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シャッター街で聞こえる生きる音 U・Iターン夫婦が探す沖縄センス【ガーブドミンゴ】 

沖縄県那覇市の壺屋やちむん通りにほど近い浮島通りの外れにあるガーブドミンゴは、つい長居したくなるセレクトショップ。沖縄の作家を中心に、陶器や漆器、木工、ガラスなどの作品が販売されている。オーナーは藤田俊次さん、日菜子さん夫妻。各地に広まった沖縄文化のカケラを集め、中継地点のような空間を作っている。今では県外の観光客からも注目されるガーブドミンゴだが、オープン当時は周囲から心配されるほど、このエリアは閑散としていたそう。シャッター街に人を呼び込むまでになったこの十数年の変遷を、藤田さん夫妻に伺った。

“生きている”作品と出会えるセレクトショップ

ガーブドミンゴは沖縄の作家を中心に、陶器や漆器、ガラスの作品が並ぶセレクトショップだ。

「コンセプトの“中継地点”をすごく意識しています。“中の人は外へ、外の人は中に”と、繋げられるものがあると思うんです」(俊次さん)

食卓を彩る器やカトラリー、贈り物にも喜ばれそうなアクセサリー、アンティーク小物など、俊次さんがセレクトした作品はユニークさが感じられ、時間を忘れて眺めていたくなる。

「使えるものや生活に密接しているものって、陶器や工芸品だったり染め物だったり、今でもちゃんと生きている。そこを切り口にしたかったんです」(俊次さん)

石畳の壺屋やちむん通りは焼き物やガラスなどを扱うお店がずらりと並び、沖縄の伝統的工芸散策にぴったりだ。ところが、開店を決意した場所はやちむん通りから数百メートル離れたところにある小さな並木の名もない通り。当時、周囲からは心配の声が上がったそう。

「ここでお店を始めますと親戚に伝えたら『あんな幽霊通りで?』と言われた位、夜になると真っ暗で人通りもなかったんです」(日菜子さん)

「僕の中では『原石発見した!』みたいな感じでした(笑)。沖縄は自然がいっぱいみたいなイメージがありますけど、那覇は意外に木がない。アジアの街に行くと並木道があって日差しが強くても日陰を歩けるので、並木は理にかなっているんですよ。この辺りで並木道があるのはここくらいですし、元々の建物も面白くて気に入りました」(俊次さん)

「ガーブドミンゴという名前は、ガーブという川の名前とドミンゴ(スペイン語で日曜日)から取った造語なんです。ガーブおじさんという架空のおじさんがいて、彼はガーブ川の泡の中から生まれたというストーリーがあります」(日菜子さん)

那覇市の市街地を流れるガーブ川。日菜子さんは幼少期、ガーブ川には複雑な想いを抱いていたという。

「ガーブ川って昔はすごく臭くて汚い川だったんですよ。暗渠化されて市場通りの下を通っているんですけど、農連市場(現のうれんプラザ)から余った野菜とかが川に投げ捨てられていたので……。市場に連れて行かれるときは何分息を止めていられるかという感じでした(笑)」(日菜子さん)

そんな歴史を持つガーブ川から生まれたガーブおじさん。さまざまな作品やお客さんが行き交う店内を、やさしく見守ってくれているようだ。

シャッター街にゆるやかな活気を呼び込む

2009年に沖縄にオープンしたガーブドミンゴ。それ以前、藤田さん夫妻は東京に住んでいたそう。俊次さんは建築やデザインの仕事を、日菜子さんは企画やライターの仕事をしていた。

「元々、旅がすごく好きだったんです。旅をしながら世界中の建築を見てまわっていたら、街の色のようなものも見えてきて。そうしたものを自分でも表現したいと思うようになりました。ですが建築だけでは出会える人の数が限られてきちゃう。そこで制作事務所に入って、2005年にはデザインと建築の事務所を麻布に立ち上げました」(俊次さん)

そんな2人が東京から沖縄へ移ることにしたのは、子育てがきっかけだった。

「私が沖縄出身で、実家の近くで子育てしたいと思っていたんです。いつかまた東京に戻るのかなという気持ちもあったのですが、住み始めたら新旧入り乱れるこの街の面白さを再認識しました」(日菜子さん)

「朝方に掃除をしてると、人がちゃんと生きてる感じの音がすごく聞こえるんですよ。バイクが道を抜けていく音とかも僕は好き。国際通りだと流れが強いんですけど、こっちは抜けがあるというか。鳥が遊びに来たり、自然もあったり」(俊次さん)

移住して過ごすうち、この街に可能性を見出したという。

「街の中に入り込みたい気持ちがすごくありましたし、沖縄には入り込む余地があると感じていました。自分がやりたいと思っていることを落とし込める余地ですね」(俊次さん)

それは、まちづくりへの関心へと繋がっていった。那覇といえば観光スポットとして人気のエリアだが、藤田さん夫妻がお店をオープンした当時は通りに寂しさが漂っていた。

「シャッターが閉まっている状態が基本になっていて、町の力が弱ってきていた時期でもあったと思います。高齢化もすごく進んでいますし。一度店を閉めると貸すのも面倒くさくなるみたいで、さらにシャッターが増えていきました」(俊次さん)

「そしたら『俺がシャッターを全部開ける』と言い出したんですよ」(日菜子さん)

絵画や写真などのアート作品や、陶器や漆器、染織物など工芸品の展示会を開催することで多くの人にこの場所を知ってもらいたいという思いが原動力になって、街に少しずつ活気を呼び戻してきた。

「シャッターを開けていくのに十年位かかりましたけどね(笑)」(俊次さん)

街の変化は決して爆発的ではなかった。だからこそ、ゆったりとした街の営みを感じられるのが大きな魅力だ。

「雑誌とかを見た人から『すごく流行っている街だと思って来ましたけど、人が全然いないですね』とよく言われます(笑)。国際通りみたいに人がずっといるわけではありませんが、ほど良い流れで成り立つ血脈ができたのかな」(俊次さん)

この場所に店を構えて十数年。「旅の気分を味わいながら仕事できるのが最高」だと俊次さんが破顔した。

次世代へバトンを渡すまちづくりを目指して

俊次さんがまちづくりで心がけたのが「直接手をくださないこと」だという。

「バトン渡しみたいなことができたらいいなと考えていて。僕が体現したことで、誰かが『いいな』と思うきっかけになってほしいんです。リノベーションとかもそうですけど、古い建物を手直ししたら使えるようになる。すると元々あった記憶を残しつつ継続できるじゃないですか。この場所もそうです。地元の人は暗いと思っていたけど、並木道に店ができたら『意外にいい場所だったのね』と気付く。そういうことが少しずつ広がっていけばいいですね」(俊次さん)

穏やかに活気が戻った壺屋エリア。ガーブドミンゴで扱う作品にも新しい風を感じるのだとか。

「沖縄独自の伝統を踏襲したやちむんだけでなく、今の沖縄の暮らしに合った個性的で現在進行形な器を作る多様な作り手が増えてきています」(俊次さん)

最近はガーブドミンゴの経営以外にも、オリジナルプロジェクトも始めたという。

「18世紀から19世紀頃の世界各地で生まれた食器の形と有田の伝統的な技法を融合させた器を作っています。海外から日本に入ってきたアンティークって、その時点で日本人のフィルターが入っている。そのフィルターから出てきたものを抽出したくて、窯元さんにお願いしてリサイズや質感などを調整してもらっています」(俊次さん)

取り扱うのは、フランスのアンティーク陶器やピューター、木製品など。リプロダクトプロジェクトのほか、オリジナルブランドの開発にもチャレンジ中だ。

「ヤンバルの東海岸は海流の流れもあってプラスチックなどの漂着ゴミがすごいんです。ゴミの間をくぐって卵から孵った子亀が海に帰るところを家族で目撃したんですよ。感動と同時に申し訳ない気持ちになって、誰もが使う身近なもので海環境を考えるきっかけになるようなプロダクトを作れないか考えました」(日菜子さん)

「パッケージも含めなるべく環境負荷をかけない材料で石鹸づくりを始め、『marée(マレ)』というブランドを作りました。今は石鹸だけですが、今後は沖縄の自然素材などを活用したスキンケア製品の開発を考えています」(日菜子さん)

「名護の方に『marée』と名付けた場所を作ったんですよ。水の循環のイメージをもっています。緩やかに環境問題にコミットしていく石鹸などのプロダクトや同じ意識を持った作り手さんなどの展示会をしたりして発信する場にしたいですね」(俊次さん)

境界線を外して気づくローカルの魅力

ガーブドミンゴのお店に立つのは専ら俊次さんの仕事だったが、最近は若い世代へのバトンタッチを考えることが増えたそう。

「年を取ってきたな、というか(笑)。店を開いた最初の頃は、『若いね』と言って入ってくるお客さんも多くて、いろいろなコミュニケーションを取れたんです。ですが僕自身がおっさん化してくると、入ってこようとする人が躊躇するのがわかるんです。若い人がいる方が入りやすいことがあるのかなと思います」(俊次さん)

「でも、いきなりガラッと変えすぎるのはすごく嫌なんです。街のあり方も一緒で、大開発はあんまり好きじゃない。ここの匂いを残しつつ、フェードイン・フェードアウトというか、クロスオーバーがうまくできていけばいいのかな。世代の境界線がなくなるというか」(俊次さん)

中継地点としての在り方を探ってきたガーブドミンゴ。境界線に対する想いも深くなっている。

「沖縄って特にそうだと思うんですよ。いろいろな境界線がある中で『その境界線、実はないよね』ということも。ボーダレスに無意識に繋がって、一本通って見えたら、そこに何かあるのかもしれない」(俊次さん)

境界線を外していくと、ローカルが持つエネルギーやポテンシャルに別の角度から気付くことができそうだ。

「僕も昔は東京が起点だと思ってたんすよ。けれどこの店を始めてから気づいたんですけど、地方が源流なんですよね。源流の面白いものを集めたのが東京。源流がなくなっちゃったら面白くなくなるんだろうな。すると経済も下がっていくんだろうと思います」(俊次さん)

ローカルが持つエネルギーを途切れさせないためにも、ここに居続けることが大切だという。

「この辺りは、変わっていくところと変わらないところのちょうど中間点。全体としては変わってないんですけど、人が入れ替わったりします。町が生きているのを常に感じますね。ここを一週間離れて戻ってくるだけで『このお店なかったよね?!』という新しい発見ががあったり。逆になくなっちゃうお店もありますね」(日菜子さん)

「築60年余りのうちの店もすごく老朽化しています。でも古いからといってなくしたら、街の面白みがなくなってしまう。そうすると人がいなくなってゴーストタウンになる。思い出のない地域にふるさとも何もないじゃないですか。いろいろな地域に行って、そういう変化を見てきました。そうならないように、僕らはしぶとくここに居座りたいですね(笑)」(俊次さん)

作品を通して、沖縄の過去や現在、未来が交差するガーブドミンゴ。モノや文化、人の循環を感じたい人はぜひ訪れてみてほしい。

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