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「日本のアボカドはなぜ1種類だけ?」国内生産1%に挑む戸馳島の28歳【Tobase Labo】

熊本市内から車で約1時間。人口わずか1,100人の小さな島に「アボカド王子」の異名を持つ青年がいる。日本ではほぼ栽培されていないアボカドの栽培に取り組み、現在は0.016%の国内生産率を1%に引き上げるべく活動している「Tobase Labo」中川裕史さんだ。アボカドをはじめとする農作物の生産や観光業を通じて、過疎化が進む島を盛り上げるべく奮闘する中川さん。「100年後も持続可能で魅力溢れる島づくり」をミッションに掲げ、弱冠28歳にして島の未来を担う中川さんの素顔とは。

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前人未到の何かを成し遂げたい。芽生えた野望と農業への興味

中川さんが生まれ育った「花とみかんの島」こと戸馳島は、熊本県南部の宇城市三角町にある面積 6.95 ㎢、周囲 16.5 ㎞の小さな島。洋蘭と柑橘の一大産地として知られ、中川さんの両親も全国で有数のシェアを誇る胡蝶蘭の生産者だ。とはいえ「学生の頃は、農業を継ぐ気はなかったですよ」と笑う中川さん。「私が子どもの頃、胡蝶蘭の栽培を始めるまでは生活も苦しく、両親からも農家は継がせたくないと言われていました」

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自然に囲まれ、のんびりとした時間が流れる戸馳島。中川さん曰く「何もないからこそ子どもの遊びにも創造性がある」島の暮らしは大好きだったが、一度は島を離れ、農業とは関わりのない専門学校へと進んだ。ところがある朝のこと、目覚めた瞬間に天啓が降りてきたのだとか。

「誰もやったことのない挑戦をしたい!」強い思いに全身を貫かれた中川さんは、その日のうちに「通っている専門学校を辞めて良いか」と両親に相談、島へ帰ることを決断したという。「若さゆえの勢いですよね(笑) 当時は両親が育てている洋蘭で何か新しいことができないかと考えていました。その頃はまだ、農家は農協を通して農作物を出荷するのが当たり前で、消費者と直接つながる手段は少なくて。どうにかできないかな?と」

繁忙期の蘭栽培に携わり、農業の楽しさを感じ始めた中川さんだが、もっと見識を広げたい、最先端の農業を学びたいとアメリカに留学。農業分野では全米トップクラスの名門校・カリフォルニア州立大学デービス校にエントリーし、1年半の農業経営短期コースへと進学した。そして休暇で訪れたハワイ島、ヒロのファーマーズマーケットで、アボカドとの運命的な出会いを果たす。

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高い参入障壁を乗り越え、アボカドの栽培に着手

「マーケットで見慣れないフルーツを売っているおじさんが居て、聞いてみたらアボカドだったんです。種類もたくさんあって、初めての美味しさに驚きました。世界では2000種類、ハワイでは10数種類のアボカドが栽培されていることを知って、農場を見せてくれって頼み込んだんです」

呆れるほどの行動力と人懐っこさを武器に、すっかり現地のアボカド農家に気に入られた中川さん。見通しの良い斜面に広がるアボカド畑を目にした瞬間、日本でアボカドを育てたいという思いがムクムクと湧いてきたという。「なぜ日本には1種類のアボカドしか流通していないんだろう? 栽培は難しいのかな?」 頭の中を?でいっぱいにしながら休憩に立ち寄ったカフェで、中川さんは2つ目の運命を見初める。

「パンケーキに濃い黄色のバターが添えてあって、食べてみたら天国の味がしたんです(笑) なんて美味しいんだ、これは何だ!?と思ったのがリリコイ=パッションフルーツバターとの出会いでした」

2017年に帰国すると、猛然とアボカドについて調べ始めた中川さん。「アボカドが非常に栄養価の高いフルーツであること、栽培コストが高く参入障壁が高いこと、日本には栽培ノウハウがほぼなく、流通量に対する国内生産率はわずか0.016%に留まっていることを知りました」

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同時に、アボカド栽培には大量の水が必要であり、原産国の乾燥地帯では水不足につながっていること、収入源を求めたマフィアが農家を拉致している現状、上記により治安が悪化し、住民の生活が脅かされていることなど、大きな社会問題を孕んでいることもわかってきた。「アボカドは“悪魔の実”とも呼ばれています。そういった問題を知れば知るほど、これは国内生産をやる意義がある、チャレンジしなければと思いました」

新規就農者向けの融資で1,000万円を借り入れ、300本のアボカドを植えた中川さん。「親は驚いたと思いますが、思うようにやってみなさいと背中を押してくれました。ただし、お金は出さないよと言われたので、銀行から融資を受けて600万円の設備投資を行い、栽培を始めたんです。ただ、アボカドは植えてから収穫までに4年かかります。その間のマネタイズをどうしようか、と考えたとき、リリコイバターが頭に浮かびました」

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リードタイムの短いパッションフルーツの加工品を稼ぎ頭に据える。アイデアを形にするべく、国内外からあらゆるリリコイバターを取り寄せ、自宅のキッチンで試作に次ぐ試作を繰り返した中川さん。完熟した実と青い実の配合を考え抜き、添加物を含め、余計なものは加えない。種ごと食べるパッションフルーツの魅力を最大限に生かすため、ザクザクした種の食感も残して……。

ついに完成した最高のリリコイバターは、たちまち県内外のシェフやリリコイファンから熱視線を浴びるように。バターと中川さんの人柄に惚れ込んだ熊本の老舗パティスリー「KITAGAWA」の北川シェフとともに新商品のリリコイプリンも開発し、県内外で活躍するクリエイターの協力を得て、パッションフルーツのブランド「PASSION FRUIT DAUGHTERS」を立ち上げた。

「クリエイティブディレクターやフォトグラファー、デザイナーの皆さんとチームで取り組めたことで、すごく広がりのあるプロジェクトになりました。今や、田舎なのにおしゃれなプロダクトだね、は普通のこと。その一歩先、ものすごく可愛くて美味しいモノが実は田舎の小さな島発だった、という順序で知ってもらえたら」

ゆくゆくは、現在手がけているバニラビーンズやイチゴ、柑橘など、他の農産物のブランディングにも取り組みたいと考えている。

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撮影 akiko yamaguchi

国産アボカドを毎日の食卓へ、壮大な目標に向けて一歩ずつ

リリコイバターの開発に取り組みながら、少しずつアボカドの苗木を増やしていった中川さん。現在は40品種500種類を栽培し、2022年には初めての収穫を迎えた。「日本では、100本植えたら半分は枯れる、と言われていたアボカドですが、ほとんど枯れることもなく、無事4年越しに収穫することができました。本当に感動しましたし、逆に1軒の農家にできることの限界にも気づかされましたね」

現在、中川さんが所有しているアボカド畑は、現在1haほど。目標とする国内生産率1%=800tを達成するには、この500倍の作付面積が必要だ。「僕が生きている間に成し遂げられないかもしれませんが、いろんな方法でアプローチしていけたらと思っています。降水量が安定していて、主要原産国のメキシコと緯度も変わらない日本は、寒さに強い品種さえ選べばアボカド栽培に適した土地なんです。近年は、温暖化の影響でハウスも必要なくなりました」

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参入を希望する農家には、惜しみなくノウハウを提供して国産アボカドの生産量を増やしていきたいと話す中川さん。苗木の販売や栽培のサポートを行うコンサルティング事業も開始し、早くも問い合わせが相次いでいる。

「現在、国産のアボカドは1玉1,000円程度で流通しています。取り扱っているのは、無印良品さんや、百貨店など。ありがたいことですが、その販路や価格帯では、一般家庭の食卓に気軽に乗せられないですよね。生産量・流通量が上がれば、価格をグッと下げることができます。美味しくて安全な国産の無農薬アボカドを、もっともっと普及させたい」

娘が大人になっても、誇れる島であるように

中川さんが経営する「Tobase Labo」では、農作物を生産するほか、観光事業も手がけている。そのきっかけは、娘さんの誕生だった。「今、島の人口は1,100人ほど。2050年には300人ほどになってしまうと予想されています。娘が成人する頃、この島は誇れる故郷でいられるだろうかと危機感を抱いて。もっと本業で成果を上げてから、という考えもあるでしょうが、どうせやるなら早いほうが良いんだから、もう島を背負っちゃおうかなと思って(笑)それで、島の名前を屋号に入れました」

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撮影 橋本大

“背負っちゃおうかな”という言葉に込められた使命感と、地域づくりを重荷と捉えない軽やかな響き。このバランス感覚こそ、中川さんの強みだと感じる。

「具体的には、今年7月オープンを目標に、家族のための複合施設をつくりたいと計画しています。農業と食とものづくりをテーマに、子どもが創造したり、考えたり。大人はちょっと休憩できて、のんびり過ごせる。いろんな活動を楽しめる場所にしたいなと思っています」

翌年には島が所有する若宮海水浴場の管理も目指しているという中川さん。「日本一、子どもに優しい海水浴場をつくって、戸馳島を子どもの島にしたい」と明るい笑顔で語る。「直接的な移住者を増やすのは大変ですが、訪れる子どもの数を増やせば、きっと島は賑やかになると思っています。施設や海が賑わえば、雇用が生まれる。島を出て行く人たちも、自分の故郷にはこんな素敵な場所があると宣伝してくれるんじゃないかな、なんて」

過疎地域にも、豊かな資源はある。その資源をうまく活かせる旗振り役が1人居れば、地域の未来は明るい。そう教えてくれた小さな島の王子は、今日も目まぐるしいスピードで新たなチャレンジを始めているに違いない。

Tobase Labo

photo:大塚淑子

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