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「“いただきます”で変える世界」五穀ヴィーガンができること【浮島ガーデン】

沖縄グルメのタコライスをヴィーガンでも楽しめると評判なのは、県産無農薬野菜にこだわる「浮島ガーデン」。魚や卵、乳製品など動物性の食品を一切使わず、完全菜食を実現。料理もドリンクもオーガニックを徹底し、国内外のヴィーガンからの信頼も厚い。「“いただきます”から世界を変えたい」と語るのは、オーナーの中曽根直子さん。沖縄雑穀生産者組合を創設するなど、沖縄の食文化の継承にも力を入れてきた。コロナ禍を経て新しい営業形態へと準備中の中曽根さんに、ヴィーガン料理への目覚め、沖縄における五穀の意義などを伺った。

沖縄の五穀で豊かなヴィーガン料理を

中曽根さんの名刺に書かれているのは「トレジャーハンター」という肩書き。中曽根さんの目には、沖縄の食材が宝物のように映っているからだ。

「その島にしかない食材をいただいて料理したりします。市場に出回らないような変わったタケノコや海藻もあるんですよ」

オーナーの中曽根直子

沖縄産の良質な食材にこだわり、「島豆腐のベジタコライス」「ヴィーガン・フィッシュ・バーガー」、ヴィーガンオードブルやヴィーガン弁当などを提供してきた。

「単にヴィーガンというだけでなく、アレルギー対応や五葷抜き、ハラールやコーシャなどあらゆる宗教に対応するお料理を出していたので、海外からのお客様も多かったですね」

浮島ガーデンがあるのは、那覇国際通りの路地裏。浮島通りと呼ばれるエリアで、レトロな街並みに若い感性が入り混じるのが特徴だ。

浮島ガーデン

島野菜がふんだんに使われた料理を頬張り、ふと顔を上げれば青々と茂る植物も楽しめる。庭には井戸もあって、どこか懐かしい雰囲気が漂ってくる。高キビとハダカムギで作ったハンバーグやヒエという雑穀と山芋で作るお魚フライは、風味が豊かでしっかりとした食べ応えもある。そんな浮島ガーデンの料理を支えているのが、沖縄産の高キビやもちきびといった雑穀だそう。

浮島ガーデン

「たとえば粟は、沖縄だけでなく日本本土も大事にしている雑穀です。令和元年の天皇陛下の即位では、大嘗祭が行われましたよね。大嘗祭では天皇陛下がお米と粟を天照大神に捧げるのですが、沖縄雑穀生産者組合では沖縄県を代表して粟を供納しました。粟は縄文時代から食べられてきた作物です。縄文時代は戦争がなかったと言われているので、雑穀は和の心を養う食べ物なのかもしれません。和という字は「禾」へんに「口」と書きますよね。ご先祖さまは穀物を食べると平和になるよということを教えてくれているように思います」

放送作家時代から生まれ変わった心と体

海外からも支持されるほど食へのこだわりを持つ中曽根さんだが、以前はジャンクフードや添加物たっぷりの食べ物に手が伸びがちだった。

「東京で放送作家をやっていたんですよ。当時は徹夜明けにビッグサイズのアイスクリームを食べたり、朝ごはんがチョコレートだったり(笑)。働き過ぎて体を壊したとき、母親からマクロビオティックの本が1冊送られてきたんです」

オーナーの中曽根直子

丁度その頃、夫に誘われて海外を回ったという中曽根さん。のんびりと過ごすうちに体は快方に向かっていった。

「でも日本に帰ってきて仕事を再開した瞬間、また体調が悪くなりました。それからマクロビオティックをちゃんと勉強し始めたんです」

マクロビオティックや雑穀を取り入れるにつれて、心と体の変化を実感したという。

「大谷ゆみこ先生の雑穀料理教室に3年間通い、ひたすら雑穀を使って料理する毎日でした。料理がどんどん楽しくなって、梅干しも味噌も、パンも酵母から起こして、何でも手作りする人に変わったんです(笑)」

生まれ変わったかのようにヴィーガン料理に熱中していたとき、沖縄の友人から脚本の仕事が舞い込んだ。

「もともと大学生の頃から沖縄が大好きで通っていたのですが、長年の友人から子どもたちのための舞台の脚本を書いて欲しいと依頼を受けたことがきっかけで沖縄へ再び足繁く通うようになり、理解ある夫がもう住んでしまったら?と言ってくれて、住まいを借りました」

オーナーの中曽根直子

「沖縄の家では雑穀を使ったヴィーガン料理教室を始めました。2年位経った頃、夫から『店を出したら?』と言われたんです。それで2011年に浮島ガーデンをオープン。最初はオーガニックワインが飲めるヴィーガンのお店として始まって、夜12時まで営業していましたね」

浮島ガーデン

冷凍食品でヴィーガンをもっと身近に

2016年には「浮島ガーデン京都」を展開し、2020年にコロナ禍を経験。外食の自粛ムードが漂う中、「ヴィーガン料理の冷凍食品」という需要に気付いたという。

「作っているのはお肉やお魚、卵、乳製品の味わいをすべて雑穀で作り出すというユニークなヴィーガン冷凍食品なんですが、100%沖縄県産の有機雑穀で作ることができるよう、雑穀栽培にも力を入れてゆきたいと思っています」

オーナーの中曽根直子

2023年4月から店舗を一旦休業し、浮島ガーデンのウェブショップで雑穀を使ったハンバーグやフィッシュフライ、餃子といったヴィーガン冷凍食品の他、産業廃棄物として捨てられているおからをアップサイクルした「島豆腐のおから味噌床」や「島豆腐のベジタコライス(レトルト)」「麻炭コーラの素」などのオリジナル加工食品、島々の有機雑穀なども販売している。

「私達がオープン当初から続けているのは『“いただきます”から世界を変えよう』という取り組み。沖縄の人は長寿だというイメージが持たれていますが、65歳未満で亡くなる方が男女共に全国ワーストです」

沖縄に移住してから中曽根さんが驚いたことのひとつが、地域の人の食生活だった。

「沖縄はファストフード大国。戦後間もなくアメリカの統治下になったことから食事が一気に欧米化しました。また、低賃金なのでダブルワークをしている方も多く、一日中働いているので料理をする時間がなく、外食やコンビニ弁当、お惣菜に頼りがちなんです」

親世代の食習慣は子どもたちの体にも影響が及び、すでに社会課題となっているそう。

「共働きが多いので、手作りのご飯を食べられない子も多く、さらにコロナ禍で貧困問題がいっそう深刻になり、この数年で子ども食堂がすごく増えています。那覇だけでも子ども食堂が60件以上あるんです」(今日の新聞に載っていましたが、那覇市は70軒に増えていました)

浮島ガーデン

「コロナ禍で学校が休みになったじゃないですか。沖縄では学校の給食が唯一の食事という子どもが結構いるんです。そういった子たちのために、飲食店がお弁当を作って配布するという取り組みが行われました。うちでもお弁当を作りました。食材を持ってきてくれる人もいて、ボランティアの方と一緒に野菜のかき揚げやタコライスなどを作ったり。コロナはいろんなことを私たちに教えてくれましたよね。人と人とのつながりの大切さ。そして食べ物さえあればどうにか生きていけるんだなと」

食が暮らしの源であることを痛感した一方で、子どもたちの味覚に起こる変化も目の当たりにした。

「うちでは干し椎茸と昆布で精進出汁をとるんですけど、そのお味噌汁を飲んだ子どもたちが『美味しくない』と…。化学調味料に慣れ親しんだ子は伝統的な本物の味が美味しいと感じられないんですね。健康のためにも子どもたちの舌を正しい味覚に戻さなきゃいけないと気付きました」

中曽根さん自身、マクロビオティックや穀類の魅力を知るまでは、食事に気が回らず体調を崩していた。だからこそ、沖縄の人々の食生活に抱く危機感も強い。

「こうした味覚の変化や健康課題が沖縄では先駆け的に起きていますが、十年後には同じ状況が他府県でも起きるんじゃないのかな」

沖縄の雑穀文化を甦らせる取り組み

「沖縄県産の有機野菜と穀物を使って環境を良くしたい」と語る中曽根さん。沖縄には自然豊かなイメージがあるものの、食を通してさまざまな課題が見えてきた。

「30年前の沖縄の海はサンゴも生きていて、すごくきれいだったという記憶があります。それがどうしてこんなに汚れてしまったんだろうと調べてみたら、農業が大きな原因であることがわかって、だったら人にも環境にもいい有機農産物だけを料理しようと思いました。それと、沖縄県産にこだわっているのには自給率の問題があります。浮島ガーデンをオープンしたときの12年前の沖縄は、食料自給率が23%でした。あまりにも低すぎると驚いたのを覚えています。実際、店をオープンした数ヶ月後にすごく大きな台風が来て、ほとんどの農産物が塩で焼けて一気に無くなってしまったんですね。沖縄は本土から離れているので物資が簡単には届かない。スーパーマーケットの棚に何もない日が続きました。米や野菜といった農産物を増やさなければと思いました。雑穀沖縄では二期作できるので、どんどん増やせる。腐らないので備蓄もできるし、お肉やお魚の味わいも作り出せるので、仲間を増やしてゆきたいと思っています。」

オーナーの中曽根直子

沖縄は島野菜といった独自の野菜があるように思えるが、スーパーマーケットで売られている野菜の多くは県外産で、たとえ県産野菜が陳列されていたとしても、そのほとんどは慣行農法の野菜だそうだ。浮島ガーデンで使う県産の有機野菜を仕入れるために、中曽根さんはまず有機農家さんとのパイプ作りからスタートしていった。今ではそのネットワークは久高島、渡名喜島、宮古・八重山の離島地域にまで及ぶ。また、沖縄の農産物の多くは冬場にしか採れない。夏は日差しが強すぎて栽培できないのだ。そのため、浮島ガーデンのメニューを県産の有機野菜だけで構成するのは、非常に厳しいものがあったという。

「4月から11月位まで沖縄にはリーフレタスがなかったりします。夏は太陽の力がすごいので、ツルムラサキやハンダマ、モロヘイヤなど日差しに負けない葉物しかありません。浮島ガーデンのべジタコライスも、そういった野菜を細かく切って載せるなど工夫してきました。それと、じゃがいもが採れない時期は大人気のもちきびポテトフライもメニューから外して、県産野菜にこだわりました」

一方で、沖縄の気候がもたらす恩恵もある。

「12月から4月までは沖縄における野菜のハイシーズン。トマトやリーフレタスがたくさん採れるし、時期はずれだから高値で売れると、京野菜を栽培したりする農家さんもいるんですよ」

浮島ガーデンを拠点に、食にまつわるさまざまなチャレンジも展開した。

「沖縄の有機農業を応援する取り組みをずっとやってきました。ハルサーズ・マーケットや、まーさんマルシェという有機農家さんと消費者をつなぐイベントを定期的に開催したり、『ベジんちゅ』という地域支援型農業の考えを取り入れた有機野菜の宅配便もやっています。また、食の映画祭『沖縄まーさん映画祭』を開催して、世界で起きている食の問題をエンターテイメントで伝える活動もしてきました」

2017年に発足した沖縄雑穀生産者組合では、中曽根さんが組合長に就任。食文化と祈りの伝統を継承したいと尽力している。

「沖縄では今も農耕儀礼が行われていて、今年の収穫の感謝、来年の豊作を願う、そういった祈りの文化がしっかりと残っています。中でも雑穀は神様に捧げるものとして栽培され続けてきましたが、戦後、食文化が変化し、ほとんど栽培されなくなってしまいました。食べなくなってしまったにもかかわらず、儀礼の場では今もお米や雑穀が稔りますようにと、相変わらず五穀豊穣を祈っています。食べないんだから祈らなくてもいいはずなのに祈り続ける。祈ることをやめないのは、数千年もの間、雑穀を食べ、いのちをつないできたから。五穀こそが大事な食べ物なんだと、DNAの中に刻まれているんでしょうね。この大事な食べ物を私たちの代で無くしてはならない、未来の人々にも継承してゆきたいという想いです」

沖縄雑穀生産者組合

「やはり西表などお米を栽培している地域は結束力が強くて、やる気のある若者たちが有機農家さんから栽培方法を習い、自分の田んぼを作っています」

食から見る沖縄は、健康や貧困など問題が複雑に絡み合っているようにも感じられるが、中曽根さんは明るく笑う。

「沖縄への愛をいろんな形を通して表現しているだけなんです。沖縄の人を元気にしたいんですよね。環境が綺麗になったら人も生きやすくなると思います」

浮島ガーデン

「今はまず、沖縄の雑穀を甦らせたい。学校給食に雑穀を入れることを目指しています。あとは味噌。おから味噌の製造を中心にした居場所作りを始めています。これから日本社会は大きく変わってゆく。大人も大変だけど、子どもたちはもっと大変だろうなと思います。生きてくための力をつけなきゃいけない。沖縄が抱える課題は大きいですが、絶対に良くなると信じています」

浮島ガーデン

いつの時代も食事は人にとってなくてはならないもの。沖縄に脈々と受け継がれてきた食文化を、このままなくしてしまうのはもったいない。何気ない一口にも歴史や伝統が詰まっていることを再発見しながら、美味しい食事を楽しんでみてはいかがだろう。

浮島ガーデン

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