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「東京からの移住検討者が多い」北海道・東川町のカフェが描く未来【リコオーガニックカフェ】

北海道のほぼ中央に位置する東川町は、旭岳の眺めなど美しい大自然に囲まれたのどかな町。上下水道がなく、地下水で暮らす町としても有名だ。そんな東川町に近年、おしゃれなお店や個性豊かな人々が次々と登場している。カフェ「liko(リコ)」も、そんなお店のひとつ。経営者は東川町に移住した、桐原紘太郎さん・まどかさん夫妻だ。桐原さんたちにとって東川町は、第二の移住地。桐原さん夫妻が住む場所を決める上で大切にしていること、新しい環境で起業にチャレンジした理由などを伺った。

作り手の「好き」が伝わるこだわりメニュー

ほかではなかなか味わえないハンバーガーや自家製ジェラートが人気の「liko」は、東川町でほっと一息つくのにぴっなりな場所。外国人観光客からの評判も高いハンバーガーは、大学時代をアメリカで過ごした紘太郎さんらしさが光る逸品だ。

「映画が好きで、映画を学びにアメリカの大学に行きました。そこで食べたハンバーガーが噛み応えのあるもので、自分でも作りたいと思ったんです」(紘太郎さん)

紘太郎さんが開発したハンバーガーはバンズがしっかりとしており、本場さながらの味わいを楽しめる。お客さんからの反応も良く、リピーターも多いそう。

商品開発は、主に紘太郎さんの担当。かといって紘太郎さんに飲食の経験があったわけではなく、以前は映画の宣伝やデザインに携わる仕事をしていた。まどかさん曰く「夫はこだわりが強い」のだとか。

「liko」がオープンしたのは2018年。それ以前は「liko organic cafe」を営業し、たい焼きとスムージーのお店として評判だった。こだわり派の紘太郎さんは、たい焼きもひとつひとつを丁寧に焼く一丁焼きに挑戦。一匹ずつじっくりと焼き上げられたたい焼きはたくさんの人を魅了したが……。

「たい焼きはもうやっていないんですよ。お客さんがすごく来てくれたので、夫が焼き疲れて力尽きました(笑)。今はソフトクリームをやっています」(まどかさん)

SNSでも人気のソフトクリームは、クリームはもちろんだがトッピングのチョコレートに紘太郎さんのこだわりが詰まっている。

「カカオ豆から焙煎してチョコレートを製造するBean to Bar(ビーントゥバー)で作っているんですよ」(紘太郎さん)

ビーントゥバーの製造には手間暇がかかるもの。じっくりと時間と労力をかけた分、カカオ豆の個性が活かされたおいしいチョコレートができあがる。

「新しいものを作ったりアイデアを出すのは好きです。お店のメニューだけじゃなく、デザインもそう。メニューを開発しても、アイデアを10個出したうちの1個がヒットするかしないかぐらいな感じだと思うんですけど、好きなんですよ。新しい仕事をもらえると、全然知らないことを知れたり、それをお客さんに伝える役目だったりができるじゃないですか」(紘太郎さん)

ビーントゥバーチョコレートを味わえるlikoのソフトクリームは、年間を通して購入可能。テイクアウトをして、ソフトクリーム片手に東川町を散歩するのも楽しそうだ。

第二の移住地探しで北海道の魅力を再発見

青森県出身のまどかさんと群馬県出身の紘太郎さん。東京で出会った二人は2010年に結婚。その翌年に発生した東日本大震災は、2人の暮らしを変える大きなきっかけになったそう。

「震災の時は、臨月で産休に入る直前。勤務先が高層ビルでしたし、交通も麻痺して大変でした。震災の前からも話していたのですが、出産してからも夫婦でいろいろ話し合って、子育てするなら都会ではなく田舎で、と思っていたんです」(まどかさん)

2011年4月に長女が誕生した桐原夫妻。子育てにぴったりの移住地を探し、西日本を中心にいろいろな地域を見て回ったという。そうして見つけたのが福岡県糸島市だった。

「夫がお世話になっていた方が糸島にいたというのもありましたし、ちょうど震災の後は関東からの移住者がすごく多かったタイミングでした。それで糸島で人との繋がりがすごくできて、ここだったらのびのび育てられそうだと思い、糸島に2年間移住しました」(まどかさん)

福岡県西部に位置する糸島市は、海と山に囲まれた自然豊かな町。近年は移住地としても人気が高く、地域住民と移住者が協力して町おこしに取り組むなど、まちづくりにも注目が集まっている。

「糸島は好きですし、第二子も糸島で生まれました。ですが黄砂が多い時期があって、私の喘息がちょっとひどくなってしまったんです」(まどかさん)

旅が好きでさまざまな地域に興味があった桐原夫妻。2年間暮らした糸島を発ち、次に暮らす町を探すべく、家族で旅を始めた。

「子どもが大きくなる前にいろいろ見てみたくなったんです。糸島ではカフェのようなコミュニティスペースを開いていたんですけど、そこは友人に譲ることにしました。バリのグリーンスクールなど面白い情報も入ってきて、海外の学校も見てみたいと思っていたんです」(まどかさん)

海外も視野に入れて旅をしていた中、北海道東川町に移住を決めたのにはこんな理由があったそう。

「海外もいろいろ回っていたのですが、フィリピンにいたときに夫の仕事道具のパソコンが壊れたんです。フィリピンの首都まで行ったけれどすぐには直してもらえず、修理に1ヶ月程かかることに。それならばと帰国し、せっかくだから日本を回ろうかということになりました。そのとき『そういえば北海道って今まで頭に全然なかったね』と」(まどかさん)

青森出身のまどかさんにとって、北海道はそこまで遠くもないけれど、かといって身近とも言えないエリアだったそう。

「中古のキャンピングカーを自分たちで改装して、苫小牧から北海道に入り、時計まわりにぐるっと2か月程回りました」(紘太郎さん)

「北海道を巡っていたら、『すごくいい!』と感じたんです。当時は最終的にニュージーランドに行こうと決めていて、私がちょうどワーホリに行けるギリギリの年齢だったのでビザも取っていたんです。ですが北海道に来てみたら、自然の広大さがすごくて……!」(まどかさん)

北海道の環境に感動の連続だったその頃、交通事故に遭ったことも暮らしについて考え直すきっかけになったという。

「(車で)追突されちゃったのですが、保険などの手続きが日本にいるとすごい楽だなと感じました。外国はのびのびしているんですけど、日本ほど治安がよくない地域もあります。もしかしたら日本の方がもっと楽に暮らせるのかな、と考えるようになりました」(まどかさん)

実際にたくさんの町を訪れながら、理想の地を探し続け、たどり着いたのが東川町だ。

「札幌だと都会過ぎてもちょっと違うかなと思っていて、かといって病院まで何時間もかかる田舎だと生活に不便なんですよね(まどかさん)」

「水と空気が綺麗な町を探していたんです。そんな中、出会った人々が『東川町の周辺は地下水で生活してるよ』と教えてくれました」(紘太郎さん)

糸島から東川町へ 移住で繋がる人との縁

キャンピングカーでの北海道旅行を経て、2015年に東川町での移住生活をスタートさせた桐原さん夫妻。空き家をリノベーションしてカフェを開業したが、最初からカフェを始めるつもりではなかったそう。

「郊外に古民家を見つけたので、そこをリノベーションして住もうと思っていました。ただ、あまりにもボロボロすぎて住むにはハードルが高かったんです。それじゃ何をしようかとなったとき、糸島でもカフェをしていたので、東川町でも小さくカフェを始めようかなと。移住したときは東川町に誰も友達がいなかったので、カフェだったらそういう繋がりができる場になるかなとも思いました」(まどかさん)

糸島ではスムージーのカフェを開いていたこともあり、同じようなお店の開店を考えていたまどかさん。そこへ待ったをかけたのが紘太郎さんだった。

「スムージーのお店を開いても、東川町は農家さんやお年寄りの人が多くて来てくれないはず。それならたい焼きをやりたいと思ったんです。特に一丁焼きが好きだったので、経験も何もなかったんですけど型を買って練習しました」(紘太郎さん)

そうして迎えたlikoのオープン日。地元の情報誌が取材に来たこともあり、開店して間もなく一時間待ちするほどの人気店に。

「開店前はご近所の人たちから『大丈夫なのかい? お客さんくるのかい?』とすごく心配されたんですけど、開店してみたら『来るもんなんだねぇ』と(笑)」(まどかさん)

福岡県の糸島市から北海道へ。暮らしの拠点が大きく変わったようにも見えるが、人とのご縁はさまざまなかたちで今も繋がっているという。

「糸島の人たちが東川に来てくれたり、東川で繋がった友達が糸島に行ったりしていて、楽しいですね」(まどかさん)

「東川は空港が近いので東京にも2時間位で行けちゃう。東京と東川の二拠点生活を実現してる人もいますよ」(紘太郎さん)

東川町に暮らす人・訪れる人との出会い

東川町の人口は約8500人と小規模だが、移住希望者は多い。写真文化首都「写真の町」としての行政の取り組みなど、町づくりのエネルギーもどんどん大きくなりつつある。東川町の移住者である桐原さんに、東川町の魅力を聞いてみた。

「自然だけだったら他にもいろいろな町があると思うんですけど、東川には面白い人や濃い人が集まっているかもしれません(笑)。ハイセンスなお店や人も多く、若い人たちが憧れる町になってきています」(まどかさん)

人を引きつける飲食店やセレクトショップがオープンし、東川町が持つ魅力もより多彩になってきた。カフェのほかに不動産業も営んでいる桐原さんたちは、東川町に注がれる視線の変化をひしひしと感じているそう。

「最近は東川バブルというような状況です。車の渋滞や観光シーズンの混雑が増えたようにも思います。以前の東川はそういうのがなくて、ほど良く田舎だけどおしゃれなお店がいっぱいあって、土日でもゆっくりランチを楽しめていました。それと今は、東京から東川への移住を考えている人がすごく多いです。前までは旭川や札幌から東川に来る人はいましたけど、東京や横浜など首都圏からの人が本当に増えました」(まどかさん)

特にメディア関係や建築関係、クリエイティブ職など、バラエティ豊かな人たちが東川に魅せられてやって来るそう。東川への移住希望者の中には、町立 東川小学校に大きな魅力を感じている人も多いのだとか。

「お子さんを東川小に通わせたいという、都心部からの若い子育て世代が多いですね。東川小の校庭からは大雪山が眺められて、運動会がすごく壮大。野球場やサッカー場もあって試合がさかんだからか、チームも強いんですよ」(まどかさん)

東川小学校は学校の敷地が4ヘクタール、平屋建ての小学校。教室の仕切りを持たないオープンタイプの構造をしており、大自然との一体感も感じられる。よりよい教育環境を求めて東川町にやってくる人がいるのも納得だ。そんな東川町への移住希望者が増えているのは、ここで暮らす地域住民の温かさも大きいという。

「移住者をよそ者扱いしないというか、受け入れてくれるんです。私たちは農家さんが多い地域に住んでいるんですけど、柔軟でウェルカムな雰囲気。住んでいる人たちが良いんですよね」(まどかさん)

「カフェをやっていると、いろいろな人と出会えるのが面白いんです。東川に町立の日本語学校ができたので、留学生たちがカフェに来てくれます。likoでイベントを開催したときも、留学生たちがイベントを手伝ってくれました」(紘太郎さん)

糸島市、東川町と移住生活をしてきた桐原さん夫妻に、五年後、十年後のビジョンを聞いてみた。

「東川町にはいないかもしれないですね。というのも子どもたちのライフステージが変わってきたからです。子どもが高校生や大学生になることを考えて、いろいろ調べていきたいと考えています。東川町は好きなので完全に離れることはないと思うんですけどね。僕は道内自転車の旅とかキャンプもしたいんですけど、子どもも部活とかがあってついてきてくれないから、お父さん一人で自分の道を行こうかな(笑)」(紘太郎さん)

桐原さん夫婦の移住を楽しみ、地域の魅力を知り、ライフステージに合わせて旅するライフスタイルは、これからの時代の生き方のヒントになるかもしれない。桐原夫妻が移住ライフで味わった体験、繋がったご縁は、これからもどんどん広がっていくのだろう。

〈参考〉

liko
liko Instagram

東川町

東川小学校

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