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850年の歴史を未来へ繋ぐ『森のエール』【il st bibitone】
地域で魅力的な物事や事業を作り出すのに必要なこと。それは土地に元々ある素材のポテンシャルや時代といったタイミング。しかし最後に動き出すのは「人」と「人の出会い」だ。
山梨県富士吉田市でクラフトビール『森のエール』を作るil st bibitone(イル・セント・ビビットーネ)の西井康晃さんは自ら人と出会い続け、ビールで人や食卓を繋ぎ出会わせ続け、今では地域の歴史もつなぐ平安末期から続く流鏑馬祭りの馬主・射手でもある。
富士吉田市に縁もゆかりもなかった西井さんが、馬に乗り、森をめぐり、ホップの畑を耕してビールを注ぐまで。その話を聞いた。
富士山麓で富士吉田のビールブランドを作る、流鏑馬の射手とは?
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西井さんは富士吉田を拠点とするビールブランドの代表だ。元々は料理人、そしてホテルリゾート企業でのサービス企画を手がけることになり山梨へ移住。その仕事でお客さんとその土地や環境を近づける商品として、地域のハーブやホップ畑の素材を使ったクラフトビールブランドを始めたという。実は、ビールの注ぎ手の国際コンクール「STELLA ARTOIS WORLD DRAUGHT MASTERS」でのアジアチャンピオンになったこともあるドラフトマスターでもある。
「僕ビールも造りますが、住んでいる下吉田の神社で流鏑馬まつりの射手でもあります」
唐突に、流鏑馬の射手としての西井さんが語り始めた。乗馬の経験はあったのですか?
「全くないです、流鏑馬どころか乗馬も弓も何もなくて、1週間乗馬レッスンに通っても走るのがやっと、でも元々そういうお祭りなんです。普通は流鏑馬って武芸の奉納で、現代ならプロの弓馬会から射手も馬も呼ぶものでしょう。小室浅間神社の流鏑馬祭りは、土地の庶民・農民が神事のために射手になるんです。あと実は大切なのは、的に当てることじゃなくて馬の足跡、蹄跡を使った占いなんです。日本でここだけの風習、祭りだと思います」
日本で唯一の「生活に根付いた庶民の流鏑馬と蹄跡占い」
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小室浅間神社での流鏑馬祭りは1164年から続いており、山梨県の無形民俗文化財指定も受けている。武芸ではなく庶民のための流鏑馬であり、馬に乗り走る射手の他に重要な役割として「占人(うらびと)」が、馬の蹄跡からその年の災厄を占うというものだ。代々の一家が受け継いできたその占い方は秘伝。当たりすぎて怖いとまで言われているらしい。
「武士による奉納ではなく、庶民が自慢の”おらが馬”に乗って走り抜けるのが始まりです。大事なのはむしろ蹄跡の方で、射手は馬場を無事に走り、矢は当たったらラッキーくらいのもの。農民たちの祭りだったものですから」
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地元の見知った顔、晴れ姿を見にきた観客が声援を送り、上手に的に当てる射手もいれば落馬しないよう疾走する馬の手綱を掴んで、矢は最後に投げて(!)大笑いしながら走り終える射手もいた。走り終えるたびに占人たちが、旗の柄で蹄の跡を指しながら歩く。それでは西井さんは、なぜこの土地で流鏑馬をやっているのか。
「宮司の渡邊平一郎さんがすごく良い人だったんです。移住してきた僕に本当によくしてくれて。その平一郎さんが、やぶさめ祭りの伝統を繋いでいくために若い人が必要だっていう。じゃあ、僕が馬に乗ります!って立候補しました。今回もう3回目になりますが、外から来て数年の人が地域の伝統の祭りで、重要な役をやるのはすごいことだと思ってます」
実際、地域で起きる問題である「よそ者」的な反発はなかったのだろうか?
「僕ら移住者が参加する前は、流鏑馬の射手の平均年齢が70代くらいだったそうです。頑張って継承されてきたけど、例えば祭りの前に世俗と隔離して過ごす”潔斎”が1週間ある、もし落馬とかすると年齢的に洒落にならない。ご家庭への負担もあり参加できる人が減って継続できるのかという状態でした。宮司さんが、柔らかく新しいことを取り入れる人だったから、僕にも声をかけてくれたんだと思います」
参加して3年目の2023年に、西井さんは馬主(うまぬし)という馬の担当チームのリーダー的な役割を引き受けた。ビールの納品先や、イベントで出会った「面白い人」たちに声をかけ、70代だった流鏑馬祭りの乗り手の平均年齢は半分の30代にまで若返ったと言う。
歴史の中で守るものと変えていくこと、それを決めること
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西井さんが、絶対的な信頼を置いているという小室浅間神社の宮司である渡邊平一郎さん。まずは流鏑馬まつりが「安全に、無事に」終わったことを2人で喜びあった。古くからの伝統を守りながら時代にあった考え方を取り入れいく、地域の責任ある立場だ。
渡邊さん「ここは観光神社ではなく、崇敬神社。氏神さまと氏子と言う地域のコミュニティの中心だから地元の人たちが支えてつながっていく場所なんですよね。でも、その「地元」の定義を昔から住んでいる人に限らずに、移住してきた人や学生で今住んでいる人も氏子や崇敬者になります。これは私の代で必要だから変えたことです。でも、当然ですがなんでも変えられるわけじゃないんです」
約850年続く流鏑馬まつりだが、これまで手順や決まりごとは文書化されていなかったのだという。歴史を体で覚えてきた経験者からの口伝を中心に、毎年決まった日付に集まり行われてきた。渡邊さんはそれを書きつけて残しているところだという。
渡邊さん「文字に残すことで、変えてはいけないことを明らかにした方がいいのもありますね。新しい人の新しいアイデアを聞いて、少しずつ変えるべきものは変え守るものを守る。今の時代がこうだからと言う”外の声”で変えていたら歴史が狂ってしまう。宮司の責任として、神道の理屈にも合うよう考えて、そして新しい氏子さんたちや昔からの年寄りの声もきく、これは私1人じゃなく、皆んなと相談をして決めていきます」
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この地域に必要な伝統である「まつり」をこの先も受け継ぎ続けていくために、変えることと変えないことを宮司として「コミュニティの中心」である神社の、氏子たちと決めていく。時代と共に、しかし自分達の内側からの声で変えていくことが大切だと渡邊さんは言う。それを頷きながら、見つめて聞いている西井さん。
渡邊さん「(潔斎で)いい大人が、1週間共同で寝泊まりするのは大変なことです。以前は潔斎中に必ずもめた(笑)。若い人たちは、年寄りには孫みたいなもんだから。若手は本当に素直に入ってくれて良い感じなんですよ」
西井さん「もめ事は本番直前の17日になると必ず起きると聞いていました。でも経験者の皆さんがいないと、この街でできないことなのもすごくよくわかりました。最初は誰が何を知っているのか、あっちに行って長老に聞いてこっち行ってクリアして、仲間を集めて、ゲームのクエスト・ダンジョンみたいでしたけれど(笑)、まつりを通して街のことを知っていく感じでした」
親子のような2人と、似たような年齢差の装束を着た「氏子たち」が祭りの後片付けを元気にこなしていく。その後、西井さんの「森を感じる場所」へ移動して話の続きを聞いた。
『森のエール』は富士吉田の人たちや、外からくる人をつなぐもの
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初めて西井さんの作る『森のエール』を飲めたのは山中湖にある「NEW MID」というピッツエリアで、直接ビールを卸しにきた西井さんとも近くのカフェで偶然に出会えた。そのようにお店のメニューでは見かけるが、ビール単体での販売をしている場所はない。
「富士吉田の道の駅で販売している『流鏑馬エール』は、本当に僕が流鏑馬に出ているし、この富士吉田の小室富士浅間神社の流鏑馬を知ってもらいたいから、限定で作って卸してます。また新倉浅間神社の桜まつりでは桜ビールを販売して、その時期にレストランにも限定で卸します。それは僕のビールだけで売りたかったり飲んで欲しいわけじゃないからです」
ビールが目立つのは本意じゃない、たくさんの魅力を見つける媒介になる存在でありたい
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富士吉田認定ブランドにも選ばれている『森のエール』。流鏑馬祭りで走る神馬の堆肥を用いて栽培したハーブ、ホップを使い富士吉田の森から採取した針葉樹を用いている。既に街の顔になっているビールでもある。
「僕のクラフトビールは、ビール自体が話題の中心や目的になって飲まれることを目指してはいないんです。美味しい料理や楽しい人がいて、彼らを繋ぐものとして邪魔をせず、食事の最初に飲んでいただきたいビールです。めっちゃ美味しいご飯を食べて、ちょっと喉かわいたな。あ、ちょっと相性いいな、このビール美味しいな。で、このご飯すごく美味しいな、っていう所を狙っていきたい」
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「このビールは”富士吉田の森を感じる”というコンセプトですが、どんな風に出会えたら、街や森を知ってもらえたら嬉しいだろうか、とは考え続けています。勢いやブームで一時的にお客さんが増えたとしても、本質的ではない。このビールで一緒に仕事ができたり、楽しく飲んで繋がれるツールでもあって欲しいです。富士吉田の街と森、そして小室浅間神社の流鏑馬が今後も継続していくために僕がやりたいのは、今はこのビールブランドなんです」
そう話す西井さんは、ビール事業の合間に今度はアウトドアのツアーガイドとして富士の森へと出かけていく。流鏑馬に出てくれた移住者の1人、西湖でキャンプ場やアウトドアブランドを作っている「一緒に仕事をしたい人」がいるからだ。その体ひとつで、ビールに限らず流鏑馬もアウトドアも、富士吉田を楽しくする人たちを追いかけて、西井さんは飛び出していく。
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