読むふるさとチョイス 地域の挑戦者を応援するメディア

「お客を囲うと街が廃れてしまう」 1300年続く城崎温泉の温故知新 【城崎温泉・三木屋】

“小説の神様”と称される文豪・志賀直哉。代表作『城の崎にて』が生まれたのが城崎温泉三木屋旅館だ。創業350年の木造三階建は、これぞ日本の老舗旅館という佇まい。文学のまち城崎を代表する人気旅館だが、ほんの十年前は、経営危機を感じたこともあったという。転機となったのは、志賀直哉来訪100周年に合わせた旅館リニューアル。10代目当主の片岡大介さんに、城崎温泉にも影響を与えた曽祖父の決断、旅館にライブラリーが必要だった理由などを伺った。

起死回生を懸けた老舗旅館のライブラリー

2013年に始まった三木屋リニューアルの中核は、ロビー横にあるブックライブラリー。「本を読みたくなる本棚」をテーマに掲げ、滞在の質を上げるために新しく設置された。

ジャンルもさまざまな約250冊の本の中から心惹かれる一冊を選び、ソファに座ってページを開く。時間が経つのも忘れて読書にふけるうち、「もっとここにいたい」と離れがたい気持ちになる。

「2013年は、志賀直哉が初めて三木屋を訪れた大正2年から数えて100周年でした」

近年は旅行と読書を掛け合わせた宿泊施設が増えつつあるが、当時はライブラリーに力を入れる宿は多くなかった。それでも三木屋がライブラリーを作ることにこだわった理由とは。

「志賀直哉が泊まっていたときに書いた日記を読んでいたんです。小説を書くのはもちろんですが、散歩に行ったり遊戯場で玉突きしたり、 山登りをしたりしていたんですね。その中で、志賀直哉は宿で毎日本を借りて読んだと」

旅館で読書というのは、昔の人々からすると極自然な過ごし方だったらしい。

「湯治の本や昔の本を読んでみると、以前はうちも三木屋図書室というサービスをしていたことがわかりました。城崎温泉は湯治場なのですが、湯治場は元々1か月を目安に長期滞在で来るところ。時間がたくさんあるので自炊する人もいました。そんな中、お客さんへのサービスとして宿の中に図書室があったんです」

時代を超えて蘇った、湯治場で本を読むという過ごし方。三木屋のライブラリーに並ぶ本のセレクトは、ブックディレクターの幅允孝氏が手がけており、上質な本との出会いに導いてくれる。

「改装は2013年から始めて10年間の長期的な計画で、ちょこちょこ進めてきました。2回目の改装から(空間設計を)二俣公一さんに頼んでいます。二俣さんと話をしているのは、どこを変えたかわからないと言われるのがベストだということ」

「リニューアルでは、三木屋が持っているオリジナルの強みを文化面で出したかったんです。三木屋の建物は国の登録文化財として認められているのですが、建築基準法によると現代では建てちゃダメな建物なんです。登録文化財の建物を増築すると、現代の法律が適用されますので、増築はまず選択肢から外れました(笑)」

「増築できないので、木造の風情を残しながら快適な部分を取り入れてきたんです。たとえば床暖房を入れるなど、建物は古いけれどストーリーがあることを伝えられるよう、質を高める方法を考えてきました。僕が一番好きなのは、朝食を食べた後にコーヒーを飲みながら本を飲む過ごし方です」

100年越しに受け取った曽祖父の想い

豊岡市城崎町で生まれ育った片岡さんは、大学進学で一度故郷を離れた。卒業後はホテルに就職。3年間修行した後は城崎にUターンし、10代目として三木屋を継いだ。

「上に姉が二人いるのですが、僕が旅館を継ぐ感じだったんです。三木屋に志賀直哉が泊まったことはざっくりとは知っていたくらい。旅館のことを頑張ろうと思ったきっかけは、大学のツーリストビジネスゼミでした。卒論で城崎について書くことにして初めて、自分で城崎の歴史を調べたんですよ」

今まで知らなかった城崎の歴史に、驚きの連続だったという。「城崎ではかつて、温泉を個人の権利で使うことは許されていなかった。つまり旅館が温泉を持てなかったんです」と片岡さんが語る。

「城崎温泉は外湯巡りが名物ですが、そもそも明治、大正辺りまでは外湯しかなかったんですよ。温泉が沸いた場所の周りに小屋ができて、湯治で来た人が泊まるための宿ができました。 湯治宿は安く長く泊まるところで、皆さん自炊しながら滞在していたんです。旅館の中にお風呂が必要とされていなかったので、旅館が温泉を持っていなくても大丈夫でした」

「ですが西洋医学が入ってきて、だんだん湯治が下火になってきます。しかも城崎は大正14年に北但大震災が起きて、街全体がほとんど倒壊。昭和初期に街を作り直し、今の原型になりました。三木屋も曾祖父が昭和2年に建て直した建物です」

「震災で財産をたくさん失った曾祖父は、旅館を復興しないとダメだと考えたんです。これからは観光の時代だから、旅館がサービスとしてお風呂を持つ必要性が見えていました。ですが、泉源があっても個人の権利としては使えない。温泉の役割が変わるタイミングで、旅館が温泉を持てるように口火を切ったのが曾祖父でした。街の慣習を破ることとなるので、当時は批判を浴び、大きな問題にもなったそうです。時代の変わり目にアクションを起こすなんて、気合が入っていますよね(笑)」

調べれば調べるほど、創業350年から続く家業が色鮮やかになっていった。

「大きいターニングポイントでした。城崎温泉の歴史を語ろうと思ったら、ここを外しては語れない。三木屋はそういう旅館なんだと思ったら、『僕の代で潰したらあかん。マジでやらな』と気合いが入りました。それまでは建物がかなりボロくて、経営的には赤字が続いていて厳しかったんですよ。2011年に母から僕に代表を交代して、改装を経てなんとか盛り返しました」

地域で築き上げてきた城崎温泉の1300年

曽祖父の提言をきっかけに、温泉の権利が見直された城崎温泉。外湯と内湯の調和を取るために、地域の人々は慎重に話し合いを重ねた。

「昭和2年に裁判になり、戦後には温泉について個人の権利が認められるようになりました。けれど城崎の人たちは個人の権利を放棄して、みんなで内湯を作ることを決めました。旅館の規模に合わせてお風呂の大きさを決めるルールもできたんです。なぜかというと、宿の中に大きいお風呂を作ってお客さんを囲い込むと、誰も外に行かなくなって街が廃れてしまうから」

城崎温泉は1300年の歴史を誇り、昔ながらの風情を残す温泉地。浴衣を着て外湯を楽しみ、温まった体で街を散策するのが定番だ。

「城崎の人たちは『大事なのは街』という本質をわかっていて、一つひとつの宿を大型化しなかった。だから昔の温泉町が残ったんです」

「城崎が温泉街としてこんな風に評価してもらえるようになったのは最近のこと。バブル崩壊まで、宿は大型化するのが正解と考えられていたじゃないですか。ですがバブルが弾け、神戸の震災が起きました。新しい建物をどんどん建てていくのではなく、残していく方向に世の中の価値観が変わっていきましたよね。だから三木屋みたいな木造三階建の宿も特集を組まれるようになりました」

三木屋10代目の片岡さんが受け取った、先人たちの想いと歴史。そんなかけがえのない財産を、次世代に繋ぐことも考え始めた。

「最近は街の宿屋で合同入社式や合同研修会をしています。城崎の宿は10部屋程の小さいところが多くて、新入社員も一人いるかいないか。入社しても同期がいないので孤立して定着しづらいんです」

「ですが城崎は『街全体がひとつの温泉宿』という考え方を持っています。各宿の第二新卒や中途採用も含めた新入社員を集めたら、50人位になるんです。だから街全体で同期をつくる試みを始めました。僕はこういうことが大切だと考えています」

未来のために『本と温泉』で街をアップデート

ノスタルジックな雰囲気のある城崎温泉だが、地域の人々は革新的でエネルギッシュ。2013年の「志賀直哉来訪100周年」の時期は、たくさんの人が行動を起こしたという。

「旅館経営研究会という40歳までの若手の会でいろいろ考えたんです。そんな中で出版することになったのが『本と温泉』でした」

『本と温泉』は城崎に足を運ばなければ手に入らない書籍。さまざまなアイデアや今までにない切り口から、城崎の特色を掘り下げるシリーズ本だ。作家の万城目学氏、湊かなえ氏、tupera tupera氏も執筆し、知る人ぞ知るご当地本になっている。

「城崎は交通の便があまり良くないし、どうやったらここに来てもらえるのか仲間とずっと考えていたんです。城崎と言えば蟹ですが、蟹は11月から3月までの5か月間がシーズン。それ以外の時期はあまりお客様が入らなかった。しかも蟹に惹かれるのは関西の人ばかりで、関東の人には届かない。城崎ならではのオリジナルなものでありつつ、今の時代の人に届くようにアップデートしたかったんです」

「文学のまち城崎とうたっているけれど、志賀直哉の『城の崎にて』にずっと頼ってきたし、現代人が触れられるようにできていなかった。地域の皆さんも『100周年なんてめったにないチャンス』と言ってくれました。文学は城崎にとって大事だということで『本と温泉』ができたんです」

『本と温泉』は累計発行部数7万部を突破。城崎でしか購入できない制限の中、異例のヒットとなった。

「これは皆の自信になりましたし、城崎がすごく(メディアに)取り上げてもらえるようになりました。いつもは蟹の時期にお客さんが集中していたのが、時期を問わず来てもらえるようになり、関西以外からのお客様も増えました」

新しいアプローチを切り拓き、温泉の魅力を発信。こうしたチャレンジは、どうやら城崎温泉のDNAに刻まれているらしい。

「城崎といえば浴衣が似合う温泉地というイメージがあって、学生客やインバウンドの観光客からも浴衣が人気です。けれど最初のきっかけは25年位前、今の50代、60代の僕らの先輩が始めたんですよ。 若い人や女性客が城崎を楽しめるように、仕掛けを考えたんです」

「もちろん目の前のことも大切なんですけど、 温泉地をやっていくには、2代位先まで責任を持つ意識で判断していかないと、蓄積されてきた文化を手放すことになります。文化にしようと思っても簡単にはいかない。時間がかかってユニークな形で残ったからこそ、文化なんですよね。城崎は先人たちがそういう視点を持っていたと思いますし、どう繋いでいくかを意識しないといけません」

片岡さんは令和の城崎でチャレンジを続けつつ、未来に向けてこんな希望を胸に抱いている。

「コロナ後は設備投資に補助金が出る時期があって、お土産物屋さんが代替わりしたり飲食店に変わったり。そういう変化に拍車がかかって、面白いお店もできました。それでいて温泉街としては昔の景観を保ったままです。城崎温泉が“歩いて楽しい街”にアップデートされているタイミングかなと感じています」

城崎の人々が言う“街全体でひとつの宿”は、時代を超えて共有される価値観。温故知新で、先人たちの営みがしっかりと現代に息づいている。アップデートに余念がない城崎温泉は、きっと何度訪れても楽しめるはず。まずは令和の城崎温泉を心ゆくまで堪能してみるのがおすすめだ。

三木屋

二俣公一氏

この記事の連載

この記事の連載

TOPへ戻る