市に新たな工場を誕生させた。すべてを見渡せる工場に、ショップ、カフェ、キッズスペースやラウンジなどを併設した複合施設、その名も「みんなの工場」だ。

2023年4月28日のオープン以降、約10日間で砂川市の人口1万6000人を大きく上回る2万2000人の来場者を記録した大注目の施設だが、建設計画が持ち上がった頃は地域住民から消極的な声もあったという。それでもSHIROはこの創業の地にこだわり、誰も排除することなく「みんなが気軽に集える場所」にしたいという想いで「みんなの工場」を砂川市に構えた。

今や国内外に31店舗を展開する大人気ブランドとなったSHIROが、過疎化に直面している砂川市でどうしてもつくりたかったものとは一体何なのか。この目で確かめるべく、現地を訪ねた。

『みんなのすながわプロジェクト』の発足

「工場を開く、というのがここの大事なコンセプトなんです」

施設内のカフェの窓際でそう話してくれたのは、「みんなの工場」事務局の笹木舞子さん。旧工場からこの地に拠点を移すにあたって、初期段階からひたむきに関わってきたスタッフの1人だ。

「新しい工場は、誰もが自由に集える開かれた場所にしたいという想いがまずありました。SHIROが育った砂川の町に恩返しするため、会社にとって何がいいかではなく、この町にとってどんな施設がいいのかを第一に考えていたんです」

誰もが集える、集いたいと思える場所とは一体どういったものなのか。どんな施設ができれば、砂川の町はより良くなっていくのか。その答えを探るべく、建設計画が動き出した時点でまずしたことが『みんなのすながわプロジェクト』と名付けたまちづくりプロジェクトの発足だったという。

自分の住む町にこんな施設ができるなんて、市民はさぞ喜んでくれただろうと思いきや、「それが、計画当初は地域の方から消極的な意見もあって」と笹木さんは苦笑する。市外、道外から若い人たちが続々とコスメを買いにくるおしゃれな店……そんな印象が先行し、多くの地域住民が「自分たちとは関係のない場所」という意識を持っていたのだ。

「よく分からないものって怖いですよね。これまでの町と変わってしまうんじゃないか、静かに暮らせなくなるんじゃないか、地域の方にはそんな不安があったと思います。そんな不安を一緒に解決していき、場所づくりやまちづくりを他人事ではなく自分事にしてもらうための取り組みが、『みんなのすながわプロジェクト』でした」

『みんなのすながわプロジェクト』では、10代から80代まで幅広い層の地域住民が参加するワークショップやオンライン座談会を定期的に開催してきた。テーマは『市民が誇りに思う施設や場所とは?』『みんなの工場でやりたいこととは?』『来てくれた人に伝えたい、砂川にしかない風景とは?』など、施設に関することから砂川の町に関することまで多岐に渡った。

SHIROの経営陣や現場のスタッフ、市議会議員、建築家やデザイナーなど、さまざまな立場の人間と地域住民がフランクに意見を交わす。そして時には山や森にみんなで出かけていき、植樹や間伐に関するワークショップを行いながら北海道の自然に対するSHIROの取り組みを知ってもらう。問題に直面すればみんなで話し合い、アイデアを出し合い、設計や工事の進捗もまたオンラインで報告された。

そうしていつの間にか関係人口はどんどん増加していき、気づくと「SHIROの新施設」は砂川市民が一緒につくり上げる「みんなの工場」へと姿を変えていたのだ。

実際、参加メンバーや市民の声はこの施設に多大な影響を与えている。もともとは工場やショップ、カフェをそれぞれ独立させ、半屋外のホールで繋ぐという計画だったが、座談会を経て、すべてをひとつの空間に収める現在の設計に変更した。市民の意見を聞いているうちに当初の設計では地域住民の日常に溶け込むものにならないと気づいたからだ。

また、「砂川で暮らしていると大人がふらっと立ち寄って気軽に過ごせる場所がない。大人だって居場所が欲しい」という声があったことを受け、子どもメインで考えていた付帯施設の設計コンセプトを「子どもも大人もくつろげる場所」へと軌道修正したという。

こうして、約2年の構想期間を経て「みんなの工場」はつくられていった。

何もかも丸見えの「開かれた工場」

『みんなのすながわプロジェクト』によって導き出された最適解を踏まえ、「みんなの工場」は2023年4月28日に無事誕生した。カラマツの間伐材を製材した耳付きの板とガラスで構成されたシンプルな外観は、のどかな田園地帯に不思議なほど馴染んでいる。

エントランスをくぐると、まず正面に見えるのがガラス張りの工場スペース。中は研究開発室・素材の前処理室・調合室・充填室・包装室という5つの空間に分かれており、来場者はSHIROのものづくりの一部始終を見られる仕組みとなっている。

よくある工場見学のように見学用の動線が確保されているわけではなく、工場の壁そのものがガラス張りで製造の光景が自然と視界に入ってくるのがこの施設の面白さだ。

入り口左側には1300冊の本が並ぶライブラリー。製造スペースとの間には大テーブルを設置したラウンジスペースがあり、来場者は好きな本を手に取ってゆったりとくつろいでいた。入り口右側にはSHIROのショップ(砂川本店)があり、定番製品からここ本店でしか買えないものまで、コスメやスキンケア製品がずらりと並ぶ。

ショップ内の「ブレンダーラボ」では自分で香りをブレンドして世界にひとつだけの「マイフレグランス」をつくることができ、オンリーワンの体験として大人気だ。

ショップ横の天井に設置された空中ジャングルネットは、子どもはもちろん大人も登って遊ぶことができる。天井には、店舗スタッフの古いユニフォームを再利用してつくられた吸音材が設置されているので子どもたちが多少騒がしくても問題ない。

写真:KeitaSawa

「このジャングルネットはSHIROのスタッフも休憩時に利用しています。遠方から来てくださったご家族が遊んでいる横で、地元の小学生が本を読んでいたりする。そしてそこからも、工場スタッフがいつものように製品をつくっている姿が見える。なんとも不思議な空間ですよね」

施設内のカフェからは焼きたてピッツァのいい香りが漂い、子どもたちは賑やかに遊び、来場者とSHIROスタッフが気軽に声を掛け合う。そこは、「工場」の概念とはあまりにかけ離れた空間だった。

OEM業務を経て、自社ブランドが誕生

SHIRO(株式会社シロ)の前身となる株式会社ローレルは、1989年、北海道砂川市で観光土産品の製造・卸として創業した。

1990年代はハーブや石鹸、ジャムなどの製造販売をメインとしていたが、98年に大手企業から化粧水開発の依頼が入ったことをきっかけに化粧品開発をスタート。2000年、現会長である今井浩恵さんが社長に就任したことを機に、土産物製造業から生活雑貨事業へと方向転換した。

それからは化粧品のOEM業務を多く手がけていたが、「素材の知識や製造技術を身に付けていけばいくほど、“有効成分がもっと含まれた、自分たちが毎日使いたいものをつくりたい”という想いが強くなっていき、自社ブランドを立ち上げることにしたんです」と笹木さん。

そうして2009年に自社ブランド「LAUREL」を立ち上げ、2014年にはOEM業務から完全撤退。翌年、ブランド名を「shiro」へとリニューアルし、砂川に本店をオープン。その後はロンドン、ニューヨークと世界展開をスタートさせ、自社ブランド誕生から10年の節目となった2019年、ブランドロゴを「SHIRO」に改めて現在に至る。

「その頃から、素材に対する想いは変わっていません。今でも実際に日本各地に足を運び、産地を訪れ、生産者さんと話をしながら原料を選んでいます」

そう話してくれたのは、みんなの工場の施設長の武田浩平さんだ。

「現会長の今井も北海道のあちこちに出向き、生産者の方々から現場の話をお聞きすることをモットーにしていました」そうして生まれたのが、がごめ昆布シリーズや酒かす米ぬかシリーズなど、現在でも人気の製品たちだ。

がごめ昆布シリーズは、SHIROが日本の自然素材を使って最初に開発した製品であり、SHIROのものづくりの原点とも言える代表的なスキンケアラインである。製品開発のきっかけは、函館の漁師さんとの出会いだった。

限られた地域でのみ生育している希少性の高いがごめ昆布は、太くて厚く、糸を引くほどの強いとろみがあり、栄養価の高い食材として重宝されている。しかし、石に付着した根の部分は固すぎて食用にならないという理由で廃棄されていた。実際に訪れた現場で、廃棄されてしまう部分にこそ栄養素が多く含まれているという話を聞いた今井氏が廃棄予定の根の部分を分けていただいたことから、これをなんとか活用できないかと製品開発がスタートしたという。

「固くて食べられない昆布、剪定後に捨ててしまう木の枝葉や精米時に発生する米ぬかなど、処分される素材や製造工程で生まれる副産物、規格外とされる素材こそ、大切にしたい。そういった素材が持つ力を最大限引き出すことにこだわっているんです」

日本各地から砂川の研究開発室に届けられる素材は、冷凍してエキスを抽出してみたり、乾燥させて成分を凝縮してみたりと、あらゆる加工が施される。そういった試行錯誤の様子も、ガラス張りで丸見えだ。

見る人が見れば、製造のノウハウや技術が盗まれてしまいそうだが、「そこはまったく心配ないです。長年培ってきた技術やベストの調合などは、ここで見るだけで真似できるようなものではないからです」と武田さんは言う。

「ただ、ほとんど天然成分で構成されているのでレシピさえ公表すればご家庭でもつくれちゃうかもしれませんね」

そう言って笑う姿を見ながら、“すべてをオープンにする”ということは、自分たちの技術に自信を持つことであると同時に、製造シーンを見られて困るようなものはつくらない、という意思表明でもあるのだと感じた。

「砂川の町に、世界から人を呼び込みたい」

取材日は平日にも関わらず、たくさんの来場者が訪れていた。4月末のオープンから10月末の時点で来場者はすでに20万人を突破。会員データによると、来場者の18%強は北海道外からだという。

新千歳空港から車や電車で約1時間40分ほどかかるこの小さな町を目指して、全国から人が集まっている今の状況は「成功」そのものに思えるが……

「成功という感覚はないですね。さらに言えば、完成もしていない。動き出したことで足りないものや必要なものが分かってきたので、みんなの工場はこれからまだまだ変わっていきます」と笹木さん。

地域社会や地球環境に配慮した循環型の施設を目指している「みんなの工場」では、地元砂川の在来種を保護して育てる「種プロジェクト」を行なっている。市民と一緒に蒔いた種が50年、100年と年月をかけて育ち、未来の町の景観になっていく。今の状態を完成とはせずに、永遠につくり続けていくその過程を楽しみたいのだという。

また、来年春には、北海道長沼町にSHIROのものづくりへの想いを詰め込んだ一棟貸しの宿泊施設「メゾンシロ」をオープンする予定だ。

「ここだけに人が集まって、ここを出たらすぐ自分の町に戻っていくようでは意味がない。砂川という町に興味を持ってもらい、この町に世界から人を呼び込みたいんです。エントランスに用意した”おでかけカード”もそのためです」

このおでかけカードが生まれたきっかけも、先で紹介した『みんなのすながわプロジェクト』だ。砂川のいいところ、見てほしいところ、体験してほしいことをみんなで考え、意見を出し合ったワークショップが生きている。

そしてこの、砂川市や近隣市町村のおでかけ情報やおいしい飲食店情報が記されたカードには日本語と英語の両方が記載されていた。SHIROの視線の先は、世界だ。

「将来的には、世界中のSHIROのファンにここを訪れていただき、砂川市で過ごすことでこの町のファンになっていただきたい。その結果、観光客や移住者が増えたり、町に面白いお店が増えていったりしたら最高ですよね」

地域住民を巻き込んで誕生させた「みんなの工場」は、もはやSHIROだけのものではない。ここは、環境づくり、まちづくりの起点そのものなのだ。だからこそ、徹底的に「開かれた工場であること」、「そこに在り続けるために、必要に応じて変化し、循環しながら持続できる工場であること」にこだわり続けている。

SHIROが掲げた「世の中をしあわせにする」という企業理念の原点がそこにある気がした。砂川市民はもちろんのこと、世界中を巻き込まんとする「みんなの工場」の物語は、まだ始まったばかりだ。

Photo:辻茂樹

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