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「飛騨市の薬草滞在ツアーをつくりたい」薬草を使った地域の魅力発信

「都会を離れて地方で生活してみたい」「地域の人とつながる暮らしに興味がある」「自分の手で作物を育ててみたい」など、地域おこし協力隊になる理由は人それぞれ。

東京の大学を卒業し、首都圏の銀行で営業職を6年勤めた岡本文(おかもとあや)さんは、「薬草」に興味を持ち、2018年10月から岐阜県飛騨市の地域おこし協力隊になった。3年間の任期終了後、地域プロジェクトマネージャーとして採用され、市の職員となる。

「飛騨市は面積の93%が森林で、245種類以上もの薬草が自生しています。人々は昔から野山の薬草を摘んで、その薬効を体に取り入れてきたそうです。私自身、ここに暮らし始めて薬草の力を実感するようになりました」と語る岡本さん。

その健やかな笑顔を見ていると、かつて銀行での激務で体調を崩していた時期があるとは信じがたい。薬草とともにある飛騨での暮らしがどんなものか、お話を伺った。

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心身が疲弊した自分を元気にしてくれた植物

岡本さんは愛媛県生まれ。子ども時代は親の転勤に伴う引っ越しが多く、大阪府、福岡県、千葉県などで暮らしたという。東京の大学を卒業した後は首都圏の銀行に営業として就職。やりがいを感じる一方で、肉体的・精神的なストレスが溜まり、体調を崩してしまった。

心身が疲弊して休職していたときに、趣味として習い始めたのがフラワーアレンジメント。SNSに載せた作品の写真を見た知り合いから、イベントの会場装花を依頼された。

「経験の浅い自分で良いのだろうかと思いましたが、チャレンジしてみたい気持ちが勝りました。自分で考えたフラワーアレンジメントのデザインを地元の花屋に持っていって、当てはまる花を仕入れてもらい、自分で作ってみたんです」(岡本さん)

後日、その花屋にいま何をやっているのか聞かれ、銀行を休職中だと答えた。すると「もしよかったらうちで働きませんか?」と誘われたそうだ。

「花を触っていると自分が元気になるのがわかったし、親にもそれは見えていたみたいで。それで、銀行を辞めて、花屋のアルバイトを始めました」(岡本さん)

その花屋では、仕事を通して花に関するさまざまな知識を身につけた。約1年半働いた後、フランスに住んでいた知人女性に誘われたことがきっかけで、ワーキングホリデーで渡仏。岡本さんはフランス文学科卒で、もともとフランスには興味があった。

「実際に行ってみたら、もっとフランスが好きになりました。パリは街中に花があふれていて、男性が当たり前のように花束を抱えて歩いていて……。そういうのを見ていると、素敵だな、やっぱり花の仕事をしたいなと思ったんです。ワーキングホリデーが終わるころ、花屋の門をたたきました」(岡本さん)

フランスには、実務を通してそのお店のスタイルを教えてもらえる研修制度がある。岡本さんはビザを切り替えてフランス滞在を延長し、制度を利用してさまざまなお店で働いた。

「フランスに住んだ2年半のうち、間を空けながら1年ほど働きました。いろいろなスタイルを見られたし、貯金も底をつきそうだったので、そろそろ日本に帰ろうと思ったんです。そこで、ふと友達のいるニューヨークに遊びに行くことを思い立ち1週間ほど旅行をしました。そのとき、マンハッタンでたまたま見かけた花屋に心を奪われたんです」(岡本さん)

お店に入るなり、ここで働きたいと直談判した岡本さん。翌日、オーナーから「昼ご飯くらいしか出せないけれど、それでもよかったら」と言われたという。日本行きの航空券をキャンセルして、ニューヨークでまたひとつチャレンジしてみることを決意。ビザの関係でアメリカに滞在できたのは90日間だったが、業務の一環としてMoMA(ニューヨーク近代美術館)のレストラン装飾なども担当しながら学び、2016年夏に帰国した。

帰国後は海外で学んだことを活かし、東京都港区にあるフレンチスタイルの花屋に勤務。仕事は楽しかったが、寒い環境下での長時間勤務、かつ重いものを持ち運ぶ肉体労働に、体の中から整えていかなくてはこの先働いていけないと感じた。そこで、体の中からケアできる自然のものを求めて、植物療法に興味を持った。

植物療法(フィトセラピー)とは、植物の力を使って人間の持つ自然治癒力に働きかけ、体の調子を整えたり、病気の予防をしたりすること。メディカルハーブ(薬草)、アロマセラピー、バッチ博士の花療法、森林療法などが有名だ。

岡本さんは植物療法について調べる中で、岐阜県飛騨市に薬草料理を提供する老舗の料理旅館があることを知り、2018年8月に訪問。初めて食べた薬草料理のおいしさに驚き「もっと薬草について学んでみたい」と感じた。

薬草がつないだ縁で岐阜県飛騨市へ移住

料理旅館に泊まった翌朝、主人に飛騨の薬草に関わってみたい気持ちがあると話をすると、市役所職員を紹介してくれた。そして「地域おこし協力隊」の募集があることを教えられ、「薬草に興味があるならぜひ応募してほしい」と言われたそうだ。

あまりにもスムーズに話が進むので躊躇したが、9月に飛騨市で開催される薬草フェスティバルに来てみないかと誘われ、そのタイミングで飛騨市職員の方々と面談。同月下旬に採用の連絡をもらい、10月1日には地域おこし協力隊として着任した。

協力隊の任期は1年更新で、最長3年となっている。薬草について学びながら地元の人々をつなぐ活動はおもしろかった。薬草の生活への取り入れ方を発信するなど、薬草で飛騨市を元気にする活動に精力的に取り組んだ。

とはいえ、都会とは大きく異なる飛騨市での生活に苦労がなかったわけではない。

「パリやニューヨークに滞在してきましたが、どこよりも外国にいるような感覚でした。暮らし方、気候、言葉、常識、すべてが違ったんです。雪が積もるところに住むのは初めてだったし。でも逆に周りから見れば私が宇宙人のような存在なのかもしれません。ストレスもたくさん感じました」(岡本さん)

それでも、住民ひとり一人と向き合い、文化や風習を学びながら、地域になじんでいった。同時に、薬草を取り入れた暮らしをするようになって、体の変化も実感したという。

「わかりやすいのは、しもやけ対策です。私は以前はしもやけがひどく、飛騨に来た最初の冬は、指先が腫れて裂けてしまったくらい。でも、メナモミなどの薬草を継続的に摂るようにしたら、少しずつ落ち着いてきたんです。ならないわけじゃないけど、なっても治りが早い。これは日々何らかの薬草を摂ってきたからだと思っています」(岡本さん)

どこに行っても完全に心身の不調から解き放たれるわけではない。しかし、薬草とともにある飛騨での暮らしは、岡本さんにはぴったりと合っていたようだ。

薬草滞在ツアーをつくって飛騨市に人を呼びたい

岡本さんは2021年9月に3年間の任期を終了。その翌々月、新しく始まった制度に応募して採用され、飛騨市の地域プロジェクトマネージャーに就任した。「地域おこし協力隊としての薬草に関する取り組みを見てもらい、官と民をつなぐ役割がこれからも必要だと市に判断してもらえたのでは」と、岡本さんは振り返る。

それまではアパート暮らしだったが、地域おこし協力隊を卒業すると同時に住環境も変えた。

「薬草を普及する活動をしていると、森林で薬草を採ってきて乾かすスペースもいるし、ある程度広い家が必要なんです。ゆくゆくはみんなが集まって活動できるような場所が良いなと思って、大きな古民家を買いました」(岡本さん)

もはや「薬草」は岡本さんのライフワークだ。地域プロジェクトマネージャーの任期は最長3年。その後の計画を聞いてみた。

「『飛騨市の薬草滞在ツアー』をつくってみたいと思っています。東京から訪ねてくれる友達など、外から来る人にとってはこの場所自体がすごく面白いようです。薬草ワークショップに参加するのはもちろん、ただ飛騨市内を車で走るだけでも喜んでくれます。

山に薬草を採りに行ったり、その薬草で作った料理を食べたり……。そんな飛騨市ならではの体験を提供できるツアーがあったら、たくさんの人が来てくれるんじゃないかなって。こうやって公言したからには、もう後に引けなくなってきましたね」と岡本さんは笑う。

そこで生まれ育った人には当たり前すぎて見えにくい、地域が本来持っている魅力。都会で暮らした経験や海外で働いた経験を持つ岡本さんだからこそ、そこにスポットライトを当て付加価値をもたせた発信ができるのだろう。

未来へと続く循環する仕組み

岡本さんは、何度もあった人生の転機において、いつも自分の心に正直な選択をしてきた。銀行を辞めて花屋でのアルバイトを始めたり、突然フランスに行ったり、「ここで働きたい」と思ったら経験や語学のハンディをものともせず体当たりしたり……。

紆余曲折な半生に見えるかもしれない。しかし、すべての経験がつながって、岡本さんは飛騨での薬草とともにある暮らしを手に入れた。

薬草が人を健康にし、人が自然を守り、その自然が薬草を育む。バラバラに見えるものも、実際は相互に影響し合っている。飛騨の薬草で元気になった岡本さんが、今度はその薬草の力を多くの人に届けていく。未来へと続く循環する仕組みは動き始めている。

参考情報

飛騨市薬草ビレッジ構想推進プロジェクト
http://www.city-hida.jp/yakusou/

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