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経済よりも自然を優先した街開発「沖縄に住む人が決めるべき」【しかたに自然案内】

沖縄といえば自然豊かな海が広がるが、少しずつ環境に変化が訪れている。そんな沖縄で環境教育に力を入れているのが、しかたに自然案内だ。今回お話を伺ったのは、東京大学大学院で海洋生物の研究の経歴を持つ鹿谷麻夕さん。夫の法一さんと共に、沖縄の海と人々をより良い形で繋ぎ直すことをミッションに掲げ、自然観察や体験学習を実施。2022年度には沖縄県環境保全功労者として表彰された。めまぐるしい変化の只中にある沖縄の海や、浦添市港川小学校児童との環境学習などについて教えてもらった。

住民も忘れかけていた浦添の海の価値

「環境教育そのものが自然を案内すること」と語る鹿谷さん。主に小中学生を対象とし、沖縄の海や生き物について学び、体験する機会を提供している。

「一番長く関わってきたのが、浦添市の港川エリア。2005年に港川自治会の会長さんから『道路の埋め立て計画があるけど、ここの海は残す価値があるのかを知りたい』と依頼があったんです。昔は貝や魚が取れたけれど今は……というお話でしたが、めちゃくちゃ価値があることをお伝えしました」

浦添市は、那覇市北部に位置する沖縄第四の規模の都市。全国的に見ても出生率が高く、若い世代が多く暮らすエネルギッシュな街だ。キンザー・キャンプ跡地の都市開発など、これからもさまざまな変化が予想されるエリアでもある。

「浦添の海は浅くて広くて綺麗。サンゴがあるのは主に沖の方ですけど、内側には海草という芝生みたいな草が生えています。海草藻場と呼ばれる環境なんですよ」

似たように見える海でも、そこに息づく海の生き物に目を凝らせば、決して同じ海はないのだという。

「浜や浅瀬やサンゴ礁によってみんな違うんですよ。環境に適した生き物の組み合わせになるので、その海の環境は世界に一つです。だから浦添の海にも大きな価値がある。そう伝えたら、自治会長が港川小学校と繋げてくれて、2006年から環境学習の体験活動をやるようになったんです」

まずは小学校四年生に向けて、地元の海を体験してもらうことに。

「ですが、みんな海の体験が少ないんですよ。『海は危ない。行っちゃいけない』と言われているから。地域住民にとって海は眺めるところ。大人もバーベキューをしたり、ビーチパーティーをして遊ぶんですよね。そういうこともあって、当時の港川小学校にいらっしゃった熱心な先生が、『カーミージー探検隊』というプログラム名や授業の組み立てを考えてくれました」

「カーミー」は亀、「ジー」は岩礁または瀬を指す言葉。浦添の海岸にある岩が亀のようなかたちに見えることから、付いた愛称が「カーミージー」なのだ。

「授業の1回目は自治会長や地元の年配の人を学校に呼んで、昔のカーミージーや海の様子、子どもたちの遊びの話を聞かせてもらいました。その次に私と夫がスライドを使って、カーミージーの海の仕組みやこの海で生き物が何をしているか、危険な生物もいること、海に観察に行くときの服装などを話しました。そうしてフィールドワークに進むんです」

子どもが地元の海を誇りに思う原体験

浦添市港川小学校で始まった、カーミージーの体験学習。最初は手探りながら、地域住民の協力のもと内容は濃いものになっていったという。

「フィールドワークでは四年生の各クラスにガイドを一人つけて、潮が引いた時間に海に入り、生き物を手に取って観察をしてもらいます。次の授業では学校に戻って調べ学習。見つけた生き物について調べるんですけど、ナマコやヒトデ、ウニやエビ、もっと変な生き物もあって、学校にある本では解説があまり書かれていないわけですよ。私と夫で子どもたちの質問に答えまくるんです(笑)」

「調べ終わったら、子どもたちが内容をまとめます。壁新聞を作ったり、紙芝居や紙人形だったり。それを三年生に発表するんです。そうすると三年生は翌年に自分たちがこれをやるんだなと、モチベーションが上がる。こういうプログラムの繋がりができて、今年で17年目になります」

自治会長の働きもあり、有機的な学習を展開することに。四年生で自然体験、五年生の地域散策では歴史、文化を学習。地元のアウトドアショップと提携し、教員と六年生全員にカヌー体験を毎年実施している。

「港川小は大きい学校なので、一学年4~5クラスあるんです。40名4クラスと考えると、年間160名が海の体験をしている計算になります。それが17年なので約2700人。港川の人口は約7500人(2022年)ですので、すごい数ですよね」

近年は港川小出身者とこんな再会をしたことも。

「最初が17年前だから、当時の四年生は27歳になるところです。数年前のことなのですが、私が琉球大の非常勤で環境問題の講義を持っていたとき、港川小の活動例を紹介したんです。すると授業終了後に『私、小学校四年生のときの授業を覚えています』と言ってくれた女子学生がいました。ほかにも聞いた話なんですけど、カーミージー探検隊をした子どもは、大人になってもカーミージーの海に誇りを持ってくれているみたいです。浦添の海のシンボルはカーミージーで、みんなで残していきたいと思うようになったんだなと感じています」

サンゴ白化現象で気付いた、自然を守る必要性

東京出身の鹿谷さんが沖縄にやってきたのは1993年。大学では文学部国文科で学び、卒業後は都内の印刷会社に就職。ところが生命誕生の海への興味に駆られ、沖縄に惹きつけられた。

「20歳を過ぎて学び直すなら、面白いところで面白いことを勉強したかったんです。琉球大学海洋学科ではサンゴ礁の勉強ができると知って、25歳のときに沖縄に来ました」

沖縄の海や砂浜、生き物を研究した後は、福井県立大大学院生物資源学研究科に進学。さらに東京大学大学院理学系研究科で生物科学を専攻した。

「研究の途中で体を壊しちゃって、リタイアすることになったんですよね。琉球大に勤めていた人と籍だけ入れて遠距離結婚していたので、再び沖縄に戻ってきました。ですが帰ってきたら、サンゴやナマコ、ヒトデなどの生き物が海からいなくなっていたんです」

鹿谷さんが福井で研究をしていた1998年、世界的な海水温の上昇によってサンゴの白化現象が発生。沖縄のサンゴ礁も壊滅的な被害に遭った。

「人間の平熱が36度位で、38度になったら倒れてご飯も食べられなくなるじゃないですか。サンゴもそれと一緒。サンゴの適温は大体25度から28度なので、30度になったら暑いんです。それ以上になったら死んじゃいます」

「南の海が透明なのは、そもそも栄養分が少ないから。海の砂漠みたいな場所なんですよ。だけどサンゴがあると、そこが砂漠のオアシスになる。サンゴがある地形に生き物が集まり、豊かな生態系になったのがサンゴ礁です。サンゴがなくなるというのは、森がハゲ山になって生き物がいなくなるのと同じ。それが1998年の沖縄の浅瀬で起きてしまったんです。サンゴがなくなって他の生き物も消えました。本当に衝撃的でした」

サンゴの白化現象はニュースなどでも取り上げられてはいるが、しっかりと理解できている人は少ないという。

「海から採れるものが恵みになっていた頃は、海の生き物についての文化や知恵が伝え残されていました。ですがだんだん暮らしが豊かになってくると、海は海難事故もある危ないところになったんです。近年は子どもたちに自然体験をさせるニーズが高まっていますが、海について伝える文化が途絶えているから、みんな海のことを知らない。人と海をつなぎ直す必要があると感じました」

「研究者になりそこなった私にできることは何だろう、と考えたんです。自然は数年でこんなに激変する。それを地域に伝える人がほとんどいないことに気が付きました。私は沖縄の海で勉強させてもらいましたし、恩返しもしたいと思って、しかたに自然案内を始めました」

都市開発が進む中、環境保全の種まきを

研究者として豊富な専門知識を持つ鹿谷さん夫妻。2003年からしかたに自然案内の活動を始め、小学生にも分かるよう知識をかみ砕きながらも、大切な本質を伝えることを目指してきた。

「子どもの頃から地元の海を学んで、生態系の仕組みを理解してもらえたら、海を残そうと思う人が増えるんですよ。そこからどんどん種まきしていこうと思い、環境学習を実施しています」

浦添市でも都市開発が進むにつれて、自然との共存という課題に直面することが増えてきた。

「国道の渋滞解消を目的に、海岸線を埋め立てて海岸道路を作る計画が出ました。地元としては、子どもたちが海で環境学習をしているので埋め立てないでほしかった。私は自治会に『反対運動はやめましょう。賛成運動をしましょう』と言い続けました。『このきれいな海を残そうよ』と言えば、賛成する人がいるはずじゃないですか」

自治会は、地域としてどのように海を利用し、残したいのか、カヌーをしたり子どもたちが海で学ぶ様子などを具体的にイメージして行政に伝えるよう工夫した。すると計画の方向性が変わってきたそう。

「埋め立て計画そのものが大きく縮小されたんですよ。これってすごく画期的だと思いました。反対意見ばかりを主張するのではなく、ポジティブなイメージを伝えることにはちゃんと意味があるんです」

2009年には、埋め立てが実施されるエリアに関しても、環境保全の相談があった。

「埋め立て範囲には、国の天然記念物のオカヤドカリ類もいたので、保全策を取らなきゃいけない。工事側である行政が保全措置として生き物の移植をするものなのですが、港川小学校でやってほしいと依頼されました。これに私は猛反対したんですよ。生き物の命を助けるのは大人の責任なので、子どもにやらせたくはなかった。ですが役割が回ってきちゃった。それならばと、行政には事前の説明を全部やってもらうことにしました」

開発担当者が港川小学校に来校し、四年生に向けて海の埋め立てと道路建設の説明をすることに。説明が終わった後の質疑の時間は、とても印象的だったという。

「子どもの質問ってものすごくストレート。『渋滞解消のために道路を建てるっていうけど、ホテルやショッピングセンターも作ったら、人も車もゴミも増えると思います!』『生き物の命と人の道路、どっちが大事なんですか?』とか。そういう質問がバンバン出たんです」

「私たちから子どもたちに対しては、生き物を移植することについて説明しました。たとえば、一組さんと二組さんのクラスがあります。一組の教室を埋め立てるから、全員二組に引っ越してください。でも机も椅子も給食も二組の分しかありません、というような説明をしました。移植しても生き物が生き残るかどうか分からない、という意味です」

「子どもたちからは『それでも助けられる生き物は助けたい』『助けた生き物が、卵を産んで増えるかもしれないからやりたい』という意見が出てきて、みんなで海の生き物の移植をしました。涙ながらの活動でした。埋め立てて死んでしまう生き物が絶対いるから、その責任感は子どもに負わせたくなかった。『助けられることはやった』という納得感を持ってもらえるように気をつけました」

慣れ親しんだ地元の海だからこそ、子どもたちにとってかけがえのない原体験となる。

「(海や生き物の)専門家をたくさん作りたいわけじゃないんです。何の仕事に就いたとしても、海を守ろうという想いを持っている人が社会に散らばることが大切。そう意味での種まきだと考えています」

地域主体の環境保全実現に向けた課題

沖縄の海の保全のため、精力的に取り組みを続けているしかたに自然案内。軸にあるのは「地域が主体であること」だという。

「沖縄の海を残してほしいとは願っています。でも、それを決めるのは沖縄の人。沖縄の人たちみんなが埋め立てていいよと思うなら仕方ないと思っています。その土地をどう使うかは、地域の人が考えて決めるべき。だけど今までは経済偏重だったので、自然の側からの見方を伝えて広めたい。私たちがやれるのはそこまでだと考えています」

港川の自治会が海の保全に積極的に取り組んだように、地域住民が自分ごと化する必要がある。

「地元の自治会が主体となって発信できれば素晴らしい。私たちはそうした自治会を後押しすることはできます。ですが自治会も高齢化になっていて、バトンタッチが課題になっています」

住民同士で地域の自然資源について考える機会がなくなると、環境はどんどん姿を変えてしまう。

「沖縄は開発がどんどん進んでいて、道路もできるし埋め立ても進む。自然のビーチだったところが人工ビーチになることも多い。生き物がいなくなっていますが、そのことが地域の人にあまり知られていないと思います」

海の大切さを伝える取り組みに力を入れる一方で、歯がゆいジレンマもあるという。

「カーミージーの活動がニュースなどで取り上げられ、有名になったんです。すると、潮干狩りの人が海にたくさん入るようになりました。沖縄では旧暦3月3日に「浜下り」という風習があって、その時はすごい数の車が海岸近くの道路に路駐して、食べられる生き物がかなり採られたんじゃないかと思います。そういうところへの規制が何もできていないんですよね。ビジターセンターもないですし」

これに温暖化も重なり、気付いた時にはすでに海の生態系が崩れており、元に戻すことはとても難しくなってしまう。

「自然環境はものすごく変化しているんですよね。ただし、見続けないと変化ってわからない。海を守るためには、そばに住む人が海を大事にしようと思わないと。海を見て、自然のことを考えられる人、判断基準を持てる人を育てたいんです。正解はありません。『答えは何ですか』と聞かれることも多いですが、自分たちで感じ取って考えていくものなんですよね」

かけがえのない海を残すためにも、まずは知るところがスタート地点。知れば知るほど、ここにしかない魅力がわかるはず。当たり前に思える地域の自然だからこそ、しかと触れ合う機会を作ってみてはいかがだろう。

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