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「城崎は街全体で一つの温泉宿」絆を可能にする祭りでの付き合い【城崎温泉・泉翠】

兵庫県の城崎温泉は開湯1300年の歴史ある温泉地。伝統を守りつつ、近年は旅館のリニューアルなど新鮮な風も吹いている。泉翠は、3代目若旦那・冨田健太郎さんのこだわりで生まれ変わった旅館。婿養子として城崎に移住した冨田さんは、リニューアルに並々ならぬ覚悟と情熱を抱いていた。「街全体でひとつの温泉宿」だと言われる城崎で、地域に溶け込むことができたのは“城崎秋祭り”のおかげだという。リニューアルに懸けた想い、城崎ならではのコミュニケーションなどを冨田さんに伺った。

感動のきっかけになる旅館を目指して

婿養子として城崎に移り住み、代表に就任した冨田さん。3代目若旦那として思い切ったのが、2019年のリニューアルだ。

デザインと設計は建築家・堀部安嗣氏に依頼。自然の素材を取り入れ、上質な特別感と共に落ち着きも感じられる空間に。リニューアルの中でも冨田さんがこだわったのが、レストランSikiのカウンター席だという。

「改装後の泉翠では食事の時間をもっと楽しんでほしいと考えました。そのためにできることは何かと考えました。自分がレストランへ伺った時にカウンター席で料理人さんが調理をされる様子を見ながら、出来立ての料理をいただくことにとても大きな満足感を感じたことを思い出し、自分の旅館でも、そんな時間を提供したいと考えてカウンター席を作ることを決めました」

志賀直哉に縁ある城崎らしく、ライブラリーも新たに設置。プロデュースはブックディレクターの幅允孝氏が手がけ、”体と向き合う” “自分と向き合う”など、6つの「向き合う」をテーマに、心地よい読書空間を作り上げた。

「本は知識を深めさせてくれますし、今まで考えたり信じたりしてきたものを答え合わせをする機能があると思うんですよ。旅行に来て美味しいものを食べたり、温泉に浸かるのもひとつの過ごし方だと思うんですけど、時間を気にせず読書するのも贅沢ですよね」

「僕が考えていたのは、お客さんに感動してほしいということ。泉翠で過ごすことで、アップデートして帰ってもらえたらと思います。アップデートというのはレベルアップじゃなくて、食べ物や家具、お箸や器に触れてもらい、作家さんの品に触れてもらうこと。『世の中には良いものがまだまだあるんだな』と感じてほしいですね」

「お箸は京都の高野竹工の竹の箸を使っています。箸先が細くて、とても美しいんですよ。グラスや器なども良いものを揃えています」

客室の「蓬莱」と「月見草」は堀部氏が設計。リニューアルした泉翠で、どんな時間を過ごせるか聞いてみた。

「旅行は大切な方と行かれると思います。全ての客室にテレビは置いておりません。テレビをつけた瞬間にそのテレビが会話のネタになってしまったり。そうではなくて、その大切な方だけとできる会話を楽しんでいただく。また、温泉に入った時の気持ち良さそうな表情や美味しいものを食べた瞬間の表情を感じていただくなど、大切な方と向き合う時間を過ごして欲しいと思っています」

「泉翠に泊まった後に結婚されたお客様もいらっしゃいました。お客様の感動のきっかけになる時間を提供できたらいいですね。結婚してからも泊まりに来てくれたり、 僕らからするとすごく嬉しいことです」

時代に取り残されないために旅館に変革を

十数年前、結婚を機に城崎へ移住した冨田さん。街のことも旅館のこともわからないことだらけだったという。「城崎の人たちに教えてもらいながらやってきた」と冨田さんが笑った。

「泉翠の歴史を遡ると、元々は料亭だったんです。時代の流れと共に旅館に移り変わり、50年程になりました。そして料理もお酒もドーンと出していた団体旅行から、どんな体験ができるかという個人の旅行へと、旅の在り方も変わってきたんです。僕も自分の代になったら泉翠を変えないとダメだろうと考え、リニューアルしました」

冨田さんは2019年に泉翠の代表に就任。これから宿を背負っていく覚悟がリニューアルに表れた。

「三木屋(志賀直哉が宿泊した宿)さんも建物をリニューアルしていたので相談したり、いろいろな本や雑誌を読んだり。そうする中で、建築家の堀部安嗣氏さんに改装をお願いしたいと思ったんです。堀部さんの著書『書庫を建てる』を読み、堀部さんが施主と、とことん向き合い書庫を在り方を考え、書庫ができるまでの様子が鮮明に書かれてました」

「堀部さんなら、これからの泉翠のことを考え、100年先も洗練されたものを作り上げてくれる。と自分の中で確たるものを感じました。しかし、堀部さんは工期があまりにも短く、依頼を断ろうと思われていたみたいです。しかし、僕としては諦めることが出来ずに、しつこくお願いすると……引き受けていただけました」

念願叶い、リニューアルの第一歩を踏み出した冨田さん。先代女将や家族も背中を押してくれ、あとは前進するのみだった。

「堀部さんからデザインは任せてくださいと言ってもらえました。僕からお願いしたのは、お客様にどんな時間を過ごしてほしいか。レストランのカウンターとライブラリーは絶対に作ってほしいと依頼しました。あとはスタッフの動線や利便性などですね」

リニューアルが無事に完了したのも束の間、新型コロナウイルス感染症拡大の波に襲われた。

「正直辛かったです。自分が試した結果が全然見えなかった。でもスタッフさんたちが笑顔で頑張ってくれました。コロナが落ち着いてからはお客様の単価が1万円上がり、改装前と比べて売り上げも上がりました」

試行錯誤や不安を乗り越えたリニューアル。改めて旅館について、こんな風に考えるようになったという。

「旅行って大事な人とするじゃないですか。ですがコロナ禍は、大事な人といるのが当たり前ではなくなっていました。大切な人と時間を過ごすって、かけがえのないものであり、そんな時間を提供する我々の責任は大きい。だけど、これほど人々から必要とされる仕事はない。と感じるきっかけにもなりました」

外から来た若旦那が祭りで地域に溶け込む

冨田さんはNPO法人 本と温泉の一員。地域限定本『本と温泉』発行にも尽力中。城崎を盛り上げるため、地域の人々と真摯に向き合っている。京都出身の冨田さんが地域に溶け込めたのは、城崎秋祭りによるところが大きいのだとか。

「10月の14日と15日に、だんじりの城崎秋祭りがあります。城崎は横の繋がりが強いのですが、その根底にあるのが祭りです。城崎を上部(かみぶ)・中部(なかぶ)・下部(しもぶ)の3つの地域に分けて、同世代でグループを作ります。グループごとに祭りを運営する、執頭(しっとう)という役職があって、大体30代の人が執頭になります」

城崎秋祭りは、街の中心街にある四所神社の例祭。男衆が山車で街中を練り歩き、「セリ」と呼ばれるぶつかり合いを繰り広げる迫力満点の祭りだ。

「祭りの世界は絶対的な年功序列。70代の人も参加しますけど、普段の職業や立場は関係ありません。執頭は祭りを取り仕切る役ですが、だんじりには一切触れない。執頭がこんな風にだんじりを動かしたいと思ったら、皆さんに動かしてもらうしかないんです。でも祭り当日の2日間だけみんなにへいこらしても、絶対やってくれない(笑)」

「だから普段の付き合いが大事。ご飯を一緒に食べたりお酒を飲んだり、町内活動などを経て『あんたの言うことなら聞いてあげるわ』と言ってもらえるんです。根底にあるのは町内の付き合いであり、祭りの付き合いなんです。城崎に住んでいたら孤独死はないんじゃないかな、という気もするほど横の繋がりが強い地域だと思います」

“街全体でひとつの温泉宿”を成り立たせる絆

城崎秋祭りで30代の若手が執頭役を任されるように、城崎では家業や経営でも代替わりが早いのだという。冨田さんにその理由を聞いてみると地域の特色を教えてくれた。

「城崎には役割分担があります。『上の人たちはお金を出すから、若いもんは汗かいて働け』という考え方があるんですよ。上の世代は人使いがめちゃくちゃ荒いんです(笑)。でも僕はそれがありがたいですね。僕ら若旦那がチャレンジできたりブレずに頑張れるのは、上の人たちが何かあったらカバーしてくれるという安心感と、何よりも城崎には人を惹きつける魅力があるから」

「城崎には大きな旅館がなくて、一つひとつの旅館の力は弱い。この街を楽しんでもらうことが大前提。『温泉は外湯に行ってください』『お土産は外で買ってください』ということです。僕自身、お客様に泉翠だけで過ごしてもらおうとは考えていません。外に行ってもらわないと困ります。そうじゃないと旅の満足度が下がっちゃうと思っています」

城崎の人は「街全体でひとつの温泉宿」だと皆が口にする。若者もベテランもご隠居も一緒に街の魅力を保ちながら、より良い温泉街としての歩みを模索してきた歴史があるのだ。

「街のために貢献するのは当たり前。それはもう先輩たちからずっと言われてますし、僕らの世代も子どもたちに伝えています。僕はもう卒業しましたけど、商工会青年部の過去の事業では地元の中学生とカマボコの新商品を作って、一緒に販売したりしているんですよ」

城崎流にいうと、冨田さんはまだまだ汗水垂らして働く世代。泉翠リニューアルや『本と温泉』発行などを経て、城崎に思うこととは。

「城崎は僕みたいな外からきた人間をも快く受け入れてくれる街です。そのおかげで僕自身も色々なことに挑戦をさせてもらっています。

城崎温泉は大阪にも近いし、食材にも恵まれた温泉地ですが、そこで挑戦することを止めてしまってはダメだと思います。地域の魅力は地域の人間にしか高めることはできないと思うので、これからもマンパワーはさらに高めていく必要性はあると感じています」

「1925年に北但大震災が発生し、先人たちが奇跡の復興を遂げました。僕たちは、先人たちが残してくれたこのまちで商売をさせてもらっています。

僕たちの役割は、次の100年を見据えて、共存共栄の精神はそのままに、時代に求められる要素をうまく取り入れたまちを次世代に引き継いでいくことです。泉翠の改装もその一つで、次の世代に『これで勝負できる』というものを残していきたいですね」

城崎温泉の次の100年に向けて、現役世代はアップデート中。懐かしさと新しさが同居しているから、城崎温泉はいつの時代も心地よいのかもしれない。大切な人との“今”を堪能したい人は、泉翠で贅沢な時間を過ごしてみてはいかがだろう。

泉翠

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