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樺太先住民から教わった冷燻「100年後も残る余市の名物に」【南保留太郎商店】

北海道の余市といえばウイスキーが有名。しかしながら最近では「余市といえば燻製」という声も聞こえるようになってきた。余市町の港町に店舗と工房を構える「南保留太郎商店」は人気の燻製専門店。現在お店を継いでいるのは3代目の南保憲亨さんだ。

初代が樺太に住んでいた頃に先住民から教わった「冷燻法」で燻製づくりが行われている。一般的な温燻と呼ばれる燻製法とは違い、低温で何日もかけてスモークするため手間もコストもかかる冷燻。先代は自分の代で店を閉じようと考えていたが、憲亨さんは札幌での会社員生活を捨て、家業を継ぐことを選んだ。そこには、祖父から父へと引き継がれた、北海道ならではの技術でもある「冷燻」を途絶えさせたくないという想いがあった。店を継いで約13年になる今、改めて憲亨さんに話を伺った。

樺太の先住民から教わった「冷燻」

札幌から車で約1時間半、小樽方面に車を走らせるとたどり着く余市は、ニッカウヰスキーの蒸溜所がある町として有名だ。ここはかつてニシンの漁場としても栄え、ニシン景気で得た富であちこちにニシン御殿が建つほどだった。憲亨さんの祖父である創業者の南保留太郎さんも、元々はニシンの加工で生計を立てていたという。

しかし昭和初期の乱獲によりだんだんと漁獲量が減り続け、昭和30年頃には余市からニシンが消えてしまった。留太郎さんが本格的に燻製をつくり始めたのは、それがきっかけだ。

「祖父は戦前樺太に住んでいて、先住民である騎馬民族から燻製の方法を学んでいました。その方法が、冷燻だったんです」

冷燻とは、20℃前後の低い温度で長時間かけて水分を抜きながら燻す燻製法のこと。保存性が高まるのはもちろんのこと、一般的な温燻のように高い熱を加えないので素材の脂が溶け出るのを防ぐことができ、旨味を損なうことなくより濃縮された味わいに仕上がる。

「余市は北海道の中でも比較的温暖で雪も少なく、北風が吹き込みやすい入江で、風土的にも冷燻に適した土地だったようです。とはいえ、しっかり温度管理をしないと夏場は食材が傷んでしまう。煙が出るのでエアコンは使えないんです。反対に冬場は寒すぎて20℃まで届かないことも。その日その日に合わせた温度管理が本当に大変です」と憲亨さん。

毎日火を入れ、寝かせて、また火を入れ、じっくりと時間をかけて熟成させるため、どうしても手間とコストがかかってしまうこともネックだ。店の人気商品であるニシンは完成までに1ヶ月、鮭はなんと3ヶ月かかる。

「すべて手作業なので本当に手間暇がかかります。年によっても日によっても気候や湿度などの条件が違うので状態を見極めるのも難しいですが、その分、思い通りの仕上がりで完成した時は本当に嬉しいです」

作業場に足を踏み入れると、壁は日々の燻煙で出た煙成分の木タールによって黒く変化し、部屋はスモーキーな香りに満ちていた。北海道産のナラ材とブナ材をブレンドしているというおが屑に火をつけると、ゆらゆらと煙が立ち上がり、さらに芳ばしい香りが立ち込める。

天井には数十本のスケソウダラが吊るされ、数日間ここで燻され続けたその身は本来の白色から黄金色に変わっていた。

「このまま終わらせるのはもったいなくて」

店を継ぐ前の憲亨さんは、札幌市内で建築関係の会社員をしていた。家業を継ぐことは意識せず仕事に追われる日々だったが、ある日、営業先で余市の話になり「余市といえば燻製屋さん!おいしいよね」と言われて驚いたという。

「余市の燻製屋として名前が知れ渡ってきた頃でした。私の父の店だということを知らない人からも、余市の燻製がおいしいという声を聞く機会が増えてきたんです。それで父への尊敬と、店を誇らしく思う気持ちが芽生えて」

ちょうどそんなタイミングで、2代目である父・敬二さんの「燻製屋は自分の代で終える」という意向を知った。敬二さんも元々は札幌で飲食店経営をしていた経歴があり、初代が店を畳もうとしていたタイミングで余市に戻り30代半ばで家業を継いでいた。過去の父親と、今の自分が重なった。

「祖父と父が50年以上も続けてきて、ようやく世間の評価がついてきたタイミングでこのまま終わらせるのはもったいないと思いました。これはもう継ぐしかない!と」

そうして余市に戻って家業を継承し、父の下でずっと燻製を担当してきた職人に付いて燻製の全工程を学ぶ日々が始まった。

まったくの異業種への挑戦はさぞかし大変だっただろうと思いきや、「燻製の勉強は面白くて、しんどいとは感じませんでした」と憲亨さん。それよりも大変だったのは、お客さんをいかに飽きさせないようにするかということだったという。

「リピーターの方が多いので、ずっと同じ商品ばかりだとやはり飽きられてしまう。新商品を開発するために、いろいろな燻製を試しました」

世の中の食材に対し、焼いたり煮たりする調理法はほぼやり尽くされてきたが、「燻製」と掛け合わせるのはまだまだ未知数。固定概念を捨て、果敢にトライするチャレンジ精神が必要だった。

1番人気の甘えびの燻製はかつて、父・敬二さんが試行錯誤を重ねて開発した商品だ。元々は小さすぎて売り物にならない甘えびを「なんとかできないか」と地元の漁師から相談され、燻製に挑戦した。余市港で採れた新鮮な甘えびをその日のうちに燻製にするため、頭から尻尾までパリパリと食べられ、甘えびの濃厚な旨味を丸ごと堪能できると評判だ。燻製は、廃棄されるはずだった甘えびに新たな価値を与えたのだった。

「燻製にすることでおいしさが引き出される食材というものがあるので、これまで燻製にされてこなかった食材を試すことは発見があって面白いですよ。白子の燻製にチャレンジしたときは、大失敗すぎて食べた瞬間に心が折れちゃいましたが(笑)」

憲亨さんの代になり、燻製のラインアップにさまざまな野菜が増えた。トライアルを通過してきた食材たちだ。北海道産の枝豆や玉ネギ、ジャガイモ、ニンジン、カボチャなどは、燻製にすることでより野菜の味が凝縮されている。こちらは北海道のお土産としても人気だ。

「冷燻」の技術を守り続けるということ

祖父の名を冠した「南保留太郎商店」の3代目となって約13年の月日が経つが、憲亨さんには忘れられないエピソードがあるという。

「インディアンスモークを毎年楽しみに買いに来てくださる年配のお客様がいるんです。でもある年、体を壊して入院されているということでご家族の方が買いに来られて」

ご家族の方が言うには、医者からもう先は長くないと言われており、買って帰っても食べられるかは分からない。だが毎年楽しみにしていたものだから、食べさせてあげたい。そして少しでも元気になってもらいたいということだった。ありがたさと悲しさとで複雑な気持ちになりながらご家族を見送り、迎えた翌年。またそのご家族が来店され、「残念ながらあの後亡くなってしまったが、インディアンスモークは無事食べることができて、とても嬉しそうに笑っていた。今年は一周忌の法要に、家族みんなの大好物を供えるために買いに来た」と笑って話してくれたという。

「自分のつくっているものが人を笑顔にしている。誰かの人生にとって大切なものになっている。世代を超えて愛されるものをつくっていることを実感して、自分の仕事をより誇りに思えるようになりました」

祖父から父へ、父から自分へと受け継がれてきた味と冷燻の技術をこれからも守っていきたい。そう強く感じた出来事だった。

最近ではさまざまなメディアに取り上げられ、オンラインショップにはソールドアウトの文字が並ぶことも珍しくない。それでも憲亨さんは、工房の規模を拡大する気はない。

「創業からの基本的な製法を変える気はないので、自分の目の届く範囲でしかやれないんです。味付けはシンプルに、主原料はできる限り余市産・北海道産を使用する。そういった初代のつくり方を、これからも大切にしたいです」

余市の町を「燻製」というジャンルから盛り上げる

余市町が発表した資料によると、2023年時点で約17500人の余市町の人口は、2045年には10000人を割り込む見通しだという。札幌から余市に戻ってきて、ここで燻製をつくり続けていくと決めた憲亨さんの心の内には、この町に対してどのような想いがあるのだろうか。

「余市って、ニシンから始まり、リンゴ、ウヰスキー、ワインと、時代とともに特産品が移り変わっているんですよ。なかなか飽きさせない町だなと思います。人口は減少していますが、最近ではおしゃれなカフェやイタリアン、パン屋、スイーツのお店なども増えてきていて、町の魅力としては上がっている気がします」

父・敬二さんは、憲亨さんが店を継いでしばらくすると隣の敷地にスモーク料理店「燻香廊」をオープンした。「燻製は料理にするとさらに美味しくなるということを知ってもらいたい」という想いからだ。古民家をリノベーションした店内では「野菜の燻製のキッシュ」や「スモークポトフ」など、燻製のおいしさ、奥深さを味わえる料理がサーブされる。この店もまた、余市という町の魅力を支えるひとつとなっている。

「燻製というジャンルから、余市の町を盛り上げていきたい」

今、憲亨さんが改めて語るその想いもまた、気づかぬうちに先代から受け継いだものなのかもしれない。「まずは老舗といわれる店になれるよう、100年続けることを目指します」そう言って笑う3代目の言葉に、店を守る強い決意と余市に対する深い愛情を感じた。

Photo:辻茂樹

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